シュペルターと歩む15年記 #4
コラム1:広州旅情
娘が生まれてからは、シュペルター製作全然手を付けていません。
空気が汚れてたら大変!とか言って
今まで”ちょっと欲しいな”と思っていても、そこまでいるかぁ~と
踏ん切りのつかなかった空気清浄機を即買いしたり、
エアコンは空気乾くし、石油ファンヒーターも空気汚れるかも
ということで、デロンギのオイルヒーターを買ってみたりしているのに、
ウレタン樹脂を切り刻んで粉塵をまき散らしたり、
パテや接着剤から揮発性溶剤を発散させるわけにはいきませんから‼
世の中の穢れからこの小さき生命体を守らねば!
(肩車してリビングから和室に行こうとして、娘のおでこ、
コチンと鴨居にぶつけたことは本人にはだまっておこう。)
それに、日々娘の成長していく姿!一時も見逃せませんから!
などと彩のある日々を重ねて、1年近くが過ぎようとしていた秋のこと、
その日は突然訪れたのです。そう突然!
会社の会議室
普段はあまり話をしない副工場長もその会議に参加していました。
いろいろとややこしい議論も一段落したとき、
今まで険しい顔をしていた副工場長も気が緩んだのか、急に私に向かって
話しかけてきました。何事⁉
『トトム君、中国への出向のことについてもう聞いたんだろ?』
『…いえ、聞いてませんが、なんのことですか?
中国のどこなのですか?(((((;゚Д゚))))ガクブル』
『あつ、いや…今の忘れて!』
いや~、コントとかでありそうな言葉を生で聞くとは!
しかも自分のことで。
前に出張に行った四川省は今は何もプロジェクトが無いし、黒龍江省かな?
あそこは冬、極寒だし、暗いし(暖房のための石炭燃やし過ぎで、ばい煙が空を覆っている!ただのイメージですが。)
1時間もしないうちに、部長から電話が!
『トトム君、ちょっと来てくれるかな?』
部長のところへ行き、(一応)『はい、何でしょうか?』
『いや、副工場長から何か聞いた?
”まだ、話しとらんのか?”って怒られたわ。』
(そりゃー、まだ話してなかったから、怒られたんでしょう)
『広州に行ってくれる?2年くらいかなぁ、よくわからんけど』
広州って私の部門に関係ある仕事無いんじゃなかったですか?
『そう、無いんで別の部門の仕事やってもらうわけよ!』
とりあえず奥さんにTEL、
『急な話だけど、中国赴任っていったら一緒に来てくれる?』
『大丈夫!一緒に行くから!』
(うちの会社、出向は希望すれば家族帯同OKなんです。)
ということで家族離れ離れにならずに済みそうです。
何と言っても一番怖いのが単身赴任。
ちょっと安心したら、次に気になるのは広州ってどこだっけ?
えー、広州、広州と、と世界地図で調べる。
(まだ当時スマホとか持っていないので、職場にあった
リアルなBookの地図帳)
杭州じゃなくて、広州っと、意外に南なんですね。
あつ香港の近くじゃん! 俄然テンションが上がる。
奥さんにも幾分転勤のメリットが提示できる♪
ただ中国の初めての地で慣れない内容の仕事、いきなり家族全員で行っても
生活ができないので、
まずは単身で乗り込み生活基盤を固めるのが先決です。
2009年1月正月休み明け早々に出発。
南方航空にて広州白雲(バイユン)国際空港に到着。
初めて広州の地に降り立つ。
空港から一歩外へ出ると、1月なのに南国独特の陽気な日差しが
降り注いでいました。
四川省や黒龍江省とは違う、広州の明るいイメージ。
今でもこの時の光景がずーっと頭に焼き付いています。
しばらくはホテル暮らしをしながら、家族で住めるマンションを探します。
ホテルといっても、キッチン付きで、サービスアパートメントとレジデンスの中間くらいです(うん、多分よくわからずに言っています)。
下の写真を見てご判断はお任せします。
さっそく先輩日本人に付き添ってもらって、ホテルの隣のスーパーへ
鍋、皿、ヤカン、箸、たわしなどの自炊道具を買い出しに。
(英語とかも基本通じないので、レストランでご飯食べるのも結構ハードル高いんです。)
スーパーは中国語で超市(チャオ・スー)だけど、漢字を見れば一目瞭然。
そこで初めて聞いた”実践!中国語”は、
レジの人『有袋子吗?』
(えっ?今なんて言ったんですか?先輩。)
あーレジ袋持ってるか?てことよ。
『没有(ありません)』とついでに返事もしてもらう。
中国では2009年当時既にレジ袋有料です。
環境のためかどうかは知りませんが、進んでいます。
ちなみにバスもスクーターもバッテリータイプの電気自動車が主流でした。
(日本も井の中の蛙になってはいかんなぁ)
日本で買ってきたCD付の本とかで
ぼちぼち中国語の勉強を始める。
すべてが漢字の中国語、現代中国では簡体といって、
独特の省略方法で画数を少なくした、素早く書ける漢字を使っており、
日本語と同じ漢字もあれば、
”まったくなんていう字なのか予想もできない漢字”もあるのですが、
一通り覚えれば、日本語と共通しているところと、違うところが
なんとなく見えてきます。
东 これは何だ?『東』です。広州は広東省にあるのでよく見かけます。
车 これは?東に似てますね。『車』です。うーん“牛”って呼んでしまうな
传 これは『伝』、なんだか画数増えてない?
