シュペルターと歩む15年記 #21
哲学のすゝめ 世界〇〇
タイトル画像ニモヨラズ
サブタイトルニモヨラズ
脚部ノ関節ヲガンガン仕上ゲ
其の様子ヲスイスイ書イテイク
サウイウモノニワタシハナリタイ
なんぴとたりとも、ジャマはさせねぇ。
例えそれが”話を横道にそらせたい”という自分自身の願望であっても!
ということであっさり脚部関節の塗装と組み立て編に突入で~す。
素材にしたっていろはいろいろありまして
前回に引き続き、塗装色の考察から始めましょう。
今回はフレーム、内部メカ編です。
シュペルターの組立説明書にあるカラーガイドでは
当然の如く、関節色が一色指定されているだけなのですが、
関節の作り込みがテーマの一つであるシュペルター製作。
塗装も手を抜くわけにはまいりません。
リアル感のある配色けにはセンスが必要であり、
塗装の最中に、状況を見てどんな色に塗るか
臨機応変に判断することも大切ですが、
まずは”これが本当に存在するものであったならば…”と想像し、
材料の特徴や機能の考証に基づいた基本的な色設定をしておきます。
こうするとある程度自動的に色が決まる部分があり、
配色決定が楽にできますし、
脚部、腰部、腕部などの各部の関節で統一感を出すことができます。
フレーム
人体で言えば骨格であり、騎体を支える構造体です。
フレームは破断はもちろん、歪んだりしても
モーターヘッドとしてはオーバーホール並の修理が必要になりますので
強度と耐久性を兼ね備えた、最高級材料が用いられます。
素材や機能上はどんな色でもよいのですが、
フレーム色もモーターヘッド毎に特徴あるシンボルカラーの一つであり、
外装色とのバランスを考えて調色してみます。
前述の組立説明書でも基本的にこの部分の色を
”関節色”として指定しています。
指定色ではネイビーブルー+ブルー+シルバー微量となっています。
これまで説明書のカラーガイドはことごとく無視してきましたが
別にボークスさんを信用していないわけではありませんので、
まずは指定色をベースに自分の好みに合わせて調整します。
シュペルターのフレーム色のイメージは一言で言えば
パープルメタリック!
指定色のままでは、パープルというよりもバイオレット寄りなので、
ベースカラーの#14ネイビーブルーはそのままにして、
#5ブルーを#67パープルに変更。
またメタリック色は#8シルバーだけだと重量感に欠けるため、
#28黒鉄色も追加してみます。
あまり色の混合比率を厳密に決めて調合したわけではありませんが、
出来た色といえば、
まんまパープルという感じではありませんが、
反射の具合によってはパープル感のある鈍い金属色になりました。
機械部品
なぜフレーム色一色だけではいけないのでしょうか?
それは第一には模型的な見栄えということになるのですが
フレーム用の金属は前述のように高性能で高額な材料です。
加えて高強度なだけに、加工性が悪い事は容易に想像できます。
ということでフレームにボルトなどで取り付けられており、
騎体の支持には直接関与せず、
また比較的容易に取り換え出来るような部品には
フレームとは異なる素材を使うことが理にかなっています。
このような理屈から解釈の仕方によっては
フレームの廉価版・代替素材と言えなくもないので、
統一性を持たせるためにも似たような色のものを探します。
調色せずに気軽に使える色として
Mr.カラー以外のものも含めていろいろと見繕ってみましたが、
ラッカー系塗料ではない水性アクリル塗料のファレホカラーから
77.711 マグネシウムと言う色を選んでみました。
実際のマグネシウムという金属はほとんどの金属と同様に銀白色ですが
酸素と結合しやすく空気中に放置すると表面に
酸化物の不導体被膜を形成して灰色を帯びてきます。
また金属として使用する場合には他の金属成分を添加して
合金として使用されるようです。
ということでこのファレホマグネシウムという塗料のがどのような状態の
マグネシウムを再現しているのかはわかりませんが、
それはさておき、多少ブルー味を帯びたグレーっぽい金属色で
調色したフレーム色との相性も良さそうです。
弾性部品
世の中、お硬いばかりではどこかに歪みが出るもの。
ストレスを吸収する柔軟な対応が必要です。
騎体の駆動系の中にも弾力のある部材を要所要所に配置しておきます。
弾性材料といえばすぐに思い浮かぶのはバネ。
そしてバネといえばばね鋼なのですが、
調べるとステンレスばね鋼や
SUPという規格のケイ素やマンガンを添加した合金ばね鋼
などが広く使われているようです。
バネは変形と復元を繰り返すことから疲労強度を低下させないよう
その表面は特に滑らかに仕上げる必要があり、
素材の金属色とも関係してピカピカの銀色という印象が強いのですが、
作例ではもう少し”色をつけて”ピカピカの金色にしてみました。
ちょうどバルケッタというメーカーのシャンパンゴールドを
使うあてもなく買っていたので、これを使ってみます。
かなり光沢が強く、前回紹介したタミヤのシャンパンゴールドとは
まったく違う色です。
耐摩耗部品
高速で回転する軸部などは、コロ軸受や玉軸受で支え、
グリスなどで潤滑した転動体を用いて摺動抵抗を最小限に抑えますが
ロボットの全ての可動部に軸受を使用すると
構造が複雑になるうえ耐荷重性能が低下しますので、
それ自身の摩擦係数が小さい自己潤滑性材料を用いるべきです。
非常に自己潤滑性の高い個体材料としては
ポリテトラフルオロエチレン(テフロン)が代表的ですが、
これは樹脂系材料ですので強度のことを考えれば
同じく自己潤滑性を持つことで知られるグラファイト系の材料を
使用するべきでしょう。
ただしグラファイトは炭素元素で出来ているため黒色であり、
見た目で潤滑性が高いという直感的な印象に繋がらないため、
作例では安直にもピッカピカのアルクラッドⅡ ポリッシュドアルミを
使用しています。
アルクラッドⅡのメタリックカラーはほとんど粒子感のない
素晴らしいメタリック塗装を簡単に実現してくれる優れた塗料ですが、
塗膜が非常に弱いですので、最後の最後に塗装して、
マスキングはおろか極力触らないように気を付ける必要があります。
一次装甲
モーターヘッドの基本的な構造として、
フレームを組み上げた後にフレームに直接一次装甲を施し、
その後全体に外部装甲を被せるようになっています。
一次装甲としてはどのような特性・機能が必要でしょうか?
