不死王曲(5)
〈腹ガ空ッテハ戦サガ出来ヌ。戦サヲシナクナッタ帝国ニ、腹ガ空ルコトダケヲ残シテクレタノハ悲劇ダロウカ。ソンナラ、ナニヲ食ベテモ美味シクハナイトイウ金持ノ生活ハ喜劇カ。悲劇ハ希望ヲ求メ、喜劇ハ絶望ヲ忘レテイル〉とは、征夷鎮撫行孤児救恤の為の慈善福祉行事開催を目論み、篤志富裕臣民に書簡で打診する丞相兼北洋軍軍機太師擧屠欅(祖父怡親王釐粒の娘婿、太上帝の乳母梨倶の三女咩浪于の長男)への皮肉。露骨な人気取りではあるが、不手際至極で〈ハワワ、ハワワ〉と彼自身官邸を早歩きで蠢いていただけで、悪事を企てていた訳でもない。何故か二人に挟まれる位置にいた私は(背後から丞相兼北洋軍軍機太師擧屠欅が近付き、耶焉が振り返ったのだと思う)、〈夢ナリシ寒中遊泳〉とはこのことかと思った。それにしても、私を励まそうとしてか昨日あたり頻りに言っていた〈心配スルナ、舌ノアルウチハ飢エヌ。ダガ、女ト胃袋ニハ気ヲ付ケヨ〉はよく分からない。耶焉は食い、一応満腹した。私はなにも口にしていないので依然腹が減っている。〈満腹〉の彼が空腹の私に〈チャント食ッタカ〉などと聞いてくれる筈がない。彼のなかで水と飯の問題は終わり、現在は焦眉の懸案〈追手カラ逃レル〉に没頭している。私は木の芽を噛み、蝉の漿液を吸いながら耶焉に付いていく。静かだった。耶焉の足取りは騎馬の並足のようで、一歩ごとにいちいち砂煙の小爆発が発生する。風がない。そのまま地面に鎮まる。〈痴人ノ芸術〉のように明朗な日射しに蒸れた櫁梻の花が衣装棚の最深部の甘い香を漂わせる。耶焉が右手に垂れる枝を無造作に折り取って足元の雑草を払い、すぐに捨てた。生木の強烈な青臭さが顔に吹き付けられ、それでも長閑な安らぎの気分に浸ろうという努力が実りかけていたにも関わらず〈糞ヲナスラレタ〉思いがした。赤土の坂に差し掛かった。耶焉の足取りに迷いはない。顳顬雲が峠を見越して見下ろしている。砲煙ではない。〈流石ニ天然ノ雲ハ白イ〉と頓馬なことを思った。
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