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[0円小説] 帝都の双塔

奈良に友だちがいてさ、その人、墓地めぐりが趣味なんだよね。
顔本(ふぇいすぶっく)で知り合った人で、ちょうど同い年なんだ。会ったことは一度しかないんだけど。
グァムに旅行したときに戦跡めぐりをして、それがきっかけで日本に戻ってからも墓地めぐりをすることになったんだってさ。

ぼくもサイパンに行ったとき、自殺の崖(スイサイド・クリフ)に行ってね。そこは本当に垂直に崖が切り立ってるんだ。八十年前に米軍が攻めてきたときにさ、降伏すりゃよかったものを、日本政府が流したデマに騙されて、崖から飛び降りてみんな死んじまったっていうんだろ。まったくね、言葉もないよ。

  *  *  *

ジロウはそこまで書くと手を止め、ぴかぴかに白い、蚕棚のごとき船倉の寝床の中、ぼんやりと天井を見上げた。
雑然と荷物が散らばった寝床の上、荷物の間を縫うようにして、ジロウは横になっている。人声などは聞こえず静かなのだが、機関音がうぉーんうぉーんと低く響いていて、その振動も壁と寝床に伝わってくる。低気圧がやってきているもので海は少しばかり波立ち、船室はゆっくりとあちらに傾きこちらに傾きしている。
百と八日に渡る滞日の旅ももうじき終わる。あさってには福岡からハノイ経由でニューデリーだ。
昨夜零時前に横須賀を出た船は、今正午を迎えて、土佐の室戸岬沖を航行中だった。
岬の名を確かめにロビーのモニターを見に行ってから寝床に戻ると、機関音も振動も気にならないほどになっていた。少し船足を緩めたのだろうか。
ジロウは寝床の上に脚を組んで座った。蚕棚とはいえ、十分な高さがあり、頭がつかえることもなく、ゆったりと座れる。低い機関音のほかは、静まり返った船倉の寝床に座って軽く目を閉じると、寄せては返す揺れもゆっくりとしているからさほど気にもならず、意識はすぐに静まっていった。

  *  *  *

墓という言葉で思い出したんだけど、大学生のとき、友だちと車三台の大所帯で、フェリーに乗って北海道に行ったことがあったんだ。で、確か層雲峡だったと思うんだけど、川沿いの道を三十分か一時間くらい散歩してね。そこは柱状節理とか言うのかな、切り立った崖で、中には墓石みたいにぽーんと一本岩が立ってたりするんだよ。そのとき一緒に歩いてた友だちでアンドゥくんという奴がいて、そいつはいい奴なんだけど、ちょっといじめたくなるような奴だったもんで、「あ、あそこに立ってる岩はアンドゥの墓じゃないか」とか言ってからかっちゃってさ。彼はそんなふうにからかわれることには慣れてたから、別に何を言い返すわけでもなく流していたとは思うけど、今考えてみれば、悪いことをしたもんだよな。
元気に生きてる人間をとっ捕まえて「あれはお前の墓だ」なんて、冗談にもほどがあるよね。でも、若くてばかだったから、そんなことも分からなくってさ。本当にしょうもない話だな。

  *  *  *

寝床にいるのにも飽きて、ジロウは甲板に上がり、ハンモックを吊った。インドで買った小さなハンモックで、かなり手狭なのだが、とにかくそれでもハンモックだ。横たわって揺られながら上を見れば、青い空に白い雲が流れ、視線を水平方向にまて落とせば、紺碧の海に白波が立つ。さして珍しくもない、そんなありふれた光景を見ながら、ハンモックに揺られて無為の時を過ごすという他愛もないことが、ジロウには嬉しくて仕方がなかった。

大洋(わだつみ)に浮かぶ一万五千トンのフェリーは、乗客の目で見るとあまりにも巨大で、定速航行中のときは、海面を見ない限り動いているかどうかも分からない。
けれども蒼天のした大海原に浮かぶその鉄の固まりの、いかにちっぽけなことか。
その大きさと小ささの意味をジロウはしっかり噛み締めようとした。宇宙大にも広がりうる意識という不可思議な現象が、芥子粒同然のこの矮小な自分の体と重なって存在するのだ。体中のあらゆる細胞にまで沁み渡る意識の神秘が、ハンモックごとジロウを揺さぶるかのようだった。

