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[全文無料] 捨てる神あれば - 小さなお話・第n回
一、行き違いと掛け違い
人とのつき合いの中では様々な行き違いが起こり、あれやこれやとボタンの掛け違いも生じる。今回のいさかいについて言えば、ぼくが無精なのがいけないのかもしれない。武将でないのは幸いだけど。
とはいえ、ぼくの無精性というか「やりたくないことは少しでも先伸ばし」と無意識のうちにしてしまうような行動規範は、短くもない人生の中でしっかりと心に染みついてしまったものなのだから、そう簡単に変えられるものではない。
その上、それを変える必要をさして感じてもいないのだから、なんと言いましょうか。
つまり、その変える必要を感じていないというぼくの暗黙の主張がおそらく、妻の感情をちくり、ちくりと刺激することになるのでしょう。
そこまで文章を進めてジロウは一旦意識を外に向けた。
首都ニューデリーからおよそ北方に200キロほど離れて、ウタラカンド州の聖地ハリドワルは、母なる川ガンガーがヒマヤラの山中から降りてきて程ない場所に位置するヒンドゥー教の一大聖地だ。
ビッグ・ガンガーと呼ばれる自然河川から枝分かれしてほぼ真っすぐに2キロ弱、イギリス統治時代に作られた運河の両岸が階段状の沐浴場となり、その中でも一番の聖地ハルキポウリはヴィシュヌ神が降り立って足跡を残した地という触れ込みで、1年365日人が絶えることがない。
今は1月、1年の中でも一番寒い時期で、今日は陽射しも弱く、午後2時を回った時間ともなると、さすがに沐浴している人の姿はほとんど見当たらない。
昼飯のあとで、妻との小さな行き違いから腹を立ててヒンドゥー寺の巡礼宿の一室を出たジロウは、土産物屋を見るともなく眺めながらしばらく歩くと、人通りの少なめなハルキポウリの対岸の渡って、ブルーシートを屋根に張った屋台に腰を落ち着けたのだった。
手持ちぶさたで携帯を取り出したが、感情が沸騰した状態で部屋を飛び出してきたもので、インドのSIMが入っている携帯は置き忘れてきてしまった。
持ってきた携帯ではネットに接続できないので、メモリに入れてあるヴォネガットの名作 "The Sirens of Titan" を読み始めた。
二、カート・ヴォネガット「タイタンの妖女」
日本語版では「タイタンの妖女」という題名になっているこのSF小説は、自家用宇宙船で航行中、〈特異点〉にはまり込んだために神のごとき存在になってしまったラムフォードなる人物が、北アメリカ一番の金持ちコンスタントを、最終的には土星の衛星タイタンに至る奇怪な試練の旅路に送り出すという筋立てになっている。
コンスタントが地球を離れて火星に行き、水星に行き、一度は地球に戻って、ついにタイタンに行き着くまでの旅の様子は滑稽でもあり、不条理でもあり、無意味であるがゆえに、人生の意味を考えさせる。
普通ブラックユーモアとして紹介されるヴォネガットの作風だが、幻想的な滑稽譚の枠組みを持つにも関わらず、ちっとも笑えないのはなぜだろうと、ジロウは思った。自分の笑いの感覚が多数派の持つものとは違うからなのではあろうが、それがどういう意味で違うのかははっきりしなかった。〈宇宙意志〉のなすがままに旅を続けるしかない、コンスタントの運命が自分の人生とあまりに似ているので、それを対象化して笑うことが難しいのかもしれないとは思ったのだが。
三、拾う神あり
"The Sirens of Titan" の冒頭、擬似的な神であるラムフォードが、北米一の大金持ちであるコンスタントに、君はどうしてそんなに幸運なんだと思う? と問う場面がある。それに対してコンスタントはこう答える。
「天の誰かさんが、ぼくのことを気に入ってくれてるんじゃないかな」
このセリフを読んでジロウは、頭の中のもやもやを言葉として表したくなり、チャイを飲みながら文章を綴り始めたのだ。
そうしてジロウは続きを書いた。
いい歳をした大人の女と男が、相手の言葉遣いの細部に引っかかって感情をこじらせ、互いに相手を傷つけるような言葉を投げつけ合って無駄なエネルギーを消耗する。
もちろん「いい大人」なんて観念が幻想にすぎないのです。
ぼくらは3歳児が大人の皮をかぶっただけの幼児人間にすぎないし、もっと言えば妖怪がヒトの皮をかぶっただけの化け物にすぎない。
と、そうやって現実を、真正面から見たつもりになったところで、つまらないいざこざに打ちのめされた軟弱な心が癒やされるわけでもなくて、うだうだした気分で鬱々と歩いた果てに、気を紛らわすためにページをめくった小説に、いいセリフがあったわけです。
「天の誰かさんが、自分のことを気に入ってくれている」
まあ、ぼくの場合は、大いに気に入ってもらっているとまではいかないけれども、少なくても見捨てられてはいない。
あるいは過去には、ぽいっと捨てられてしまったような気もしないではないけれど、別の神さまだか仏さまだかが拾ってくれたようでもある。
人づき合いの苦手な男が一人、日々の俗世のつまづきで気分を腐らせて、また逆に人の気分を腐らせもして、人間が社会的生物である以上、互いに迷惑をかけ合って、たとえ迷惑だったとしてもそれを許して助け合うことによって、何とか浮き世を渡っていくために、聖なるガンガーの流れに何もかも流すことにして、たとえそれがご都合主義だと人に指弾されようがなんのその、一人よがりの悟りを決めて生きていけばよいのです、迷惑をかけすぎないように、そこのところはきちんと、自分なりに注意をしながら……。
四、長い呼吸とぶらぶら歩き
そこまで書くと、ジロウの気持ちはずいぶんと落ち着きを取り戻した。
4時を過ぎ、陽射しが弱まって、少し肌寒くなってきた。妻はそろそろ夕方の寺の手伝いに出かける頃合いだ。もう少し川べりをぶらついてから部屋に戻って、一人の時間を味わわせてもらおう。
チャイ代20ルピー、邦貨にして30円ほどの小銭をチャイ屋の親父に渡すと、ジロウはインドの巡礼客に混じって、ゆっくりと長い呼吸を意識しながら、ぶらぶらと歩き始めた。
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