千人の女の子の夜になっちゃんは死んだ (5)
わたしと奈津美は、二階をうろうろしてた。プールに入って、汗を流したことにした。塩素とかで消毒される。ふたりきりだった。前の年までは先輩に男子がいて、トランペットにふたり、トロンボーンにふたり、チューバにひとり、パーカッションにひとり、六人いて、みんな、合宿の入浴はプールだった。わたしもやってみたかったけど、それでいいやって思ってたけど、女の子は家に帰った。わたしだけプールってわけにはいかなかったから、わたしも自転車こいで家に帰った。奈津美が、うしろに乗ってた。
「バスないから」
って。
「ないの」
「一時間後」
「あるやん」
「ないよ。ゆっくりする時間がないよ」
「ゆっくりするなよ」
「風呂、かして」
「着替えは」
「かして」
「シャツ」
「かして」
「スカート」
「かして」
「下着」
「かして」
「ないよ」
「あるよ」
あるけど。まあ、いいけど。
「やばい」
「なにが」
「風がすごい」
「すごいね。風っていうか、あんたのスピードが」
「目になんか入った。やばい。前が見えないんだけど」
「え、とまれよ」
「うける。本当になんにも見えない」
奈津美がこわがってた。本気でわたしの腰に左手をまわして、ぎゅっと抱きしめてる。みなしごのコアラ。
歩いて三十分くらいの道が、自転車で五分くらいだった。なのに、四十分かけた。どういうことかと思うでしょ。
東京と埼玉の国境あたり、ふりむけば埼玉で、しみじみ、空が広かった。あんな、宇宙みたいな空の下、でも、道は長いのがずっとつづいてるだけで、折れたり、まがったり、かさなったりしないで、退屈で、奈津美は自転車のうしろで、
「うける」
って。
たのしくなってきたらしい。
線の上をすごい速さで走った。中学校と、わたしの家をむすぶ線を、暴走する、でもまっすぐにしかすすめない機関車。魔女みたいに奈津美が笑う。
スピードをあげる。気持ちよかった。わたしも笑って、スカートをおさえた。風だけが、やけにつめたかった。なにも見えない、まっ暗は、夜で、闇で、それで、風でめくれないように、スカートをぎゅっとおさえて。
奈津美の右手、スチールの針金の荷台に指をからめて、横になって。
足をそろえて。
わたしのへそに人さし指を入れてきた。雨あがりで、風呂あがりにはカレーだし、興奮していたらしくて、恋人ごっこ、わたしは、立ちこぎで、やっぱりわたしも機嫌がよかった。奈津美の声は風に流れて、ちりぢりになって、でも、ちゃんとわたしに聞こえるように、けっこう大きな声で話してた。
「ハロー」
わたしも、
「ハロー」
って、さけんだ。
まわりは、広すぎて、壁も家も並木も、道路も空も、ガードレールも標識も信号機も、なにもかも遠すぎて、ぜんぜん、ひびかなかった。だから、せきこんで涙が出るくらい、大きな声で、
「ハロー」
誰にあいさつしてるのか分からないけど、さけんでた。
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