告発「学習指導要領・批判まとめ」 原稿VER25-2023-2-10

2021-10-25
告発「学習指導要領・批判」        
日本人の「英語音痴」はあたりまえ。だって、文科省が「科学・英語用語」の学習を禁止しているし、「カタカナ英語」を放置しているんだもの。公教育では「一斉・対面・板書(大型screen)」学習で同級生の中で生徒に「恥」をかかせ、「精神虐待」し「不登校生」「不登校先生」を量産している。文科大臣は「教育行政・不作為・刑事・犯罪者」である。

「世界に向けて・世界一の『2文4行』digital-AI教科書」を生徒自身で作ろう。そうすれば教育で世界を制することができる。。◉「英語」科目は全廃しても「英語学習時間」は10倍になる。また、liberal-Artsも習得できる。

●「学習指導要領」は戦後74年間、小・中・高校で学習する「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の科目の「英語・科学用語」の学習を禁止して来た。そして、この欠陥を現在でも、誰も気づいていない。それが「日本人・英語音痴」の原因である。asia29ヶ国中26位は「教育行政・不作為犯罪」証拠である。

●文科省は「児童虐待」の総本山である。「一斉・対面・板書(大型screen)」学習で児童を同強制の中で「恥」をかかさせ「精神傷害」を続けている。それは将来から見れば「間違った教育内容」「間違った方法」で児童に「学習指導要領」から指示していればそのように言えるのではないだろうか。我々世代は戦前の教育が間違いとしてGHQに大幅に修正された学習を勉強した。その大部分が踏襲されている。被害者である我々が証拠をあげて立証しなければ被害が永続する。
 将来、現在の文科省の教育指針が改善され、塾のように「単位制・AI教育/AI先生」「2文4行digital-AI検定教科書の採用」「絶対評価」「通信簿・入試・廃止」「横書き」「漢字用語英語化」になった後、現在の「教育行政不作為の罪」「児童精神虐待」で告訴された時、文科省はなんと言い訳をするのだろう。「行政」には「不作為」が認められる。血液製剤で「エイズ非加熱製剤」で「加熱製剤の英文論文」の存在を知っていた厚生省の優秀な医官は(700人死亡)の罪を問われた。彼は「加熱製剤」の英語論文を知っていたからである。知っていなければ「無罪」であった。無知で殺人の実行犯の医者は罪にも問われなかった。「非加熱製剤」は「一斉・対面・板書」授業である。「加熱製剤」は「単位制・AI教育」「2文4行digital-AI検定教科書の採用」「絶対評価」である。
また、「5W1H」で説明すれば現在の「一斉・対面・板書」授業は「Where:教室」「Who:先生と生徒」「When:授業時間」「What:授業内容」「How:板書」「Why:教育目的のモチベーションアップ」の条件の全6件のどれ一つ欠けても成立しない「情報伝達」である。実に危ういsystemである。
こんな危険で、なsystemを文科省は明治以来、採用続けているのである。危機感がないのである。
 フリースクールに行っている児童の父兄が、公的授業が悪いので、フリースクールに行かざるを得なかった「費用」の「返還請求の告訴」があれば文科省・教育委員会・校長は負ける。
 
朝日新聞 2023年10月17日
 東近江市長が「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない。よっぽど慎重に考えないといけない」と「正論」を言ったら、
不登校の子どもを支援する団体が発言の撤回などを求めて抗議し、署名活動を行うなど波紋が広がっていました。
また、文科大臣まで「悪乗り」して
「盛山正仁文部科学相は20日の閣議後記者会見で「子どもによっては学校に通うことができない状況もあり、受け皿の一つがフリースクール。望ましい発言とは考えていない」と苦言を呈した。
 バカじゃないの。フリースクールに逃げなければならなくなった「真の原因」の「一斉・対面・板書・教育」を止め、「単位制」「AI教育」の塾教育を公的授業に導入するという解決案をしない文科大臣のあんたが「教育行政・不作為・刑事犯」であることを認識しろと言いたい。東近江市長は盛山正仁文部科学相を「教育行政・不作為・刑事犯」で告訴すべきである。
「謝罪署名運動」はフリースクール経営者に扇動された父兄である。かれらは公教育からフリースクールへの生徒を増やしたいだけである。それならば東近江市長は公教育にフリースクールのCurriculum・managementを導入して、フリースクールを倒産に追い込むべきである。

●1万語近くある「カタカナ英語」は「国語」か「英語」か「暗号文」か。「高校学習指導要領-英語編」を目を皿にして探したが「カタカナ英語」については1言もない。では「高校学習指導要領-国語編」「高校学習指導要領-理数編」かと思いとりよせた。同様に「カタカナ英語」について1言もない。狂っている。文科官僚・中教審の無責任体質と怠慢である。「教育行政不作為の犯罪」である。そして、「カリキュラム・マネジメント」「アクティブ・ラーニング」という「カタカナ英語」を「カエルの面に小便」のごとく記述している。GHQ命令で「学習指導要領」を作成した当時のままの「ゆでカエル・精神」である。「私生児」の「カタカナ英語」を解決できない中教審の委員は委員になる資格はない。唯一の解決案はalphabet26字を国字化するしかない。「学習指導要領」の巻頭に「カタカナ英語はalphabet表記すべし」と1行入れるだけでOK。「商号・商標」はalphabetがすでに「法務局」「特許庁」で認められて、世界に進出している。「alphabetを国字化」は「国際化」「標準化」の一貫です。「尺貫法➡メートル法」と同じです。恥じることではない。
現在の「英語教育」は「国語(日本語)教育」と「分離・独立」させるバカなことをしている。英語bilingualにしたければ「日本語教育」と「英語教育」の「合併授業」が重要であることは「自明・真理」である。日本語を「漢字+ひらかな+alphabet交じり文」にする。したがってその媒体は「digital横書き」になる。「学習指導要領・国語」は「横書き」になっている。
 
 2022年は「日本語革命・元年」である。と言っても「ゲバ棒」で国会議事堂を囲む必要はない。「alphabet国字化宣言」だけで良い。
1945年(第2次世界大戦)-1968年(明治元年)=77年
2022年-1945年(第2次世界大戦)=77年
 明治維新で当時「禁制」であった欧米文明・文化・哲学・科学(蘭学を除く)が解禁になった。その後、当時の多くの「漢字造語」がなされて、中国・朝鮮に貢献した。私は要らぬことをしたと思っている。もともと「禁制」の「概念」「文物」で「漢字」にないものを「漢字造語」するのは狂気であった。
この時、「alphabet国字化」していれば我々、子孫は「英語」に苦しむことがなかった。「漢字+ひらがな+alphabet交じり文」の日本語になっていた。1945年(第2次世界大戦)以降の1万語近い「暗号文・カタカナ英語」も発生しなかった。日本語革命は77年ごとに起きるのである。「語呂合わせ」である。というより、「alphabet国字化宣言」で「日本語革命」を起こさなければならない。「カタカナ英語」を追放し、「漢字造語」したものをalphabetに戻すという「日本語革命」が必要である。「2文4行・教科書」を利用すれば「静かな革命」「記憶努力なしの革命」でbilingualに自然になれる。2022年+77年=2099年までは待てない。

