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Ado JAPAN TOUR「モナ・リザの横顔」 "ライブ"レポート


ニューアルバム『残夢』(読み : ざんむ)リリース直後の全国ツアー「Ado JAPAN TOUR モナ・リザの横顔」のライブレポートですが、レポの通念を逸脱する部分を含みます。
どこからでも読めるように編集しました。目次の気になった項目から、どうぞ。
(年末に愛知の振替公演を残しているため、振替公演が初めての参加で真っ白な状態で観たいという方には、参加後の閲覧を推奨します)


娥・儀・虞・戯・悟 〜オープニングアクト

水の滴る音、軋むドア、反響する足音に悲鳴…….

ステージがライトアップされると、その5人組は一塊となって威嚇的とも妖艶ともとれそうなポーズを決めていた。はかない信頼と裏切の歌の各パートを、それぞれが危なげなく個性的に歌っていく。要所要所で目をひん剥くローアングルの顔面どアップに何度となくたじろいだ。

ファントムシータ。

「Ado JAPAN TOUR モナ・リザの横顔」のオープニングアクトとして、ツアー中毎公演2曲が披露されていたようだ。ツアーの前から、前振りとして情報が解禁されつつあり、1st single・MV第1弾「おともだち」はダークな学園ドラマ風で真面目に怖く、ある漫画のポーズの引用がネットで囁かれている。

第2弾「キミと✕✕✕✕したいだけ」は手刀を包丁のようにざくざく振り下ろす振付が真剣に怖い。
ファーストシングルのジャケ写には映画『カラダ探し』のポスターを連想したが、セカンドMVでは某ホラー映画の双子や人形などのイメージ、往年のカルト的バンドのエレクトロビートを想起した。
グループは9月のアイドルフェスにも出演し、戸川純のカバー曲を披露したらしいから、なるほどと頷く。

さらにメロディアスなシングル第3弾「魔性少女」のMVは白い衣裳とソフト・フォーカスでイノセンス感を前面に置きつつ、また別の漫画家か思想家の引用を出して来たようだ。ソフト目の引用で、それがグループのイメージにそぐうと思う(千秋楽までに閉所恐怖心を煽る第4弾「花喰み」、あっけらかんと心臓を啄む第5弾「乙女心中」と発表され、メンバーそれぞれがセンターをつとめる楽曲がそろうことになる)。
一応お断りしておくと書き手はアイドルグループの単独公演にはほとんど縁がなく、箱推しといった用語も最近覚えた。
永らく忘れていたが『ガロ』系漫画好きの時期があったのは、黒歴史と言うのだろうか。ポンコツをひとり、釣り上げました。

発表当初、Adoがプロデュースする5人組アイドルグループだと言われても、コンセプトとされる「レトロホラー」の語を聞いても、ぴんと来なかった。昨今のモキュメンタリーや超能力を駆使するモダンホラーではなく、特殊メイクよりはマスク、劇伴よりは効果音、密室よりは校内、真夜中よりは逢魔が時、つまりはお化け、怪物、血のり、キャーッというノリだと勝手に解釈していた。
単独公演では演劇的趣向なども入ってくるのか、カバー曲が多くなるのか…11月1日にいきなりの日本武道館公演が催行されるため、現時点であまり好き勝手言うのはひかえておいたほうがよさそうだ。

と言いつつ…内容には直接関係しなさそうな、オープニングアクトとMVでの印象に基くキャッチフレーズめいたものを思いついた。お目にとまれば加工等ご自由に。
ファントムの扇 をご覧あれ。


ファントムの扇

もな MONA
1が三つ。ろうそくが3本。ふふっ
図書室でファントムのことばたちをむさぼり魔性。

美雨 MIU
あなたのこころのバックドアをノックする

雨と一緒に地面に吸いこまれたままの影を、取り戻したい?

凛花 RINKA
すべてのLIVEはEVILである
鋏で切った火は冷たい。知ってた?

