23/8/31 沖縄生活のみち
沖縄に住み着いて23日目が経った。
あと一週間で発つ予定。
約三週間の沖縄での生活をまとめようと思う。
まず、最初の一週間を、いや、それよりも初日が今思い返しても印象深い一日だったのでまずその話を。
の前に、なぜ沖縄で一か月間、それも一人で生活しようと思いだったのかというと、よく聞いてるラジオ内でパーソナリティのかたが、「ここ住んでみたいんだよな、で、もう住んでみる。年々仕事や家庭でどんどんそういうことができなくなるから。もう住んでみる。」ということを仰っていて、その通りだと思ったから。
実際自分の周りの大人にこの短期間の移住計画の旨を話し、今後そういう一か月間を全く知らない土地で生活してみる体験はできないと思うのだというと口をそろえて「確かにそうだ」というのだ。
「いいなぁ~~~」とも言われた。
初日の夜、ほとんど半べそをかいていた。
一か月前の私は、那覇市がこんなにも発展していて、それでいて私の都会に対する嫌悪感が思いのほか強かったこと、一ヶ月暮らすアパートがその那覇市にあること、レンタルバイクのセットプランがあったこと、目の前がソープランドであること、キャッチのおじさんが一日中座ってること、そのおじさんが亀仙人と呼ばれていること、もう沖縄の街にも、ゴミ箱がないことを知らなかった。
とにかく眠れなかった。
これがあと一ヶ月続くのかと思うと眠れなかった。
ポケモンスリープの睡眠時間が3時間ちょっとだった。
ポケモンスリープさ、たまにいびきかいたり、寝たふりして間違って計測してくんないかなーとか思いながら寝ずに4時とかまで起きて、いつのまにか寝て8時に起きてレポートつけて、睡眠時間が4時間とかでたときのうわぁっていう感じあるよね。ね。
そこ意外とシビアなのね、っていう。
ね。
おれのゼニガメが眠そうなの。
ごめんなぁ、って思うよね。
で、最初の一週間は色々行った。いわゆる観光。
二週目からは近所の図書館に籠ってた。
三週目、さすがにだなと思って、三日間にかけて民宿に泊まりながら沖縄の上から下まで横断しようと計画した。
一日目は那覇市から車で1時間30分のところにあるうるま市のホテルに行く。コンテナ型の一室にダブルベットと机があり、オードリーが昔ヒルナンデスで壊した椅子が置いてあった。
一目で思った。この三日間は那覇市での二週間を払拭しうるものだと。めっちゃきれいだったのよ、全部が。
めっっっっっっちゃ寝た。
そらそうよ、二週間部屋汚ねぇぇえいの気持ちで落ち着かないまま寝てたから。
夜に起きてコンビニ行ってご飯買って食べて、若林があまりにも押しすぎていた椅子に腰かけパソコンして…
僕の中ではこれが最高だった。
「沖縄来てそれ?www」
こういうやつにはもうまっすぐ目を合わせてこう言ってやる
「うん」、と
少し悲しげにほくそ笑んで、それでいてすべてを抱擁する温かい物言いでこういうだろう。
それぐらい辛かった、那覇市は。ほんとに
なんか腹立ってきたな、くそが!!!!!!!!!!!!
で、二日目。
沖縄中腹に位置する名護市の民宿に一泊。
民宿初めてだったけど、みなさんにも伝わるように民宿の感覚を伝えると、完全に「親戚の家」です。
ちょっと遠縁の、「親戚の家」です。
あと部屋にムカデ出たので寝てません。以上です。
で、三日目。ここがすごかった。
与那原市という、那覇市から車で30分程度で着くところの民宿に泊まった。畳四畳半の部屋に泊まり、その日寝てなかったので夕方まで寝た。起きてシャワーを浴びようと部屋を出ると居間の共有スペースでおっちゃんたちが飲み会をしていた。
ちょっと飲みませんか?とお誘いいただいたので飲むことに。
これ、スクガラスーです、とお出しいただいたものを肴にして少し話す。
あんまりこういうこというのあれですけど、やってんなぁと思いました。沖縄やってんわ、と。地域の人とお酒囲んで、地元のごはん食ってって。たぶんすごい小説家なら射精してると思う。一発目のやつじゃん!って。これ、一発目に考えるやつ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~どぴゅゅぴゅっ、ブリッ、あ、もれちった、つって。その日下痢気味だったわな、そういやぁよ。
タイから沖縄に来てる方もいて、その人とも飲んだ。
パトさん。
話を聞いてると、絶賛旧盆中でエイサーいまやってると。
旧盆もエイサーも聞いたことはあるけど実情どんな温度感で行われているのかとか知らなかった。
旧盆は街の個人経営店がみんなお休みいただくほどで、エイサーは言わずもがな。北中、南部とでは少しテイストが違うようで、与那原は南部のエイサーでどちらかというと地元密着型。
その民宿のオーナーの方から、地元のエイサーの交通警備やってるから、よかったらお手伝いしながらエイサー見てみますか?とお誘いいただいて次の日見てみることに。
パトさんもカメラを撮るために同行、オーナーの運転でその地区へ。
地元の青年団のエイサー団体とOBの方たちの歌とで地区を練り歩き、路上でエイサーを披露する。感動した。
コミュニケーションはほとんどできなくて、飲み物貰うときにちょっと会話したぐらいだけど良かった。なんか、青年団だなぁって感じ。
その後22時頃に民宿に帰宅。少し飲み会しようと集まり、外のウッドデッキで飲む。パトさんは10年前に沖縄で会った地元の人を民宿に呼んで飲む。その方とオーナーもエイサーつながりで知り合いで、パトさんが10年前から結構な頻度で沖縄に来ていることも知った。
急に10年前にあったタイの人から連絡来てびっくりした。よく覚えてたな、とずっと言ってた。陽気な人だった。
気づけば3時頃になり、当初は一泊で帰る予定だったが、オーナーさんが、「共有スペースで寝てね」と言ってくださって。お言葉に甘えてもう一晩無銭で寝た。
ここ20日間で一番よく眠った気がした。
で、次の日11時ごろには民宿を出て、みなさんにバイバイして、オーナーさんが「もう帰るの?そうか、また来てね」と言ってくださったときはグッときた。
地元の方と話していると色々感じることもあって。
沖縄の人たち、所謂うちなーと内地の人たちの認識の違いとか、文化そのものの違いとか。
個人的に感じたのは来る者は拒まずの精神だった。
いや、ごめん知らんけど。人によるだろうし。
でも感じた、あくまで民宿で会ったその人たちはそうだった。
よかったなぁ~~~