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温故知新(詰パラ268号)

 今日は詰パラ268号(昭和53年6月号)を読んでみよう。ページをめくっていくと、「懸賞募集超長編」との大きなゴシック文字が目に付く。どんな募集だったのか一寸引用してみると、

★募集 九百一手を超える作品
 但し、奥園氏の作品を改良して、単に手数を伸ばして九百一手をオーバーしたものは圏外とし、参考図式として薄謝を贈る。
☆〆切 一応本年12月31日着まで
★賞金 五万円(二作以上の場合は宜配分します) 但し、千一手をオーバーした場合は賞金十万円とします。

(以下略)

 という具合だ。今から40年以上前の5万円、10万円というのが現在のいくらに相当するのか分からないが、とにかく破格の金額だったことは確かだろう。七条氏という大スポンサーがいなければとても不可能な企画だったに違いない。
 詰将棋界での賞金問題といえば、近代将棋が煙詰に対して1作1万円の賞金を出して募集したというのが有名である。(そういえば、将棋世界が首位作に10万円の賞金をかけて短編コンクールをやったこともあったなあ。もうあれから20年以上たったのか…)また、数学の世界でも賞金問題というのはあり、有名なところではFermat予想の証明もそうであった。
 こういうのは金額よりも、読者の注目を集め「ではやってみようかな」と思わせることに意味がある。現在詰将棋に賞金を出してくれているのは実質アマレンだけだが、握り詰などといった一発芸のようなものにでなく、もっと詰将棋を進化させるような種類の作品に賞金を出してくれないものかな?
 結局この年には「新扇詰」を越える作品は現れなかったが、この懸賞が多くの詰キストを刺激したことは間違いない。「持駒変換×多重連取り」の3重衝突が起こるのは、これからわずか3年後のことである。

 今頃になって気付いたのだが、この頃のパラは6月でも学校があり、中学校には私が最も好きな11手詰の一つである橋本樹氏の作品が載っている。この作品が「その月の首位でない」という、たったそれだけの理由で半期賞すら貰えなかったというのは(その頃の制度がそうであったとはいえ)理不尽だとしか言いようが無い。
 この名作に立ちはだかったのは、上田吉一氏の傑作短編。かたや表現への意志をむき出しにした極度に人工的な構成、かたやアクロバティックな変化を内包しつつも推敲の行き届いたまろやかな手順。現在の目で見ても甲乙付け難いこの両作を引用しておこう。

           橋本 樹

40 橋本 樹

           (詰パラ 昭和53年6月号)

46馬、44玉、56馬、35玉、57馬、26玉、48馬、35玉、44龍、同玉、
26馬迄11手詰。

           上田吉一

41 上田吉一

    (詰パラ 昭和53年6月号、第17期看寿賞短編賞)

96飛、86飛、79香、同と、86飛、同馬、75飛、同香、66馬、同玉、
67金迄11手詰。

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