センソウ。
「死ぬこと以外かすり傷」
箕輪さんの本の題名。
半分だけ共感した。
僕は信頼してる人達に言う。
自分に問いながら。
「いつ死んでもいい」
と。
この言葉の真意はわからない。
ずっと探している。
言葉を発している未だに。
本気で思っているのか、
いきがっているだけなのか。
それもわからない。
実際に死にそうになったことがない。
だから、そう思っているのだろうか。
死にそうになった時に、
「死」に対して、恐れ戦くかもしれない。
今、僕の中でわかっていることは
”僕の中の世の中”において
楽しい世の中と悲しい世の中で
領土を取り合っている。
戦争中なのだ。
まだまだ、楽しい世の中の圧勝だ。
生きられる。
だが、戦争にはほとんどの場合、あることが付き物だと聞く。
それは
”客観的に観ると、両者の言い分はなんとなく正しい”
”勝者が正義”
という事。
わかってしまう。“悲しい世の中”の言い分が。
苦しいよな。
そんなに苦しいなら死を選んだ方が楽になれるんじゃないか?
“無”はいいぞー?
楽しさはないけど苦しさも無いんだから。
って。
もしも“悲しい世の中”が
僕の中の世の中の半分以上を占領した瞬間に
正義は入れ替わり、
“正義の名の元に”死ぬんじゃないだろうか。
これが今、自分が言葉にできる限外の自分だ。
そして今
「腹が減っては戦ができぬ」の名のもとに、
生きるために飯を食う。
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