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[00円] そしてマインドフルネスとヴィパッサナー瞑想 - めいそう三昧 #3
初回は、ぼくが若い頃から心理学に興味を持っていたことと、幻覚性きのこのワークショップにボランティアのヘルパーとして参加した話を書きました。
https://note.com/tosibuu/n/n0a2e199e1bf6
そして二回目はきのこの影の側面に触れました。
https://note.com/tosibuu/n/n59e8fcec5a09
今回はマインドフルネスとヴィパッサナー瞑想の話です。
5. マインドフルネスって何?
まず簡単にマインドフルネスとは何かを説明しましょう。
日本語にすると「気づき」ということになりますが、もともと初期仏教の瞑想法からきた言葉で、
1) 今この瞬間に起こっていることに気づき続ける、
2) その際、判断を加えない、
という二つの意味合いを持ちます。
現代社会でこのことの重要性が見直されているのは、過度のストレスにさらされる社会生活の中で、過去の記憶にとらわれ、明日の心配で夜も眠れない、といった精神衛生上の問題にもよりますし、あるいは上手にストレスをコントロールすることで、学習や生産の効率を上げるといった実利的側面にもよります。
マインドフルネスの一つ目の特質は、「今この瞬間に気づく」ことですが、これによって「過去にとらわれ、未来をおそれる」といった余計な思考に振り回されることがなくなります。
そして二つ目の特質「判断を加えない」ということは、余計な思考に振り回されないための重要な補助輪となります。
マインドフルネスを実際に練習するときは、例えば呼吸に意識を向けます。
けれども初めて練習するときは、一分間呼吸に意識を向け続けるのは難しいはずです。
少しの時間が経つと、「こんなことをして何になるんだろう」とか「喉が乾いたな」とか「鼻の頭がかゆいな」とか、何らかの思考が浮かんでくるわけです。
そのとき、「まずい、雑念が湧いてきた!」と思う必要はない、というのが「判断を加えない」ということの意味です。
初めのうちは反射的に「まずい、雑念だ!」と思ってしまうでしょうが、そう思っていることに気がついたら、「そんなふうに思わないでいいんだな、思考が湧いてくるのは自然なことなんだから」と確認して、呼吸に意識を向け直します。
そうして淡々と、呼吸を意識し、思考が浮かんでいるのに気がついたら、また呼吸に意識を戻し、と繰り返していくことを、初めのうちは五分でも十分でも、慣れてきたら三十分から一時間くらいを、理想としては毎日がいいのですが、一日置きでも、週に数回でも、あるいは毎週一回くらいでも、続けていくことが習慣になると、あなたの生活は確実に変化していくことになるでしょう。
6. マインドフルネスとヴィパッサナー瞑想
マインドフルネスはもともと仏教からきた言葉だと書きましたが、今では心理学やビジネスの世界で普通に使われる言葉になっています。
もともとの初期仏教ではマインドフルネスに基づいた瞑想法としてヴィパッサナー瞑想と呼ばれる修行法があります。
ヴィパッサナー瞑想は英語ではインサイト・メディテーションと呼ばれ、直感瞑想と訳されますが、日本語では「気づきの瞑想」といったほうがイメージがしやすいでしょう。
ヴィパッサナー瞑想では、今この瞬間に気づき続けることによって、最終的にはこの世界についての「直感的理解」を得ることを目指すのですが、実際の練習内容としては
「とにかく今起こっていることに気づき続けること」
が中心になるからです。
意識を向ける対象は、呼吸だけでなく、体の動きや感覚であったり、呼吸についても鼻の穴を通る空気であったり、呼吸にともなう胸やお腹の膨らみとしぼみであったりと様々です。
この記事ではぼくが練習しているゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想について書くことにします。これは基本的に、呼吸と体の感覚だけを観察する単純明快な瞑想法です。
7. 地獄の十日間、瞑想集中コース
ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想センターでは、基本のコースが中十日、前後一日ずつを加えて、全部で11泊12日の泊まり込みの集中コースになります。
朝は四時半から夜の九時まで、必要な休憩時間は取られているものの、一日中ほぼ座りっぱなしと言っていい、かなりのハードなコースです。
ぼくがこのコースを初めて受けたのはもう十年近く前になりますが、十分な心の準備ができないままに勢いだけで受けてしまった感があり、そのときは地獄の十日間でした。
コースはきちんと説明を受けながら、初めの三日は呼吸を意識することで心の落ち着きを培っていき、四日目からは体の感覚を観察することでさらに深い気づきを養っていく、という具合に少しずつ順番に瞑想を深めていくようになっています。
けれども、ぼくのように体の感覚が鈍く、慣れない座りからくる体の痛さや不快感はあっても、指導されるようには体の表面を中心に起こっているはずの様々な感覚を意識できない人間には、
「ただただ苦痛と眠気に耐えて座り続けるだけ」
の苦行が、いつ終わるともなく果てしなく繰り広げられるだけなのでした。
一日目で「これホントに十日もやるの?」と思い、二日目も三日目も同じ思いが続き、四日、五日と経ってようやく最後までいけるかもとは思ったものの、「これでまだ半分?嘘でしょ!?」という状態で、まあ、終わってしまえば「得がたい経験ができたな」と思いましたし、それまで真似ごとでやっていた、せいぜい一時間程度の瞑想とは違う深みも体験はできたのですが、「これをもう一度受けますか?」と聞かれたら、「いや、遠慮しときます」と答えるというのが、そのときの正直な感想だったのです。
それがどうして深入りして、十日間のコースを六回、同じコースをボランティアのお手伝いとして七回、さらには長い二十日のコースも二回と、初級者の段階から中級者といってもいい段階にまで進むことになったのかは、うまく説明することができるか分かりませんが、次回に書いてみることにいたしましょう。
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