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「あいつのせい」は、だいたい自分のせい

2週間の踏ん張り(病み期)を経て、ふと思い出したのはスタンフォード監獄実験のことでした。 


スタンフォード監獄実験とは、一般人を集め、看守役と囚人役に分けて生活させ、それぞれがどのような心理状態に陥るかをみたといわれる実験です。


私が知っているくらいなので、ある程度有名な実験だと思います。いくつかの映画の題材にも取り上げられていたようです。


調べてみたら、やらせ説がでていましたが、そこは置いておいて。


結果としては、看守役の囚人役に対する厳罰や態度がエスカレートし、あまりにも非人道的すぎて中止になったという実験です。


なぜこの実験を思い出したかというと。


私は、ここ2週間、自ら「囚人役」に買って出ていたのではないかと思ったからです。


お金をもらう立場だから

仕事をもらう立場だから

相手によくみられるために

言うことをなるべく聞かなくては


みたいな心理でした。


そして、勝手に相手(今回でいうとお仕事を教えてくれる企業)を「看守役」にしていたな、と。


1週間目は睡眠時間を削って頑張って少し認めてもらえていたんです。


けれど、2週間目には思ったように作業が認められず、私にとっては「まだ頑張らないといけないのか」と思える意見をもらっただけでした。


そこで、私が感じたのは、「あの人たちが私を褒めないから、今こんなに大変な思いをしているんだ」でした。


そう「相手のせいで、私は今この状況にいるのだ」と思い始めていたんです。


そもそも頑張ります!毎日きます!

と言って、大口を叩いたのは私です。


きっと、あ、こりゃ辛いわと認めて、「もう少しペースを落としたいです」と正直に相手に伝えられていたなら。


多少なんらかの評価は落ちたかもしれませんが、相手も快く分かりましたと承諾してくれたことでしょう。知らんけど。


ただ、正直あの状況では、「これしか手段はない」「11月中に形にしないと」と焦りのほうが強く、客観性は持てていませんでした。

 

結果的に、自分で作ったこの状況を、時が経つに連れ、もうどうにもできないものだと諦め。


後に引けないものとして、「もう少し我慢して頑張らないとダメなんだ...!」と、思い込んでしまったのです。



そこから勝手に心の中で、相手を悪者にして、1人もんもんと作業をしました。


もし、そこから、じゃあどうしたいのか?を考えられていたら、私は「頑張ればなんとかなる」と思考停止させなかったかもしれません。


この時点で、目的を見直すことから逃げなければ病まなかったと思います。


つまりは、全ては「自分の気持ちを見てみないふりして、勝手に我慢して、勝手に頑張った私のせい」なのです。


という流れから、勝手に「囚人役」になりきり、勝手に相手を「看守役」に見立てて負の感情を抱えていたという話です。


結果としては、


相手の下に自ら入っていったくせに、全部が自分を苦しめているかのように思い込んでいた。


だけでした。


自分から勝手に下に入ったのですから、抜け出そうと自分が決めてしまえば、案外方法は思い付くものです。


では、ここまでの状況を改めて振り返りますと。


派遣の仕事を夕方までした後に、別の仕事の作業をしているわけなので時間的余裕のなさがありました。


プラスして、有言実行せねばとばかりに、睡眠時間を削る毎日、慣れない作業も相まって心の余裕がなかったこと。


そして、相手にいい顔をせねば!いい評価をもらうために我慢せねば!イエスマンでいなければ!

と、必死でした。


幸運にもこんなことは続かないことに気がつきましたので。


心の余裕を持たせるために、仕事の提出期間を少し長めに設けてもらうよう、明日、先方に提案しようと思います。


そして、このペースでやってみて、最終的に先方の求める規定の技術に達しなければ、私には縁がなかった仕事なのだと諦めることに決めました。


せっかくなので、ここで、私が我慢し続けた時を想像してみます。


まずは、毎日が辛いし、悲しいし、こんなに頑張っているのに認めてくれる人がいないと勝手に怒り、時には周りに恨み言でも言ったかもしれません。


そして、ちょっとでも自分のペースでのんびり働いている人を見たら、「あいつばっかりズルい!」と、怒り、嫉妬お化けにでもなっていたかもしれないですね。



おー怖い怖い



ほんとに、毎回、このパターン踏むのやめたいので。


自分に無理はさせない。


合わない環境は、変える努力をする。


それでダメなら、次に、いく勇気をもつ。


相性もありますし、相手の顔色ばかり伺って、本来の目的を見失ってはダメダメですね。


ということで。


勝手に「囚人役」をしていたお話しでした。


ちなみに、自分が「囚人役」を買って出るとき、思いやりなのか相手が自然と「看守役」になってくれていることは往々にしてある、と感じております。


意外と日常茶飯事な気がします。


どちらが悪いとかではないのですけれど、いざその状況にハマると疲れます。


私としては、相手を適度に尊重をしつつ、対等を心がけていきたいです。


人と成りは見極めていかないといけないですけどね。


今日はこのへんで。


また、明日👋



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