灯翠 HISUI
私とは、私のアバターのコピーキャット
ファントムたちが霧におぼれる朝の景色が好き。

百花 MOKA
何の  おと おと おと  お
私の  とも だち とち おと
だって もと だち もと とも
ほら  だだ おち おち ちだ
藁   ち   ち  ち  ち
今夜も黄の薔薇を詰めていく、クッションに、お人形に、頭の中に……

[フライヤーのメンバー紹介順]

・・・・・

Ado
むかし、職業欄に自分の名前を記入した劇作家がいたらしい。Adoとは、いまやひとつのジャンル。さらに、ジャンルのハブでもある。
闇の残り香をはらう。
いちにっさんしっ、
にいにっさんしっ。


Mona Lisa in Chiba City 〜ライブ概要

ニューアルバム『残夢』を引っ提げ、梅雨明け間近の大阪公演(7/14)から始まった「Ado JAPAN TOUR モナ・リザの横顔」は、地球沸騰化と言われた昨年よりもさらに暑い夏を乗り越えて、金木犀の香る時期となった神奈川公演(10/13)にて千秋楽を迎えた(ただし、年末に愛知の振替公演を残す)。

道中、8月11日にONE PIECE DAY'24 SPECIAL LIVE、9月22日にはROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024 in HITACHINAKAに出演。

前者では、Adoのライブでは初めての試みと思われるが、固定カメラによる有料ライブ配信もあった。
ツアー期間中、声のみでテレビ出演もいくつかこなし、"歌いました"の投稿も活発だ。

このライブレポートは、千葉公演に参加しての印象が中心となる。その前にも地方会場で初参加しているのだけれど、内容が濃すぎるのと終演後の感情の整理が追いつかないという経緯で、こうなった。チケット争奪戦もますます厳しい(チバ・シティの名称は『モナリザ・オーヴァドライヴ』なる著書を持つ作家ウィリアム・ギブスンを意識した。一度使ってみたかっただけ)。

会場は、曇天の千葉シティ郊外の、7月にこけら落とし公演があったばかりのLaLa arena TOKYO-BAY。発足8年目でさらに盛り上がりつつあるBリーグの新施設は、NBA帰りの大物の移籍で話題となった千葉のチームの本拠地だ。
4階まである会場内は、外観よりもいっそう天井が高く感じられた。バスケットボールのコートゆえアリーナとスタンド席の間隔は近く、日本武道館を正方形にギュッと圧縮したような雰囲気だった。

あくまでも主観的な印象だけれど、ステージ背景のビジョンの横幅が従来より少し大きく感じられた。開演後、「Wish」ツアーと「心臓」を完走したサポートメンバーに加えて、舞台上手にマニピュレーターと思われる方のシルエットがずっと見えていた。
サポートメンバーは、サウンドプロデューサー・バンドマスター・ギターの高慶"CO-K"卓史、Ba : 小林修己、Dr : 森田龍之助、Key : 和久井沙良。
テレビなどで見るバスケのアリーナ真上の四面ビジョンは、収納されて未使用だった。
(余談だがビリー・アイリッシュの最新ツアーでは、大きな四面ビジョンの中心から発光する立方体がセンターステージに降りて来て、そのボックスの天井にビリーが登場する演出が見られるらしい。その場合ビリー・ボックスと呼ぶのか…)

Adoは目くるめく光の渦のなか、前半はヒットチューンをたたみかけ、中盤から新曲を中心に、カバー曲も要所に置いてバリエーション豊かな楽曲を一気に歌い上げ、歌いこんだ。
20曲が歌われた本編は、Ado SPECIAL LIVE 2024「心臓」を結末からたどり直すような流れでも聴くことができた。前半でぶち上げ、新曲や斬新な演出で観客の耳と目を最後まで釘づけにした。アンコールでは自らギターを弾いて2曲を歌い、さらに自作曲で掉尾を締めくくった。
(千秋楽は2曲多く、本編終わりから2曲目に「0」が、アンコールでは自作曲の前に「向日葵」の弾き語りが披露された)


「モナ・リザの横顔」のプロフィール

本ツアーのキービジュアルでは、1stワンマンライブ「喜劇」の構図を受け継ぐように、たくさんのAdoの肖像画の前で、パレットを持つAdoが、わたしたちへ目線を送ろうとしているように見える。イーゼルに立てかけられた中央の一番大きな肖像画は、描きかけかもしくは光の加減により、ほとんど右眼しか見て取れない。すべての顔を足せば完成するが、それとて唯一のAdoの肖像ではない。

