『指名を、受ける』vol.1
2003年3月9日 、東京の空はきれいに晴れていました。
三代目(三代目花柳壽輔)にお会いするまでの時間も、私はとても緊張していて、緊張をほぐすために外に出たのです。凛とした威厳の中に大きな寛容さを感じる、三代目のような空だなと思って見上げたことを覚えています。
東京會舘のプルニエに足を踏み入れた時の、あの日の気持ちは、この17年近くの日々、忘れたことはありません。
一緒にいただいた、マロンシャンテリー。
三代目はあまりお酒を召し上がる記憶はないのですが、その日は甘い赤ワインを飲まれていました。もしかしたら、ご自分が頼まないと私もお酒を飲めないので、リラックスさせるために配慮してくださったのかなと、今は思います。
・・・・・・
清水建設に入社して三年目のことです。
2002年7月、三代目から、私を次期後継者にしたいという打診が、まずは両親(父は三代目の従兄弟である青山良彦)にありました。
両親としては、私が既に清水建設に勤めており、家族もありましたので、すぐには返答出来ずに、真意をお尋ねしたようです。
まず、流儀には実力のある方々がいるなかで、なぜ血筋に拘るのか、また血筋とは言えないが、現在花柳流五代目を名乗っている(当時の)創右さんがいるなか、なぜ貴彦を指名するのかを伺ったようです。
血筋に拘る理由は、実力で判断すると、人によって評価が分かれ、流儀としてひとつにまとまらない。創右さんは、芳次郎家を継ぐ立場なので。という答えだったようです。
私に関しては、確かに踊りから離れてはいるが、幼少期から祖父に教わっていたのを見ているし、私(三代目)が責任を持って指導していくので、これから稽古をしていけば全く問題はない。むしろ大学を出て社会人経験を積んでいることは流儀をまとめていくときに、大きなプラスになる。とのご意見だったようです。
そうした段階を踏まえて、両親から私に話がありました。
繰り返しになりますが、私には家族もあり、会社にも勤めており、やっと仕事を覚え、少しずつでも会社に貢献できていると思えるようになった頃であり、
また、そんなに簡単に家元になれるものとも思わなかったので、
かなり悩みました。