 これからのword processor「カタカ英語」入力は「IME辞書」の「漢字変換」の中の最下部にある「英単語」を選択して、日本語を「漢字+ひらかな+alphabet交じり文」」にしよう。そして、「カタカナ英語」をこの世から追放しよう。そうすれば日本人は5年でbilingualになれる。「わーぷろ」と打ち「漢字変換」すると「word processor」が選択肢の最下位に表示されます。次回から最上位。文科省はMicrosoftにIMEに「和英辞典」「英和辞書」を内臓するよう命令するべきである。「ふりがな機能」も付けるべき。

●明治維新、第2次世界大戦後の教育革命の最大の失敗と大罪はたった26文字のalphabetを「国字化」しなかったことである。「学問のススメ」の福沢諭吉、第2次世界大戦後のGHQも、ともに犯罪者である。現在の文科省、特にその傘下の文化庁が「本日よりalphabetを国字とする」と「宣言」(『発出』などとは絶対言うな)しないのは「行政不作為」犯罪である。26文字より多い50文字の「カタカナ英語」を生んだ犯罪証拠がある。これを国字化すれば日本人の英語力・日本語力はなにもしなくても自然にあがる。
 福沢諭吉にしても自分が幼少期にならった漢籍を封印して、zeroから英語を勉強しなければならなかった自分の運命を呪っただろう。ジョン万次郎と一緒に咸臨丸に乗り、そのsupermanぶりを見ているのである。日本語文盲の最下層の貧乏漁師の子倅の身分出身のジョン万次郎が旗本に出世して、助けてもらっていたのである。また、福沢諭吉は蘭学で科学実験をしていたが 、日本語・英語・文盲だったジョン万次郎のように米国・小学校から専門学校を2年で「とび級」で卒業し、英語・科学・数学・造船・航海(世界一周)の実力を持っている当時の世界情勢に通じたジョン万次郎から勉強しなければならないとしたら屈辱だろう。福沢諭吉が蘭学から英語に切り替え、ジョン万次郎と咸臨丸に乘ったのは約1年後である。万延元年遣米使節で別の船に乗った小栗忠順が咸臨丸に乗っていれば変わった運命になったであろう。
 私はジョン万次郎は「デジャブ」として三浦按針と重なる。同じ難破を経験していて、日本入国時には「国事犯」として殺されたかも知れなかった。カソリック神父が家康に殺すように進言していた。約250年の差はあるが家康・慶喜が二人を「旗本」に取り上げたのもすごい事であった。
● 医者は「和名病名」と「英語病名」の両方を覚えなければ名医と言えない。英文論文を読み、国際最新医療文献を読めない医者などはヤブ医者である。このように現在、医学生・医者・看護学生を苦労させているのが、文科省官僚である。患者に理解できない医療和名などなくて英語用語だけで十分である。そのうち電子Karteで患者も英文病名を理解しなければならない時代がくる。「メートル法」と同じく「和名病名を使用禁止」して、「死語」にすればよい。
 東大医学部生は「東大安田講堂事件」の出発点であった。最終的に私大生の協力を得て、安田講堂に籠城・放火し、東大入試を中止させた。これなどは伊藤博文が英国公使館に放火して、幕府を困らせたのをまねたのである。東大医学部生は「和名病名を使用禁止」を闘争目標にしなければならない。全国の医者、医学生、患者にとってもmeritがある。文科省官僚はバカなのである。彼らの「不作為・犯罪」を許してはならない。安田講堂事件の東大生は大部分復学している。東大・京大は現在でも過激派の巣であり、国費で過激派を養成している。長州がterroristを養成していたのと同じである。●これに倣えば、過激派・下級教師が校長の指示に逆らい、塾の授業を公教育に持ち込んでも許されるのである。文科省の優秀な一部官僚は将来、無責任を問われるのを恐れて、
「『4.学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策』『(1)「カリキュラム・マネジメント』の重要性」として、HPに不明瞭な「カタカナ英語」を使用して、コッソリ「学習指導要領」と逆のことを公開している。こんなことを文科大臣も全国の石頭の「教育委員会」は知らない。
「塾の授業を公教育に持ち込んでも許される」クビになることはない。現在は「落ちこぼれ学校」では許されている。
●最近の「塾」は「単位制」「個別指導」「AI教材」の「世界一の教育」にしなければ稼げなくなっている。「公教育」より優れていなければ「授業料」をとれないという「経済原理」である。「熱血・予備校講師」などの「一斉・対面・板書」授業などは「紙芝居」と「弁士」同様、およびでなくなった。「塾」は最先端授業を行っている。「生徒目線」で生徒が喜びながら勉強できるようになっている。そうしなければ生徒が集まらない。atama plusのように講師は直接、教科を教えるのでなく、そこは「AI先生」に任せて、横で「ガードマン」として暖かく見守ることにしている。そして、「公教育」より成果を上げている。
 ということは「公教育」が「単位制」「個別指導」「AI教材」の「塾教育」を盗み「公教育」で「無料」で提供すれば「塾・予備校」をぶっ潰すことができる。それを一番望んでいるのは現在「公教育」で「人間教師」から毎日「精神虐待」を受けている「塾」に行けない「普通の子」である。彼らは「こころ優しい子どもたち」なので「不登校」になる勇気がない。労働組合は「ストライキ権」が認められているが、義務教育の子ども達は徒党を組んで「小・中学生組合」を作り文科省に「公教育に塾教育・『単位制』『個別指導』『AI教材」』採用しろ!」とappealし、採用しなければ「不登校・権」を行使することは日本国憲法21条「集会及び結社の自由」28条に「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と保証されている。児童にとって「義務教育」は「労働」と同じである。
 日本国憲法は義務教育と高校生・大学生の生徒が「小・中・高・大学生・文科省を善導する監視組合」を結成することを禁じていない。むしろ「結社の自由」で保証している。「やればいいのに」。要求が通らなければ、堂々と「全生徒・登校拒否」をすれば良い。文科省の存在理由は学生の権利と発達を守る組織でなければ必要ない。「前例踏襲」なら廃止して「AI文科省」にすれば良い。文科大臣も人間はやめて「初音ミク・AI文科大臣」にすれば良い。

