不死王曲(6)
桜の花弁と日輪を象った安い彩絵硝子を蓋庇に嵌めている。潜り抜けて入るときも趣味が悪いと感じたが、下から覗くと更に醜悪低俗だった。主人の粗雑な工作による派手な隙間、噛み合わせの不始末を全て粘土で埋めて誤魔化し〈ナカッタコトニシテ〉いる。帳台は割合質のいい雪花石膏だったがやはり亀裂に粘土。〈一部屋アリマス〉と断言したにも関わらず、〈ヤハリ駄目デシタ。マ、《アリマス》ッテノハ《ナカッタコトニシテ》〉と吐かすあの主人の金柑頭、張り倒してやりたかった。耶焉ならば殺している。嬉しくて堪らないのだ。貧乏旅籠が客を愚弄し追い返せるのが。私、〈《駄目》トハ〉〈空室ガナイ〉〈金ハ払ウト言ッテイル〉〈ダッテ満室ナノデ〉〈オカシイデハナイカ〉〈勘違イシテマシタ〉鍵まで渡しておいてどういうことだ。〈征睫節。マタハ《九暁》。佞峰侈ト称シ竹ニテ人形アルイハ種々ノ形ヲ組ミ、紙ヲ張リ彩色ヲナシ、内ニ蠟燭ヲ燈シ、夜中貝ヲ吹キ太鼓ヲ打チ、簓ヲ鳴ラシ、囃子ヲナシテ毎夜市中ヲ持チ回リ、払暁ニ到リコレヲ流スヲ例トス。《炯梟王喧杼卯帝寸睫奴征伐ノトキ、寸睫奴ドモ戦負クレバ山中ニ逃ゲ入リ、出デ来タラズ、禁軍還レバマタ大イニ起コリコレヲ捕ウルニ由ナカリシカバ、美シキヒトガタヲ作リテソノ中ニ人ヲ隠シ、囃子面白クコレヲ川ニ流シケレバ、寸睫奴ドモコレヲ見物ニ来タリシトコロヲ、不意ニ出デテソノ首魁ヲ虜ニス。コノ風俗ハソレヨリ》云々トイウ(《致冉邏ト蛟》)。一説ニハ寸睫奴ノ服従セザル者ヲ船ニ乗セ扶良殊ヘ流セシヲ濫觴トスルトイウ。〉(畔琉〈梨矣酢問ワズ語リ〉)突然〈ヤアヤア。イヤヨ〉と不分明な奇声が降り注ぎ、私は入口の敷台から横に身を乗り出した。路地の谷間のどん底で、帯状の空を背景に飛び交う礫を見た。〈旅籠ノ空室ヲ探シテコンナ貧民窟マデ来テシマッタカ〉と暗澹たる気分に陥ったが、しかしそれは向かい合う部屋と部屋、窓と窓を互いに破壊しようと住人どもが抗争している訳ではなかった。礫に巻かれた細糸を手繰り寄せて、たちまち稜切網のように〈谷間〉に注連縄が縦横斜に張り巡らされた。三角に切った色紙を垂らし、暖簾状の装飾を施している。手放しに綺麗だとは思わないが、〈コノ先ドコマデ/コレカラ何処ヘ/思エバ彼方ヘ辿リシヨ〉の旅愁は感じられる。五十歩呎離れてでも間抜けな旅行者であることははっきりと見て取れただろう。私の背中に寄り添う盆引(まさに〈盆槍坊主ノ袖ヲ引ク〉の語源に忠実な)めいた男、「宿を御探しで」私は無言で去ろうとした。盆引、「〈九暁〉は初めてで。行列がよく見える宿が御よろしいでしょうな」盆引は付いてくる。盆引、「いやもう、〈武神〉様々ですね」労働者向大衆報彙〈紅梅〉の連載小説。觸麻元年の初夏あたりまで続いていた。久簾がまた例の〈紅骨歴史観〉で出鱈目を書き始めたというくらいにしか思っていなかった。〈炯梟王喧杼卯帝寸睫奴征伐〉の少丁男児部隊〈応竜〉の悲劇に取材した作品。主人公に無名の副官偲露葉十六歳を立てたのは手柄だった。〈素笞豐ハモウ一度馴鬼散ヲソノママノ形デ差シ入レサセタ。偲露葉イヤ《乞丐痰助》ハ素笞豐ノ手紙ヲ見タ。ソシテ毒薬〔馴鬼散〕ヲ見タ。破ッタ。毒薬ヲ踏ミニジッタ。偲露葉ハ素笞豐ノ獄舎ラシイ方角ヲ見タ。他ハ真ッ暗ダガ、ソコダケハ左待郎ヘノ礼遇トシテ一穂ノ燈火ガ淡クトモッテイル。偲露葉ハドウ思ッタカ。ソレハ分カラナイ。タダ素笞豐ニ明確ニ分カッタコトハ、偲露葉ハ翌日搾木ニカケラレヨウトシタトキ、マルデ予定シテイタカノヨウニ「申シ上ゲマス」ト叫ンダコトデアル。偲露葉ハ全テヲ自白シタ。コノ男ニスレバ、アルイハソノ師匠ニ最後ニ叫ビタカッタノデハナイカ。「コノ偲露葉メヲ最後マデアナタノ御都合ダケデ利用シ、支配ナサリタイ御積リデスカ」偲露葉ハ、ツイニ隊将以下《応竜》ノ幹部ヲ最後ニ支配シタコトニナル。彼ラハ次々ニ断罪サレ、隊将素笞豐ハ《腹ヲ卍巴ニ裂イテ臓腑デ襟巻ヲ編ム》。嬬篦二年、南会所広場デ行ワレタソレハ検視サエ目ヲ見張ル程ノ見事サデアッタ。ガ、ソノ因ヲ作ッタ偲露葉ハ知ラナイ。何故ナラバコノ《乞丐痰助》ダケハ極刑ノ梟首ニナリ、師匠ノ自死ノ頃ハ首ダケノ偲露葉ガ、河原ノ獄門台ノ上デ風ニ吹カレテイタカラデアル。〉記憶しているからには私も読んでいたのだろう。〈読ンデイタ〉。詰所で手持ち無沙汰な中腰の時間に飛石的拾い読みをした。偲露葉が〈応竜〉隊将素笞豐が偲露葉と幼馴染だということを〈武神〉で初めて知った。在郷の出頭である啓蒙家素笞豐と彼の家人(門奴)〈乞丐痰助〉偲露葉がそれぞれ劣等感情複合に苛まれて〈幼馴染〉の誼みは憎悪にまで発展する。それは、どうか。〈寸睫奴〉に囚われた主従は〈返リ忠〉を唆されるが、偲露葉は簡単に転んだ。武奴としても将卒(仮にも副官である)としても余りに無様な醜態に呆れ、素笞豐は奥歯に仕込んだ〈馴鬼散〉を飲ませて一思いに殺してやろうとするが、〈イヤイヤ。ヤダモン〉と偲露葉は更に〈醜態〉を晒して拒んだ(先程の〈ヤアヤア。イヤヨ〉はこれと関係があるのか)。〈女ノ腐ッタヨウナ臆病者〉と牢屋番に笑われている。散文的な用心棒だったに過ぎないだろうが、久簾は近代的な〈巌頭之感〉に苦悩する一青年に脚色し、顔貌姿態もそれに相応しく歪曲、つまり美容整形した。真の綽名〈痘痕火山〉は一度も使わず、〈白面郎君〉と読者を欺瞞しつつ自分に言い聞かせるように執拗く書いている。そうか。やはり久簾の長編小説であるからには御多分に洩れず〈武神〉も流行していたのか。
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