まずはフレーム直接に取り付けられるために軽いことが重要。
またそれ自身がいくら強固でも、受けた衝撃が
フレームに直接伝わってしまうと、
一次装甲取付部からのフレーム損傷を起こしてしまいますので
むしろ一次装甲自身が損傷することで衝撃を吸収するほうが良い。
そこで、軽金属というところから、
前回外部装甲にも使用した
アルマイトをイメージした白色系の金属色を調合しています。
アルミであれば自身がへこむことで衝撃を吸収できそうですが、
設定としてはもう一歩進めて、
”衝撃を受けるとその部分の金属が発泡して
受けた装甲全体の衝撃を吸収すると同時に、
内部に形成された空気の層が、小さな破片が貫通するのを防ぐ
”有効な防弾板”として機能する、特殊な金属ということにしました。
耐熱部品
フレーム部、外部装甲ともに”いかにも放熱部”と言った感じの
ルーバー状のモールドがそこかしこに見られます。
エンジンの放熱という以外にも、
各部の運動によって生じる熱を放散する必要があり、
四肢末端にもこのような部分が必要になるのだと思います。
このような高温になる部品には耐熱性の高い材料が使われるのが常ですが、
それでも熱により変色が生じます。
飛行機模型の分野ではジェットエンジン排気ノズルの部分が
このような部品に相当するため、古くはMr.カラーの焼鉄色を使用したり、
最近では各塗料メーカーからJet Exaustなどといった
専用塗料が発売されています。
しかしそこはそれ、シュペルターはKnight of Goldですから、
そんな熱で変色するといったような”現実感のある色”
にするのも少し抵抗があります。
そんな時に例のあの色、
”もっともゴールドらしくないゴールド”
ということで評判のタミヤスプレーのシャンパンゴールドを使ってみます。
細かく泡立つシャンパンのような華麗な色合いながら、
どこか色素が抜けたような発色がK.O.Gのエグゾーストにピッタリです。
や~っておしまい
ここからは一気呵成に関節の製作を進めていきます。
足首関節
2015年9月~2017年11月
足首の主関節を塗装します。
主要部分はフレーム色
板バネ状の反発性積層腱肉は積層板間の位相をずらして駆動する
アクチュエータの一種ですが、
積層板間には電気的な反発力が働いているため摩擦力はほぼ0であり、
耐摩耗部品というよりは板バネ的な弾性部品と見なして、
バルケッタのシャンパンゴールドで塗装します。
フレームへ板バネを取り付けるスイカの種のような形のピポット部は
ファレホマグネシウムでこまめに塗り分けます。
足首関節の駆動は主関節についている反発性積層腱肉が
主要なアクチュエータですが、
足首の曲げ伸ばしを補助するために小さな電磁式のリニアレールを
前側板バネの間に備えています。
リニアレールはレールを電磁式のパッドが往復する構造ですので
パッドはマグネシウム、レールはフレーム色で塗装しています。
構造的にはレールも機械部品として
マグネシウムで塗装しても良いのですが、
ちょっと単色ではさみしかったので塗り分けする色を検討しました。
ここも電磁的な反発で摺動はしないし、
またこのレールは板バネのような弾力はないということで、
消去法でフレーム色にしています。
(下写真:中)
また電磁駆動とは別の動力系統をもつアクチュエータとして
前側にI型パワーシリンダー、後側にはX型パワーシリンダーを
取り付けます。
前側のパワーシリンダーはシリンダーの部分も長めに再現していたのですが
脛部品の内側に収まるように調整しながら削っていったところ、
ほとんどなくなり、ほぼピストン部のみになってしまいました。
足首前側の2枚の一次装甲は足首をガードするのと同時に、
脛から伸びるパワーシリンダーの伸縮を足首に伝達するリンク機構にも
なっているようなので、これら3つの付属部品同士を接着しますが、
接着面積が少なく強度が不安です。
そこで塗り分けのためのマスキングの手間が生じるとしても
塗装前にエポパテと瞬間接着剤を併用してがっちりと固定します。
(下写真:左)
後部のX型パワーシリンダーも残念ながらXの下半分である
逆さまVの形状しか再現できませんが
どうせチラリとしか見えないのでこれで十分です。
シリンダー部は内部のピストンを伸縮させる以外に
それ自体もしなって衝撃を吸収するようの機能を付加し
弾性部品のバルケッタシャンパンゴールドで塗装しています。
ピストンが出入りするシリンダー端部はファレホのマグネシウム
ピストン部はアルクラッドⅡのポリッシュドアルミニウムです。
(下写真:右)
後部X型パワーシリンダーの取り付けにはもうひと手間が必要。
足首側に取り付けるパワーシリンダー基部との間に生じる
足首の捻りによる中心軸のズレを吸収する機構が必要なのです。
シリンダーの中心軸が合うように、
パワーシリンダー基部を上下に分割し
上部がパラレルリンク機構で支持されるという構想は
シュペルターと歩む15年記#10で宣言しておりましたが、今こそ実践の時。
真鍮パイプ、洋白線、Hi-Qのメタルパーツなどを使って
4方向からパワーシリンダー基部(上部)を支える
パラレルリンク機構を作ります。
苦肉の策でしたが、予想以上にメカメカしい密度感を
出すことができましたし、
もともとパワーシリンダー基部(下部)の形状は設定画では判別できず、
自分でデザインした上から見ると六角形の形状に
『なんとなく説得力がないなぁ』と思っていたところ、
シリンダーの取り付け方向と上手く一致させることができ、
全体のフォルムも引き立ちました。
以上のように足首関節は主関節だけでなく
前後のアクチュエータや一次装甲など
たくさんの部品から構成されています。
それが足首という細い部分に集中して取り付けられていますので
部品同士の位置関係をうまく調整してやらないと
一体感がないというか、
ゴチャゴチャしたあか抜けない印象になってしまいます。
付属品たちの取付位置は何度も仮組をして干渉する部分を削り込んだり、
真鍮線で位置決めしたりして準備は万全ですが、
やはり塗装完了した部品を接着していく作業には緊張感が伴います。
まずは足首主関節を足首に取り付け、同時に前面リニアレール