午後三時、船は三本の煙突から半ば透き通った白い煙を勢いよく吹き上げながら、足摺岬の沖を滑らかに走っていった。

  *  *  *

同居していた父方の祖母は小学校二年のときに亡くなったし、祖父も五年のときに亡くなってね。だから、焼き場に行き、葬式があり、身近に死というものを体験してはいたんだよね。でもさ、同じ屋根の下で暮らしてたって、ほとんど言葉を交わす機会もなくて、ばあさんにもじいさんにも親しみを感じるような関係じゃなかったんだよ。死んじゃったからっていって、悲しみを感じたりとか、そういうのは全然なかったもんなあ。
そんなだったから、初めて死というものを意識したのは、中学生の頃、三つ歳上の兄の同級生が首都高でのバイク事故で亡くなったって聞いたときのことだったんだよ。
首都高を走ってて、速度の出しすぎで急カーブが曲がりきれなくてさ、側壁に接触して即死だったとか聞いたな。
自分と三つしか違わないまだ全然若い人が突然死んじゃったわけでしょ。なんかさ、言葉にはならないような寂しさを感じたような気がするよ。

で、大学に入ってさ、あれは何年のときのことだったかな。理学部の同級生が一人死んだんだ。電気を使っての自殺でね。北陸出身の、見るからに暗い奴で、そいつの顔はよく知ってたけど、ぼくはまったく社交的じゃないから、そいつとは一度も話したことがなくてさ。一人親しい友人がいて、大学に来ないそいつのことを心配して下宿を見にいって、彼が死んでるのを見つけたとかいう話で。
郷里からお父さんが一人やってきて、大学の近くの焼き場に同級のやつらが十数人は集まったかな。寂しいお葬式だったよ。
電気で死ぬとは理系らしい死に方だなって思ったのを、はっきり憶えてるね。そいつの縮れた長い髪と、無表情な暗い顔つきを思い出すと、哀しくて寂しくて、やり切れない想いになるよ。

  *  *  *

四国の南を回り込み、船は豊後水道に入った。海は静まって、もう白波は見えない。風は強いので、滑らかで少し大きい波のうねりの中に、小さなさざ波がたくさん立ち、美しい紋様を描き出している。
右手に伊予の佐田岬(さだみさき)半島が見えてきた。半島だと知っていなければ、大きな陸地が見えてきたなと思うかもしれないような、長さ五十キロ近くもある細長い半島である。
先日、松山に友を訪れたとき、佐田岬まで行きたいと思って鉄道に乗ったのだが、時間を読み損なって半島までも辿り着けず、つけ根の手前の港街、八幡浜までしか行けなかった。その佐田岬を経は海から臨むことになった。
細長い半島のつけ根から六キロほどのところには伊方原発がある。万が一事故があったら、原発より先の半島に住んでいる人はどうなるのか。考えただけでも恐ろしい現実を抱えながら、ジロウの母国は今日も何事もないかのように平和なときを過ごしている。

時刻は夕方六時に近づき、船の左手、九州方向の空は夕焼け色に染まり始めた。
ジロウは夕焼け空に向けてシャッターを切り続けた。空はほとんど雲に覆われているため、初めは水平線の辺りだけが、少しだけ赤みを帯びた黄色に染まった。その淡い夕焼け空の色が海にも写っている。夕焼け空の手前を船が時折り黒い影となって滑ってゆく。
水平線近くの雲の切れ間に、やがて夕日が姿を現した。橙色に輝く夕日がゆっくりと、しかし刻一刻と水平線に向かって近づいてゆく。海面に長く尾を写して輝く夕日は、ムンクの描く絵を思わせた。
そうして今日も日が沈む。日没は一つの死にも思えた。日暮れとは、毎日繰り返される荘厳な死出の儀式なのではないか。
しかし、暗くて長い夜の闇を通り抜ければ、日はまた昇る。復活のときが、確実に訪れるのだ。
ジロウは輪廻転生というものは信じない。けれども自分というものが生きた証はこの世界に刻まれ、その痕跡はわずかではあってもこれからの世の中に影響を与えるはずだと思っている。自分が今感じている世界に対する信頼が、そして期待や不安も一緒に、夜が明ければ復活するこの世界に一かけらの活力を与えることを信じているのだ。
船旅ももう終わりに近づいた。
あと三時間で船は新門司港に着く。そのあとは博多まで行って二泊。そしてハノイ経由でニューデリーだ。