公教育全生徒が登校拒否すれば「単位制」「個別指導」「AI教材」を与えなければ収拾がつかなくなる。与えてしまえば「公学校」に来なくてもよい。「100人ZOOM教室」で勉強できる。体操・音楽などのチームプレイだけに登校すれば良い。その場合でもカラオケ、バッティングセンターで「独習」して置いた方が良い。
 「普通の子」は「塾」に行っている子の「嬉々としている」様子を見ながら、「劣等感」が養成される。そして、「公教育」の「人間教師」からも見捨てられ、「落ちこぼれ」児童になっていく。「四則演算」ができなくても中学校に強制進学させられる。
●「computer用語」は、ほぼ英語である。日本のOS「TRON」は米国につぶされたが、小国FinlandのLinuxは世界に普及した。その内部言語はすべて「英語」である。世界の学術論文は英語でなければ認められない。もちろんNobel賞は取れない。Nobel賞をとった梶田隆章・日本学術会議・会長が一番最初にすべきことは、自分たちの受けた教育の改革をしなければ日本のNobel賞など、夢になってしまう。いわゆる「文科系・左派カルト学術会員」は排除すべきである。
●ビート・タケシの無学の母親「さき」は文科省「文科大臣・官僚」、日本学術会議 、教育関係者「教育学部教授、英語学者、日本語学者」、教育現場「教授、教師」、産業界、父兄の誰よりも「学問」「英語」の「目的・作用・効果・価値」を知っていた。「liberalArts」の意義を知っていた。彼女は息子たちに「理科系以外の学部」を受験させなかった。理由は「英語なんてアメリカじゃガキでも乞食でも話してるんだから英語話せても食っていけないんだよ! 理科系の学部以外認めない」と言った。タケシは明治大学工学部に行かされた。学問とは「英語」を勉強することではない。英語で表現された「学問」の中身を勉強して、社会、自分自身に役立つようにすべきと言っているのである。しかし、子は親に逆らうものである。タケシはstrip小屋から芸能の道に進んだ。憎いのは彼の芸に時々理科系の素養がみれることである。母親はタケシの復学を信じて、授業料を払いつづけた。

●「高校学習指導要領-国語」は日本語漢字「常用漢字2136字」を「実社会」で勉強しなさいと放置。「漢字軽視思想」である。漢字は「熟語」で「意味」をなすのである。その具体的「熟語数と意味」を示さない無価値の数字「常用漢字2136字」だけしか示していないのは「漢字」に対する最大の「侮辱」である。日本語を守る意思もアタマもない。GHQ指導の「当用漢字1850字」のtraumaのままである。そして必要のない「運筆・綴り方」を強制している。これは廃止せよ。「漢字」は1文字で利用されることは少ない。「常用漢字2136字」は廃止し、「常用漢字・熟語10000語」を「漢字検定試験」から選ぶべき。

● 最大1年の「知力・体力」の差があり、40人の、よく言えば「自由奔放」、悪く言えば「制御不能」のガキを相手の「一斉・対面・板書(大型screen)」教育とは「相対評価」でclassでの順位を決めるので、「義務教育24万人」の「落ちこぼれ・不登校児・製造装置」である。「公文式・atama plus=AI授業」などの「単位制」「個別指導」「絶対評価(運転免許と同じ)」は生徒を「『演習正解』により脳内麻薬で勉強大好き中毒」にし「生徒に恥をかかせない」「class序列を決めない」「個人に寄り添った」学習になる「世界一の教育」である。教師は教室の隅で居眠りができ、「通信簿」がなくなり、「入試」もなくなる。「落ちこぼれ/不登校児」作ったと勘違いした「良心的教師」はneurosisになり、自分が「落ちこぼれ・不登校教師(精神疾患による休職は過去最多5,897人・公立学校教職)」になっている。悪いのは『諸悪の根源』文科省である。ひいき目に見ても「単位制」にすれば100人ZOOM教室になり、教師は余る。生徒は自習するので、生徒のrequestがあるまでは待機できる。暇なので悪名高い文科省の「report作成」を「生成AI」で授業時間中にできる。残業などはゼロである。

●ICT-AI教育には教育専門家が述べていない長所がある。人間は生まれながらに赤子でもprideを持っている。そのprideへの攻撃には「嘘」を付くか、無視・逃避するしかありません。学習という対話(情報交換)が成立しないのです。ICT-AI教育での長所は生徒に「恥」をかかせないtoolということです。子供はAI教師にいじめられても「恥」とは思わず、gameとしてdopamineが出て奮起できるが、生の人間の先生・両親に「同じ内容」を言われれば「精神虐待」と認識する。「脳内反応」は「game脳」と「学習脳」は同じ「脳内麻薬」発生作用である。
 「占部君! この単語、先週習ったでしょう」と他の生徒の前で「恥」をさらさせる。同じ問題を片思いしている女子が答えると、これは「一生の傷」になる。「一斉・対面・板書」教育は「class序列」をmarkingし、学年終了時には「正規分布」で「相対評価」の「通信簿」が出来上がる。「ゆとり教育」で「絶対評価」になったと言っているが、「単位制」でなければ「絶対評価」とは言えない。
 一方、ICT-AI教育」は生徒に「恥」を起こさせないのである。上の例をICT-AI教育のAI先生から「占部! この単語、先週、習っただろう。それを覚えていないとは、お前は日本一のバカだな」と言われても「恥」を感じない。逆に脳内麻薬のdopamineが発生して「奮起」する。そしてAI先生から「この単語を含んだ例文を3文検索するか文章を作ってみろ」、それを「音声発声・読み下し・free Softで50回、native並みの発音、intonationを聞いて、単語を覚えろ。1週間後に文章をtestするぞ」と言われれば必死になって覚えるだろう。そして、気心の知った友達にも転送する。知財として共有する。「英作文」の練習にもなる。その英作文にはAI教師を怒らすような作文をすれば「高得点」。game感覚であるから当然である。英単語は文章で覚えなければ意味がない。ALT教師は「英語嫌い」を作っている。
 日本経済新聞でタイムリーに「一斉・対面・板書」の「人間教師」による「精神傷害の具体例」が出ていた。
「授業中のうかつな一言 子ども傷つけ猛反省-日経2023-9-18」
相手は小学5年生のサリナ(仮名)だ。
理科の授業でサリナが星の名前を答えた。間違っている上に存在しない名前だったので、思わず「そんな名前の星はないでしょう?」と言ってしまった。その瞬間「しまった」と思ったが、言い直す前に、クラスの生徒たちから大きな笑いが起きた。「ごめん。今のは私が悪い。からかった言い方をしてしまった。申し訳ない。みんなも笑うのをやめて。今のはなし。悪いのは私」と慌てて謝った。笑いはすぐに収まったが、サリナは間違いなく傷ついた。
 この程度で謝っていては、人間教師稼業はやっとれない。サリナはこの事件で正しい「星の名」は印象深くなり、確実に覚えるだろう。「精神傷害」の基準は難しい。最近では「同じコトバ」の暴力でも被害者が「傷付かなければ無罪」、「被害者が傷付けば有罪」である。「被害者が基準」である。LGBT運動などその典型である。
 この「サリナの理科の星座の授業」がICT-AI授業になれば、人間教師は「授業」に口を挟めない。
AI教師がサリナにtabletの「星座」の中から選んだ星に「サリナ! この星の名は?」と質問する。サリナはkeyboardで打ち込む。間違えれば「ハーイ残念。後5回答えてちょうだい」。正解が「北極星」とすれば「最初は『ホ』」とhintを出す。tabletでは「ホ」の「字」の星の名を全部list upしてやる。正解するまで答えさせる。正解すると「ハーイ、ようやくできました。罰としてこの『北極星』と英語名Polaris(米原潜の名?)を50回発音しなさい。正しく発音できるまで『音声認識』でcheckするぞ」とすればclassの誰より「北極星」については詳しくなる。そしてhyperlinkで「プラネタリウム」に飛んで、ついでに「北斗七星」も見せてしまう。「プラネタリウム VRゴーグル スマホ 3D バーチャル-9600円」で見ると、夜に自分で観察しなくても良い。星の「神話」の由来もhyperで飛ぶ。「反転授業」のAI化である。「人間教師」は立ち入る事ができない。サリナが理解できなくても、「星座の物語」をシャワーのように与える。一通り「星座の物語」が終わればサンプル質問をする。不正解なら、「星座の物語」の流れを正解の場所までサリナ自身にマウスで戻させる。数回、「星座の物語」を見れば全体が把握できる。重要なのは「細部記憶」理解でなく「全体」を紹介して「星座の物語」に興味と探求心を記憶してもらうことである。「曖昧記憶」で良い。何か「特定の星」について大人になって知りたいときに、スマホさえあればいつでも検索で戻れる。戻れることが重要。そして、1か月後に人間教師に理科の時間に10分ほど時間をもらい、自分を笑った級友に「星座の物語」のlectureをして「かたき討ちの場」をもらう。星の名前は英語の名も言い、級友に覚えるように言う。この場合の笑った級友も「一斉・対面・板書」なので実際のClassmate「アバター」になる。「やらせ拍手」と同じ。すべてAI-storyである。
 地球からの「距離」がなぜ「光年」なのか私はしばらく理解できなかった。「距離」と言えば「隣町・東京」までのKmしか知らないので、実感できない。地球から太陽までの距離「0.00001581光年 」光が届くには8分19秒かかる。特定の星までの距離は「億光年」と漠然と理解する。