今回のツアー"モナ横"のMCの肝要な部分を先に紹介すると、大規模な世界ツアーとAdoが愛する文化の紹介という野心に加え、Adoにとってのテーマは「自愛」であると語られた。

ーモナリザは世界でもっとも有名な絵画でありモデルの1人であるけれども、現代においてその横顔を実際に見たひとはいないだろう。
本ツアーにおいて、Adoはまだ誰も知らない自分の横顔を見せると宣言する(以下は、内容を咀嚼してできるだけ客観的にまとめた書き手による受け取り方です)。
ーこれまでも、不可能に挑戦し、自分で自分を超えてきた。ひとえに、きらいな自分をそうでなくなるようにと願って壁を越えてきた。目標に向かって、これからも今の自分を超える。従来の自分を好んでくれたひとや、不変であることを望むひとにとっては、意外な面、もしかすると期待されていないような側面をお見せするかもしれない。すべてを正解として受け止めてもらえない場合でも、それは自愛へ向かう道の一つなのだなと頭の片隅にでも置いてもらえれば幸いです…。

4月のスペシャル・ライブ「心臓」は、何処から考えても、天辺だ。
飛ぶ鳥を落とす勢いのアーティストの立場を想像して見れば、一つ目の天辺ということになろう。
ピークとは終着点ではなく、高い峰からは、また別の峰々が遠望できる。
次に備える者はその景色を目に焼きつけ、慎重に、厳しくも優雅な尾根を辿ってゆく。その道中を楽しみつつ新しい姿を見出せるとはなんと素晴らしい旅だろう。

話は逸れるようだが、比喩ではない実際の登山をしたとき、登りよりも降りるときに脚を痛めやすいと何度も聞いた。ちょっとした経験から言うと、次の山小屋へ向かう途次、頭で分かっているつもりでも、実際に降りるときに脚を痛めた。勢いがつくので、ついつい勢いに任せてしまう。日が短くなった時期に焦り出すとなおのこと危ない。
山の降り方は、誰も教えてくれない。

……。

「モナ・リザの横顔」について少しだけつけ加えると、同名の彫刻があるようだ。こんな単純な捉え方でよいのか分からぬが、彫刻なので横にまわれば…。いやこれは書く必要がなかったか。

モナリザの微笑を、Adoはルーブル美術館で人だかりの頭越しに自分の目で観たらしい。最前列に入れたとしても、保護ガラスが照明を反射してよく見えないのだけど…。

Adoが、かつて一世を風靡した『ダ・ヴィンチ・コード』を参照したかどうかは定かではない。映画版はミスキャストでロケ地以外見所はなかったと記憶するが、モナリザの顔を絵の具の罅割れまでわかるほどアップにしたフライヤーを、暫く飾っていたのを思い出した。同時に、同作には絵画の宗教上の解釈が含まれるため、海外の一部の地域で物議をかもした。特に固有名詞を使うときは文化的背景にも目配りを、というお話。


心をつなぐ大切な歌 〜開幕のラッシュ

オープニングアクトに続き、本編が開幕する。
ヴァーチャル美術館を奥へと進む映像が始まると、歓声が一気に高まった。
壁画がはじめにあったかどうかは不確かだが、水に揺れる色彩がマーブル模様を形づくり、直線が額縁としていくつも折り重なると、画像はやがてノイジーな縦横の線を無数に連ねてデジタル画像のような模様を作り出す。

人類の、描くという行為の歴史をたどるようなオープニング・ムービー。

サポートメンバーが揃うと迫り上がってくる「Adoボックス」。

まばたきするような背景映像と共に、横を向いた立ち姿のシルエットで「心という名の不可解」が歌われる。「心臓」のラストを飾り、直後に始まるツアーのオープナーとしてこれ以上の選択肢はない。しびれた。

続くのは、「逆光」だ。えっ、もう?という一瞬の戸惑いの後で、赤いペンライトと拳と合いの手が会場を揺るがす。

次は「唱」だ。えっ、もう!今度はハテナではなく、歓喜のエクスクラメーション。

あらゆるダンスを許容しそうなリズムは、"ユニバ"のコラボとして2周目が決定している。"Ado隊長"が登場するムービーか催しもあるそうだ。初めて聴いたのは約1年前のはずなのに、その何倍もの期間からだを揺らしているような感覚に陥る。昨年末の初テレビ出演の際、決めのポーズをめぐって試行錯誤したようだけれど、ストン、と終わらずに、アウトロによって危なげなく締めくくった。

