改名から推しはかって学ぶ、葛飾北斎の想い


石黒としゆきです。

今日は完全な自分独自の視点をもって、超がつくほど有名で、影響力のある日本史上の大人物についてお伝えしたいと思います。

出典:Wikipedia

最も有名な浮世絵師の一人で、江戸後期に活躍した葛飾北斎。

上記の《神奈川沖浪裏》などの「富嶽三十六景を描いた人」「浮世絵で有名な人」といった認識をお持ちかもしれませんが、実はアメリカの雑誌で葛飾北斎は「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」で唯一の日本人として選ばれるほど高い評価を得ています。

日本においても、2021年は生誕260年記念ということもあり、映画『HOKUSAI』の上映、企画展「北斎づくし」の開催など、葛飾北斎に再び注目が集まっています。

葛飾北斎は幼名を時太郎、のちに鉄蔵といい、浮世絵師としてのビジネスネーム=画号として「北斎」を名乗りました。
そして実は、彼は生涯で30回も画号を変えた、ということをご存じでしょうか?

以下がその一部です。

「春朗」「群馬亭」「北斎」「宗理」「可侯」「辰斎」「辰政」「百琳」「雷斗」「戴斗」「不染居」「錦袋舎」「為一」

キワモノだと、春画(今でいうエロ本)を描く際に使った号は「鉄棒ぬらぬら」。

「蛸と海女」出典:古美術や骨董品・浮世絵などについてのコラム 五拾画廊|fifty-gallery

こんなにもたくさん改号したのは、号を弟子に譲って収入としていたという北斎やり手ビジネスマン説や、自分の才能を公にしたくないためという北斎シャイ説などがあるそうです。

ただ、自分はこう考えています。

北斎にとって画号は元号だったのではないか、と。

どういうことかというと、年初め、元日になると「よし今年こそ○○するぞ!」と気持ち新たになると思うのですが、元号(平成、令和など)が変わるってそれ以上にリセットされる感覚を持ちませんか?

平成の最終日も令和の1日目も同じ一日だけど、元号が変わっただけで何か新しいことが起こりそう、できそうな感覚

少しだけ詳しい話をしますと、元号というのは新天皇の即位で改元され、天皇1代と1つの元号をリンクさせる一世一元のかたちがとられています。

これを代始(だいはじめ)改元といいますが、明治以前は代始改元以外の理由で頻繁に改元されていました。

 疫病が蔓延しているから。
 兵乱で世が荒れているから。
 天変地異が起こったから。

凶事で社外情勢が不安定になると改元される「災異改元」がまず一つ。

また、吉兆(めでたいこと)が起こっても改元をしました。

 白い亀が献上されたから。
 黄金が献上されたから。
 西の空に縁起の良い形の雲が現れたから。

「祥瑞(しょうずい)改元」と言いますが、社会情勢を鑑みたマクロな意味合いの強い災異改元と違って、焦点がすごくミクロです。笑

あるいは、特定の干支の年に必ず改元する「革年(かくねん)改元」というものも存在しました。

話が脱線しましたが、この改元の考え方を使って北斎は名前を変えることで気持ちをリセットし、絵に対する向き合い方や描き方、生活、人生をリセットし続けたのではないかと考えています。

北斎の"常に自分をアップデートし、チャレンジし続けることの大切さ"を心がけて毎日を過ごしていけるといいですね。

自分も過去の実績に甘んじることなく常に自分を高めるよう心がけてながら、次回のブログもしっかり書きたいと思います。

このブログを読んでくださった方が少しでも自分のような価値観を得ていただき、前向きな行動を起こすことができたとしたら、すごくうれしいです。

今日はこのへんで。
ではまた。

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