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温故知新(詰パラ318号)

 今日は318号(昭和57年8月号)を読んでみる事にしよう。ページをめくると、小学校の担当の言葉として実に含蓄のある文章が載っているので、これを引用しておこう。担当は勿論、塩沢邪風氏だ。

 詰将棋の手づくりにも一種の常識らしきものがある。が、あまりこれに従いすぎれば「常識に堕した」と批判されてしまうし、かといってあまりにこれを逸脱していれば「常識知らず」と嗤われる。むずかしいものである。ただ全ての新しい創造は、常識からうまくはずれることから生まれる、というのはどうも真実らしい。

 詰将棋の創作に関する常識(というか作法)の束縛は余りに強く、同時に魅惑的なので、普段私達はそれを意識することは殆ど無い。その常識に対してどのような態度を取るか、それが作家の作風と言えるのかもしれない。
 大学に目を通すと、相馬康幸氏が初登場している。

           相馬康幸

(詰パラ 昭和57年8月号)

76銀、96玉、98飛、86玉、88飛、87角、同飛、96玉、97飛、86玉、
53角、64歩、同角成、同角、87飛、96玉、97歩、同角、同飛、86玉、
64角、75角、同角、同歩、87飛、96玉、74角、同銀、97飛、86玉、
87銀、85玉、95飛、同玉、96歩、85玉、97桂迄37手詰。

 何よりもまず、デビュー作の時点で既に作風が固まっているという点に驚かされる。変化・紛れも、そして捨駒もない、それこそ既存の詰将棋の常識から逸脱したこの種の作品がさしたる抵抗も受けずに受け入れられていったのは、余程彼のはずれかたが上手かったのだろう。

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