千人の女の子の夜になっちゃんは死んだ (1)
「夜は暗くて、すずしかった。少し、寒いくらいだった。昼間の音楽室は砂漠みたいで、てゆうか湿気はサウナ、温室で、腕に水の玉が浮かんできて、なんかそういう生物みたい。手足からカエルみたいな卵を吐きだすクリーチャー、なめらかなCGで誕生させられた、地球には存在しない二足歩行の爬虫類の怪物で、ピストン押してる指の一本一本まで、きらきら、ちいさいのは直径〇・一ミリ、大きいのは五ミリの汗のドームが、未来都市みたいに建築ラッシュだった。手塚治虫だった。火の鳥。
砂漠は陸の海で、ラクダは船でしょ、中学校のときの日本史か、一年の世界史で聞いた気がする、広くて、さみしい。だけど、あれは道で、どこか、エジプトのナイル川、ピラミッド、ファラオの宮殿、絹とかパピルスとかビールとか、宝石とかの市場につづいてる道なき道で、蜃気楼はそびえるし、それは、とりあえず中間地点の目的地にしてたオアシスのまぼろしだし、水を飲まないと、体はかわいて軽くなる。目とか、口唇、爪のあいだとか、粘膜がひからびるんだ。たぶんね。知らないけどね。サウナも、みんな、汗をかきたくて、すっきりして出てくるんでしょ。それもよく知らない。入ったことないから。でも、たぶん、流した汗のぶんだけ、体が軽くなった気がして、爽快だと思う。
だから、わたしがちゃんと知ってて、本当にそれに似てる、近いって言えるのは温室で、小学校のとき、友達の家のぶどうハウスでかけずりまわって吐いたことがある。あまいにおいと熱気でくらくらした、ちょうど生理で、貧血で、はじめて、気が遠くなって失神した。初潮は五年生のときだった。
生理中
一週目 低温期
体温をあげる作用のある黄体ホルモンの分泌がなくなり、体温がさがって体がひえて、血行が悪くなります。生理痛、頭痛や胃の痛み、生理の出血によって貧血気味になり、体のだるさをおぼえることも。心身ともにブルーな時期。生理が終わりに近づくと卵胞ホルモンの分泌がはじまり、ブルーな気分から脱出できます。
だって。
そうかもしれない。寒くて、暑くて、だるかった。
あとにも先にもあのときのあれだけで、あんなの、もう二度といやだけど、膝から力がぬけて、気をうしなうまでのその一秒か三秒くらいは、なんか、眠る前のなつかしい感じのまどろみで、気持ちよくないこともなかった。
重くなって、眠くなる。
音楽室で、わたしたち、マンドラゴラみたいな人間のかたちの野菜か果物で、収穫されるのを待ってるんだか、先生をにらみ殺そうとして気配を消してるんだか、
「はい」
って返事をするとき以外は、ぜんぜん、貧乏ゆすりもしなかったから、汗はそのまま結晶して、真珠か、ダイヤモンドダストで。休憩、トイレで手を洗って、顔も洗って、腕も水でひやす。肌の上、すぐに水滴は蒸発して、手の甲は朝よりも少しだけ黒く、やわらかくなってる気がする。
それに、台風の前だった。
巨人みたいな、アルプスかモンブランみたいな雲がそびえてた。ひとつ目の巨人が女の子を好きになってね。イギリスの高原、春のはじめの夜明け、丘のむこうのオレンジの空までうねうねはいまわる飛び石の、その一歩目で靴のつま先を鳴らして、裏庭の井戸で水をくんできて、粘土とレンガのオーブンの前で、腰をのばしてやっとひと息、はあ、って大きくついたそのひと息が入道雲より濃い白で、とけて、透明にならずに外に流れていった。雲の一部になるんだろうな。手をこすって、スカートとエプロンのすきまに入れて。ジャムのびんから、ひとさじ、いま焼きあがったパンにつけて食べようとして、ポケットからつまみあげた、大切なおばあちゃんの形見の銀のスプーン。雨戸からさしこむしましまの光にかざしてる、袖は迷路みたいな編みこみで、無限大のすみかで、窓にすかしたら手首で千個の目玉が見つめてるみたいだった。パンをかじるでしょ、なんて言うと思う。
「おいしい」
って。
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