温故知新(詰パラ297号-01)
今日は詰パラ297号(昭和55年11月号)を読んでみよう。読み進めていくと、故田中至氏が当時小学校4年生の娘さんの作文を載せている。御用とお急ぎでない方は是非御一読を。間違いなく癒されますよ。
父としょうぎ
わたしの父は、しょうぎの名人。しょうぎが大好き。本しょうぎの本を作ったほどです。
釧路にきて、六日ぐらいたったある日、つめしょうぎパラダイス、と書いてある、つめしょうぎの本を見せてもらったとき、はらのたつページがあった。それにこう書いてありました。
本号は田中至氏をのぞけば、すべて名人級…。
父に、「ひどいよね、こんなことを書いて。」というと、「そうだね、おっとさんだけだね。」
といいました。
そして、四月も終わりの29日ごろ、チャダンスのそばのワゴンみたいなものを、ソファにくっつけて、小さなしょうぎで、つめしょうぎの研究を始めました。
父は雨の日……、しょうぎ、晴れた日もしょうぎ、そればっかり、わたしは父のことを母といっしょに、「こりゃ、きっと地しんになっても、こらっ地しんうるさいうるさい…といって、自分としょうぎだけうごかないいて言って、ひなんしんわ…、みんな大さわぎしとんのに…。」
と言うと、母が、「火事になっても、あっ、けむり、けむり、こりゃなんじゃ?…あ、しょうぎが見えんようになっちまったわ。」
と言っていました。
すると、父は、「あー、わかった。やっぱり、おっとさんは頭いいなあ」
とごまかすようにいっていました。
それから、父は午前三時まで、おきてやっていたそうです。わたしは、ようやっとるわと思いました。(終わり)
一家団欒のほほえましい風景が目に浮かんできて、ほのぼのとした気持ちになるのは私だけではないだろう。
こういうのも平気で載せていたこの頃の詰パラのアットホームな雰囲気は大好きだが、考えてみると「本号は田中至氏をのぞけば、すべて名人級」などという血も涙もない短評が載っていたのも同じ詰パラなのだ。うーむ、古い詰パラは奥が深い。