母はなぜ、ブロッコリーを買ってくるのか 前編
どうも、年下の義母の江川です。
シドニー大学の食品化学研究チームが人間の唾液の中に含まれる特定の酵素がある野菜を特に不味くさせているということを明らかにしました。
そのある野菜とはいったい何でしょう?
ブロッコリーです!
「いや、ピーマンだろ!」
「せめてにんじんじゃないか!」
「影が薄いブロッコリーを売り出そうとしているJAの陰謀だろ!」
と、そんな声が聞こえてきます。
確かに、僕もアルバイト中(大学生の頃)のラジオから聞こえてきたとき、そんなわけねえだろと思いました。
ブロッコリーってなんなんでしょう
ブロッコリーってなんなんでしょう。
なぜ、あれを食べようと思ったんですかね。
もっとこの疑問を投げかけたい食材は山ほどあります。
白子とか、ウコンとか、ジャコウネコがうんこにしたコーヒー豆とか
ブロッコリーは初見で食べれそうです。ですが、別に食べようとも思わない見た目だと、僕は思うのです。
あえて、ブロッコリーに行く必要はないのではないかと。
例えば、みんなで山手線ゲームをするとき、お題が野菜だったとして、まず取り合いになるとしたら大根でしょう。次点でトマト、ピーマンなどがあげられます。異論は認めます。
ブロッコリーなんて8周しても出てこないでしょう。
ここで、本題ですが、
母はなぜブロッコリーを買ってくるのでしょうか。
うちの家だけのことなのかもしれません。しかし、母はブロッコリーを買ってくるのです。
もう、母の飯を食べる回数は減り、今後もどんどん無くなりいずれは絶対に食べることはできなくなるのですが、これまでの食事を思い返すとちょくちょくブロッコリーが卓の上にあるのです。
「別にいいじゃん。」
別にいいのです。ブロッコリーが食卓にあっても、別にいいんです。
嫌いじゃないし。
ただ、疑問としてここに
母はなぜブロッコリーを買うのか
だけが存在しているんです。
ブロッコリーが、母の得意料理のスタメンなら、この疑問は生まれないんです。
ブロッコリーが、母の大好物なら、この疑問は生まれないんです。
ブロッコリーが、アボカドくらいの地位ならこの疑問は生まれないんです。
ブロッコリーで、山崎まさよしが一曲作っていたら、この疑問生まれないんです。
ブロッコリーが、さつまいもなら、この疑問生まれないんです。
ただ、母はブロッコリーを買ったとしても、必ず茹でてマヨネーズをかけること以外しないのです。
それ以上の手を加えないのです。
なのに、別に好きというわけではないんです。
これでは、ブロッコリーもかわいそうではないかと思うのです。
ただ、茹でられマヨネーズをかけられて食べられるブロッコリー。
ブロッコリーも特に味に特徴はなく、何の料理でもちょっと違和感がある。サラダでドレッシングがあのふさふさの部分にすっごくしみこむくらいの長所しかありませんが、別に悪いことをしたわけではありません。
だから、なぜ母はブロッコリーを買ってくるのか。
少し、考えていこうと思います。