足首甲フレームの上端部品を取り付けます。
前から見るとこんな風。すっきりとしています。
足首前面のU字断面のフレームと後面にX型パワーシリンダーおよび
パワーシリンダー基部を取り付け。
またかかとアンカー基部も同時に取り付けています
最後にちゃんと塗り分けをした前面パワーシリンダーと一次装甲の一体部品を取り付けて足首関節は完成です。
膝関節
2015年9月~2017年7月
膝関節は意外にシンプルな構造です。
関節の本体部分は造形および複製がしやすくなるように
6分割で製作しましたが、
シュペルターと歩む15年記#3で既に一体化しています。
側面の丸いプレートのディティールが内/外で違いますので、
その部品の取り付け方向を逆にすることで、
同じ部品構成で左右の脚に対応しています。
塗装後に取り付ける部品は3つだけ。
前面のフック状のパーツと後面のパワーシリンダーを受けるプレート
それから大腿後部のパワーシリンダーの一部。(写真1:上)
主関節とパワーシリンダー部品に簡単な塗り分けがあるだけなので
塗装はあっと言う間に終わります。
塗装完了後にエネルギーチューブの取り付け口を接着します。
これは手芸用の極小ガラスビーズを使用していますが、
購入したものは御幸商事のバラビーズ 丸特小 1.5㎜です。
赤系統の色と青系統の色のものをそれぞれ買いましたが、
発色にかなりばらつきがありますので、約7g(何個あるんだろう)の中から
鮮やかな発色のものを選びました。
(バラビーズ:下写真、膝関節への取り付け状態:写真1、下左)
後部のパワーシリンダーは、またまた真鍮パイプと洋白線で製作。
(写真1:下右)
簡単なようですが真鍮パイプはこのサイズになると壁厚も極薄ですので
パイプをつぶさないように切断するのに気を遣います。
いろいろと試しましたが、パイプカッターを使うよりも
回転工具の円板のこぎりでスパっと一気に切断するのが
一番きれいに仕上がります。
ただし切断すると同時にどこかへ飛び散って行きますので、
細く切ったマスキングテープでつなぎ留めておくとすぐに見つかります。
また目に入ると非常に危ないので防護ゴーグル着用は必須です。
これが完成した膝関節。
足首関節に比べてあっさりしているというか一体感のある関節ですが
人間の脚でも膝関節の自由度は一方向への折れ曲がりのみですので
こういったシンプルな形状で十分機能を果たすのでしょう。
股関節
2005年7月~2017年7月
股関節というのは一体どこを指すのでしょうか?
人間で言えば骨盤の寛骨臼に大腿骨頭が嵌り込んでいるところですが、
広い意味で言えば、骨盤全体と大腿骨の上部ということになります。
骨盤というのはまぁ普通にいえば”腰”ですので、
シュペルターの股関節において基本になるのは腰基幹部でして、
これはシュペルターと歩む15年記#14にて設定上の構造解析と
模型としての再現方法を決定したのですが、
まだまだ造形としては曖昧なところが残っていました。
今回は骨盤側の形状仕上げから説明を始めて行きます。
ところでこの股関節製作の方法論は
足首関節や膝関節とはかなり異なります。
あくまでも固定ポーズモデルの製作という場合に限定しての話ですが。
膝関節は大腿骨と脛骨、足首関節は脛骨と距骨の組合わせなのですが、
敢えてそれぞれの骨に相当するパーツに分けて造形したうえで
接合するということはせず
”関節”と言う名称のもとにいかにも動きそうな雰囲気を出しつつも
一体で作っています。
ただし股関節に限っては、複雑な形状を再現するために
設定上の部品分割に忠実に造形しているわけです。
まずは腰基幹部の形状を仕上げていきます。
腰部形状の不可解さはシュペルターと歩む15年記#2でも
少し触れたのですが、
ボトム・カウンターウエイトがフエヤッコダイに見えること以外にも
そこかしこに首を傾げたくなる形であふれています。
いちいち細かい説明はいたしませんが、図のように
削ったり、エポキシパテを盛ったりの大立ち回りで、
大胆に形状を変えていきます。
カウンターウエイトの形はやはりシンプルなのが一番ですが、
少し寂しい気もしたので、右から二番目の写真の状態にヒントを得て
後から別体のカバーを取り付けることにしています。
(これはシュペルターと歩む15年記#14でもう書きましたね。)
次は本邦初公開の大腿骨に相当する部品です。
といっても太腿部品に組み込む上端部分のみですが。
エポキシパテで原型を一つ造り、シリコン型取りで複製して
左右別々のものにします。
上図左写真が原型ですが、遠近両用ならぬ、左右両用の形状として
上部と側部のひれ状の部分を2か所ずつ設けています。
このひれ状の部分はパワーシリンダー基部が付く前面側であり、
逆に後面側にこのひれがあるとパワーシリンダーと干渉してしまうので
同じ形の複製品をもとに不要になる後側のひれを削除して
左用と右用にするわけなのです。
この複製品にピッタリ合うようにエポキシパテで作った
パワーシリンダーの基部2か所と大腿骨ディティールの一部分
を取り付けます。
また”モーターヘッド立ち”ともいうべき脚の開き具合になるように、
大腿骨は骨盤に対して開き気味に取り付けますので、
開き角度に合わせて取付部(大腿骨頭)と骨盤ブロックのくぼみ(寛骨臼)との間に隙間ができないように前側にエポキシパテを盛りつけます。
実はこれは模型的なごまかしなのですが、それも一興。
なぜこんなごまかしをしないといけないくらい
股関節周りが窮屈なのかというとズバリ
人間の筋肉の取り付け部である腱とちがって
モーターヘッドのパワーシリンダー基部は嵩張るし、
そのパワーシリンダー基部を骨盤側にも大腿骨側にも
幾つも取り付けしないといけないうえに
股関節は可動方向が広くまた曲がる角度も非常に大きいため
いろいろな所が干渉しまくるわけです。
ちなみに本来股関節がどのくらい曲がるものかというと
自分で試したところ体の硬い私でも前後方向には約90°、
左右方向に45°、足を捻る方向には90°くらいは曲がります。
調べてみるとだいたい同じような数値が記載されていました。
バレリーナとか中国雑技団の人の数値はどうなんだろう?