 最近、すごい「英会話教育AIソフト」が出た。上の私の意見「虐待」も少し説明されている。
2023-8-16産経新聞
 早大ventureの「エキュメポリス」が開発した「対話型AI先生/LANGX Speaking」です。以下新聞記事とHP https://www.equ.ai/langx/
①教員が数十人の生徒それぞれのレベルに合わせた指導をするのはむつかしいが、AIを使えば個々の実力や課題を瞬時に把握しオーダーメードの指導が可能。
②語学力の国際標準規格「CEFR(セファール)」に基づく評価に加え、発音や文法の正しさ、臨機応変な対応ができているかといった6項目について助言が表示される。
③AI相手なら間違うことの恥ずかしさがない。恐怖心を減らして会話を繰り返すことができる。

この意味することは
①「人間教師」の「一斉・対面・板書(大型screen)」授業は生徒を「辱め」「恐怖心」を与えるが、AIアバター先生は生徒に「奮起」させ「生徒に寄り添い」「個別指導」してくれる。class生徒全員ひとりひとりに「人間教師」より優れた日本一のAI先生が付いてくれる。
②1つの教室で生徒は「単位制」で「自分勝手に」AI先生と授業し、間違えた瞬間、その生徒の英語力を理解し、その子供独自で最高の「教材」を提供し、対話しながら、どんどん課題を正解して、単元を進めていくことができる。人間教師が介入すると、邪魔なので、教室の隅で居眠りしてもらう。AI先生は人間・先生と異なり「疲れ知らず」に1263万人の生徒に「個別に」「最高の指導」「同時に」対応してくれる。
③発音、intonation、文法は生徒ひとりひとりがheadphoneとmicrophoneで「音声発声」「音声認識」でnative並みに生徒と対話して、CEFR(セファール)評価を上げるための助言を「無限」に相手してくれる。「私語」「chat」もOK。こんなsystemが出れば「100人ZOOM教室」が可能になり、「単位制」になり、必要であれば時差の近いNZ,豪州の生徒と一緒に勉強できる。英語授業に限らず、すべての科目が「2文4行AI検定教科書(和文・英文並列表記。英語・日本語ルビ付き。表示・非表示任意)」になれば小学6年生(12歳)でbilingualになり、中学課程を終えられる。中学3年生(15歳)で高校過程を終えられる。高卒認定試験を受けて、「飛び級」で米国のivy leagueに入学しても授業についていける。小泉進次郎のように「Colombia大学・大学院・裏口入学」しての「英語学校」編入は不要になる。 また、class・学年がなくなるので学校には人間・先生は数人でよい。それも教えるのでなく守衛である。
④ このアプリはALT教師1263万人分の働き以上のことをしてくれるのである。「いつでもWhen」「どこでもWhere」「世界一の内容What」「個別指導」で「生徒Who」に「寄り添った教育How」をしてくれる。これでは教師は必要なくなるということです。それは「AIが普及すると亡くなる職業」ということです。ひいき目にみても、最初に亡くなる仕事は「英語塾」「英語教師」である。

私が子供の頃よく言われたことがある。「社会に出れば学校の理不尽さなどは大したことない。今、ガマンして、その理不尽さを受け入れないと、甘えになり、社会に出れば苦労する」と言われた。stress testを教育にかけられるのである。会津・日新館の最悪「什の掟」の教えである。ただ、「自己確立」で「自分の脳細胞」を充実するためには「単位制」でなければならないだろう。他者とのかかわり、例えば「teamwork」などは「他者調和」教育として「一斉・対面・板書」教育が必要であるのかもしれない。「反転教育」でclassで「議論・発表」のskillには「一斉・対面・板書」があるかもしれないが、その前に「自己確立」のための「単位制・個別指導・独習」「絶対評価の通信簿・入試廃止」「横書き」「2文4行digital教科書」「AI教師」が前提・基本でなければ教育とは言えない。現在は今までの何百年も続いた教育方法が革命的に変革しなければならないturning pointである。その道具がcomputerである。「ICT-AI教育」を生かすためには「一斉・対面・板書教育を禁止」して「単位制」でなければならない。「ICT-AI教育」と「単位制」はsetである。
 「学習・中毒脳」の究極は「Nobel賞」である。しかし、大半の研究者は「Nobel賞」をもらえない。しかし、その失敗・徒労にこそ科学のために価値がある。

