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意識の拡張の仕方教えます、あるいは、サイバネの最果て超えてサイケかな

““
人間を機械化することが、ヒトの進化の究極の目的であり、無機物から生まれたヒトという名の有機物は、進化して再び無機物へと戻ってゆく。

そのために工学技術は生まれたのであり、現に今、足も腕も機械化されて人体の拡張がなされつつある。

自動車をそうした拡張の一つと考えることもできる。

そして最後に待つのは脳髄の無機化であり、意識のダウンロードが可能になれば、ヒトは生老病死から解放されることになる。

個人の意識は情報を束ねたものでしかなくなり、その離散集合もまったく容易なものとなる。

そうした未来が到来したとき、個人の概念はどのように変容するのだろうか。
””

フェイスブックの物書き友だちが、そんなsf的空想を書いていた。

コピー可能な「意識」の実現はぼくにはほとんど不可能に思えるが、十分に有機的なインターフェイスの技術が発達して、脳の学習を「傍受」するような周辺機器を開発することかできれば、大人の人間が外国語を学習して、その学習を機械にリアルタイムに傍受させ、その学習結果をaiにコピーするようなことはひょっとして可能かもしれない。

現在おこなわれている、職人技を数値化してロボットに移植する流れの延長線上で、そうした形での人間の技能のai化がもし可能になったら、それこそ一大技術革命になりそうだが、脳と周辺機器をつなぐ有機的なインターフェイス技術の実用化は、果たしていつ頃可能になるのだろうか。

  *  *  *

……というような未来的空想を楽しむのも、よい頭の体操にはなりますが、冒頭の物書き友だちの文章を読んでぼくの心をぐっと刺激したのは、体の延長としての自動車の話でした。

ぼくは二十歳になる年に自宅から通える二子玉川の教習所に通って自動車免許を取りましたが、そのとき路上教習をしていて、こんなことがあったのをよく覚えています。

それは、片道二車線の大通りを順調に通っていたときのことで、制限速度の40キロを保って走るように、一定の力でアクセルを踏み込んでいたわけです。

ところが体感から速度が微妙に落ちているのを感じ、速度計を確認するとやっぱり速度が落ちてきているんですね。

それで少しアクセルを踏み込んでスピードを40キロに戻すわけですが、何で速度が落ちたんだろうと思ったら、道が微妙に登り坂になっていることに気がつきました。

人が運転する車に乗っていたら気づかなかったろうし、道を歩いていても、そういうことに鈍いぼくは気づかない程度の登り坂だったように思います。

自動車を運転すれば、生身の足では到底実現不可能なスピードで行き来ができるわけですし、とても一人では運べない重さの荷物も運べます。

そしてその運転のためには、前後4メートル内外、幅は1.5メートルほど、そして1トンもの重さのある鉄の塊を動かさなければならないのですから、当然「車の大きさにまで延長された身体感覚」を持つ必要があるのですが、そういう当たり前の部分だけでなく、道の登り坂の加減というようなものも含め、実に車という機械にまつわる様々な特性を、自分の身体感覚に落とし込まないことには、運転できるようにならないわけです。

教習所で練習しているときには、そんなことを考えている暇はほとんどなくて、とにかく実際に車を動かしてみて、試行錯誤の中で学習していくしかないのですが、車を運転することによって、何を知覚するかというようなことも変わってくるのだなあと、後から考えればこれも当たり前の話には違いありませんが、小さな気づきを得た瞬間の思い出なのでした。

