「怖い」を楽しむ
先日深夜放送名義で発表した新譜に関して頂いた感想の一つに「怖い」という非常にミニマルな所感があったのだが、これが非常に嬉しかった。
「怖い」は「面白い」の一部だと思っている。
とてつもなく怖いホラー映画を観て、ひとしきり震え上がった後に出てくる感想は恐らく「面白かった」になるのではないだろうか。震え上がった分だけその純度は上がる。
映画やお化け屋敷、心霊系の映像作品等、ホラー系のコンテンツは留まるところを知らない。賢い大人が本気になって人々を怖がらせようとしている。そして怖ければ怖かった分だけ、評判を呼び、人気になる。
私自身、幽霊は存在しないと思っている。存在しないからこそここまでホラーのコンテンツが伸びているはずだ。もし幽霊が実在して、誰にでも見えるようなありふれた存在であったのだとしたら、幽霊が登場するコンテンツのジャンルは「日常系」に成り下がるのだろう。存在しないからこそ自由にホラーの表現が生まれるのだ。本物かどうかなんて野暮な話は止めよう。怖かった奴が正義だ。
シャワー中に突然背後が気になる。暗い廊下が薄気味悪い。隙間から誰かが覗いている気がする。メディアによる刷り込みの賜物だ。今日も怖がる人、延いては怖がりたい人のお蔭でごく一部の経済が回っている。
ホラーに限らず、娯楽は感情が動けば動いた分だけ「面白い」と感じるものだと思っている。最初の話に戻るが、「怖い」という感想を述べて下さったという事は、それだけその方の感情を動かす事が出来たのだという事実に他ならない訳で、それがとても励みになった。人を怖がらせる為のコンテンツを生み出した自覚は無かったが、それでも作った甲斐があった。
何か作る人間の端くれとして、今後とも人の感情を動かす何かしらを作っていきたい。基本的には笑って頂きたい。