本当は上の図のように3方向、すなわち3つの回転軸で動かすためには
パワーシリンダーもフレミングの法則のように
互いに90°異なる方向に向いた3セットが必要になるのですが、
さすがに2セットしか取り付けられません。
モーターヘッド内部構造図の設定画では
大腿骨に2セットのパワーシリンダーを取り付け、
さらにネプチューンなどネイキッドタイプ特有の
股関節一次装甲を介してあと1セット取り付けているので、
可動機構としては正しいのですが、
股関節一次装甲のないスカート装甲付きのモーターヘッドでは
大腿骨に3セット分のパワーシリンダーを集中させるのはさすがに無理。
ここは機械構造上の正しさよりも模型的な見た目を重視しておきます。
以上のように可動モデルでなく、固定ポーズモデルであっても
股関節に関しては駆動機構の再現と大胆な関節の屈曲の両立は
非常に難しいのです。
以上のコンポーネントに
シュペルターと歩む15年記#14で紹介した骨盤ブロックを加えて
役者は揃った。
それでは塗装を開始します。
腰部本体はフレーム色、ファレホマグネシウムの塗り分けで、
股関節軸の基部にある調心タイプ軸受のバルケッタシャンパンゴールドが
良い感じの輝きを放っています。
腰後部は外部装甲のスーパーホワイトではなく、アルマイト色にしました。
この色は軽くて衝撃吸収するが耐久性はないという設定の素材なのですが
大丈夫でしょうか?
そもそも剣聖の乗るモーターヘッドが後ろを取られるようでは
話になりません。
後面の装甲は、装飾として必要となるような部分以外は
強度に気を遣わなくても良いのです。
ただ金属の塊であるボトム・カウンターウエイトまで軽金属で良いの?と
気になる方へ。(いないか?)
このシュペルターのMy設定では試験用遠隔運転をするための
データリンクがカウンターウエイトの後端についていたり、
カウンターウエイトの上には放熱フィンがついていたりと
単なる金属の塊ではないものですから
データ通信系統やエネルギー系統の防護を兼ねて
ウエイト用高密度素材で中枢部を取り巻いたうえで、
アルマイト系の外装で覆っていると考えましょう。
あとは関節やフレームに関係する部品を取り付けていきます。
まずは股関節軸に骨盤ブロックを通して接着。
次に大腿骨部品を取り付けます。
ここはしっかり固定したいので、横から真鍮線を打ち込んでいます。
この真鍮線は大腿部品に隠れて見えなくなりますが、
最初の取り付けで真鍮線用の穴から瞬間接着剤があふれ出して来て、
塗装面を傷めてしまい塗装の手直しが必要になりました。
この後諸々の付属品を取り付けていきます。
完成後はほぼ見えなくなるものの、
自信作である背骨下端部の竜骨ターミナル。
側面のギザギザは設定ではダンバーらしいので
バルケッタのシャンパンゴールド、
エネルギーポートの長穴内は
アルクラッドⅡのホログラムで塗装しています。
(なおホログラムは面積が小さすぎて発色が良く分かりません。
紹介は次の機会に。)
腰の上部に竜骨ターミナル、腹部駆動用アクチュエータ、
前面の盾のような形のフレームを取り付けると
ほぼフレームと駆動系は完成。
この後、前面装甲やスカート装甲、腹部部品などを取り付けるのですが
関節部品ではないのでまた次回以降に紹介します。
なおパワーシリンダーは非常に損傷しやすいので、
装甲関係の部品を取り受けた後に接着する予定で、
残念ながら股関節パワーシリンダー取り付け状態の紹介もお預けです。
前がダメなら後がある
シュペルター15年記を読んでいただいているごく少数の方は
この記事が主に3つのパートから成る事にお気づきかと思います。
1つはシュペルター製作記事
もう1つは主にシュペルター製作の合間にあった出来事のコラムです
これらはいわば過去におけるMissionとIntermissionです。
最後の1つは何かというと製作記事の前の前置きです。
『シュペルターと歩む15年記』のみでなく、
『レッドミラージュスポットライト』でも、
だんだんとこの前置きが長くなってきているのですが、
私としては今、この前置きを結構重視しています。
実際にはnoteを書いている時に思いついたことを
つらつらと書き連ねているだけなのですが、
その内容はちょっといや、多分にこじつけ的なところはあるものの、
ガレージキットの製作に関連して、
実際に過去にはそんなことは考えていなくとも、
もしガレージキット製作に集中する自分以外の”自分”がいたら、
もしかしたらその時考えていたかもしれない
平行世界の過去のお話だからです。
このように前置きを書くことを通して、
『シュペルターと歩む15年記』を単なる製作記事ではなく、
"シュペルター製作を核とする世界”の創造と考えるようになったのです。
その大切な前置きですが、
今回は訳あって…
さすがに長たらしい前置きが毎回前にあるのでは
(前置きだけに仕方ないが)
辟易する方もおられると思った次第ですが…
、
前置きを省略し、いきなり製作記事から始めたのですが、
それで済んだわけではなかったのです。
前置きをなくすなら、後書きで。
ということで実は単に順番を入れ替えただけで、
朝三暮四ではありますが
気を取り直していってみましょう。
樹と言えば世界?
