不死王曲(1)
左回りに渦を巻いた鸚鵡貝から〈金碑角錐塔ヨリ顎ヲ出シタ神今食祭ノ夜明ノ旭暉〉といった具合に頭を覗かせている。〈嚢魚ノ錯乱〉の名を持つ滿留齋留海峡の渦潮に詩人が例えた癖毛のうねりと、〈檜扇鳥ノ羽冠〉の色艶は紛れもなく耶焉のものだ。その〈旭暉〉を睥睨しつつ卓案に向かって右から回り込むと、三歩目で彼と目が合った。耶焉、「水をくれ」「は」「水だ。おまえの目の前の瓶だよ。いや、酒じゃない。茜芳で色を付けているだけだ。髃蕗年間の頃に流行っていた。まだこんなものを飲んでいる家があるとは。風味は水と変わらんが、貧血、宿酔、下痢にいいらしい。本当か嘘か知らんが」「〈霓露〉」「そうそう。それだ」正面から相対した鸚鵡貝の口には蘇角蛸が頭から詰められている。赤黒い足は乾燥して皺が寄り罅割れていた。耶焉が手を付けた様子はなかった。色水の瓶は細首だがいやに長く、重い。耶焉は盃を捧げて待っていた。鸚鵡貝の嘴蓋越しに注いでやる。耶焉、「ありがとう。おまえはどこに行っていたんだ」「小川を見付けたので、御知らせしようと」「そうか」「偈松の若木も見付けましたし」「なんだ、それは」「根を齧れるんですよ。腹の足しにはならないですが」「戻ってみたら俺はいなかった」「はい」「暇だろう。うとうとしていたら、そこの男が現れた。〈腹ガ減ッタ〉と言ったらここに案内してくれた」「なるほど」「それだけだ」〈ソコノ男〉は右眉の上を撃ち抜かれ〈箍ノ弾ケタ樽人形〉のように耶焉の隣席に腰浅く引っ掛かっていた。背中の線と背凭と尻板で作った直角三角形を私は取り敢えずの目の置き場にした。耶焉、「まあ座れ。食えよ」そうした。銀の脚皿に乗った青林檎を取る。私、「〈腹ガ減ッタ〉とは仰ったでしょうし、〈ソコノ男〉が〈案内〉もしたのでしょうが、彼は狐狩でもしていたのですかね。例えばですが、銃を奪って腕か足を撃ち、脅したとか」「よく分かったな」「血を辿ってここまで来ました」耶焉は笑った。機嫌がいい。面倒臭くて省略した内容を言い当てると何故か嬉しがる。桔梗酒のいい匂いがする。私、「子供が騒ぎましたか」「別に。不細工な餓鬼だ。〈象牙ノ卒塔婆デ鼻面潰シ〉てやれば多少は造作も整っただろう。目はいやに目尻が切れていて大きく、黒かったが」「だから撃ち殺したので」「そういう言い方をすればそうかもしれないが、〈別ニ〉だな」宝相華唐草に縁取られた藁葢絨毯は〈棗玉ヲ抱ク黒鳳蝶〉章で、何蘆羅氏系の枝族であることを訪問者にまず誇示する役割を果たしていたに違いない。扉を開けたその〈不細工ナ餓鬼〉は、〈ソコノ男〉(多分父親)を迎えに出たのだろうが、出合頭に耶焉が殺した。胸に一発だった。彼はその死体を玩弄し〈黒鳳蝶〉に重ねるようにわざわざ寝かせ直したのだが(あるいは父親〈ソコノ男〉にそうさせた。私はこちらだと思う)、やはり〈別ニ〉なのだろう。そのせいで玄関に一歩足を踏み入れた私には〈不細工ナ餓鬼〉どころではなく、漆絹の羽を生やした嫦娥女が眠っているのかと錯覚してしまったのに。耶焉、「不味いか」「いいえ。腹がきりきりします。騙し騙し食べましょう」「俺たちは腹を減らし過ぎた。一度に満腹になると胃腑を痛めるかもしれん」「ええ」「茶を飲む。俺が淹れるからいい。おまえはここがどこだか調べろ。地図帳くらいどこかにあるだろう。なければ三階の露台」「いい景色でしょうね」「行け」
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