顔面交換不可面包超人
アンパンマンの歌に関するツッコミや共感は多い。僕にも『アンパンマン体操』がいたく沁みることがある。これは、大人のための歌なのだ。子どもを育てる親のための。…違った『アンパンマンたいそう』だ。勝手に漢字にしてしまうのが大人の悪いところだ。
子育ては「くじけ」の連続だ。どれだけ事前に学んでから臨んだって、ヤツらは容赦なんかしてくれない。そもそもどんなに頭に詰め込んだところで、身体に来る。どうやったって睡眠は不足するし、「交通事故にあったようなもの」とも評される出産を経た母は当分の間、ホルモンバランスの極めて激しい乱れも続く。赤ん坊は泣くしかコミュニケーションの手段がなく、その赤ん坊の泣き声は人の神経に障るように設計されている。はじめから負け戦なのだ。コミットすればするほど、時間をかければかけるほど、勝ち目はなくなる。でも、コミットせざるをえないのだ。多少は金で時間が買えるが、通常は上限があるし、コミットしたくなってしまうという一面もある。
赤ん坊時代を越えても、次々に新しい「くじけ」がやってくる。ハイハイしだした。食べるようになった。立つようになった。話すようになった。活動の幅が広がるのに従って、より多様なトラブルがやってくる。ネガティブなことをあげようとすればキリがない。まだたった数年前なのに、娘がゼロ歳のときのことなんてもうほとんど覚えていない。それで思い知った。「くじけ」は塗り変えられていく。それでも、わずかに残る記憶から、思い出せ。いいことだけ。いいことだって、くじけのように、積み重なっているのだ。視点をずらせれば、また見えてくる。
マイナスを補って余りある(…といつでも思えるわけではないが、どう見積もってもマイナスと少なくとも同量の)プラスは必ずある。そちらに目を向けるのだ。日常に埋もれさせるな、「いいこと」を。街で他人の親子を見かけると、その幸せを感じやすい。外から見ると、わかりやすいのだ。中にいると、当事者となると、なかなかわからなくなってしまう。その幸せは、外から見るよりはるかに大きいのに。それは、日常に溢れているのに。だから、アンパンマンは何度でもリマインドしてくれる。思い出せ、いいことだけ、いいことだけ。
時には無理と感じることもある。いや、しばしばある。でも、力を振り絞るしかない。娘の生後数ヶ月間の妻は、まさに風のように走り地球をひとっ飛びするが如くの母神の姿だった。ここでいう「アンパンマン」も同義、つまりはスーパーマンのことである。僕も頑張ったつもりだが、あの頃の感謝は一生忘れてはいけないと思う。親は一時的に神懸かり的な力を手にしないと、そうなった気にならないと、やっていけない。アンパンマンのように顔を交換することで疲れがリセットされることはないが、顔を焼いたり、見事なコントロールで投げつけたり、もっとわかりやすくともに戦ってくれたりする仲間を得れば、少しは疲れが軽減される。天丼たる自らの名を叫びながら顔を箸で叩きつけながら舞い狂うようなエンタメがそばにあれば、少しは癒される。その渦の中心にいる子どもに一番近い暴風圏で、風のように走り、地球をひとっ飛びする君は、キラめくやさしいヒロイン/ヒーローだ。
さて、歌の一番だけでこの出来である。このあたりまででだいたい既に沁み入っているので、そのあとはあまり覚えていない。原作の絵本を読むとアンパンマン、これがよく乳幼児ナンバーワンIPになったなと思うが、歌詞を見ればやなせたかしの才能は明らかだ。子どもに好かれている理由はよくわからないが、親に歌が刺さりに刺さっていることは間違いない。今一度、刻んでおこう。