前回シュペルターの製作体系図の樹形図としての
仲間探しをしてみたのですが、
なかなかイメージぴったりの樹形図には出会えませんでした。
今回は樹に似た図を探すのではなく、
逆に樹を図に例えることにしてみましょう。
自然界の樹木で形が似ているものを探すのではなく、
多数の要素が集まって一つの物を形作るとういう概念の樹です。
頭に浮かんだのは、
最近ではすっかり電子コミックサイトの定番となっている
転生モノや勇者・冒険者ジャンルでよく目にする『世界樹』。
もともと世界樹の概念はマンガが生み出したものではありません。
世界樹とは『世界が一本の大樹で成り立っている』
という中世の世界観であり、
北欧神話ではユグドラシルと呼ばれ
ハンガリー神話ではアズ・エーギグ・エーレ・ファである(そうです)。
その他多くの神話に巨木が出るのですが、
とはいえ、いずれも我々に馴染みのあるものではありません。
特にあずえーぎぐえーれふぁとか。
では最近の著作物で目にするものにどんなものがあるかというと
ライトノベル&アニメでは“ユグドラシル“の名称が
『オーバーロード』に出てきますし、
RPGでは『世界樹の迷宮』が5作目まで発表されている。
(やったことないけど)
マンガでは『世界樹の下から始める半竜少女と僕の無双ライフ』
(何それ?)が代表なのか??いやきっと違うだろうがとりあえず…
しかし『オーバーロード』の”ユグドラシル”は
バーチャルゲームの名前であって、大樹の一本も出てきませんし、
『世界樹の迷宮』の設定は
”世界樹の迷宮”と呼ばれる巨大な大地の裂け目に広がる
地下樹海が発見された町・エトリアの
ギルドに所属する冒険者としてプレイします。
マンガ『世界樹の下から始める半竜少女と僕の…』では
折れた世界樹の周りに栄えたベリト市から物語が始まるが、
世界樹の内部には大迷宮があり、世界の中心という設定。
だからといって世界が一本の樹で成り立っているといわけでもない。
要はライトノベルでも漫画でもRPGでも
世界樹という概念を持て余しているとしか思えません。
やはり本物の神話でなければ世界樹は世界樹たりえないようなのです。
北欧神話ではユグドラシルは世界の中心に生えた巨大なトネリコの樹で、
その枝は天高く伸び、
それを支える3つの根ははるか遠い世界へと繋がっている。
というもの
世界を表すもう一つの考え方であるところの
映画フィフスエレメントでもお馴染みの四大元素説と
対比してみましょう。
四大元素説の中心にある『土』の元素はそのまんま地面で
世界樹の地表にある”幹”や地下の”根”に相当し、
それ以外の要素である『水』、『風』、『火』は
それぞれ雨、空気、熱を表していると考えることができます。
そして、四大元素説の拡張である五番目の要素の『エーテル』
(リー・ル―ではありません。)は光の媒体と考えられる
想像上の物質。
エーテルも含めた『土』以外の要素が、世界樹の”枝”が支えている
天空に関連するものになっています。
あっ『フィフス・エレメント』久しぶりに見たくなってきましたね。
世界を構成する元素を世界樹に結び付けるこの考えを
シュペルターの樹形図にも当てはめると、
形に表われない[設定]は地下の”根”、
シュペルター組立後の[完成像]は地上に現れた”幹”、
そして最終的な仕上がりを左右する一つ一つの[部品]状態での作り込みは地上世界に影響を及ぼす天空の各種要素である”枝”の部分に相当することは
単に図の形が樹に似ている以上の意味があるのではないかと思えてきます。
こうして樹形図はシュペルター製作という世界の世界樹であるという
結論に到達することが出来ましたので
ようやく気分良く、今回の製作記事を締めくくることができそうです。
できそうです。
できそうです。気分良く…
あれ?何だろうこの引っ掛かり。
あー、世界樹をシュペルターの樹形図になぞらえることが出来たのは
喜ばしい事としても、
現代の著作物が世界樹というモチーフを持て余していることに
無意識領域が問題意識を抱いているわけですな。
世界樹の表現って、中にダンジョンがあるとか
そんなこと以外に何かやりようがあるのだろうか?
まずもって問題は樹木というものの具体性です。
具体的である故に、樹=世界であるといっても
樹のどのあたりが世界なのかを示しにくい。
次に樹というのは幹にしても、枝にしても基本は軸である。
また葉もまとまりで見れば空間ですが、一枚一枚は平面なので、
これが『世界を表す』と言われても、
あくまでもそういう概念の範囲内であり、
世界を内包する空間として絵やアニメーションで表現することは勿論、
文章で描写することすら難しいのでしょう。
結果的にほとんどの場合
樹が世界なのではなく、世界の中心に樹があるという事になっていたり、
あるいは枝の先に茂った葉の上に世界を表す建物が描かれていたり。
要はただのバカでかい木であり
機能的には天と地、あるいは異世界間を支える構造体に過ぎない
というわけか。
『世界が一本の大樹で成り立っている』というのは
もともと”そういうこと”なのかもしれませんが、
私的に求めているのはそういうことではないのです。
世界は哲学
これは早々に世界樹の描写をすることをあきらめ、
別の世界〇〇を考えたほうが良いだろう。
具体的であると同時に概念的というか
構造的でありながら空間的でもあるというか
サウイウモノヲ ワタシハサガシタイ
なんとか現代の世界観も取り込んで、
頑張れば描写も可能な世界〇〇というものを生み出せないだろうか?
こんな時、まずは温故知新が大切。
過去の世界中の世界観を調べてみよう。
参考とする図書はBook Offでたまたま買っていた、
『地球かたちを哲学する』ギヨーム・デュプラ著 西村書店です。
この本の題材は“地球の形“なので
世界観とは少し違うかなと思っていたのですが、
なかなかどうして目から鱗。
この本を読むまでは“地球の形”に関する人類の認識の変化は、
科学の進歩に伴う一方向的なものだと思っていました。
すなわち1519―1521年のマゼラン世界一周航海によって
それまで信じられていた地球平面説が覆され
地球球体説に塗り替えられるという
人類の総体的認識の不可逆的な変化を
なんとなくイメージしていたのである。
ところがどっこい『地球のかたちを哲学する』を見ると
その認識は根底から覆されるのです。
この本は4つの章から成っており
第1章 島のような地球
第2章 多角形の地球
第3章 円形の地球
第4章 球の形をした地球
なのですが、この目次だけ見ると
人類の認識は着実に進歩しているように見え”さもありなん”である。
第1章、第2章では動物が島状の地球を支えていたり、
四角い地球が箱の中に入っていたりと神話的なものが多い。
こういうものはどうせ”原始の世界観”であろうと思いつつ
よくよく読んでみると
20世紀の現代においても世界中の民族において伝承されているものらしい。
一方で第4章では科学的見地に基づく
球体としての地球のお出ましかと思っていると
なんと!紀元前においてギリシアの哲学者は
月食とは月に映る地球の影であると理解し、
地球は間違いなく球であると考えていたということなのです。
前述の『マゼランが世界一周をするまでは
地球平面説が広く信じられていた』というのは、
イギリス歴史学協会で作成された
『歴史に関するよくある誤り』リストの
20項目中2番目なのだそうです。
(勘違いしているのが自分だけでなくてよかった!)
