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「イワンのばか」 トルストイ民話集 感想文
イワンのように生きるのは到底むずかしい。その純粋さは神の域である。
兄二人のような狡賢い人間の溢れているこの世界を体験し、欲と争いをあまりに多く見過ぎ、そしてそれらに絶望した挙句の結果、この簡素にわかりやすい作品へとたどり着いたのではないかと想像した。
58歳で書かれたということであったので。
以前、トルストイの生涯を描いた映画のラストを少しだけ観た。彼はボロボロであった印象が残っている。
考えれば考えるほど、わからなくなることがある。頭を一度リセットする。
何が悪くて何が良いかがはっきりしていて、煩わしくて、分かりづらいものが省かれていて、何かを捨て、余計なものを省き、起点に戻ったような感じをこのお話から受け取った。
イワンの百姓としての労働は一貫していて、仕事を通しての自己肯定感が徹底していた。それははっきりしていていて極々自然である。
守るものは当たり前に守り、自分の労働一筋に打ち込める集中力がすごい。他に何の興味も示さない愚直さが清々しかった。
こんな純粋には決してなれない。
だから格別に身に染みた。
自分を犠牲にしていることすら気づかずに、ひたすら何の見栄も外聞もないく、麦の実ひとつも無駄にしないその姿は、もっと目覚めよと言われているようであった。
以前書きとめておいたトルストイの言葉の中に「強い人はいつも気取らない」というのがあって、忘れられなかったが、このイワンのことだった。
「気づかない」ことが、幸せを勝ち取って行くが、そのことにも気付いていない、全くの無欲さが人々の信頼さえも集めていくのだ。
彼はまた働く日々を喜んでいる。
すべては自分で作り出した幸福である。
悪魔の幸せをも祈る姿は、イワン自身も気付かぬ信仰がある。
お金を首飾りにしている世界は理想の極致である。
戦いまでもが無抵抗の勝利である。
そうなると、軍隊などは何の意味もない。極端な表現で現実感はないのだが、これもまた理想である。
人に施しているという意識のない善意が本当の善意であるというのも大切な点であった。
王様の衣裳を脱ぎ捨て、また麻のシャツに着替え、労働にとりかかる。
妻もばかだからそれに従った。
「針の行くところへ糸はついていかなければ!」岩波文庫 p.39 40
この嫁の言葉が、美しく心に残った。