  *  *  *

いろいろごちゃごちゃ書いたけどさ、人間なんて結局、なんだか知らないけど生まれてきちゃって、しばらくのあいだ地上で生きたかと思うと、いつの間にやらまた土に還るっていう、つまりはそれだけのことだと思うんだよね。
それでさ、景気がいいとか悪いとか言ってだよ、どっかから金が湯水のように流れこんでさ、ぼんぼんビルとか建っちゃったりするでしょ。でもって、世界中から人がわんさか押し寄せてきたりしてるのなんか見てるとね、どうにもヘンな気分になっちまうんだよなー。
まい、そういうのが好きな人は好きにやればいい話だし、こっちは少し距離を取らせてもらいますってだけのことだけどさ。
今回の日本滞在ではさ、渋谷とかちょこちょこ歩いてね。
昔の渋谷はよく知ってるんだよ。実家の最寄り駅は駒沢大学で、渋谷が一番近いターミナル駅なもんだから。
でさ、しばらく前に東急文化会館がなくなってヒカリエになって、今度は東急東横店も壊して新しいビルを建ててるでしょ。もう本当に知らない街になっちゃったよな。
ヒカリエも初めて中を歩いたけど、昔は地下鉄の銀座線がトンネルから出てきて地上を走るのが見えたもんだから、子ども心に (なんで地下鉄が地上を走ってるんだろ) とか思ったもんだけど、あの辺りの地上の裏道もまったくなくなっちゃって、ビルがどかんと建ってるんだから、驚きましたよ、ホントに。
それでね、そんなふうに立ち並ぶビルの群れを見てたら、これもみーんな墓標に違いないって気になってきてね。
てゆーのはさ、あの丹下健三さんが設計した新都庁が出来たときにだよ、こいつはとんでもない墓標をおっ建てたもんだなと、思ったわけでしてね。
あれって一九九○年の暮れには建ってるんだよね。まだ泡ぶく経済はなやかなりし頃だ。ゴシック風のけったいなデザインだけど、日本の戦後経済の没落に対する墓標だと思えば、結構はまってるって感じがするじゃないですか。
そうしてさ、その巨大な泡ぶくがはじけて、失われた何十年とか言ってだよ、その挙げ句にまたじゃぶじゃぶお金を刷って、はい、株高好景気でございって言うわけでしょ。
そんなんじゃ先行き見えてるんじゃないのって思うんだけど……、ねえ。
結局さ、79年前に戦争に負けて、民主国家に生まれ変わったはずが、じつはそれってほんの上っ面だけの擬態でしかなくて、やっぱり大ニッポン帝国が続いてるんじゃないのって気もしてくるじゃないですか。
ところであの墓標がさ、どうして双子の塔になってるのか分かる? うん、あれが二つ並んで建ってる理由をね、説明するためにはまずバリ島の神話の話をしないとな。
イスラム国家であるインドネシアの中で、バリ島だけはヒンドゥー信仰が残ってるんだけど、インドのヒンドゥーにはない、独特の神話があるんだよね。バロンダンスっていう仮面舞踏の神話劇になっててさ。善なる神を象徴する森の精霊バロンっていうのが、日本でいったら獅子舞みたいな獣の姿をしてるんだけど、これが悪なる神の象徴である魔女ランダをやっつけるっていうのが筋書きで。で、これが一度やっつけたら終わりかっていうと、そうじゃなくて、何度やられても甦ってくるんだよ。で、ときには善なるバロンがやられちゃったりもする。でもやっばりやられても甦ることができるわけ。だから善と悪との戦いは永遠に繰り返されることになるんだ。
そうそう、そういうわけでね、墓標は二本いるわけだよ。善なる精霊のための墓標と、悪なる精霊のための墓標とね。両方をきちんと弔ってやらないといかんでしょ。
つまりさ、大ニッポン帝国の帝都トーキアウではさ、善神も悪神もみんな死んじまったんだ。そのために丹下さんが双子の塔を立ててくれたんだから、全くありがたい話じゃない。

  *  *  *

福岡からハノイまで四時間、ハノイ空港で七時間待ち、そしてハノイからニューデリーまで四時間。ようやくニューデリーに着くと、ジロウは夜半の空港でインドのSIMを一枚買い、ニューデリー駅へと向かった。うろうろしているうちに時計は深夜零時を回った。翌朝の列車でハリドワルへ行きたかったのだが満席でかなわなかった。駅で仮眠を取り、事前払いの三輪タクシー (プリペイド・オート) に乗ってカシミリ・ゲートのバススタンドまで行く。
六時発のおんぼろバスでカシミリ・ゲートを出てしばらく行くと、白く霞む東の空に、橙色に明るく輝く太陽が昇ってきた。日本で過ごした三ヶ月強の時間が過去のものとなって、新しい日々が始まることをジロウは意識した。
妻のムーコをどうしても重荷のように思ってしまっていた、昨日までの自分を成仏させようと、ジロウはあの双子の塔を思い浮かべた。
ぼろバスのエンジンは轟音を立てて唸り、車体はがたんごととんと衝撃音を立てて車体を軋ませながら、ムーコの待つハリドワルへ向かって猛スピードで疾走した。東の空はまたたく間に昼の明るさとなり、太陽は黄色へ、そして白へと色を変えた。
自分の未来が、まだ何も描かれていない白いキャンバスそのものであることに気づいて、ジロウの心は思わず震えた。
[2024.10.3(木) ハリドワル]

☆表紙画像は豊後水道より九州方面を臨んでの日没

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