で传のニンベンを车に変えると、
转 『転』になるので、日本漢字と組み合わせは一緒なのですが
組合せパズルというか、見た目が知恵の輪のようです。
日本の漢字と字形や読み、使い方が違っていても
漢字の本家(いや元祖か?)はやっぱり中国!
と納得させられるようなこともあります。
焼き飯またはチャーハンは、中国語では炒饭(チャオファン)です。
なお焼き飯とチャーハンは作り方がちょっと違うのですが、
料理における焼くと炒めるでは、
漢字そのままの意味ほど大きな違いがありませんので、
それぞれの調理法で作られた焼き飯とチャーハン自体も
現在ではあまり厳密に区別されていません。
更に焼き飯と双璧をなすのが焼きそば!です。
日本語でチャーメンなるものはありませんが、
中国語で”焼きそば”は、やっぱり炒面(チャオミィエン)です。
焼いていないのにノリで”焼き”そばと言っちゃう日本語に対して、
中国はちゃんと“炒”を使っており
漢字に対しては真摯な姿勢が垣間見えます。(そーなのか?)
いや日本にも漢字にこだわる九州博多の名店がありました。
(店名知りません、今もあるかもわかりません)
あれは私が大学生の頃
(1988年くらい)
下宿近くのバス停で小学生くらいの兄妹がビラ配りしていました。
(見立てでは兄小五、妹小二くらいでしょうか)
普段あまりビラは(ゴミになるので)受け取らないのですが、
これは受け取らないわけにはいかないでしょう。
何のビラかな?小学校のバザーでもあるのか?
ビラにはこんな文面が踊っていました。
『焼きそばは焼くから“焼きそば”です!』なんじゃーこりゃあー⁉
さらに続けて読む!
『他店の焼きそばは、正しくは五目炒めそば!
当店では網で焼いた本物の焼きそばです。』
うん!正しいな。でもおそらく炒めたほうがおいしいのではないだろうか?
言葉に正しく向き合おうという姿勢に大変共感すると同意に、
おそらく自分の家が営んでいる焼きソバ屋さんを健気にも手伝う幼い兄妹を応援したいという気持ちもあったのですが、結局そのお店には行かず。
その時の精神を思い出させてくれた中国語でした。
(ちなみに、ソバの実から出来る、蕎麦粉をつかった、本当の蕎麦を
“蕎麦”または“ソバ”というのに対して、
一般的な総称として呼ばれる麺をひらがなでそばと書くということで
本文も言葉に気を遣って書いてみました。
あ、たった今気づいたのですが、“焼き”という言葉に
そこまでこだわるならば、
”そば”にもこだわって、中華麺ではなく、蕎麦粉の入った日本蕎麦の麺
を焼いていただきたかった。
うーん、35年前の美しい記憶が!ウルウル
いやそれは宣伝するまでもなく、実行していたのかも。
そのこだわりが仇となり、絶対”商売繁盛”とはならないような気がして
またあの兄妹のことが気になってしまいます。
ええい、考えていても仕方がない!
やってみた。
てんてけてけてけてってって~♪
てんてけてけてけてってって~♪
要は日本蕎麦を網で焼き、味付けは定番通り焼きそばソースです。
さてこれが正真正銘のヤキソバ(=焼き蕎麦)だ‼
日本蕎麦128円+焼き網698円!+家族の白い目。
孤高の精神とは高くつくものだな!
おそるおそる食べてみました。
んん?
思ったほど不味くはない!
日本蕎麦らしく少し歯ごたえには欠けるが、
逆に焼いている時に、発火して焦げたところが、
ちょうどいい感じにハリハリして
(バリバリでもパリパリでもなく、”ハリハリ”です)
ちょっといいかも!
奥さんに味見してもらうと、
『日本蕎麦を焼いているのを、目撃したからアレだけど、
麺が日本蕎麦って言われなかったら普通だね。』
そうです、”言葉通り”にした結果は、普通だったんです。
ところでシュペルターどした?
っていきなり路頭に迷ったあなた!
大丈夫です。ちゃんと部品を箱に入れ、
基本的な工具も中国に持ってきています。
可燃性の塗料や接着剤は送れませんが、前回までの出来具合からいうと
まだまだ細かく仕上げないといけないところがたくさんありますから。
さてシュペルター、輸送中のダメージを防ぐために
緩衝材で厳重に梱包された箱から出されるのはいつの日か?
『コラム』がガレージキット製作と全く関係ない内容であることは
今回でおわかりいただけたことと思いますが、
まだ中国編続きます。