温故知新(詰パラ259号)
今日は詰パラ259号(昭和52年8月号)を読んでみよう。しばらく読み進めると、秋元節三氏の「真夏の夜の夢」という一文が目を引く。
詰棋校の担当ほど大変な仕事も少ない。他人の作品の検討と解説はかなりの情熱が要るし、選んだ作品がどんな評価を受けるかという好奇心も必要。時間を食うのは勿論だが、妻帯者の場合細君の理解が不可欠だろう。いずれにしても担当という仕事は私にとって夢物語です。それだけに色々空想できる。以下はその空想の一部です。
①締め切りを早くする
担当校だけ一週間早く締め切らせてもらう。これによって充実した解説ができる。作者は心のこもった解説を期待していると思うからです。時間的余裕がなければ短評の収録くらいで終わってしまうのも止むを得ないでしょう。一校だけ締切日が違うのが無理なら、毎回「原稿到着の関係で」と主幹に言わせよう。
②短評はほめ言葉しか採用しない
解答者の解後感を知る為に短評は不可欠。絶連と一刀両断するのも、絶妙とベタ褒めするのも解答者の自由であって、温情味ある短評をと要望して、沈黙の解答が増えても困る。かといって悪評を採用すると、その評者が非難され、それを採用した担当者が許されるのもおかしいもの。よって私は褒め言葉しか採用しない。それで作者が増長しようと知ったことではない。
③解説は独善的に
何と思われるだろうかと考えていたら解説をまとめる時間がなくなってしまう。かまうことはない、思ったことをどんどん書こう。まともに批判されたらちゃんと反論しよう。でも、ジャリだとか、 ひっこめとか言われたら、そういう貴方も失礼だと混ぜっ返そう。
時には駄洒落も言いたいし、解答のアラ探しもしたい。不公平だと言われるかな。でも、世の中不公平な方が面白いですよ。
④不完全作も入選とする
解答者のほんの一部の人しか気がつかなかった別詰があるからといって、不完全として作者の創作熱に水をさすのは忍びないし、再発表の機会も無いので、ただちに修正してもらい修正図をもって入選とする。但し、作者にうらまれるのを承知の上で、余詰を指摘する勇気のある人を表彰する意味で余詰手順と指摘者名は発表する。
類似作は作者の良心を信じ、類作を紹介するのみですべて入選とする。
⑤気に入った作品のみを採用する
嫌いな作品の解説などとてもできないので、そういう作品は全て返送する。担当者が代わったら再投稿してもらう。
こんな担当者が現れたら大混乱は必至。所詮、真夏の夜の夢でしょう。
この内容、今ではそんなに過激だとも思えない(そのうちのいくつかは既に実現しているし)。これが時代の流れというものか。それよりも、パラの1ページを費やしてこんな文章が載っているということ自体が、この頃のパラの自由な雰囲気を物語っている。
それにしても秋元氏、これを書いている時はまさか後年自分が小学校の担当をやることになるとは想像すらしていなかったんだろうなと思うと、ちょっと可笑しい。