05 これも迷子かもしれない、三つの話 [投げ銭歓迎]
みなさんは迷子になったことってありますか?
ほくは子どもの頃、一度だけ迷子になったことがあります。
あれは確か小学2年のとき、3つ年上の兄貴とその友だち何人かのあとを自転車でついていったことがあります。
で、知らない場所まで行って、小学5年と2年では、体の大きさも体力も違いますから、足手まといになって、そこから一人で帰るように言われちゃったんですよね。
兄貴は「ここを真っ直ぐ行って大きな交差点に出たら、そこを左に曲がれば、家のほうに行くから」と、ちゃんと間違いのない説明はしてくれたんだけど、行っても行っても知ったところに出ないので、心細くなって泣きながら道ばたに立ちすくんでいたんです。
そうしたら親切なお姉さんが、「どうしたの」と声をかけてくれたので、ぼくは兄貴に言われたことを繰り返して言いました。
すると「この道をもう少し行けばその交差点だから、そこまで一緒に行きましょう」と言ってくれて、ぼくは泣きべそをかきながら自転車を引いて、そのお姉さんと交差点まで歩いたのでした。
あとで確かめてみると、兄が説明した道に間違いはなかったのですが、分かりやすくはあるものの遥かに遠回りで、「まだ小さい弟に教える道かよ!」という気もしないではありません。
でも兄貴も小学5年生、弟の能力や気持ちを十分汲めなくても、まあ仕方がないですよね。
今思い出しても、親切なお姉さんに巡り合って本当によかったなと思うし、同時にそのときの心細さが体の中に蘇ってきて、「ああ、おれは人生の真っ只中で今も道に迷い続けているんだなあ」と、そんな自分を愛おしく感じるとともに、また哀れにも感じるのでありました。
* * *
次の話は、小学3-4年のときだったと思いますが、父と多摩川まで自転車で行ったことがあります。
ぼくの実家は東京の世田谷で、駒沢公園から歩いて10分くらいのところなのですが、多摩川までは4キロほどの距離です。
車通りの少ない1本道をずーっと自転車で走っていくのですが、父は加減をせずに自分のスピードで行くので、ぼくは置いていかれたら大変と思い、懸命に自転車を漕ぐのです。
それでも段々距離が離れていって、絶望的な気持ちになりながらも、何とか置いてけぼりにならないように、必死でペダルを踏み続けます。けれども、父の姿は小さくなってゆくばかり……。
これを書いているだけで、絶望的なまでの不安が体中を駆け巡ります。
やがて父は多摩川の川べりに着いて、道ばたで止まって一休みしていますから、ようやく追いついてぼくはひと息つきます。
父とはぐれる不安を口に出すと、「一本道を真っ直ぐ行くだけなんだから、別にどうってことないだろう」と言って、こちらの不安などお構いなしです。
父や兄だけでなく、母も似たような感じの持ち主で、ぼくは自分が感じている気持ちに共感してもらった記憶というのがないもので、「これじゃ心の発達に独特の歪みができるのも当然だよな」と、こんな文章を書いて人生を振り返にながら思うのでした。
* * *
最後は40になる年に奥さんと2人日本を離れて、1年間アジアを回遊していたときの話です。
ある日ネパールのタンセンという小さな街に、おんぽろバスに揺られて着いて、夕食を済ませたあとで、薄暗い安宿の部屋で一服して、床についたのでした。
何を一服したかというと、タンセンに来る前に、ポカラという街でトレッキングをしたときに、山を降りる途中の茶屋で聖なるハーブを分けていただいてたんですね。
(なぜだか無料でくださったんです)
ええ、大麻とかマリファナとか、カンナビスとかいうやつのことなんですけど。
こういう話をすると、日本のみなさんの多くは、「法律で規制されてるやばいドラッグの話だな」と思うかもしれませんが、カンナビス・サティバという学名を持つ薬草を危険なドラッグだと思うのは、ムスリムの人がアルコールのことを危険なドラッグだと思うのと似てるんですよね。
アルコールははっきり言って危険なドラッグです。依存症になりやすいし、急性中毒で亡くなる方もいますし。
そしてカンナビスも、アルコールよりは危険性は低いと国際的に評価されてはいますが、カンナビス特有の危険性はありますので注意は必要です。
例えばどんな危険性があるかというと、その人の限度を越えて服用すると、論理的な思考の枠組みが大幅に外れたりしますので、アルコールではありえないようなあーぱーな状態になったりします。
タンセンの安宿でぼくが落ち入ったのも、そんな状態でした。
論理のたがが外れることによって、イメージの世界が広がるのですから、カンナビスの効き目としては、多くの場合それは好ましいものなのですが、そのときのぼくは「ここからどうやったら日本に帰れるんだろう?」って思っちゃったんですね。
つまりカンナビスの効果で論理的な思考能力が低下し、日本に帰る方法が分からなくなっちゃったんです。
まったくあんぽんたんな話じゃありませんか。
思考のレベルでは、「ここからカトマンズに行って、飛行機に乗ってタイにでも行って、そこからもうひと飛びすれば日本だよな」とは考えられるのですが、その一つ一つのステップがとてつもなく込み入ったものに感じられて、「とてもじゃないけどそんなことは実行不可能だ」って思ってる自分がいたんです。
これこそぼくがこの人生で正真正銘の迷子になった瞬間だったかもしれません。
もちろんそれは薬物の影響下における一時的な想念にすぎません。
そうではありますが、ヒトの無意識の働きというものの繊細さを考えてみると、それは必ずしも「トリップのときの妄想」のようなものてはなく、むしろ「聖なるハーブがもたらしてくれた真実のビジョン」だったようにも思えてくるんですね。
つまりぼくは小学2年のあの日、道に迷って以来、もう50年近い歳月を迷子のまま生き続けているのかもしれないなって。
そんなことをうっかり考えちゃうこと自体が、ぼくの人生の迷子さ加減を表しているわけではありますが、皆様におかれましても、かような中2病をこじらせることがありませんように心よりお祈り申し上げます。
……というわけで以上、迷子にまつわる3つの思い出話でした。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
#望洋亭日乗 #エッセイ #コラム #文芸
[みなさまの暖かいスキ・シェア・サポートが、巡りめぐって世界を豊かにしてゆくことを、いつも願っております]