アイバナ

愛してるをカタチにして伝える話、ハートフルバライティ番組『アイバナ』を文字にしたnot…

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愛してるをカタチにして伝える話、ハートフルバライティ番組『アイバナ』を文字にしたnoteです。 自分や大切な人に気付いて、その気持ちを行動にして頂くきっかけにして頂けたら、とても嬉しいです。 愛のはなを日本から世界中に。 アイバナ2020

最近の記事

天国の母へ

母へ 9年前の8月に突然旅立ってしまい、気持ちの整理もつかないまま葬儀を終えたのは、ついこの前の様にも、大分前の様にも感じます。 典型的な思春期を過ごし、少しギクシャクとした家族との接し方になったまま、その関係を上手く解消出来ずに先立たせてしまいました。 最期の朝におにぎり食べる?と聞かれ、ほんの少し余裕を持てば食べられた筈なのに、断ってしまった事。 少し寂しそうな顔が忘れられません。 丁度亡くなる1ヶ月前に、僕が膝の靭帯を切り、手術する事になり、心配してくれていまし

    • 自分に気付くと、大いなる何かが動きはじめた。

      私が保育園に就職したのは21歳の頃。 正解のない保育に、試行錯誤しながらも毎日子供達に刺激をもらいながら仕事をこなしていました。 そんな中いろいろな育児本、保育本を読むなかで、自尊心、自己肯定感という言葉と出会いました。 自尊心とは自分を素晴らしいと思う心。 自己肯定感とは自分はできると思える心。 本を読み進める中で、違和感を感じ、子供に教える側の私はそれらが備わっているのか??と疑問を持つようになりました。 その自尊心をハートで例えてみると、今の自分はどんな形なの

      • 今だから言える。心からのごめんなさい。

        まだまだ全く成功していませんが、このたびアングラーズにとって、大きな変化がありましたので、このタイミングでうちのメンバーに感謝の気持ちを書こうと思います まずアングラーズの背景から話します。 僕たち株式会社アングラーズは、前身は株式会社フィグザという名前で2012年に横浜の安くて、とても狭いマンションで、1982年生まれの男3人で集まって作った会社です。 この株式会社フィグザの由来は、なんかインターネットとかなんかアーキテクチャーとかが、掛け算したらあーだこーだみたいな

        • 大人になって気付く大好きなお姉ちゃん。

          お姉ちゃんに手紙を書くのは多分はじめてです。これが直接伝わるかわからないけれど、せっかくなので感謝の気持ちを記したいと思います。 私とお姉ちゃんは子供の頃は、それほど仲は良くなくて、どちらかというとお互いに無関心だったんじゃないかと思います。 今ほど、仲良くなったのは大人になってからだね。多分、1人の人間として付き合えるようになったんだと思います。「姉」「妹」という役割を脱いだらこんなに居心地良い人ほかにいませんでした。 お互いにを理解していて、でも性格が違う。単純におも

        天国の母へ

          死亡保険証券と同封した遺書

          お母さんへ   いつこの手紙を読んでいるかは分かりませんが、お身体壊していませんか?   まず初めに、先立つ親不幸をお赦し下さい。  この他、沢山謝るべき事もあるけれどお母さんへの「感謝」を伝えさせて頂きます。    小学校二年生、ガラス扉に突っ込み大ケガをした入院期間、常に寄り添い、夜中にこっそり、包帯の隙間からコンビニおにぎりを食べさせてくれましたね。ありがとう。   吉本興業で打ちひしがれ、無気力なパラサイト期間、「タカシご飯よー。」と一言。他には何も言わず、温かいご飯

          死亡保険証券と同封した遺書

          母さんとの約束

          強くて優しい男になりたい。 僕は今でもそう思ってます。 母さんから教えてもらったこと。母さんの背中を追いかけ続けてます。 母さんの愛に感謝してるし、僕も母さんを愛してます。 母さん元気かな?僕は元気に頑張ってます! 最近、なかなか帰省することができなくて、お墓参りもいけてないや。ごめんね! こうやって手紙を書くと、やっぱり会いたいな。 声が聞きたいなと思うよ。 誰よりも強くて優しいそんな母さんが凄い好きです。 母さんみたいになりたい。 いつか超えて母さんに認めてもらい

          母さんとの約束

          肩を震わせる母の背中 海外留学する日の朝

          父さん、母さんへ 僕は、生まれた時4,000gあり、産むのも大変、生まれてからも、頭が大き過ぎて歩くこともままならなかったと聞きました。 中学生になっても、夜ご飯中に眠すぎて、茶碗の上に覆い被さるように寝てしまう事もありました。その時、起こされようものなら、怒鳴りながら部屋に戻り、我に帰って何に怒っていたのかさえ忘れてしまう。そんな子供でした。 いくつになってもわがままで、人の話も聞けない。忍耐力もない。自由に好きなことばかりやっている。 そんな僕を、いつも全力でサポー

          肩を震わせる母の背中 海外留学する日の朝

          お弁当を作ってくれた妹へ

          まず一言、何時もお弁当を作ってくれてありがとう。本当に感謝してます。 子供の頃は、ケンカもするし、一人っ子が羨ましかった時期もありました。 でも大人になって、兄妹って本当にいいなぁーと思います。A子(妹)が妹でよかったよ。 俺が一番得意な絵、ドラえもんです。(手紙の空白に会心の一撃のドラえもんがあります) あと、A子(妹)、旦那さんは大切にしなさい。今もとてと大切にしてると思うけど、さらにだよ!あと母ちゃんも! 子供、早く作れよ!俺が、結婚もしていないのに説得力ないな、、

          お弁当を作ってくれた妹へ

          妻になってくれた君へ

          有難う。今思えば〇子と一緒になる事は、生まれた時から決まっていたんだなぁと思います。 嫌いな所はありません。恥ずかしがり屋なところ、家族想いなところ、苦手な事が多いところ、全て愛してます。 ついて来てくれて有難う。 俺の友達(知り合いじゃないよ)、家族全て信頼出来る人達だから、困ったことがあったら何でも言ってきてね、きっと助けになってくれるから。 多趣味な〇子なので、いつでも好きなことややりたい事をやり続けて下さい。そんな君が好きです。 もし俺に万が一があった時に、少し

          妻になってくれた君へ

          膵臓癌と言われた親父へ トシロー38歳の手紙

          お父さん、お元気ですか?いきなりの手紙、驚きましたか? 僕は、あなたのDNAをしっかり継がせてもらってます。なので、しっかり真っ直ぐお父さんに僕の気持ちを伝えたくて、この手紙を書いてます。 お父さんのことが、凄い好きです。 故に認めてもらいたい気持ちもとてもあります。 小さい時、会社へ出社する親父の姿を見て、とてもかっこよくて思いました。玄関でバトンタッチと言って両手にハイタッチをしてくれたのを覚えてますか?あのバトンタッチを兄貴と取り合うくらい、ぼくたちは、とても好き

          膵臓癌と言われた親父へ トシロー38歳の手紙