千人の女の子の夜になっちゃんは死んだ (6)
「ハ、レ、ル、ヤ」
「ハレルヤ」
「って、どういう意味」
「知らないの」
「知ってんの」
「知らない」
「いい天気、みたいなこと」
「じゃあ、それでいい」
「ハ、レ、ル、ヤ」
ハレルヤとは、ユダヤ教において「神をほめたたえよ」を意味する讃美のことばである。旧約聖書の詩篇の文頭や文末、新約聖書のヨハネの黙示録の中で見られる語である。
ハレルヤという語はヘブライ語に由来し、「ほめたたえよ」を意味する動詞の二人称複数命令形「ハレル」「ハラルー」と神の名であるヤハウェを短縮した「ヤー」がひとつになったものである。ラテン語、およびラテン語に由来するギリシャ語、イタリア語などにおいてはアルファベットのhを発音しないため、「アレルヤ」と発音される。日本においてもカトリック教会の典礼では「アレルヤ」を使用している。
ハレルヤという語は、主にキリスト教徒が祈りをささげる際や、よろこびや、おどろきの気持ちを表す際の間投詞としてもちいられる。
ハレルヤという語は楽曲のタイトルに採用されることも多い。特に、ドイツの作曲家、ヘンデルが作曲したオラトリオ「メサイア」第二部最終曲の「ハレルヤ」が代表的な作品としてあげられる。これは「ハレルヤコーラス」と呼ばれ、アメリカではクリスマスイブによく演奏されている。
まちがってはない。わたしが感じていたのは、よろこびだった。気持ちよかった。
ゆるい坂になって、わたしはもっとペダルを強く、スキップみたいに上下して、踏む。てっぺんまでのぼって、くだりになって、
「ねえ」
って、声をかけた。
「おい」
とか、
「ちょっと」
でもない、
「あのさ」
も、言いにくい、
「ねえ」
って、カナリアみたいに、鼻で鳴くだけ。
「なに」
「これまで、どういう人生だったの」
「なにそれ」
「知りたいだけ」
北斎みたいな波がうちよせる崖の上、自殺を思いとどまるように説得する、あんな声でさけんで、のどがかれてた。
風に流されないように、がんばって話してたんだけど、微妙なニュアンス、言いたくないことを言いたくなさそうに、それでも、言う、って感じとか、ため息とか、目が泳ぐだろうし、あと、笑ってごまかすのも、魔女の高笑いじゃなくて、チェシャ猫のくすくす笑いがいい、そういうのが、全部、つかえない。残念ながら、人生の話なんて、こまかい、暗くなりがちな、でも色彩ゆたかな、誰が話したってそれなりにおもしろいに決まってる、繊細な話題にはむいてなかった、あんなシチュエーション。縁石にのりあげて、あんまりタイヤに空気が入ってなかったから、がっ、たん、って、二回、自転車がはねる。車輪の骨までひびいて、荷台の奈津美の背骨もびりびりする、肉がないから尻が痛かっただろうな。わたしは立ちこぎだし、わざわざ、わざと段差のあるところを選んでたから、大丈夫だった。奈津美がいやがるから、どんどんスピードをあげていった。
「人生ね」
別に、ぜひとも聞きたかったわけでもない、なんか。
どうでもよくなった。
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