● 最近、流行のSDGs(17の目標)の4つ目「質の高い教育をみんなに」がある。もし、文科省が「世界一の検定教科書」を作る意思・目標があるのであれば「義務教育24万人不登校・不登校先生5000人」を作らないsystemを考えるべきである。それは「一斉・対面・板書」禁止。「単位制・個別指導・独習」「絶対評価の通信簿・入試廃止」「日本語横書き」「2文4行digital-AI教科書」「AI教師」「一般意味論・教育」をすべきである。

●「教育・授業」とは、突き詰めれば「教師」が生徒の「脳細胞」に「知識」を「印刷/print」すなわち「刷り込み(imprint)作業」である。その「刷り込み」を確認するのが「test」である。オーム真理教のようにtesterを頭にぶち込むことはできないので、「正しい印刷」が「脳細胞」にされているかをtestで確認・指導・完了までが「教師の責任」である。「印刷不良」のままにしておくことは「詐欺師」のやることである。「偽善・不良教師」は日本一の先生が、大金をかけたNHK通信高校、NHK for school、Youtubeが自分の「一斉・対面・板書」授業より優れていることを知っていても、「上から目線」でいかに「一斉・対面・板書」授業が優れているかをappealする嘘つき教師である。「低価値商品・知識」を平気でウソを付き「催眠商法」で売りつける「詐欺師」である。その詐欺師の胴元は教育委員会・校長・文科省官僚である。すなわち、「一斉・対面・板書」授業は「催眠商法の場」である。
 私自身の学習経験からしても、「一斉・対面・板書」授業よりも、「一夜漬け」の方が学習能力・効率が上がった。よく、両親、教師は「学校での授業を一心不乱に先生の言うことを聞き、ノートに取れば、他に勉強しなくても、高校、大学に合格する」と言われた。ウソである。教師の口上を聞くのも嫌だった。私が嫌がらせに「先読み」質問をすると、無視された。教師と私のtimingが合わないのである。じっとしているのが苦痛だった。小学生の時、私が一番希望したのは、教師が使用している「あんちょこ」であった。一度、教師が教壇の上に置いたまま、職員室に帰った時、「盗み見」すると「設問、模範解答」が生徒の教科書の上に赤く印刷されていた。「私が欲しいのはこれだ」と思った。小学校・中学当時の田舎では「ドリル・参考書」は書店で売っていなかった。時々、教師が著作権法違反で謄写版で「わら半紙」に印刷された「プリント・テスト」が生徒の能力を見る「唯一機会」であった。
 高校でも寮で「数研出版のチャート式」で勉強した。授業には身が入らず、「不登校」になり、担任に叱られた。仕方なく、教室の後ろで「内職」をした。大学でも「必須」以外は出席せず、しても出席を取ると「居眠りしていた」。期末試験前には出て、試験範囲を聞き「一夜漬け」で勉強した。現在ならWIKIがあるので、すべて独学が可能である。大学での「一斉・対面・板書」より分かりやすいし、「神経集中」できる。「上位概念」の「曖昧記憶」で十分である。必要なときにGoogle、WIKIに戻り確認できる。
これは「一斉・対面・板書」には「百害あって一利なし」という証明である。検定教科書・大学教科書は「digital-AI版」になれば「一斉・対面・板書」と「人間教師」は不要になる。いちいち、教師経由の情報ではbias、誤情報、「時代遅れ」になる。最近、教授達はその「時代遅れ」に気づき、「反転教育」で生徒に資料を「先渡し」し、「教室」は「議論の場」にしようとしている。その最高峰が、「世界一のミネルバ大学」である。それが小学生-高校でも有効性がみとめられている。しかし、それでは家庭に負担がかかる。そこで、登校時に「単位制-塾教材-AI授業」にして、「宿題・予習・復習」を、授業時間内にし、「自習+AI先生」で「精神集中」授業にしてもらう。家庭での「宿題・予習・復習・禁止」の「slide反転授業」である。「学習進捗度」が異なるので「議論」はできない。AI先生と個別に「議論」する。「いい質問ですね」の場合はFAQに残す。
社会人になっても、「大学教科書」より、最新情報の載ったGoogle,WIKI、特許情報の方が役に立つ。事実、この報告書は私の専門外の「教育」「英語」であるが、すべて「公開情報」からである。TV、新聞などから「受動的に」入るTV, 新聞・情報と、疑問に感じて「能動的に」調べるGoogle,WIKIとAmazonから購入する本である。それらを「乱読」して、私の「記憶」として違和感を感じると「新発見・発明」としてまとめたものである。その違和感は専門家の意見と真逆であった。それでなければこの報告書は「ゴミ」にしかならない。
● 「公文式・atama plus」を「公教育」に取り込めば、父兄は「塾代」が掛からず教育費のcost performanceになる。父兄はその費用を自分の学習に使える。生徒は「塾・公教育の二重学習」にならないのでtime performanceで「趣味」の「お金costと時間time」を増やせる。

● 習近平は「塾禁止」で逆のことをして中国人子弟の学力を落とした。「二者択一思考」である。彼は「毛沢東語録」で育ったのだ。「塾教育」を受けられる「金持ち」は「貧農」より階級が低くあるべきなのだ。教師のような「頭脳労働・知識人」は「造反有理」で殺しても良かった。2000万人が殺された。Cambodiaの「毛沢東派」は知識人を少年に殺させた。自分が10年間教育が受けられなかったので、現在の「塾教育」が許せないのだ。彼は「最下層人民(副首相息子)」であったので紅衛兵につるし上げをくい、投獄され殺されそうになった、許されて、「奴隷」として「下放」された。殺されなかっただけありがたく思わなければならない。10年間学校が閉鎖されても、習近平はコッソリと勉強していた。また娘・習明沢を後にHarvard大学に行かせた。「人民の幸福などはどうでも良いのである。自分たち家族さえ利益が得られれば良いのである。「塾禁止」「zero-corona」の3年間など習近平にとって短いものである。あと10年もすれば「zero-corona」ということが「大躍進」などと同level「中国悪政」のphraseになるだろう。中国共産党は「政策」により「人間」を抹殺するのである。国名の「中華人民共和国」は共産党が「人民」をcontrolする社会である。
 文化大革命(1966-1977)の10年間で教育に与えた影響は甚大だ。すべての学校・大学が閉鎖それた。多くの知識人が殺された。特に小学校に入学する6歳からの児童は10年間「北京語・文字学習」が禁止されたのである。1960年から1970年(現在53歳-63歳)に生まれた人は学校が再開されるまで学習ができなかった。文盲の人も多いだろう。習近平は1953年生まれなので、13歳で文革が始まった時には初等教育を終えていた。 1960年から1970年生まれの人はジョン万次郎と同じく16歳から小学校に入学して文字を習ったのである。その人数は分からないが1億人は超えるだろう。

