知的作業の創造性、の幻想...
我々があれこれと頭をひねってやっている知的作業、特に新たに考えなくてはならない提案書、説明文、報告書などなどはそう簡単に機械に代行させることなどできないと思っていた。ところが、chatGPTと少しやりとりしてみたら、生成される文章の完成度の高さに驚いた。
文章の完成度の高さもさることながら、その生成系AIの知的生産物生成のカラクリを聞くともっとおもしろい。
生成系AIがあの論理だった文章をまとめ上げるときには、基本的には意味などまったく考えず、これまで生産されてきた知的作業の成果物からパターンを抽出し、統計的にあり得そうなものを組み合わせながら回答を編み上げるという。
この、意味など考えず、というところが非常におもしろい。言いたいことがあるわけでもなく、達成したいことがあるわけでもなく、これが大事などといったこだわりがあるわけでもなく、ただ淡々とそれらしい組み合わせを計算して文章を組み上げる。なんといっても驚きだったのは、我々が創造的だと思ってきた作業の大半は実はパターンと統計的選択からできていて、機械的に作り出すことが可能なものだったという事実。しかも、意味も、意図や目的も、価値づけといったガイドが何もなくてもインプットに合わせて筋が通っているように見える回答を生成することができるとは。
どんなに高尚に見える文章も、どんなに想像力豊かに見える絵も、文章や絵の技巧、組み立ての部分はパーツや組み合わせの使い回しにすぎないという、元も子もないような事実が明らかにされてしまった。
と同時に、人間にしかできないこと、人間の優位性の証であると思っていたことも、かなり多くのことは機械に任せることができるということがわかってしまった。
おかげで、近い将来機械に取って代わられる仕事・職業のリストが大きく変わった。これまでは知的作業を伴う仕事、創造的な仕事は安泰であると言われてきたが、高度な生成系AIの登場により、そうした仕事の多くはAIに任せられるようになると。
なんともはや。
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