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[全文無料] 最低人のダメ男、認識の不完全性を絶対的に肯定する

お釈迦さまは
「この世のすべては苦の種である」
と言い、
「苦の種を手放せば安らぎが得られる」
と説きました。

一理あります。

ここで
「なぜすべては苦の種になってしまうのか」
を考えると、
「人間の認識が不完全だから」
と言うことができます。

……というような説明的文章を書き始めてしまったのだが、面倒になったので以下略。

そこで
「なぜこんなことが起こるのか」
と考えると
「人間の認識が不完全だから」
と言うことができます。

つまり僕は、こんな事が書きたいなと思って書き出すのですが、いざ書き出すと、何故か当初の思いとは相当違う文章を書いてしまう。 そしてしばらく書き進めると、「もうこれはいいや」と投げ出してしまうというわけです。

自分に何が書けるか分かっていない。自己認識が不完全すぎる。とまあそんなようなことです。

今この身に起こっていることさえろくにきちんと認識できない。 過去に起こったことは、おぼろげな記憶の彼方。まして未来の話となれば、明日のことだって何がどうなることやら、わかったもんじゃない。

このように人間の認識というものは不完全なものなのです。

そうして現状認識の甘さから、何だかんだ上手くいかないことがあると、「自分というのはダメな奴だなー」と思って大いに嫌な気分になり、人生自体が「どうでもいいや」と言う想いも湧いてくる。

そういう投げやりな姿勢が悪循環を呼ぶわけですから、それを乗り越えるためにはどうしたらいいのか、そこのところが問題になってくるわけです。

すると結論として、そうした自分の不完全さを「絶対的に肯定してやればいい」という話になるわけです。

才能があって、仕事ができて、お金を稼いでる、あの人が羨ましいわけじゃない。
(もう少しネットで金が稼げないかしら、などというあんぽんたんな煩悩は残ってるけど)

何気ない小さな幸せに充足して日々を送れる、かの人のようになりたいというわけでもない。
(もう少しマトモな人間になって、奥さんに呆れられたりしないようにできたらなどという殊勝な気持ちならば、けし粒くらいは持ち合わせているはずだけど)

そのように最低人でありダメ男である私が、常時低空飛行の人生の中で、晴れやかな空を微かにでも見出すためには、世界はこんなあんぽんたんの存在をも許しているのだという現実を直視し、その母なる地球の寛大さを我が物とするべく、この不完全な自我(エゴ)を、無条件の愛を持って絶対的に肯定するという荒業(あらわざ)が必要になるのです。

というわけで、はなはだ話が分かりにくくて申し訳ございません。

簡単に言ってしまえば、あなたがどんなに自分のことをダメな人間だと思っていようと、自分には生きる資格がないと思っていたとしても、それでもあなたは生きていていいのです。

親鸞は悪人正機を説きました。 悪いことをした人でも、悔い改めることができれば救われるのです。

人間失格でもいい。たくましく育ってほしい。

太宰治のように死に急ぐ必要はありません。

何度も同じ過ちを繰り返し、人を傷つけ傷つけられて、出会いと別れを繰り返し、それでもどっこい生きている。

人間って本当に素晴らしいものですねぇ。

一体僕は、この文章を真面目な気持ちで書いているのか、それとも人をおちょくるために書いているのか、だんだんわけがわからなくなってきました。

けれども、それこそがダダの目指したものであり、超現実的表現であり、未来派の到達点に違いありません。

「サピエンス全史」を書いたハラリも言う通り、この世界には誰もが納得するような意味もなければ価値もないのです。

にもかかわらず私たちはあまりにも安易に共同幻想を丸呑みしてしまいます。

そうです、認識の不完全性になど、これっぽっちも思いを巡らすことをしないまま(あるいは思ったにしても、あっという間に忘れ去って)、人生のほほんと生きるのです。

ああ、認識の不完全さよ、お前こそがこの世に、苦しみをもたらすのだ。お前の本性を知ったからには、おれはこの不完全さを研ぎ澄まし、認識の無限点へと飛翔を続けよう。

ヒトという卑小な存在が、刹那の人生のうちにどこまで、時空の特異点に迫ることができるのか、それは誰にも判らぬ。判らぬながらにおれは、ただ夢を見続けるのだ。

この世では絶対的肯定など不可能と知りつつも、夢幻の世界ではすべては可能なのだと嘘ぶいて、この身に宿る愚かさの中にこそ、賢者の石を探すのだ。

というようなわけで自動筆記的に口述筆記も援用して出鱈目を書いてまいりましたが、四百字詰め原稿用紙に5枚ほども書いてしまいましたので、この辺でそろそろ切り上げることにいたしましょう。

本日も、無意識より湧き出づる無意味性言語表現のオンパレードに最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

それでは皆さん、ナマステジーっ♬

#自由落下の言葉ども

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