  *  *  *

ところで ai = artificial intelligence という言葉ですが、人工知能と訳されますよね。

で、人工ダイヤと言えば、大きさは小さくても本物のダイヤじゃないですか。

ガラス細工の模造ダイヤではないから、この世で一番硬い物質として、工業用にちゃんと役立つわけで。

でも人工知能は、本物の人間の知能とは全然違います。

人間の知能にどうやらうまいこと似せて、学習ができるようになってはいますし、人間には処理できないような膨大な量のデータを処理できますから、確かに役には立ちます。

でも ai が出した答えがどういう意味で正しいのかは、人間自身がきちんと検証しなければなりません。

これって、人工ダイヤでカットしたガラスが、ちゃんとは切れないでいることがあるから、そういう場合はあとから天然のダイヤで切り直す、みたいな話ですよね。

というわけで、人工知能はどうも知能の名に値しないので、模造知能とか、せいぜい疑似知能とか呼ぶくらいが妥当だよな、と思ったのでした。

  *  *  *

はたちの頃に自動車を運転するようになって、自分の中に湧き上がる情動の強烈さに驚いたことがあります。

ちょっと違法な運転行為の話で恐縮ですが、高速などでとんでもない速度を出して、ぐいぐい走ったりすると、その昂揚感というのがものすごいものに感じられたんですよ。
(大昔の時効の話なのでご勘弁を……)

で、自分のそれまでの経験でそれに似たものといったら、とてもおもしろい本を読んだときの知的興奮くらいしかありませんでしたので、こんなふうに思ったのです。

「今まではそういう知的興奮を経験をするのが楽しくて、沢山の本を読んできたっていうのに、車の運転でそれに似た経験ができるんじゃ、もう本なんか読まなくてもいいってこと?」

もちろん、話はそれほど単純ではありません。

というのは、初めて運転したときには時速60キロの速さでも「速いなー」と思うわけですが、それに慣れてしまえば80キロ、それにも慣れれば100キロと、更に速く走っていかなければ、同じ爽快感は味わえません。

それに「似たような快感」でとはいっても、車の運転と読書の経験では、まったくといっていいくらい異質の経験ですもんね。その異質の経験の中に似た種類の昂揚感を感じたからこそ、「読書はもういらない?」という一見間違った疑問が生まれたわけではありますが……。

結論めいたことを書けば、似てはいるけれども別の種類の精神的満足を得たことで、それまでよりも経験の幅が拡がり、車の運転という身体感覚の新しい延長が、ぼくにとっては新しい世界に目を開くきっかけになったのだとでも言えましょうか。

  *  *  *

さて、近視になれば眼鏡をかけ、あるいはコンタクトレンズを入れる。これも人体の機械化の第一歩でしょう。

また、言葉を使い、書物を読む。これも動物のあり方からすれば、意識の拡張であり、仮想現実の構築への大きな一歩に違いありません。

10年前にはまだまだ一般的とは言えなかったスマートフォンが、今では世界中で持ってて当たり前の世の中になり、テキスト、画像、音声の情報の洪水の中で生活するのがまったくの日常風景となりました。

そうした極めて高度に工業化、機械化、情報化された世界の中で、生きている人間の方は果たしてどれほど変わったのでしょうか。

新しい環境に適応し、新しい能力を当然のものとして使いこなしているのは確かにその通りです。

けれども、幸せを望みながらも、日々つまづきくじけ、愛を求めているはずなのに、つまらぬいさかいで消耗の時間を送る、といった点においては、百年前、千年前の人間と比べても特に変わったところはないようにも思えます。

それでいいじゃないか、と言えばまったくその通りですし、それでいいのだ、と言える人は確かにそれでいいのでしょう。

また、人々の幸せのために、世界の平和のためにも、人間が技術に支配されるのではなく、人間が技術を使いこなす方向に社会を変えていかなければ、というような考え方も、それはそれでもっともなものです。

そういう、人それぞれの考えや立場を認めた上で、日々変化してゆく不安定な社会の中で自分を守り、「苦痛」を和らげるために今ぼくが練習していることはと言えば、ある種のサイケデリックな実験ということになるのかもしれません。

以前は、意識の変容を誘うきのこの力に大きな魅力を感じたこともありました。

それは意識を拡張するための有効な道具になりうるものなのですが、安易な使い方をすれば大きな危険もともないます。

今は親に与えられたこの体だけを頼りに、どれだけ精神(サイケ)を顕現(デリック)することができるのかを、日々気のむく限り適当に、その日その日の気分次第でやっておりますが、ヨガもどきフェルデンクライスもどきで体を調整するとともに、文章を読んだり書いたりすることが、自分の精神のあり様(よう)を探求していくのに、割合有効なのだなあなどと思うようになってきました。

