「分からない」にぶつかるのは、素晴らしいこと
昨日ある人に、とある物事について「あなたはどうしたいの?」と聞かれた時に、「分からない」の壁にぶつかりまして。
潜在意識的には、「分からない」というより、「答えを出すのが怖い問題」といったほうが近しいかもしれません。
でも、私の中で、今のところ自覚症状があるのは「どうしたらいいか分からない」部分だけなのです。
「分からない」って、怖いんですよね。
未知なんですよ。
答えが出るまでどれくらいの時間がかかるか分からないし。
誰かの正解に当てはめても納得できるとは限らないし。
ワタシハ、ドウシタライイノ...?ムシロ、キヅカナイママ、メヲソラシテイタカッタワ...(._.)
みたいな状態ではあるのですが。
ふと、「分からない」っていう部分が見えてきたということは。
「分かる」ことができる状態になったってことだ。
と考えたら、すごく素晴らしい状態だなって思ったんです。
「分からない」に出会うことで、自分なりの答えを探す羽目にはなったのですが。
「分かる」を見つける作業は、自分と向き合うことと同義です。
自分の未知の部分と向き合うチャンスだし、これが1つ分かることで。
自分への理解が1つ進みます。
自分への理解が進むと、同じような問題にぶち当たった時。
あ、これの答えはわかるぞー!
って、人生が少しイージーになるんです。
同じ悩みを持っている人に、参考として伝えることもできるし。
なんと!noteのネタにもなります。(大事w)
ちょっとネタ要素を大きくしましたが。
「分からない」状態になれることで、分かろうとする自分が生まれ、自分なりの答えを出そうとする。
この状態が、素晴らしいなって、思えたんです。
知ろうとする姿勢は、視野を広げてくれます。
なんとなく過ごしていた日常で「分かろうとする」材料探しも始めますので、思わぬ気付きや、出会いもあります。
そして、自分自身の「分かる」を見つける過程の観察が私には結構大切です。価値観の精査のタイミングです。
分かるを見つけることで、殻を破ったり、本当は自分ってこうしたかったんだという発見に繋がります。
あとは、やはり、長い目でみて、同じ壁にぶつかった人にシェアできることが私としては嬉しいんだと思います。
悩む苦しさが分かるからこそ、ここのポイントを抑えれば、答えが導きやすいかもしれない、と伝えたい欲求といいますか。
一種の趣味みたいなもんです。えぇ。
メイクが上手くなった人が、友達にもメイクを教えたい、せっかくだからみんなにも同じようにキレイになってほしい。と、思う感覚と近いです。
人は「分からない」にぶつかったときに、「分かろう」とする性質があるらしいので。
その人間に備わったシステムも、ただただ素晴らしいなと思っております。「尊い」がしっくりくる感じです。
継ぎ足しているうちに、盛りだくさんになってしまいましたが。
「分からない」状態の今は、正直とても辛いです。心がモヤモヤ。気持ちはブルー。無限牢獄に閉じ込められている気分です。
けれど、私の中の「分からない」を1つ発見できたことは、大きな気付きでした。
ひとまず、ひっそりと喜ぶこととします。
今日はこのへんで。
また、明日👋