「ウタカタララバイ」により右へ左へオーディエンスが心地よい波にのりだすと、5曲目に「リベリオン」の縦ノリが来る。

仕留めに来ているな、これは。
声を上げるしかなかろう。聞こえて来る英語の合いの手は、やはり控えめだけど。

ステージ上方から、三角形を横にいくつも連ねた帯状の装置が4本ほど降りて来て、リベリオンのマークと言うかVの字のような形をつくっていた。三角形の一つ一つがLED照明であるようだが、ステンドグラスのように背景の色彩を映しているようにも見えた。初回は見過ごしていたぐらい、熱狂的なステージだ。

歓声と、曲間でのAdoへの呼びかけがすごい。


ドール?マリオネット?ギニョール?

一転して、「過学習」がクールに始まる。
精妙なボーカルと演奏にも増して、照明の動き方が斬新だった。ドローンが飛び回っているのかと思ったが、間接照明のようなライト(鏡を用いたものらしい)がいくつも微妙な間隔で上下に移動しているようだった。

続く「会いたくて」は、『カムパネルラ』以来だろうか。恋人たちが散歩するようにボックス(ケージ)の中をゆっくり歩みつつ、対話部では息のニュアンスと言えばよいのか細かい気持ちを表現する。

流星の流れる半円形の背景に加えて、二重螺旋を描く灯りが降りて来て、気持ちの揺れ動きに同調するようだ。サビは迷いなくぐっと強く伸びる。
螺旋の照明装置は他アーティストのライブでも見たことがあるが(レア)、ここではすでに夜空などがそこそこ明るいためそこまで効果的ではなかったようだ。さらに、舞台を縁取るほどたくさんのピンクの照明が一斉に拡がって、ステージをロマンチックなドールハウスに変貌させた。

余韻を消すかのように賑やかなイントロが始まる。メジャーデビュー直後の頃のフィーチャリング曲「フェイキング・オブ・コメディ feat.Ado」(jon-YAKITORY)だ。
おどろいたのは今までになかったダンス。
曲調に合わせ、両肘を張って腕を羽ばたかせながら左右の脚を交互に蹴り出す、スウィング・ダンスの一つの型か…。啖呵を切るごとくまくしたてて歌い、間奏でもキレのあるダンス。しかも人形めいた影絵芝居のようにも見えてくる。特に幕切れは糸の切れた人形のように、その場にへたりこんだ模様。

お次は横向きに椅子に座ったシルエットで、「ハングリーニコル」(煮ル果実)をカバー歌唱。軽快な曲調の中にも不可避のポイズンが仕組まれており、MVの感じで背景にも皿やカトラリーや豚が回転する。なかんずく、のけぞったのは、演奏も聞きどころであるはずの間奏に入る前の一節。

 おほほほほほほほほほパーテぃタイむ

……。

その後もキレのあるダンスを踊りくるっておられたのであった(この辺りで早くも少し記憶があやふや)。


スナップ、フリック、ミラーインザミラー

「MIRROR」をはさんで、後半戦に入る。
ここぞと存在感を示すベースギター。
出だしのフィンガースナップ音で、後ほど気づいたことがある。
本公演では、この"指ぱっちん"が、何度も繰り返されるのだ。
はじめは「逆光」で。
この「MIRROR」で。
次は、後半の「抜け空」(読み : ぬけがら)などで。

ミラーボールのキラキラから、テレビドラマ『ビリオン×スクール』主題歌として発表されていた新曲「ルル」につながれる。椅子に座し、イントロから頭部を大仰に左右に傾ける振り子のような振付を見て、"人形"もライブのビジョンの基調の一つとなっていることに勘づいた。
ひとつ、魂をもとめるドール。
ひとつ、糸を断たれる操り人形。
ひとつ、人間が演じるにはキツいことでも引き受けるギニョールと呼ばれる人形とその劇。
椅子に片脚をのせてがなるアグレッシブさとラウドな演奏は、3つ目に近いと言えるかもしれない。歌詞に応じて巨大な拳が振り下ろされたり通せんぼする映像も効果抜群だ。
スナップで、意識が切り替わるように、キャラや曲調が変化するライブには自由を感じる。
フリックで、キャラも背景も簡単に切り替え、飛ばせる観客の日常に自由はあるか。

