統合失調症2級男のちょっと昔の話 part1
僕は2004年の30歳の冬に統合失調症と診断されたのですが、その経緯が少し特殊なので、今回はその経緯に付いて話して行きたいと思います。それまで僕はトラック運転手をしていましたが、人間不振に陥り、集団ストーカーの妄想にも取り付かれて、ある時期から仕事を辞めて家に閉じ籠る様になっていました。数ヶ月の内は蓄えていた金もあったので何とか生活も出来ていたのですが、その内に金も尽きて食料も尽きてしまいました。それで、正確に数えていた訳ではないので、詳しい期間はあやふやですが、恐らくは2週間から3週間くらい水だけで過ごす事になったのです。そんなとある日に水道局の職員が、料金滞納を理由に水道を止めにやって来ました。僕は「腰が痛く仕事が出来ないから金もなく、料金が支払えない、だから水道を止めるのは少し待ってくれ」とドア越しに頼みました。仕事に支障が出るほど痛かったという訳では無かったのですが、腰は以前から少しだけ悪かったので、とっさにそう言ったのです。すると、職員から、「役所で生活保護の申請をして来てはどうか」との提案を受けました。結局、水道は止められる事になったのですが、職員は一旦帰ったあと再度来訪しその時は、ビニールパックに入った水を持って来てくれました。そして、「この水が無くなったら、近くの公園でこのパックに水を汲んで来て下さい」と言い残し職員は帰って行きました。それで、僕は翌日くらいに生活保護の申請の為に役所に出向いたのですが、そこでは係の者から、「腰の診断書を病院から貰って来て下さい」と言われたので、その日は書類を数枚受け取って帰路に着きました。すると、帰り道の途中で自転車に乗ったマンションの隣の部屋に住む男性から呼び止められて、食パン一袋とカップラーメン一個を貰いました。彼はどうやらスーパーからの買い物帰りの様でした。何故、彼が食料をくれたのかというと、その数日前に僕はお金を借りようと彼の部屋を訪ねていたので、僕がお金と食料に困っているという事を彼は知っていたのです。あの日、金は貸してくれなかった彼も、当日は僕を憐れみ食パンとカップラーメンはくれたという訳です。彼に礼を言った後、部屋に帰った僕は久々の食べ物であった食パン一袋と水で戻したカップラーメンを一気に食べてしまいました。そして、眠りに就くとそのまま気を失ったのです。それは飢餓状態にあった体にいきなり普通の食べ物である食パンとカップラーメンが入って来た事で体が拒絶反応を起こしてしまったのが、原因だと思われます。それで、気が付いたら病院のベッドの上でした。生活保護の申請に出向いた日以降、一切連絡をして来なくなった僕を心配して役所の人間が部屋を訪ねて来て、倒れている僕を発見し救急車を呼んだとの事でした。僕が入院したのは一般の病院だったのですが、僕の様子がおかしいという事になり、体力がある程度まで回復した所で、精神病院に転院する事となりました。そして、その精神病院で統合失調症との診断を受けたのです。あの時に世話になった役所の方々、一般病院の方々、精神病院の方々には感謝してもしきれない程です。また水の入ったビニールパックを自宅まで届けてくれた水道局職員と、僕に食料をくれたマンションの隣人にも同じ様に感謝しています。皆さんにはこの場を借りてありがとうございましたと言わせて下さい。それと、今になって少し不思議に思うのは、何故、生活保護の申請の為に役所に出向いた時に、2週間から3週間何も食べていないと、係の者に申告しなかったのかという事です。まぁ、あの時は既に統合失調症が発症していて、脳が正常に働いていなかったという事なのかも知れません。
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