みやさか

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24/05/08 次回 ポエミーな話

素敵なことに5月がもう8日。 突然文通がしたくなって郵便局が運営している文通コミュニティに登録。その後一切の連絡はないですけど(毎月の月報がどうやら届きまして、そちらから文通相手を探すらしい)、まぁいいのでしょう。 文通なんていうロストなカルチャーに興味が湧いたのも、通学中の読書が関係しているのだろう。潜在的に。なんとはなく。なんとなく。 そういえばと、米澤穂信先生の「小市民シリーズ」がとりあえず完結ということで、一通り読み返そうと春夏秋と電車で読み返し、中学の自分にはこの小

    • 24/04/16 シャニマス復帰の音がする

      シャニマス六周年記念生放送で発表されたのであろうパラレルコレクション。 上記のテーマで、全アイドル分の「もしも」を描くシリーズらしい。 見出しとここまでの他人行儀な文章から察してもらえる通り、シャニマスはSHHis加入後、いや、樋口円香の「ダウト」以降意図的に触れていなかった。この樋口円香の文字列をタイピングするのもそれ以来で久しくて感動している。 と、いうのも、なにも、シャニマスが苦手になったわけでも、ゲームシステム的にあまりにもなところはシナリオで楽しんでいたし、イラス

      • 23.11/4~ 気づき日記

        11/4  ブルージャイアント、映画と単行本と読み切りました。まず単行本からの感想を言うと、めちゃめちゃ最高だった。具体的にはブルージャイアントの無印の10巻までを読み終わって、いやぁ泣いた。とにかく泣いた。 ブルージャイアント全体を通して言えることは今までなにか一つに対して、それは何でもいいんですけど、それに熱中した人、今からしようとしている人の希望の一つの形であるということですよね。どこかで夢をあきらめてしまった人でもそれは当てはまって、出てくる登場人物のいい歳した人たち

        • 23.10/3~ 気づき日記

          10/3 ・トイザらスでグズッている子供を見て、自分も渡辺直美のダンスぐらい激しくグズッてたことを思い出した。あと、トイザらスは日曜午後に行くと限界の両親を見ることができる。 「〇〇ちゃんもう帰らないんだったらおもちゃなんも買わなくていいんやね!」(お試し用のおもちゃで永遠遊んでいる子供に対して) 「それ買えへんって言ってるやろ!!一個だけ!!」 こういうのをふと見るとなんかやだなぁって感じるけど、てか事実としてヤな感じではあるけど、思い通りにいかないなぁって思っちゃうとどう

          23/8/31  沖縄生活のみち

          沖縄に住み着いて23日目が経った。 あと一週間で発つ予定。 約三週間の沖縄での生活をまとめようと思う。 まず、最初の一週間を、いや、それよりも初日が今思い返しても印象深い一日だったのでまずその話を。 の前に、なぜ沖縄で一か月間、それも一人で生活しようと思いだったのかというと、よく聞いてるラジオ内でパーソナリティのかたが、「ここ住んでみたいんだよな、で、もう住んでみる。年々仕事や家庭でどんどんそういうことができなくなるから。もう住んでみる。」ということを仰っていて、その通

          23/8/31  沖縄生活のみち

          23/8/18

          youtubeで同じ投稿者に対して、まったく同じコメントをする人を見かける。その動画の内容如何ではなく、毎回同じコメントをする。正直言って狂っている。が、もはや名物コメントとしてその人は認知され、どこかでそのコメントを求めてしまっているのも事実だ。 五年、仮に五年「ふがー」とコメントしているとする。 ただ待てど待てどもその「ふがー」のリプには「まともに始めなさいよ!」が来ずに毎回「ふがー」と打ち続ける。脈絡なんてのは必要なくひたすらにコメントする。「ふがー」 なぜそのよう

          23/8/10 救われたのちのち

          宮藤官九郎の季節のない街を見終わる。 基本的にドラマの構成として住人一人、一世帯に焦点を置く感じなのだが、話数と話数のつながりが妙に淡白でそこにリアリティを感じた。ドラマとしてインパクトの強い出来事が繰り広げられている中で、その中にもどこか一歩引いてしまう、簡単に茶化してしまったりさらりと流したりしてしまうような、それこそ忘れ去られてしまうような、人の愚かさとは言わないまでのその愚かさを見せつけられてしまったような気がした。それでも生活しなければいけない、生きていく、時間が過

          23/8/10 救われたのちのち

          23/8/9 made

          長期休暇を持て余さないための方法論はあまた存在し、またそれがいかに効果的でないということもまた周知の事実である。 しかし、あるひとつの、ほんの小さな変化を意識的に行うことで意外にも容易く物事は変容する。 例えば、いつも降りるバス停での一幕にほんのひとつまみのイマジネーションを加えてやる。 それは父からの一報、バス停に新しく雇った専属メイド(同年代)を遣わせたとの旨、音楽を急遽イエモンのSPARKに。車窓から外をのぞくとバス停にメイド服を着た女の子が見えるとイヤホンは外し、前