ミニコラム1で登場した
コペルニクスもアリスタルコスも天文学者なのですが、
天体の運行の観測というのは地球と他の天体の相対的な動きの記述であり、
それだけを以って、宇宙の姿を論じることはまだ科学的とはいえず
哲学の範疇であると思われます。
天文学は哲学でも科学でも取り扱われますが、
哲学が思想により統合的な真理を追究するのに対して
科学とは実証により個別の事象に納得いく説明を加えることです。
思想と実証のどちらが優れているのかということは、
そもそも比べられるものではありませんが、
少なくとも実証には客観的なデータを取得するための技術と
様々な証拠の組合せが必要です。
地球が球であることを実証したマゼランの航海を支えたのは
造船技術や航海技術ですが、
それだけではなく紀元前3世紀のエラトステレスの
三角法による計算結果を証拠として組み合わせる必要がありました。
コペルニクスが唱えた地動説を実証するのはもっと大変で
ガリレオ・ガリレイの太陽黒点、木星の衛星、金星の満ち欠け
に関するの詳細な観測には天体観測技術の進歩が必要ですし
更に天文学以外にもガリレオは実験から得た慣性の法則を使用し、
それでも足らない部分はニュートンの万有引力の法則の登場を
待たねばならす、
その後もジェームズブラッドリーの光行差の発見などにより
根拠の補強が行われたのです。
それゆえに科学的事実というのは、それだけの重みがあるもので
相対性理論のようによほど革新的な新説の研究成果が発表されなければ、
おいそれとは変わるものではありません。
一方で哲学は科学は類似した面もありながら
対極的な面の方が際立っているように思われます。
普遍的な真理を目指す哲学は、それだけに、
観測できる事実だけを考えるわけではなく、
思考の中で、目に見えない事象をも統合した理論を
構築していくわけです。
また紀元前ギリシアの哲学者の優れた洞察を例にとっても
新しい考えが、古い考えを必ずしも凌駕するものではなく
すべての時代に普遍的に偉大な哲学者が現れています。
現代では過去から積み重ねられてきた科学の成果が
これまた科学の成果であるインターネットやスマートフォンで
簡単に調べられる時代になっていますが、
だからといって『我々は自分自身の目で見て、自分の頭で
宇宙の真の姿を考えることを紀元前の哲学者のようにできるか?』
と自問してみると
いかに現代人が進んだ科学技術を使いこなそうとも、
現代人の頭脳が人類の歴史の中でもっとも進化し、
最も高い知性を持っているとは言えなさそうです。
その事実は謙虚に受け止めることも必要でしょう。
『地球のかたちを哲学する』の本に話を戻すと、
技術と理論によって実証された”科学的事実”が広まるまでに、
宇宙の真の姿をもとめて多くの哲学者が考えた
奇想天外な様々な世界の”かたち”が紹介されています。
つまりこの本における”地球の形”は世界観という哲学なのです。
それらは基本的に現実の観測結果に基づくものではないので
考えられた時代にも場所にも一貫性はありません。
とりあえず哲学といっても難しいことは考えず
面白そうなものをちょっとつまみ食いしてみましょう。
箱に入った地球 アレクサンドリア 6世紀
エジプトから西へシナイ半島を渡り、アラビア半島を横切って
インド近くまで旅をしたコスマスの考えた地球です。
地球は9,000㎞×18,000㎞の長方形(具体的だな!)
なんとこの地球(球じゃないので”地球”といいにくいな)は
箱の中に入っているのです。
このような荒唐無稽な地球なのに、
大地には北アフリカ、東ヨーロッパ、西アジアの
リアルな地形が描かれているのがなんともシュール。
星は箱の天井から吊るされており、天使が雨を運んでくるのだそうです。
そして何と言ってもこの地球の最も哲学的な要素は、
箱が無の中に浮いているという考えではないかと思います。
三角形の地球 インド 4世紀
『目に見えるものは本当に存在するのか?』などというような事について
意見を戦わせていた時代のインドの僧侶ヴァスバンドゥが考えた地球です。
この地球の中心はヒマラヤ山脈で、その麓にある
架空の湖アナヴァタプタから4つの聖なる川が流れ出している
という神秘主義的なものですが、
郷土インドの実際の地形を知ってか知らずか
逆三角形の形はインド亜大陸とそっくりです。
『見えるものは本当に存在するのか?』と
『見えないからといって、存在していないといえるのか?』が
哲学的に同義なのかどうかはさておき、
この僧侶は人が住んでいるのは、このちいさな三角形の地球だが
それ以外にもたくさんの世界があると考えていました。
また三角形の地下には泥の層、白い粘土の層、
白、赤、黄、青の色のついた四つの層があり、
さらにその下に8つの熱い地獄があると考えています。
更にそれぞれの地獄には4つの入り口があり
そこから更に小さな4つの地獄に分かれているので、
地上に住む人の数に対して、地獄の収容人数は十分かつ
用途に応じたサービスが提供できそうです。
水循環システムにこだわった地球 ペルシャ 紀元前6世紀
ペルシャ人の考える世界は
善の神アフラ・マズダーと悪の神アフリマンの戦いの場です。
とはいってもアフラ・マズダ―の”昼の世界”とアフリマンの”夜の世界”
に分かれた二元論的な世界観ではありません。
この地球は水蓮の浮いた水鉢のような形をしています。
人が住んでいるのはまん中の島で、
その中心にある高い山が世界の軸として
雲を突き抜けるくらい高くまでそびえ、
根っこは地中深くで広がり地球の”縁”になっていて、水がたまっています。
そしてこの水が善と悪の戦いの象徴であり、
以下のように考えられているのです。
この地球において生命を生んだのは
善の神アフラ・マズダーのつくった澄んだ水であるが、
地下には悪の神アフリマンの力が地下深くにしみこんでいるため
深いところの水は汚れている。
この汚れた水を金の管で集め、山がろ過して雲を作る。
そして空からきれいな水が降って来る。
ユパ様!『汚れているのは土なんです。』
球体の地球 ギリシア 紀元前5世紀
あの有名は哲学者プラトンの考えた地球です。
球体の地球(やっと心置きなく”地球”といえるようになりました。)
なのですが、変な形の大陸があります。
よく見ると地中海沿岸の地形が比較的正確に
再現されていることがわかります。
(正確さはこの本のイラストを描く人次第か?)
