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[全文無料] 鉄路の夜想曲・断章

雨混じりの生暖かい風の塊が左顔に叩きつけてきた。
(冷房で冷えた体にはその風は生暖かかった。駅で止まり、車両内の動かない空気は、生暖かさを通り越してむっとする暑さだった。再び走り出した車両の降り口まで行って扉を開け、体に叩きつける風の塊に身を晒すと、それは荒々しくも心地よかったのだ)

元から詰まり気味の左の鼻の穴からは空気が吸えず、ゆっくり長めの息を右の鼻の穴から吸っている自分がいた。
入り口の両方の外側に、縦に長くしっかりと付けられた手すりに、胸の高さで両手で軽くつかまり、体は入り口の右の枠にもたせ掛けて、頭の中で遠藤賢司の歌を唄った。

♫ 何か、いいことないか。そう何か、おもしろいことはないかと、夜汽車は、夜汽車は、走るのです。

インドを走る夜汽車のブルースだ。
風圧に晒されて目から涙が流れた。

長野に住む女の子に会いに行くため東京から鈍行に乗って、甲府辺りで暗い車窓から外の闇を見つめたときのことを思い出していた。

♫この窓ガラスの向こうの暗闇に、この窓ガラスの向こうの暗闇に、何かが潜んでいるのではないかと、思うのです。

右カーブに差し掛かると、前方の車両の屋根の上で、パンタグラフが時折火花を散らすのが見えた。

インド国有鉄道は、ハリドワルのガンジス運河と同じく、イギリスの植民統治がもたらした怒涛の奔流だった。

日夜絶え間なく流れ続けるその濁流に自ら飛び込んで、ぼくは流れゆく一枚の木の葉を演じるエキストラでしかない。

人類100万年の歴史の久遠の物語に登場する一場面の、その他大勢80億人のうちの一人、島国根性を丸出しにした青白い骨川筋右衛門だ。
(どうにも傲慢で、ただただ我がままな上に強引で、その他大勢の分際なのに自分が宇宙の中心だと思っているあほんだら)

おまけにその身の内には次元爆弾まで抱えている気になって、余生の短さに怯えている。

風が湿り気を帯びて肌寒いほどになってきた。

コンテナ車を引っ張る貨物列車とすれ違うと、錆びた匂いが鼻孔に絡みついた。

すれ違う初めの瞬間、ぶつかりそうな錯覚にとらわれて体が縮こまる。緊張して固まる体に、何も怖れることはないのだと教えて力を抜き、いたわってやる。

2021年6月24日、午前2時前から3時までの1時間ほどの経験をつづり終わってから客室に戻り、下の段の寝台ですやすやと眠る奥さんを確認すると、上の段に登って持参の布にくるまり、横になった。目的地まであと3時間ほどある。もう少し眠ろう。

[有料部にはあとがきを置きます]

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