戦争と切り離せないわたしたち
堀郁夫
子どもの頃、少しだけ、祖父から戦時中の話を聞いたことがある。祖父は、軍人になるための訓練は受けていたが、「戦地に送られる前に戦争が終わった。じいちゃんは運が良かった」と言っていた。その話は憶えていたが、「運が良かった」という祖父の言葉をうのみにして、その時代背景については、あまり深く考えてこなかった。
『戦争のかけらを集めて』の編集過程で、塚田修一さんの、山口瞳、そして中條高徳に関する論考を読んでいた時、ふと、彼らの経験が自分の祖父に似ていると気づいた。祖父の生年を僕は憶えていなかった。直ぐに母親に確認をしたところ、祖父は大正15年生まれ、つまり「戦争と切り離せない青年期」(塚田修一「陸軍士官学校からエリートビジネスマンへ」、『戦争のかけらを集めて』194頁)を過ごした山口、中條らと同世代であることを、いまさらながら知った。
祖父は温厚な人だった。孫の学校の送り迎えのためにわざわざ車の免許を取るような人だった。祖父に関する記憶で、嫌な思い出は一切ない。その祖父も、おそらく、孫という立場からは知りえなかった戦争に対する複雑な思い、葛藤やひけ目を抱えながら、その生涯を送ったのだろう。
大正15年生まれの山口瞳が直木賞を受賞した小説、『江分利満氏の優雅な生活』は、大正13年生まれの岡本喜八によって映画化された。映画のなかで小林桂樹が演じる江分利満氏は、終始ぼやいている。生活の苦しさや時代の急激な変化について、酒を飲んではぶつぶつと言葉にする姿がコミカルなのだが、映画の最後、酔いに任せて、戦中派としての思いを吐露する場面がある。この世代の思いを代弁するかのように、言葉巧みに戦地に若者を送り込んだ年長世代への恨みを吐き出すラストシーンは、その異様な雰囲気も相まって、強く印象に残っていた。
塚田論文を読むまで、『江分利満氏の優雅な生活』の小説・映画に触れていながら、祖父と彼らを結びつけていなかった。だから同世代だと知ったとき、自分の知らない祖父の一面に触れたような気がした。
僕らは、いつでも、歴史につながることができる。ふとしたきっかけで、歴史がこちらに歩み寄ってくる瞬間がある。過去を知ることで、見え方が変わるものがある。
『戦争のかけらを集めて』は当初、岡田林太郎という編集者が、みずき書林という出版社から刊行する本としてスタートした。何度かの打ち合わせの後、岡田さんが体調を崩した時期があり、それ以降、僕も編集会議などに参加するようになった。
岡田さんと僕は、元々同じ出版社で仕事をしていた。先輩と後輩として、のちには社長と部下として、10年ほど共に働いてた。2人ともその会社を離れて数年経っていたが、本書の打ち合わせに同席していた時期は、同僚でもないのに岡田さんと打ち合わせができることが懐かしく、嬉しかった。万が一の時は企画を引き継ぐ、という話はしていたが、実際にそうなる直前まで、本の完成まで一緒に仕事ができると思っていた。そのぐらい、岡田さんは亡くなる直前まで、元気に仕事をしていた。勉強会を繰り返し、それぞれが書くことを理解し合いながらまとめていった本書には、その勉強会で岡田さんの発した言葉たちが、様々な形で、影響を与えている。
本書については、図書出版みぎわから刊行するに至る経緯だけは、しっかりと残しておきたかった。本書は、岡田林太郎という編集者とともに作り上げた一冊だ。
継承なんてできない。けど、つながることはできる。戦争体験者と距離ができたいま、何を語ることができるのか。その問いから本書はスタートした。一方で、やはり身近にいたからこそ、伝わるもの、残せるものもある。その両輪で、歴史は、記憶は、つながっていく。
この文章を書くために、およそ20年ぶりに映画『江分利満氏の優雅な生活』を観た。大学時代にはコミカルな印象が強かったのだけど、見返してみると、かなり戦争を、戦後という時代を意識した作品であることに、改めて気が付かされる。歴史を知ることで、見るもの/見えるものが変わる。本書の編集は、僕にとっても、戦争と戦後という時代を考えなおす、捉えなおすきっかけになった。読者もまた、そんな経験ができる本になっていれば嬉しい。(『戦争のかけらを集めて』「あとがき」より)
堀郁夫
『戦争のかけらを集めて』担当編集者