ここで曲間に初めてブルーと赤紫のライトの交錯するSEが入る。ステージにはなんとAdoボックスが何倍もの長さになって浮上して来、「アタシは問題作」が始まる。

「MIRROR」のステージ照明は暗かった印象を残す。
2度目の参戦では、後ほどMCで語られる内容が、脳裏をよぎった。書き手なりの言葉でなぞると、こう言うことになる。
ネットから出たのでネットで叩かれても仕方がないという理屈は成立しない。誰しも公のすがたと普段着の自分との間ですらギャップはあるし軋轢は起こり得る。とりわけ大きな仕事を成し遂げた場合、パブリックイメージとセルフイメージのせめぎ合いに息が詰まることもある。見たいものだけを見るのでなく、澄んだ目で物事を見つめられないものか。
killer in the mirror.
私って何だろう。
うつす自分を変えなければ、うつる自分は変化しない。鏡の中にはいつまでも鏡しかない。
「アタシは問題作」は一つの回答であろうし、解答の一つでしかない。
それにしても毎度、ノリつつも少し戸惑ってしまう1曲ではある。

そこでいい具合に「クラクラ」が始まる。
主観的には、他の曲同様、千葉公演ではイントロ、テナーサックスなどのシーケンスが少し弱目であるように聞こえた(ディスク化されたものなので比較の意味ではないが、「Wish」のLA公演映像では、たとえば「ウタカタララバイ」のボーカルシーケンスはよく響いており楽しい)。
拡大したボックスのぐるりを電光が駆け巡る。そのためAdoの足元が隠れて、雲間を行き来しているようでもある。ボーカルは自由自在だ。"ク・ラ・ク・ラッ"、とワンフレーズの合唱も心地よい。

ボーカルの自在さは、イントロにアレンジを加えた次の「ショコラカタブラ」でさらに極まっていく。MVではアニメーションにかなり気を取られていたのだけれど、"心臓"公演にて、転調によってよりダンサブルにドラマチックになるのを体感した(映像では板チョコよりも粒のショコラを円形に並べていたのが記憶に残る)。「もっとおいしくなあれ」というブリッジ(大サビ)以降に、客席のクラップも加わって、ますますのめりこむリズム。しかも、1曲がすっと閉じられる、なんてなめらかな口溶け。


うつせみ or ぬけがら

フィンガースナップの音が、浅くエコーする。
ほら、また。
水でできた球体がビジョンの真ん中で揺れ。足もとが揺らぐ。
ララバイのような歌声は撫でて来るのかと思わせて聴くものの胸ぐらをつかみ、突き放す。
あなたの影を追う。
水を撥ねながら薄暗いトンネル内を駆ける。奔る。と、がなりで引き上げられ、明るい、ひらけた景色を目の当たりにする。うつろだったあたまとからだに音が充填される。どこまでも走れそうな力が湧く。
月明かりを溶かしこんで揺れる景色。マーブル模様となって、波とくずれる。
ひとしきり目をしばたたいていると、また水浸しの通路へ舞い戻っている。
あなたは見えない。
また、スナップが反響する。
……。


風に吹かれながら(オールディーズではありません) 〜終盤へ

もうひとつの開幕に相応しいと言ってよい楽曲「抜け空」から、かなり景色が、雰囲気が変わった。
ステージは暗目で曲はそこまで速くはないのだが、歌にのせられた感情(および聴く者の感情)は速やかにスピードを上げ、疾走する。ゆっくりと移動する風景を見ているのに実際は高速の乗り物に乗っている…たとえて言えばそんな感覚だ。

