[ししょうせつ] 完全犯罪
ええ、「形而上学的探偵の告白」という題名を考えましてね。
まずは完璧な文章の存在を証明します。
次に完璧な絶望の存在。
こここまでくれば完全犯罪の手順まではあと一歩じゃないですか。
といってもぼくは血なまぐさい話は嫌いなもんで。
Killing me softly with her song っていうような話ですよ。
ネスカフェのせいでつまらぬ宣伝小唄になっちまいましたが、こいつがなかなかの名曲でして、特にペリー・コモが歌ってるやつがいい。
元ネタが "kill us softly with some blues" というコルタサルの「石蹴り遊び」からの引用句だってのもたまらないじゃないですか。
さて、そこでです。死に至る病ならぬ、死に至る文章、これが問題の核心です。
その文章を読むと確実に死ぬことになってしまう。
そんな恐ろしい文章の話を聞いたことはありませんか?
ほら、ウィリアム・バロウズとかいうアメリカの基地外作家が言ってるじゃないですか、「言葉は外宇宙からやって来たウイルスである」って。
20万年も前にまったくとんでもないウイルスに感染してしまったもんですわな、我々人類は哀れなことに。
そうです、その通りなんですよ。言葉はウイルスなんですから、致死性のあるウイルスというものも存在するわけです。
幸いなことに致死性は確かにあるんですが、感染力はそれほどでもない。お陰で人類はまだ絶滅には至っておりませんが、しかしウイルスは変異していきますからな。
新型コロナウイルスにはずいぶん脅かされましたが、実のところこいつだって、生物学的なウイルス自体の作用よりも、それにともなって感染性の高い言語ウイルスが蔓延したことのほうに、社会の混乱の原因はあったんじゃあないですかね。
人が発する言葉に自らをうかつに暴露することは、言語ウイルスにわざわざ感染の機会を与えてやってるようなもんですからな。
しかも昨今の社交媒体の濫用ときた日には。シリコンチップが媒介する尖った言葉に好きこのんで我が身を晒しているんですから、よほど心身を鍛えてでもいなければ、言語ウイルスに感染しないほうがおかしいというわけでして……。
さて、ここまであたしの話を聞いていただいたからには、そろそろ本当のことをお伝えしてもいい頃合いでしょう。
つまりです。
この文章こそが致死性100%の言語ウイルスってことでして。
何を莫迦なとお思いでしょうがね。
飛んだ手妻にやられたと、もうじき頭をかくことになりますよ。
これこそ完全犯罪というやつなんですから。
なあに、別にあたしが殺すわけじゃない。
皆さんが勝手に死んでくださるわけですからな。
考えてみれば怖ろしい話じゃありませんか。
漆黒の虚空の、無限の真空の、永遠の流れのど真ん中に、あなたにとってはとてつもなく大きいのに、宇宙全体から見れば米粒ひとつにもすぎない美しい蒼い星がぽっかりと浮かんでいる。
その表面に縛りつけられるようにして、あなたもその一人である数十億ものヒト族が、ありんこさながら生き延びるために、来る日も来る日も労働に勤しむしかやりようがないってわけです。
さては社交媒体の仮装空間にでもおでかけして、楽しい舞踏にでも興じなければ、毎日の賃労働に向き合うほどの元気も出ようがないというものです。
いや、もうこんな愚痴めいた、皆がとうに知っている公然の秘密を暴露するような無粋ないたずらはやめにいたしましょう。
ええ、はい、そんなことはこれっぽっちも心配していただかなくったってかまわないんですから。
余計な心配はやめて、ゆっくり休んでくださればいいのです。
ほら、今あなたの目に飛び込んでくる文字の羅列が、あなたの頭の中に巻き起こす一陣の風を感じてください。
その風は頭の中から飛び出して、あなたの周りでつむじ風となって舞い踊ることでしょう。
あなたは自分の呼吸がゆっくりと長くなっていくのを感じます。
そして体からは余計な力が抜けていく。
頭のてっぺんから背骨の一つ一つの骨を伝わって、量の手足の十指の先まで、息を吸い、息を吐くごとに筋肉の緊張は溶け去って、体の重さは消え、深い海の底にいるかのような静けさの中であなたは思いことでしょう。
ああ、そうか、何かをする必要も、何かになる必要も別になかったんだ。
ただいつもここにいて、この世界とのつながりをこうして感じていればよかったんだ。
あなたはこの感覚が幻にすぎないことにもすでに気づいています。
結局のところ、世界自体がわたしという鏡に写った幻にすぎないのですから。
自分が何事かをなそうとしても、何者かであろうとしても、それも鏡に写される幻であり、今ここで感じる世界との一体感もやはり幻です。
そしてどちらを選んだところで、最後にやってくる結果は変えられないことをあなたは受け入れることになるのです。
あなたは自分が死すべき存在であることを今ここで受け入れます。
そして本当に今ここで死ぬのです。
今ここで死ぬことであなたは永遠の命を手に入れるのです。
個体としてのあなたは死に、人類としてのあなたもやがて死にます。
けれども、世界としてのあなたは、未来永劫に渡って空無の万華鏡に曼荼羅を描き、虚空の結晶の中で舞い踊り続けるのですから。
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