[全文無料: 小さなお話 013] で、京都の思い出。そして歩きに歩いた日々。
[約1,700文字、3 - 4 分で読めます]
京都に初めて行ったのは、高校の旅行のときでした。たぶん1982年のことだと思います。
グループで行動することになっていた一日だったのですが、ぼくは一人で京都の街をふらふらと歩いていたのです。
昼飯を食うまではグループのみんなと一緒にいて、そのあとみんながどこに行ったのかはまったく記憶にないし、自分が何をしていたかもさっぱり覚えていないのですが、とにかくのんびりしすぎてしまったのです。
集合場所は金閣寺です。京都駅付近から八キロほどの距離を歩くつもりでいたのに、いつの間にか時間はぎりぎりでした。気分的にだいぶあせりながら、ふらふらではなく、全速力でぼくは京都の街を歩きました。
高校生の頃のぼくは観光というものに大した興味を持っていませんでした。学校で旅行に行くというから、つき合いで行ってるだけで、京都という土地に何も関心を持っていません。だからグループの他の仲間がどこかに出かけるのにはつき合わず、単独行動を取っていたのです。
高校の旅行では高山や倉敷にも行きましたが、どちらのときも観光のようなことは特にせず、仲間と喫茶店でダベって時間を潰すようなことをして、どこに行ってもいつもと同じように過ごすことが粋なのだとうそぶくような、ひねくれた少年時代を送っていたというわけです。
そんなわけで、初めて京都に行ったときの記憶というのは、ただただ街を猛スピードで歩き抜けたという体感しかありません。
三十分かそこら遅れて到着した集合場所にはすでに友だちの姿はなく、遅れたぼくを待っていてくれた先生が一人いるだけでした。
とても自由な校風の学校でしたので、小言の一つを言われるわけでもなく、少し気まずい思いをしながら宿へと向かったような記憶がうっすらとあります。
金閣寺のことはまったく記憶になく、集合場所が気に囲まれていた印象だけが残っています。
以上で今回の京都の話は終わりです。
で、そのときなぜぼくが京都駅から金閣寺まで歩いたかということなんですが、そのころぼくの中では歩くのが流行っていたんですね。
もともと通学定期代を浮かせてsf本の購入に充てるために、毎朝渋谷駅から三十分くらい猛速力で歩いて学校に通っていたのですが、その頃はさらに休みの日に友だちの家まで、徒歩で予告なしに訪れて急襲するという遊びをやっていました。
手始めは世田谷野沢の自宅から四キロほど離れた羽根木の友だちの家。次は八キロほど離れた川崎高津まで。……という塩梅で、最後は千葉の松戸まで三十キロを歩きました。
そのときは国道14号の荒川と新中川を越える橋がやたらと長かったことが記憶にくっきり残っています。
三十キロというとかなり長い距離に思われるかもしれませんが、五時間ほどかけて淡々と歩くだけなので、日頃歩き慣れてさえいれば、特にどうということもない距離でした。軍隊の行軍とは違って、重い荷物を背負ってるわけでもありませんし。
ここで八十年代前半の東京近郊がどんなだったかを少し書きます。
まずはぼくの実家のある田園都市線・駒沢大学駅の辺りですが、ここはまだまだ東京原住民が住むにふさわしい鄙(ひな)びた住宅地にすぎず、ちっともおしゃれな街ではありませんでした。
その近辺でいうと、自由が丘や下北沢はさすがに多少華やいだ雰囲気がありましたが、二子玉川ですら高島屋があったくらいでまったくの田舎街であり、世田谷全体がそういうのんびりとした空気に包まれていたのです。
川崎高津の友だちの家に行ったときに驚いたのは、牛を飼って牛乳を取っている農家があったことです。実家の近くでは広い敷地で果樹をやっている植木屋さんがありましたが、すでに畑もないところだったので、牛を見てなんとも田舎だなと思ったものです。
松戸に行ったときは、駅前の鄙び加減にいい意味で驚きました。今のようにどこでも一緒のぴかぴかなビルが並ぶ街ではなく、看板がセピア色に退色したような個人商店がきちんと商売をしている、ぼくが小学生の頃には世田谷でも当たり前だった昭和の街がそこにあったからです。
というようなわけで、今回はなんとはなしの昔語りで、やっぱりほとんど京都の街については書けませんでしたが、次回こそはもう少し京都の話をちゃんと書く予定ですので、どうかお楽しみに。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
[2019.3.6. 北インド、ハリドワルにて]
※ヘッダ写真は京丹波・園部駅近くのお堂の仏像です。
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