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山田祥平氏『PCのようなものとその見かけ』を読んで
AIはこの手の知識が苦手なようで、MicrosoftのCopilotはなぜか5月4日をみどりの日ではなくこどもの日とする。また、CopilotのベースとなっているChatGPTは敬老の日を正しく9月14日と認識する。最後にAndroidのGeminiで試したらきちんと正解してくれたし、いったんは間違ったほかのAIも、もう一度質問したら正解するようになった。
こんな具合なので、AIの回答を無条件に鵜呑みにするわけにはいかないのだが、人間が考え事をするためのヒントはたくさん提供してくれる。アイディアのキャッチボールのような対話をしながら考えをまとめるにはとてもいい。これこそがインタラクティブということなんじゃないかと実感できる。そして、PCをこんな用途に使えるようになる日が、こんなに早く到来するとは思ってもいなかった。
タブレットが登場したときに,今後PCがなくなるとか言われたけど,決してそんなことはなくて,家庭のPCはタブレットやスマフォに変わったり変わらなかったりしたけど,仕事先には相変わらずPCが残っている。
昨年から今年にかけて,以前ほどPCとは何かと考えることが少なくなってきたような気がする。仕事先で支給されたSurfaceは苦手なままだけど,昨年はかなりデスクトップに復帰したなぁと思っている。でも,ここ一番のときには,やはり私物のiPad Proに頼りっていた。結局,中途半端な二刀流というのはどっちつかずになってしまうのだなぁと思いつつ。
そのiPad Proも昨年はキーボードで使うことが大幅に増えてきたと思う。手書きは必要なときに使うけれど,結局効率を考えるとキーボードを使う。家ではたまにMacBook Proを持ち出したりもする。インテルMacBookなので必要なときに充電されていないという「電源の壁」があったりするが。でも,本当に昨年は久しぶりにPCの日々が戻ってきた感じだった。
自分はWindowsは使えると思っていたのに,デスクトップとタブレットの間が抜け落ちていていろいろ苦労した。本当に使えるの?と自信をなくすることも多く,単に毎日触っていただけだったのかもなぁって思うことも多かった。そして,結局,自分はマウスの人なのだなぁって思って,実は旧世代な己を知ったりもした。
だから,iPad ProでもMacBook Proでもマウスが使えるのなら,心おきなくマウスを使おうと思った。マウスよりもトラックパッドが良いとかマルチタッチが良いとかでなく,目的を定めたら一番効率の良い方法で最短コースで進む。まあ,それが仕事ってもんですよね。
そうなると,iPad Proでなく,MacBook Proを使うし,年末にわが家に新しく加わったM4 Mac miniも使うということになったのが,昨年の収穫かしら。でも,アイデア出しはもうキーボードではできない。手書き万歳。フリーボードバンザイだなぁ。
私の昨年のPCとPCのようなものは,見かけの判断だけでなく,体感的なものでもあるけれど,己を過信し過ぎないで、この道具を使うときは自分の頭脳や手や足がどのように動いているかを考え,それに最適な道具を選ぶ、そういうことを考えるのは大切だと思った。
つまり,道具をうまく使うというのは,自分を知るってことにつながっているのだと思いました。