●(岸田総理+古川・法務大臣+茂木・外務大臣+末松文科大臣+後藤・厚労大臣)5大臣の 「理科系・英語用語」能力は米国の中学生並み。だって習ってないんだもの。小泉新次郎は「裏口入学」後に必死に勉強した。
 福沢諭吉の知財犯罪は鎖国で禁止されていて、日本に存在しなかった欧米の「科学知識」「文化知識・哲学知識」「音楽・芸術知識・宗教」を自身の漢籍の知識を自慢したくて「漢語翻訳・造語」という知財犯罪を犯した。もともと日本に存在しない「知財」だから完全に翻訳・造語なとできる訳がない。ジョン万次郎に対する嫉妬か。その中途半端な造語が現在中国語に採用されているという自慢は「愚挙」であり、知識犯罪の証拠である。alphabet26文字を国字にするだけでよかった。彼の失策は「造語puncture」なしに、できると欧米知識の容量を過小評価していたことである。それが間に合わなくなり我々子孫は「カタカナ英語」という無駄な「暗号文」を覚えなければならなくなった。負の知財遺産を残した。「学問のススメ」「脱亜入欧」だけでなく「学問のムダ」も実行させたのである。

●現在、大学入試では「科学英語用語」は出ない。入試に出ないと勉強しない。入試に出せばすぐにmasterする。そうすればbilingualになれる。国家試験も英語用語を正解にすべきである。

●高校生までの「英語」以外の教科書を「2文4行・英語対訳+英語ルビ/AI教科書」を振れば小学6年生で「bilingual」になり、中学卒業で日本・米国の大学に現役・同時合格できる英語力がつく。現在の「学習指導要領」に沿った検定教科書に「追加」だから違反ではない。禁止されていない。たとえ「英語」の「学科」を廃止しても英語の学習時間を5-10倍に増やせるideaである。英語力upの究極の方法は「英語学習時間」を増やすしかない。5-10倍ならバカな日本人生徒でもbilingualになりAsia1位の英語力、ICT教育がOECDで1番になる。「ゆとり教育」の再現である。改革指令は簡単である。文部次官通達で「学習指導要領の頭書」にすべての教科書を「2文4行」にすると一行入れるだけである。また、「『国語』教科書を『横書き』にする」も必要である。
現在の「塾産業」の繁盛は「公教育+検定教科書」が「不良品製造工場」であることの証明である。生徒、父兄から信頼を経ていないのである。信頼を勝ち取るためには塾同様「単位制」にするしかない。そして「2文4行・AI教科書」にすれば「塾産業」を壊滅できる。

●日本人は大半は国際化に余り関心がない。特に日本語と外国語の関係に関しては無関心である。「日本人は最低の英語能力」と言われても無関心である。世界の大半の記録は「横書き」で書かれている。「漢字圏」であった中国、韓国も「漢字・縦書き」から「漢字・横書き」に変更されている。それは韓国漢文憲法(現在はhangeul)、人民日報も「横書き」に変わった。日本でも、教科書は国語以外は「横書き」に変わった。国会議事録、裁判書類も「横書き」に変わった。通常、日本語の変化は民間が官に先行するのが普通である。実務、実用、記録機器などの変化でそうなるのである。度量衡のように法律で強制化しなくても、実態がどんどん「横書き」になるものであるが、現在は逆転現象が起きている。文化、教育、propagandaでleadershipを取り、先行しなければならない紙・新聞・雑誌などのmass communication、出版界が「抵抗勢力」として「縦書き」を維持している。これは実に奇妙な現象である。同じ内容の新聞が「紙では縦、digitalでは横」という実におかしい。そのおかしさに気づかない「新聞業界」である。漫画も韓国発の「スマホ漫画」のWEBTOONは「縦スクロール」である。漫画の世界標準は「左開き縦」である。我々が大正期の新聞広告の漢字熟語が「右から左」になっているので読みずらい。規格の変更の読みずらさは一時的なものである。
一層のこと、「縦書き」が「国際標準化として混乱を招く」として、度量衡のように法律で「縦書き禁止・横書法」を成立させるべきである。新聞は「電子版」では「横書き」である。紙媒体もそれに合わせるべきである。彼らは横書きにすると販売数が減るかもしれないと間違った感覚を持っているのかもしれない。読者はどうでも良いのである。新聞界得意の「談合・値上げ」と同じく「一斉・横書き」をすればよい。というより、「紙・新聞」は配達員確保がむつかしくなり、また、「広告収入」が減収して「週間朝日」のように自然消滅する。官報も「横書き」にすべきである。将来、国立印刷局も「紙・媒体の官報」「紙幣」の印刷がdigital化でなくなり失業するかもしれない。

●「ルビ」は平安貴族・僧侶が発明した「異言語学習」手段。これにより、alphabetを「国字化」し、日本語を「横書き-ひらかな+漢字+alphabetまじり文字」にまとめられる。

●「Afghanistan女児1000人毎年・招へい・看護師養成project」も可能である。資金援助不要。病院が「前渡金」を払う。国家資格をとった後、病院で「お礼奉公」すれば良い。中南米からの出稼ぎ日系人の子弟の「trilingual教育/3文6行教科書」も可能。彼らは「金の卵」であるが、現在「半グレ」にしている。

●学習指導要領にdigital化に言及なし。一行だけ、ICT教材を利用しなさいとある。最高のICT教育・DX教育の塾授業atama plus-AI教材を「検定教科書」の代わりに公的授業に導入すべき。Cost & time performance。全国の父兄は子弟を「学校登校拒否」させ「塾」に登校して、その料金を教育委員会に払わせよう。また、大学の授業についても「2文4行AI教材」を開発すれば、世界一の教材になる。大学教育は「学習指導要領」の範囲外であるから「自由競争」である。その大学だけが生き残れる。
 文科省は利権拡大の「総本山」である。少子化で客である子どもは減るのである。それに従い、私が経済学部で勉強した、「経済原理」の基本中の基本の「需要と供給」という経済原理から教師も少しクビにしなければならない。ところが逆に増やせという。私は間違った原理を勉強したようである。その頃、「パーキンソンの法則」という雑誌の「俗説」がブームになった。今回の文科省はその法則を採用したようだ。こちらの方がぴったりあてはまるのである。
パーキンソンの法則WIKI
(パーキンソンのほうそく、: Parkinson’s law)は、1958年、英国の歴史学者・政治学者シリル・ノースコート・パーキンソン英語版)の著作『パーキンソンの法則:進歩の追求』、およびその中で提唱された法則である。役人の数は、仕事の量とは無関係に増え続けるというもの。
「 ICT教育」の目的はdigital化により、教育の効率を上げることである。その意味は「教師の楽して、残業なし」にし、生徒は教師に頼らず、「自主的に」ICT機器で「教師より立派な教育内容」をふれて、教師に邪魔されることなく、効率よく学習を進めるという事である。文科省としてはそんな結果になれば、省益が棄損するので大問題である。学習指導要領ではICT教育について詳しく説明するとダメなのである。むしろ「ICT教育」は大変なので、それを理解できる教師を新規採用しなければならないという「パーキンソンの法則」でICT教育は失敗してもらわなければ困るのである。そこで、ICT教育に対して、あらゆるsabotageの策を打ち出し、学者も動員して「紙・教科書」に戻せというcampaignを貼ったのである。それは大成功で日本はOECD38ヶ国中、ダントツの最下位である。一方、民間の塾はそんなことしていれば経済原則の「需要と供給」「必勝劣敗」の法則で父兄、生徒から見放されるので林先生の「一斉・衛星授業」より、ICT教育に切り替え「教育の効率cost performance」「単位制time performance」にまい進し、最近での塾の宣伝文句は「個別指導」「AI教育」の基本「単位制」になってしまった。公教育の場は「生徒の塾通い」のための「居眠りの場」である。これでは良心的な教師は「精神疾患」で「不登校先生」になるはずだ。