ゆるやかにフィンガースナップの波紋のなかで新曲を閉じると、夜のビルの谷間に「夜のピエロ」さんが現れた。さん付けしたのは、リミックス・バージョン(TeddyLoid Remix)だから変化をつけた。"ドーラン"をシャドウにも塗りこんで、一層ダンサブルに、辛気くささは捨てて、屋上から屋上へ飛びうつる、月光に映える曲芸師の横顔。
夜のピエロさんはアナログのアンテナに引っ掛かる。
角度を調整する。

 za za zi ga ga……

「オールナイトレディオ」。舞台演劇番組イベント生配信ドラマ『あの夜であえたら』主題歌。
何気なく口ずさんでしまえる冒頭のオノマトペには、LADY GAGAの命名の由来になったともいうQUEENの楽曲へのリスペクトがあるだろう。映画好きにとって、タイミング的には『ジョーカー : フォリ・ア・ドゥ』の公開(10/11)間近であり、ここにもクラウンが見え隠れ。
夜更かしするひと手を挙げて、などとMCが入るわけではないが、長くなったボックス(ケージ)内で優雅なステップを踏むAdoに合わせて、観客もペンライトや腕を大きく左右にウェーブさせてコミュニケーションをとる。

「Value」。
ここまでの流れとテンポが実に心地良い。キーボードは魚が泳ぐように色彩を添え、潮騒のような音は「抜け空」から続いているようでもある。二重螺旋のライトがまた降りてくる。青から緑、茶系へグラデーションを見せるレーザーと、金属的な張りがあるのに優しさを忘れないギター音と重目のリズムにのせ、高音域を抑えたAdoの独り語りのような声が火照ったライブ会場をクールダウンさせる。

密室にてスマホで聴くも良し、巨大な会場で轟かせるも良し。
Ado SPECIAL LIVE 2024「心臓」の感想(当ブログ 5/24)において、同曲を意識して白いレーザーがそそり立ったり交差すると書いたのだけれど、国立競技場の方はビームライトが正確なのではないかと思い直した。

『残夢』の期間限定POP-UPストア(国内)にて展示されていたライナーノーツのパネル(撮影可能)から、抜粋する。

特にこの「Value」は、本当に風を思い出させてくれるような楽曲だなと思っています。
体に風が当たって風に吹かれながら自分の中の迷いだったり自分の中の想いと向き合っている情景がMVとともに想像できまして本当に自分がリラックスしたかったり、自分と対話したい時に結構「Value」を聴いたりするので、ぜひ一人になりたい時とか、一人の時に聴いて頂きたい楽曲の一つです!

続いて、カバー曲「立ち入り禁止」(まふまふ)が披露される。
スナップが連発…。この1曲にすべて吸収されるような、回収されるような。
幽霊少女登場。荒ぶらないが情感の乗ったボーカルが熱い。トリビュート・アルバム『〜転生〜』のカバー・バージョン(Ayase×Ado)ではAyaseのエレピが飛び跳ねているが、ライブ・バージョンではそこまででもないよう。間奏からラテン風にドラムパターンが変化する。こういうアレンジは大好物だ。歌詞の内容もしっかりと把握しておきたい。

ここで本日初めてのMC。目下減量中…というトークと、さらなる世界進出という大事なマニフェストが入り、ラストの「FREEDOM」へ。
"心臓"からコール&レスポンスは長目。今回、英語のコールはなくなっていたけれど、あっても良さそうだと思った。
「新時代」も「踊」も温存されている。アンコールは磐石だな。などと、少し日和っていたかもしれない。
アンコールで強烈な往復ビンタをくらうことになる。


ライムとマイムとタイムとチャイム

アンコールを熱望する歓声と手拍子がやまない。
リズミカルに。リリカルに捉え、
頭に似た音を置き、脚韻も踏んでみる。

ライム(を)見つけ ロックンロール アンコール
マイム 越しの 世界(は)シュール
タイム(が)来れば 浴びる スコール
チャイム(が)鳴っても 無視だ ルール


みんなバンドがしたい 〜アンコール

アンコール冒頭。
ボックスがあった位置よりさらに一段高い場所に、Adoのシルエットが登場する。ギター音と共に。照明は暗目だが、背景のビジョンから、鈍く色彩を反射するゴワゴワした厚味を感じさせるパンタロンを履いているのがわかる。膝上から、カポタストをつけた水色っぽいストラトキャスター・タイプのギターのヘッド付近と肩までが、ローアングルでビジョンに大写しになっている。ジャカジャカとかき鳴らすギター音に何が起こっているのかを理解した客席のなんとも言えないどよめきが被る。

