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個と場の怪蔵度についての楕面瀰的香察
何かが生まれようとしていた。
というのも君は創造の瞬間を目撃していたのだ。
創世紀などとうの昔に終わったものだと思っていたのだから、自分の目の前で創造の奇跡が起こるなど全くの想定外、しかしそれは君の無意味かつ自堕落な人生をまさにいい意味で裏切ってくれたとしか言いようがない。
不完全で取り止めもなく、緩やかに続く絶望の日々に裏切られることの、何という爽快。
生まれ出づるものを言葉で表すことの限界がそこに歴然と立ちはだかるにしても。
所詮現象は体験抜きには語れないものなのだから、怪を蔵する度外れた創造の瞬間というものが、個と場の関係において生じる描写不可能な相互作用であることを踏まえれば、そうです、確かにあのとき、一本の何の変哲もないプラスチック製のボールペンが、ぼくの左手の指先で無重力の舞踏を舞い踊り、窓越しの白い昼間の光線に照らされて万華の曼陀羅を宿す破壊神へと变化して、安普請の木造集合住宅の一室で、世界の誕生を祝福していたことを確かに一つの純粋意識が目撃したのです。
深遠な真円からは程遠い、楕円の駄球を唾棄すべく、双極堕面の崖っぷち、神々気取りの痴れ者(ジャンキー)が、たらりと流す冷や汗の、四六のガマこそ幻影を、この世に映す銀幕と活動写真の静寂に祈りを捧げる日々なのです。
ああ、そうして瀰漫が続きます。もう行き先も帰り道も忘れて、ただ今ここの無間地獄に捕われて、束の間の夢を、しばしの忘却を感覚することだけが、拡がってはしぼみ、入り組んでは退化し、顕れては消える神の恩寵でしかないのですから、全身の炎症を対岸の延焼とばかりに傍観を決め込むことで、世界に茫洋たる平穏の遍在することを、流転する叫びの残響として拍子に刻み、ええ、まあ、そんなところでいいじゃないですか。
確かに何かが生まれようとしてたんですから。
[2022-08-16、西インド・プシュカル]
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