学校教育法34条は「検定教科書」の使用義務を課している。また、「digital教科書」は「紙・教科書」の「完全copy」でなければならない。「追加・改良」は許されない。「反転教育」に必要なhyper linkを貼るなどはもっての他である。それではICT教育は不可能である。「英語教育方法4法・hearing・speaking・reading・writing は一般学習法としても大事である。しかし、現在の「digital教科書」は 「紙・教科書」としてreadingしかできない。「音声発声・音声認識」ができなければdigital教科書の意味がない。speaking, hearingのために英語圏の若者をALT教師として採用し、「日本長期観光旅行」の場を「日本政府」がsponsorとして提供している。1週間に1回の授業で「英語嫌い」の大量生産をしている。
 狩野さやか氏は「紙・教科書」を「自炊・コピペ・OCR-digital化」した。現在のdigital教科書は学校教育法で「紙・教科書」の内容以上のものにすることを禁止している。これではICTdigital教科書とは言えないし、「紙・教科書」より使用しずらい。これが攘夷派・新井紀子教授が「紙・教科書」に戻せという根拠である。バカげている。「コピペ・OCR-digital化・加工・2文4行」にすれば「世界一のdigital教科書」が可能である。「紙・教科書」代金は教育委員会が払っているので、「著作権問題」はない。学校に配布された紙・教科書は生徒に配らず、新品から1冊だけ取り出し「自炊」して、残りの新品教科書は「空き教室」に山積みして、天井まで教室一杯になるようにする。生徒に「digital教科書」と「容量」比較をさせる。理解できれば、「紙飛行機・折紙・紙吹雪」の材料にする。次年度からは「自炊」する必要もない。弟はお姉ちゃんのdigital教科書をcopyでき、独学できる。そして、高校過程までをお姉ちゃんより先に終了してHarvard大に「飛び級」入学が可能である。

● 最近、気づいたことがある。「教育の憲法」として教育関係者が守らなければならない「学校教育法34条・検定教科書使用義務」と「学習指導要領」は「本物の日本国憲法・言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」 (21条1項) 、「検閲は,これをしてはならない」 (同条2項前段) に完全に憲法違反である。しかし、判例では違反しないとなっている。しかし、digital時代になり、「AI教科書」時代になり、塾教材に内容的に劣り、それを強制されている生徒は「地獄・虐待」である。再度「学校教育法34条・検定教科書使用義務」を「憲法違反」で訴えるべきである。また検定教科書を使用しなくても罰則がないのであれば、勇気を持って違反して、塾・AI教材を検定教科書の代わりに使用すべきである。 教育確保法(2017年実施)では 「検定教科書使用義務」はない。「落ちこぼれ学校」の「オルタナティブschool」が最先端「塾・AI-digital教科書」を「単位制」で使用できるのに公教育では許さない。
 公教育が生徒を「辱める」「一斉・対面・板書・授業」を廃止して、「単位制=学年・class廃止」「AI教材・AI先生」「100人ZOOM教室」になれば、「塾廃止」になり、「イジメ」「不登校」はなくなり、嬉々として登校して、地域の年齢、性別に関係なく勉強できるようになる。必要であれば地域を越えて、海外の学校の児童とも一緒に勉強できる。すべての公教育が「オルタナティブschool」になるので、卒業までに同じ学校の1000-3000人の生徒同士の「個人交流」が可能になる。授業中の「私語」で相手の人間性を確認できる。これは子どもたちの「社会性」を育てることになる。そして、一番のmeritは「偏見」が亡くなる。人間は大人になっても、特に現在のSNS時代では、自分で「見聞」しないで「噂」で「偏見」を持ってしまう。小さい時から町内の同世代の1000-3000人と「直接交流」の経験は大人の社会に入っても「正しい人間観察」skillを持った人間に育つ。
 文科省が公教育を「オルタナティブschool」にしない政策は厚労省が「エイズ加熱製剤」があるにもかかわらず「非加熱製剤」の使用を続け700人を殺したのに似ている。「教育行政・不作為・犯罪」である。文科省は「AI-digital教材」があるにもかかわらず、「一斉・対面・板書・授業」で児童を辱め、「脳細胞」を「虐待」しているのである。その犯罪被害の規模・質は「エイズ禍」の比でなく、1263万人規模の加害である。
 というより、吉田松陰のように勇気ある校長が「紙・教科書」を廃止し、検定教科書をYOUTUBEに私の提案する「2文4行 AI教科書 」「横書き」で公開し、hyper linkを充実し、「AI教科書」にして生徒が「動画で独習」して「演習(東大過去問)」して不明な点をAI分析して、理解できる場所に誘導し、完全理解できるようにする。語学・音楽の発音・発生は「音声発声・認識」でALTより上手に指導する。生徒だけでなく、すべての日本人、外国人で日本語を勉強したい者が日本語・英語・母国語で独習できるように場を提供すれば、現在の公教育は吹っ飛んでしまう。小学6年生で高校過程を終了可能である。
ICT教育が革命的で誰も指摘していない点がある。「人間教師不在」で生徒に寄り添って、「個別指導で生徒に恥をかかせない方法」で辛抱よく指導してくれる点である。
人間教師の個人指導でも、生徒は常に先生の顔色を見ながらの学習である。人間教師から間違いを指摘されれは、恥と思い、萎縮する。人間はzero歳児でもprideがあるのである。しかし、「AI教師」から「あんたバカねぇ。ここんところに戻り、10回復唱」と言われても機械なので「恥」と思わないで奮起できる。「game、quiz感覚」である。AI教師を「悪役」に見立て、それを打倒してadrenalineと点数を上げていくのである。「学習game中毒患者」に仕立てるのである。もはやAI機器は人間を凌駕し、人間を指導する立場であることはchess、囲碁、将棋の例を見ても明らかである。藤井聡太もAI将棋で勉強している。本人が師匠より強いので、AI将棋を師匠としなければならない。
 ここでいうICT教育は「人間の姿」がない教育である。digital教材を教師が対面で教えては生徒に「恥」をかかせてしまう。最高のAI教師がよいのである。常に最強教育法・内容に更新されるので、「デモシカ先生」は邪魔なのである。

