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ファッションとしての孤立言語

スペインのパンプローナを初めて訪れた時、イルーニャという駅名がバスク語でこの地を指す言葉だというのは本で読んで知っていた。バスク語はスペインのバスク地方で話される言葉で、話者自身は自分たちの言葉をエスケラと呼ぶ。エスケラは他の言語と文法や語彙で共通点があまりない、孤立語だというのも同じ本で読んだのかもしれない。

実は日本語もかつては孤立語だと考えられていたらしい。島国の日本は歴史的に外国人との交流も比較的少なかったはずなので、ガラパゴス諸島で独自の進化を遂げたガラパゴスゾウガメやガラパゴスペンギンよろしく日本語が独特の言語であっても不思議はない。でも陸続きのヨーロッパで周りと全く関係ない言葉が発達するのは何とも不思議な気がする。

ところが最近読んだ本の中に驚く記述を見つけた。世界で最も多くの言葉が存在するというパプアニューギニアは、人々の往来も盛んだという。にもかかわらず言語が多様だという事実から、言語学者はこう結論した(ドン・クリック『最後の言葉の村へ』原書房、41ページ)。

パプアニューギニアの人々は自己と他者を区別するために言語を使ってきた、というものである。

最初に感じた驚きが去ると、これはむしろ当たり前だと思えてきた。若者が仲間内だけで通じる話し方を好むことは、かつて若者だった人は誰でも知っている。宇多田ヒカルの歌にも確かそんな歌詞がなかったか。あるいは学者が好んで使うジャーゴン(専門用語)も似たような物なのかもしれない。

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