フルストロークでコードをかき鳴らし会場を高揚させたところで、一面に光が弾けて明るく「Hello Signals」が始まる。ブルーと桜色を散りばめた白い全画面の背景と、その光に応じるステンドグラス様の無数の三角形。
楽曲は「過学習」の作者(伊根)らしくシンプルなようでありながら細やかなアレンジメントで構成されるようだ。

浮遊感のある1曲目が終わると、雰囲気は一転して真紅のイメージでスピードアップ。
ふたたびAdoがかき鳴らすギターに、渋いフレーズが重なる。
速い。『マーズ』の「ブリキノダンス」と同じぐらいのBPMか。
「背中を押すなよ」って聞いたことがあるが何だっけ。…考える暇を与えず、ノレ、と迫って来る。信号機や踏切のような映像が次々に現れては去っていく。
ギターソロかリフはシルエットから判断するに、CO-Kが弾いているようだ。細い三つ編みを揺らしながら、Adoの手も休まることがない。リズム隊爆走。「手をたたく」でオーディエンスのクラップが加わる。こういう起爆力も持っていたのか、と圧倒されるエンディングだった。

……。

結束バンドの「あのバンド」と楽曲紹介がされていた。漫画からアニメ、映画、演劇にもなり、バンドがライブツアーも敢行している『ぼっち・ざ・ろっく!』のガールズバンドの人気曲。
後ほど、樋口愛(Ai Higuchi)による歌詞を確かめて、はたと膝を打った。これは是非とも自分が歌わなければならないと、どの時点でかはわからぬがAdoも膝を打ったのではないか。
それほど「陰キャ」と「心臓」というキーワードに親和する内容だった。

"ぼざろ"に限定しなくても、漫画・アニメ・映画が連携する(ガールズ)バンド、シンガーという点で見れば、若者を楽器店へ誘ういくつもの作品があった。近いところでのメディアミックスでは"ガルクラ"、"バンドリ!"のシリーズがあり、深掘りしていけば『Angel Beats!』のGirls Dead Monster、すぐに『NANA』まで遡れる。

誰しも、一度はバンドに憧れる。


新曲 これがAdo、これぞAdo

13歳 無理を言い買ってもらったギター
17歳 自分でつくったオリジナル曲
いまの私が、完成させた
だれのためでもない わがままと弱さ

MCで聞いた新曲作成の経緯を、書き手の視点で少しリリック風に綴ってみた。
世界のひろさを知った今でも / 変わらない 心の故郷
などと、今回そこで語られていないことを加えると解釈が行き過ぎて創作になってしまう。

まさかの自作新曲を披露するとのMCを終えると、歪んだギター音に牽引されて、2曲目よりは落としたテンポでバンドサウンドが疾走する。赤裸々な感情と生硬な漢語を交えた歌詞はすべて背後に映し出される。無力感、孤立感に苛まれ、言葉も約束も信頼も反故になって崩壊していく中、それでも簡単には得られないとわかっている生に対する問いへの答えを求め、虚空に向かって叫ぶ。そんな意味内容で、死を見据えようとするのは盛んな生命力の裏返しだという風にも受け止められる。

不思議なことに、何度思い返してもアンコールの2曲目と3曲目[「初夏」]を連続して聴いたような錯覚を起こす(結束バンドを聴いていると、演奏されていない「青春コンプレックス」が間に入っていたような錯覚をも起こす)。長目のMCが合間に挟まれたしその内容をよく覚えているにもかかわらず…。

[千秋楽の翌日に公開された「オルタナティブロック・バンドサウンド」"初夏"の音源と、結束バンドの楽曲で多くの編曲を手がけている三井律郎編曲というクレジットにより、深く、頷いたのであった。]

僕という一人称と、「教えて」のリフレインなどには、前回ツアーで歌唱し、カバーアルバムにも収録された「unravel」の影響、響き合いを聞くのはこじつけではなくむしろ自然な流れであろうと思う。
希死念慮や虚無感が歌われてはいるが、歌うことに収斂しゅうれんされる。一つの見方として、"歌ってみた"の「うみなおし」(MARETU)やフィーチャリング曲「シカバネーゼ feat.Ado」(jon-YAKITORY)などの世界線に17歳の自分を置いて客体視(作品化)しているので、危ないものではなさそう。[MVはヤバい。]

