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「戦争の跡」に気がつく/角田燎

「戦争の跡」に気がつく

角田燎


自転車に乗る父に案内され楢本神社へ

ボロボロの自転車で父の背中を追う。周りは一面田んぼ、遠くに見える山々が豊かな水を運ぶ。「日本の故郷」と言われたらこんな光景と言いたくなるような景色が広がる。ここは父の生まれ故郷、愛媛県西条市。私にとっても幼少期から家族と共に帰省してきた思い出深い場所である。

特攻隊の慰霊団体についての修士論文を書き上げた自分は父に連れられ、「最初の特攻隊」として有名な敷島隊とその隊長、関行男の慰霊碑に向かっていた。思えば、学部生時代に特攻隊の研究をしようと思い最初に読んだ本が、敷島隊について書かれた『敷島隊の五人』であった。

楢本神社境内にある関の慰霊碑は巨大で、その周りには二五〇キロ爆弾を模した隊員の慰霊碑が並ぶ。関が愛媛県西条市出身なのは本を読み知っていたが、自分の身近な場所に戦争の「跡」があるのは知らなかった。

敷島隊隊長、関行男の巨大な慰霊碑
関の慰霊碑の周りには、二五〇キロ爆弾を模した敷島隊隊員の慰霊碑が並ぶ

源田実など、多くの著名人も設立に参加した関の慰霊碑は、どのような経緯で、設立されたのか。楢本神社の隣には、個人で運営している神風特攻記念館がある。そして、西条の商店街には、日の丸や零戦を店頭に掲げた店も存在する。

父の地元である西条では、関や特攻隊はいかに認識されているのか。そんなことばかり気になる人間になったからこそ、自分の身近な戦争の「跡」に気が付くようになったのかもしれない。


角田燎(つのだ・りょう)

『戦争のかけらを集めて』担当章
・なぜ統合は困難なのか――戦友会の固有性と組織間のつながり
・戦友会研究への招待――非体験者が参加する戦友会という謎
・あとがき



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