[00円: 投げ銭随想] 左目の涙
北インド、ハリドワルの五月は夏の陽射し。
心地よい朝の風に吹かれて、川辺の日向もまだ暑すぎない。
体は喜ぶそんな場所に座って、なのにぼくの心は重かった。
何かいやなことがあったとか、そういう話じゃあない。
人生の総決算をしている最中なんだ。
いつ終わるか分からないし、棚卸しくらいにしかならないかもしれないけれど。
心が重ければ、ついそれをどうにかしようとしてしまうのが、人間の性(さが)。
けど、その習い性に従わないことを練習中で。
で、重い心を感じながら、ぼくは川の流れを見ていた。
この鬱々した気分はどうにかならないものか、と頭のなか言葉の回転木馬が回っている。
ゆっくりと回る言葉の木馬を、垂れ込める雲のように暗い気持ちが覆っている。
頭の中の曇天と、外の世界の鮮やかな空気が、二重写しでぼくの意識の銀幕に映し出される。
心の奥底には、いつも世界を静かに映し出している、裸の意識が確かにあるんだ。
ガンガーの岸辺でそう考えていたわけじゃない。
ガートに腰かけ滔々と流れる水を見ているときは、ただ言葉が空回りして、回転木馬遊びをするのを眺めていただけだ。
眺めながら体に起こる感覚にも意識を向けているとやがて、重く湿っていた気持ちは少しばかり乾いて軽くなって、凍りついていた体もぬくもりを取り戻して、心の結ぼれが溶けはじめた。
体全体に安堵の気持ちが広がって、ぼくの左目は涙を流した。
だからぼくはきみに伝えたいんだ。
いやなことがあったり、いやな気分になったり、どうにも落ち込んだり、たとえ死にたくなったりしたとしても、そんなときは無理に元気を出そうとしたりしないほうがいいんだ。
重苦しい気持ちの中で、このままじゃホントに死んじゃう! ときみは思うかもしれない。
でも大丈夫。
人間の自己治癒能力はそんなにやわなもんじゃない。
そんなこと言われたって、死ぬもんは死ぬ! ときみは言うだろう。
でもそのとき死ぬのは、きみの体じゃない。きみの小さなエゴが死ぬだけなんだ。
ちっぽけで曖昧で、暖かいけど弱々しい、きみが手放せないでいる可哀想なエゴを、今こそ成仏させてやればいいんだ。
そうすればきみの心は少しだけ身軽になって、呼吸もゆっくりと落ち着いてくれるさ。
そのとききみの左目も、静かに涙を流すだろう。
左目から流れる涙は、きみが背負い続けてきた哀しみを洗い流してくれるのさ。
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