グラムでデカダンスなギターロック。
と呼んで良いだろうか。

「カムパネルラ」で後ろ手に隠していたのは純文学書ではなく、こういう世界観であった。

17歳の自分と一緒に歩んで行きます、とAdoはMCで語った。


Campanella Revisited

最新作が常に最高であるというのは、こういうことなのだと突きつけられる本ツアーのライブだった。衝撃度と言う意味では、「カムパネルラ」以来の衝撃かもしれない。アーティストAdoに向き合おうとするならば、現在は映像作品となった2ndライブを再訪せねばなるまい。今すぐにではなくとも。


Tableau 1 , 2

[タブロー : フランス語。名詞。素描、習作などに対して完成された絵画作品をいう。]

今年の3月、たくさんのチューブかコードに繋がれたAdo SPECIAL LIVE 2024「心臓」のキービジュアルを見て真っ先に立ち上がって来たのは、草薙素子のイメージだった。
「クラクラ」の編曲者つながりで『攻殻機動隊』とAdoはダイレクトに結びつくとも言えるけれど、"ネット"が重要なキーワード。SawanoHiroyuki[nZk]の『Rヨ/MEMBER』のアートワークも想起される。

"心臓"のキービジュでは、繋がれ、捕らえられているような見た目にもかかわらず、からだに無駄な力が入っていない。達観したような、澄んだ、遠くを見通している自由な精神性を読み取ってもよさそうだ。それは感情の嵐の前の静けさであった。

『サウンド&レコーディング・マガジン』10月号はAdoが表紙となっており、何本ものチューブや線がヘッドフォンか頭部に繋がっている。ネットで育ち、養分を得ながら、作品を投下してネット参加者と意思疎通をはかる。そんな往復のメタファーとして捉えるのは単純すぎるだろうか。


Tableau 0

千葉公演直前の8月末、10月24日に両A面シングルCDが発売されると発表された。1曲は"心臓"で披露された「桜日和とタイムマシン with 初音ミク」、1曲[「初夏」]のタイトルは仮題だったが、アートワークはギターを持って颯爽と立ついつものAdo。"心臓"のコードの一つは、エレキギターへ直結していたようだ。

そして…。通常盤だけ、いつもと違う表情をしている。この表情は見たことがある…。ORIHARAの描いたウタだ。映画公開時に出ていた『ワンピース・マガジン vol.15』に収載。


あ、そうだ、アドローザ

アンコールでの新曲を歌い終え、観客に礼を述べ、サポートメンバーがみな舞台を降りたあとで下の段へAdoが降りて来て、上手の方へ横切って行った。ずっと手を振っていたのではないか。
ボックス(ケージ)のない仄暗いステージ中央は、これまた影絵芝居が演じられそうな雰囲気を持っていた。アジアのある地域などで人形を使った影絵芝居があるし、生身のひとによる夢幻的な公演は今はねたばかりだ。影絵のキャラクターたちが踊ると言っても…おや、人数は十分そろっているようだが…。

バックスクリーンに手書きの横顔とメッセージが映し出され、客電が点灯した。
"モナ横"はこれにておしまい、おしまい。

……。 

ツアー期間のある日、ぽっかりと予定が空いたので、日がな一日4コマ漫画を空想していた。
絵心がないので短文に翻訳する。各登場キャラクターの表記は公式名称ではありません。

1
姿見の前で自分を指差してポーズをとるちゃんどを、あどろーざ・りべりお〜ん・歯ちゃんが見上げている。

2
ちゃんどが鼻唄まじりでキッチンに立っている間、あどろーざが姿見の前で真似をしてポーズをとる。そばでりべりお〜んと歯ちゃんが見つめている。

3
あどろーざが飽きて水をのみにいくと、りべりお〜んが腕を突き上げてポーズをとりだす。歯ちゃんは距離をおいて見ている。

4
皆がテレビで音楽番組を見ているのをよそに、歯ちゃんが姿見の前でポーズをとろうとして頭をコツン。あいたた。


ツアーに関する1番のトリビア

ギターピックは投げたのだろうか。