プラトンも”箱の中の地球”と同様にこの範囲が
”人間”の住む領域のすべてと考えていたようです。
人間の住む大陸以外に、海中に沈んだ幻の大陸アトランティスがあると
紀元前から考えられたという事にビックリ。
そしてもう一つ、地球の半分以上を占める対地球(アンチクトン)
という大陸の存在を仮定しています。
これは未発見の大陸を想像したというよりも、
”歩き回れるのは平たい地面であり崖の側面には立てない”
という日常的な感覚と、
”地球全体としては球形で、自分のいる場所の反対側にも
逆さまの何かがあるはず”という矛盾する考えを両立させる
哲学的な象徴なのです。
プラトンの時代には、当然万有引力の法則は発見されておらず、
またアリストテレスが四元素説に基づき、
生物も無生物も戻るべき”本来の位置”があるという
16世紀に至るまで支持され続けることになる説すら唱えられる前です。
プラトンは人間の住む大陸の反対には対地球という大陸があり
そこには頭を下にして逆さまになって歩くアンチボードという人が
住んでいると考えたのです。
このようにして一つ一つ解読していくと、
どんなに奇想天外な説でも、ちゃんと哲学していることがわかりました。
シン・世界〇〇の探求
それではいよいよ”哲学的”的な考えを盛り込みつつ
現代にふさわしい宇宙観を包含した象徴となるような何か、
そう、『シン・世界○○』を考えてみましょう。
(うん、”キャッチ”も今風だ!)
やはり21世紀ともなれば相対性理論は必須科目。
相対性理論の基本的な世界の捉え方は四次元時空です。
そして四次元時空を二次元の紙面上で表したものを時空図といい、
この時空図では三次元空間は二次元平面的に描かれます。
時空図上のある地点を通過する光の軌跡を光円錐といいますが
この光円錐の頂点で起きた事象Aとそれとは別の事象Bを考えるとき
事象Bが円錐の内側にある場合は事象AとBは”時間的に離れている”といい、
事象Bが円錐の外側にある場合には、”空間的に離れている”と表現されます。
空間的に離れている二つの事象には何の因果関係も存在せず、
すなわち、どちらが先に発生したのかという時間の前後関係が
定まらないということですので、
事象AとBは別世界での出来事であるという言い方も
出来るのはないでしょうか。
ところで我々の世界は今や地球上のみではなく、
宇宙全体を”世界”と呼ぶことに異論はないと思います。
実際に、そこに到達出来ようと出来まいと、
観測できたりあるいは理論的に説明できる範囲ならば。
ではその宇宙に果てがあるか?ということですが、
ビッグバン理論によると宇宙は138.2億年前に『無』の状態から
ビッグバンによって生まれ、今も膨張し続けているということですので
その先には未だ『無』が広がる境界がある筈です。
いうなればそれが宇宙の果てということになるのですが、
宇宙の果ての先には何があるのでしょう。
『無』なので”何もない”のかもしれませんが、
それでは宇宙の果てまで届いた光は一体どうなるのでしょうか?
宇宙の外では光は伝わらないのかもしれませんし、
あるいは光はそのまま伝わるが、
そこには、物質どころか物質を含む空間すらないので、
光が存在するという認識が出来ないことになるのでしょうか?
これを光円錐で書くとⅠまたはⅡのようになり、
我々の世界の任意の場所と時間において発生する神羅万象は
この範囲が限定された光円錐の包絡面である円柱の内部でのみ
因果関係を持ちうるということになるに違いありません。
これを以って、四次元時空の我々の世界は円柱である
と言い切ってしまいましょう。
(膨張による宇宙自身の大きさの拡大は無視します。)
これで完成!”世界トンネル”と命名。(図1 ①)
いや、これではヒネリが無さすぎる。
というよりも”世界映え”がなさすぎる。
どうしたものか。
そうそう、量子力学における波動関数の解釈や
ブレインワールド仮説という次元の解釈次第で
多元宇宙論が成り立つのでした。
すなわち、われわれの世界とは別に幾つもの平行世界が存在し得る
ということですから、
交わることの無い何本ものトンネルが並んでいることになります。
(図1 ②)
ただ”トンネル”だと、それは閉ざされた空間であり、
外部から何の干渉も受けない孤立した世界というのは
運命論を暗示するようにも見えてしまうので、
トンネルの一部をカットしてみましょう。
こうすると地表に露出した溝のようになります。(図1 ③)
無でも世界でもない”外部”からこの開口部分を通して、
“何か”が世界に干渉したときに、
不連続かつ大きな変化が起こるというわけです。
またある世界の住人が、この開口部を通って
別の平行世界に乗り移るという現象が起こる可能性もあります。
更に別の平行世界との関わりという観点では、
科学的根拠はありませんが、一つの世界が別々の世界に分岐したり、
また二つの平行世界が繋がったりすることがあっても
いいんじゃあないでしょうか?(図2 ④)
このような平行世界同士が互いに微妙に影響を与えつつ
連続的に、またある時は不連続に変化するという
多元宇宙のグランドデザインがあるとすれば、
溝全体がつくる紋様がそれを表しているに違いありません。
これはちょうど指紋のように見えます。(図2 ⑤)
神々の指紋。
たけど、これは考え直す必要がありそうです。
昔はやったグラハム・ハンコックの『神々の指紋』という本。
読もうとしたけど、面白くなくて最後まで読めませんでした。
”文明の起源にとかなんとか言いつつ、
スペインがメキシコを植民地とし、
マヤ文明の貴重な遺産を破壊したということに対して、
『これさえ残っていたら文明の謎が解けたのに』と
スペイン人に対して毒づくことに終始していた印象の本なのです。
それはさておき世界そのものである重要な紋様が
神の指の先にあるごくわずかな部分というのは、
それなりに哲学的ではあるけれど、
やはりデザインとしての見栄えがしない。
更に”世界の紋様”へもたらされる”外部”からの影響を
神々の指紋として描写しようとすれば、
”神様だらけの水泳大会”の後に指紋がふやけていたり、
神様姑が指でスーと窓の中桟などを擦り
『神子さん!ここに埃が残っていましてよ。』と
神様お嫁さんイビリをするシーンをイメージしたりして、
ろくな描写が思いつかない。
マンガでも、小説でもそれなりにカッコの付く描写ができるような
”世界〇〇”というものを作ることがもともとの目的だったのでした。
初心に戻ろう。
最後の問題は”何の表面に紋様を刻むか?”であるが
考慮すべきポイントは溝の始まりと終わりをどうするかということ。
溝が走る方向に時間が流れているので、
溝の『始まり』と『終わり』の地点を決めるということは
すなわち世界の始まりと終わりについて定義することになるのである。
ここで無の中の一点から世界が生まれたというビッグバン理論には
お世話になりたくはない。
そうすると時間の進行に伴い溝がどんどん太くなっていき
今度は溝の終わり方に頭を悩ませる必要があるし
ビッグバンの前には何があったのかという問題にも直面するからである。
ただ気付いてしまったからには仕方がない。
ビッグバンより前に何があったかということについても
少し調べてみよう。
ニュートン誌によると量子重力理論に立脚したり、
あるいはしてなかったりの諸説がある。
・虚数時間の流れる初期宇宙から始まるホーキングの
『無境界仮説』
・タイムループで過去と未来が循環するゴットの
『自己創造する宇宙モデル』
・前の世代の宇宙の収縮の跳ね返りで次の宇宙が始まる
『ビッグバウンス』
・親宇宙から子宇宙が始まる『宇宙の多重発生理論』
などである。
それ以外にも物質とエネルギーの保存則の観点から、
無から有が始まるなどということが有り得るのか?