瞑想の練習を通して、想念の動的なネットワークが練られてゆくとき、文章を媒体とした入力や出力が、意識の変容につながることを実感するようになってきたのです。

これにもやはり危険はあって、芥川、太宰、三島のような例を見れば、言葉の入出力の鍛錬による自我意識の再構築の挙げ句の果てに、自ら死を選ぶ以外ない袋小路に落ち入ってしまうこともありえます。

ですから、こうした精神の実験をせざるを得ないたぐいの人間は、イスラム教、キリスト教、仏教などの、先人の知恵をしっかりと頼りにし、自我は解体しても、自己までも破壊はしないように大いに注意を払う必要があるのです。

  *  *  *

さきほど「苦痛」を和らげると書きましたが、ぼくが感じている苦痛などというものは、およそたかが知れていて、死ぬほどの病を患っているわけではなし、不眠に苦しむわけでもなし、自殺を考えたことがまったくないわけでもありませんが、始終死を考えるほど生きているのがいやになったことがあるわけでもありません。

言葉で表現してみれば「生きてるのが面倒くさい」くらいに収まる控えめな苦痛にすぎません。

とはいえ、多数派のみなさんのように、日常というものを当然視して、それを日々普通にこなしていくためには、日常的な場面での緊張度が高すぎるため、いわゆる「普通の暮らし」ができなかったからこそ、五十を過ぎて、金銭的に十分な支えも持たぬままに、こうしてインドの片隅でパンデミックの時代を過ごしているわけでありますから、初期仏教の考えに模して「苦しみを離れた人生」を目指すのだと格好こそつけておりますが、さてその内実となりますと、はてこれはどうゆうものやら、と疑問を持たざるを得ないようなあんぽんたんでいい加減な人生を送っている次第なのです。

そうはいっても、最近気に入って青空文庫で読んでいる辻潤という昔の物書きの考え方からしますと、世間からすれば役立たずな存在であっても、生きておっていいのだと、そういう心強い応援を送ってくれる人もあるものですから、あほうな自分をあほうなままに許してやろうじゃないかと、そういう気分にもなってきます。

辻潤という人は物書きとして最低限身を立てることはできたものの、その晩年は10年ほどの放浪生活のあげく独居老人となって、1944年11月24日、敗戦を待つことなく東京新宿の上落合のアパートで餓死したのだといいます。

ぼくは餓死ができるほどには世間を超えておりませんので、辻潤並みの最期は迎えようもありませんから、そうなってしまうのではないかと、心配をしていただくには及びませんが、「生きてるのが面倒くさい」という点においては辻潤氏の人生観に大いに共鳴するところでありますし、こうした先達の人生を参考にさせてもらいながら、かつて高度経済成長を象徴するオリンピックがあった年に、東京でプチブル的サラリーマン建築屋の次男に生まれた自分の僥倖を噛みしめながら、腐っても福祉国家の法律的枠組みだけは未だに維持している落陽国家ニッポンに、いずれは戻ってどうにかこうにか、楽しく天寿を全うしたいものだと、好き勝手な虹色の希望をいだいているのであります。

そのためにも、こうしてとにかく皆さまの暇つぶしとなり、そしてまたあわよくば「あ、こんなあほなやつでも生きてられるんだな」と善女善男の読者であられますあなた様の心のうちに、少しばかりでも生きる勇気が湧いてきますよう、このように泉のごとく湧き出る駄文を皆さまにお届けすることで、お手伝いできましたら、これに勝る幸いはございません。

そして、もしもひょっとして万が一あなた様の気が向きまして、ちゃりーんと投げ銭など投げていただけましたならば、涙ちょちょ切れて滂沱の幸せなのでこざいます。

その皆さまの、海よりも深く藍よりも蒼い慈悲のお心が、この世界に安らぎと平穏の波長を浄らかにも生み出しまして、世界平和と人類の節度ある精神的繁栄に貢献することになりますのは、わたくし如きがあれこれ申すまでもないことで御座候(ござそうろう)、よーそろー、取り舵いっぱいにして、出発進行、微速前進というわけでもありまししょう。

てなところで、お後もよろしいようで。それではみなさん、ラムラムジーっ♬

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