不思議な人
旅にでてます。
一人だったらこう動く、、というイメージも湧きながら
車旅で、それがなかったら、、の想定はできない。もう、できない、というところ。
これで、採算とれるのか、というのが、ひっかかりつつ、そんなことは考えないで、やれるならやる、という実験。
その実験も、大雑把なのは以前に体験済み。さらにフィットして細やかに。わたしのオリジナルはどこにあるのか。そして、同行のパートナーの気づきや体験も、よりクッキリと感じられ。
一緒にいる存在が足かせのように感じる心もあるけれど。
例えば、子育て中に、子どもがいなかったら、、一人になれたら、、って思い、湧くみたいやね。わたしは瞬間でした。なかったと言ってもいい。思ったらすぐ行動。
できる環境だった、といえばそれまで。でも、例えば元旦那の実家。例えば近所の友達。例えば仲間。例えばコミュニティ。
みんながわたし。その感覚は強くあった。だからすぐ、行動できた。
そのわたしが、ちょっと珍しい存在だったな、と最近は思う。それは、我が子たちが、自分の生きたい生き方をそのようにわたしに与えてきて、わたしがそのように生きた、という、お役目を感じている。
そんな子育て期が終わり。
そのときのわたしの珍しさが、わたしの本当とは違う飾り物や、そのときのギフトのような気がして、
わたしってなんだろう、の彷徨いを得るための、たくさんの事件めいたこともあって
その間に結婚することにもなり。再婚。
この人とともに過ごす時間は、はちみつのように甘く思う瞬間と、置き去りにされるような寂しさと。
それが、セットなんだなー、と思う日々。
2ヶ月前に初めて同行してもらった旅仕立てのわたしの出張は、
今回の二度目で、彼の、なんで一緒にきてるか、の実感はさらに薄く
そこを一般理論にあてはめ、わたしが、こうじゃないの⁉︎と詰め寄ることさえしなければ。
甘い時は甘い。離れるときは(空間が一緒でも心が離れる)その必要を。そう、仕事もあるのだ。お役目もあるのだ。
そのメリハリを学ぶとき。
わたしのこれまでの、寄り添うという味を、さらにキリリとさせる道。楽しんでる。
このノートだってさー、わたしの過去の体験をまとめて、お金を払ってもらって読んでもらうんだ!と始めたわけだけど。
いまも、それはあるけども。
タネを撒くと、雨が降らなければ水をやりたくなったり、草を少し刈ってやったり。
あー、うちの、ほったらかし農園の、ヘチマとトマト。どうなってるかなー。
枠にはまりきらない言葉をここでは紡いでいます。実はわたしのオリジナルはここにあるかな、とも思ってます。サポートしていただけたら、より自由に羽ばたきます。ちょっとした出会いに、わたしから産まれるものを手渡せたら、幸いです。