という問いに対して、誰もが”NO”というであろうところ
”無”から我々の宇宙と反物質からなる反宇宙が突然分かれて出来た
という説もあるのです。
すなわち 0=(+1)+(-1)という計算式であれば
成り立つ考え方です。
さて何から料理しよう?
”明確な始まりがない”、あるいは”終わりは始まりである”
という宇宙の解釈において
『自己創造する宇宙モデル』や『ビッグバウンス』は魅力的に思えますが、
それを表現するためには、
単なる球体の表面にリング状に循環する紋様を刻むということ以上の
工夫をしなければならない。
とりあえず突破口として『無境界仮説』の虚数時間というところから、
なんとなく聞いたことのあるリーマン面というものを調べてみる。
実数軸と虚数軸からなる複素解析において
リーマン面(Riemann surface)とは、
連結な複素 1 次元の複素多様体のことである。
定義は、…
フムフム、なるほど。
わかりました。
コレですね。
全然わかっていません( ̄﹏ ̄;)。
なんだか良く分からないし形もカッコ良くはない。
それよりもリーマン面の説明の中にこんな一節が、
『従って、球面やトーラスは複素構造を持ち得るが、
メビウスの輪、クラインの壺および射影平面は持ち得ない。』
それだ!メビウスの輪といえば始まりも終わりもない無限(∞)の象徴。
そしてメビウスの輪を立体的にしたものが
(もともとメビウスの輪は立体なのですが…)
クラインの壺って聞いたことがある。
もともとはドイツ語でクラインの面(Fläche)であったものが、
英語に翻訳される際、FlächeがFlasche(瓶)と取り違えられ、
bottleと訳された。
現在ではドイツ語圏でも、Kleinsche Flascheのほうで定着している
残念な言葉でもある。
これはモチーフとしてなかなか良いですね。
面に始まりも終わりも表も裏もないというつかみどころの無さ、
世界の紋様を描き込む面としてピッタリです。
そしてその形はゴットの『自己創造する宇宙モデル』の
タイムループの部分のようにも見えます。
ただし3次元空間内に実現するためには自己交差が必要であるが、
実際のクラインの壺は4次元以上で定義される曲面であり、
本来は交差部分をもたない。という面妖さ。
この意味は以下のウサギの檻からの脱出のように
自分自身の面という檻から脱出するためのルートが
4次元目にあるということなのだと納得(?)
ヨシ!これに決まりです
世界壺(プッ)
最後にこの世界壺がどのように描写できるのか、
お手並み拝見といきましょう。
それはただ存在していた。
いや”存在する”という言葉は正しくない。
なぜなら、存在を記述する場所も時間も定かではないからだ。
そういう意味では、それは物質というよりも影といったほうが
良いのかもしれない。
内包するものが照らし出す影である。
それはとてつもなく巨大で、そのなめらかな曲面が
どこまで続いているのかもわからないが、
もしも神の視点というものがあるならば、それは壺のような形に
見えただろう。
その表面にはびっしりと紋様が刻まれている、
紋様の一筋、線に見えるものは、表面に穿たれた溝なのだが、
その線のわずか一断面に我々にとってのすべてである宇宙が
含まれているのである。
紋様は全体的に大きく蛇行しながら、ある部分では渦を巻き、
またある部分ではどこかに向かって一直線に伸びているように
見えるのだが、この紋様が何を表すのかを知る者はない。
紋様によく目を凝らしてみると、
隣接しながらも決して交わらない線がほとんどである中で、
或る時は線が分かれて二つになり、
或る時は一つに合流しているところも存在している。
いや分岐と合流は方向を定義して初めて区別されるものであり、
本来は同じものなのかもしれないが、
果たしてその線上を進む方向を定義する時間というものの正体は
いったい何なのだろう?
”壺”の外面のそのなめらかな曲面に沿って紋様の一筋を辿って行くと
いつしか”壺”の内面に入っていることに気付く。
どうやら線を辿り始めた地点の真裏に到達しているようだ。
ある地点での外面と内面のそれぞれの側にある存在同士が
関わりを持つことは決してないが、
対となってバランスを保つ相互補完的な宇宙と反宇宙の関係にある。
そして”壺”の内部にある物質とも光ともつかないものの作用で
内面の紋様はわずかずつではあるが絶えずその色や形が変化しており、
外面にもなんらかの影響がもたらされているに違いないのである。
なんか良く分かりませんけど、ちょっとカッコ良くないですか?
この『シュペルターと歩む15年記』のコンセプトは
単にガレージキットの製作工程を記録するだけではなく、
シュペルター製作を中心とした製作期間中の出来事を振り返りながら
現時点での解釈も入れて新たな世界観を作り上げることです。
シュペルター製作の全貌を世界樹で表すとすると、
シュペルターと歩む15年記がいつか完結する日には、
”シュペルター製作を核とする世界”の世界壺が形作られるのではないかと
期待しながら今回は筆を置きます。
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