●そもそも「検定教科書」を生徒に学校経由で配布する必要があるのか。「国民共有知財」として文科省のHPにupして、誰(Who)でも、どこからでも(Where)、いつでも(When)、どれでも(すべてWhat)、internet(How)で、人類・学力向上(Why)のためdownloadできるようにすべきである。そうすれば、発展途上国に無償で教材を提供できる。赤十字、Unicefのように寄付金により、衣食住の有形の財産ではないが、無形の極上の「知財」を無償で提供できる。それに類似したsystemには「特許文献交換」の「特許協力条約(PCT)」がある。また私が1977年に提案した「大学の授業公開がMOOC」となって公開されている。「特許公報」も元は審査官が審査して特許性ありと認められたもののみが「公告公報」として印刷物で出版されていた。特許制度を変更して出願から1年ですべて公開公報として出版されることになった。最近では印刷でなく、digital出版である。出願もdigitalであるから経費はほとんど掛からないし、検索も電子化で容易になった。世界中のどこからでも閲覧・downloadできる。教科書をそのようにすれば良い。全世界の人が無料で日本の小学1年から高校3年までのすべての「digital-AI-2文4行教科書」を閲覧・downloadできる。
 文科省HPは「教科書」を生徒に無料配布してやったから「ありがたく思え」言っている。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/010301.htm#07
「憲法第26条に掲げる義務教育無償の精神をより広く実現するものとして実施されています。令和元年度の無償給与に関する予算額は448億円であり,約971万人の児童生徒に対して,合計約1億冊の教科書が給与されました。
 ふざけた話である。これだけの金を「教科書関連会社」に「著作権料」として払っているのである。 それならば「紙・教科書」を廃止して、HPから配布する方法にすれば数分の一にできるだろう。また、利用者からのcommentを直接受け取れるので、改定時に役立つ。学校に「わいろ接待」で決定した「検定教科書」1種類だけでは子どもがかわいそうである。そんな収賄・教師からの情報では教科書の「善悪」を測れない。というより、すべてを配布して比較・授業をしなければ判定できないはずだ。生徒もすべての教科書を見たいだろう。HPからなら1冊も全てもCostは変わらない。教科書会社も「選ばれないrisk」を減らすことができる。また、私みたいな年寄りが独学したいと思った時、どれが良いか分からないから、「すべて」を見たいものである。それが「現地語+日本語+英語の3文6行digital教科書」であれば世界一の教科書になる。海外の児童の5億人がdownloadしてもcostは変わらない。文科省はHPにupするだけで「世界の児童」に貢献できることを知らないGalapagos官僚ある。

●最近、2023年4月に面白い学校があるのを知った。教育確保法(2017年実施)に基づく「オルタナティブschool・不登校・落ちこぼれ児・救済学校」である。そこでは「検定教科書」は義務づけられていない。最先端の「AI教科書」が使用されている。生徒は勝手にtabletのAI教師と学習している。人間教師は生徒の学習を見守ることに主眼をおいている。公学校との「二重学籍」も許されていて、公学校に行かなくても公学校が認めれば出席を認められる場合がある。これでは公学校の父兄が怒りだすだろう。自分たちの子どもは「塾」と「一斉・対面・板書」が義務付けられ、時間・費用の無駄遣いを強いられている。それなら、「オルタナティブschool」に転校すると言い出すだろう。一番良いのは公学校が「オルタナティブschool」と同じCurriculumにすれば良いのである。「落ちこぼれ・不登校生」がなくなる。「単位制」「絶対評価のAI教育」で通信簿廃止、入試廃止(毎日が入試の演習)。教師は教室の隅で居眠りできるので教師不足は解消できる。「35人教室」は文科省の陰謀である。「100人ZOOM教室」が可能である。
 親が子どもに期待する最低限のことは何だろう。game中毒になってもらっては困る。親の期待する大学・会社に入ってもらいたいなど過度の期待がある。親が子どもの成績に心配するのは、自分の子どもの成績実態が分からないからである。その実態が把握できないから心配するのである。それであれば自分の子どもが「学齢」の「単位・単元」で80点以上の「絶対評価」を獲得していればOKとすべきである。私は「学習」に限って言えば「一斉・対面・板書」が禁止され、「単位制-AI授業」「絶対評価」になれば「毎時」の「全国成績得点・順位」が文科省のserverで収集・閲覧できるようになる。「全国模試」が毎日実行されるようなものである。そして偏差値で選ぶ大学を選択可能になるし、奮起してガンバルだろう。それ以外は子どもの自由にさせれば良い。課金のかからないgame中毒なら仕方ない。gameで課金のsystemは「gamble依存症」と同じ神経破壊になるので、未成年には法律で禁止すべきでする。無料ならmouse操作の訓練になる。

「岡崎市の不登校対策-全中学校に『自由な居場所-安藤直哉岡崎市教育長』日経 2023-8-22」
 岡崎市教育委員会は全中学に「F組」という「不登校生収容教室」を作るということである。「中学校内・フリースクール」ということである。「フリースクール」に行かなくてよくなるかもしれない。父兄・生徒にとって費用・時間の節約になる。しかし、バカげた政策である。不登校になる原因を調べず、フリースクールを校内に作り、閉じ込めて「不登校」を減らすというごまかしの政策である。「一斉・対面・板書」授業が「普通の子」を「不登校」にしている原因である。それであれば、「一斉・対面・板書」授業を止めてフリースクールが採用している「単位制」「クラス・学年廃止」「AI授業」にすればだれも不登校にならないし、喜んで登校するだろう。「人間教師」より優れた、優しい、我慢強い、個々の生徒の能力に応じて教える「AI教師」が教えるので「人間教師」は教えないで教室の隅で居眠りできる。100人教室も可能である。塾代の出費を吸収できる。
 岡崎市教育委員会の本音は「お願いだから、不登校にならずに、とにかく学校に来てくれ、後はF組で寝ていても良いから、不登校だけは勘弁してくれ」ということである。単に教育委員会の「見栄・責任回避」である。

●現在の「学習指導要領」には「単位制」を禁止していないのでやっても良い。福山市教育委員会では「異学年授業/イエナプラン教育」をしている。しかし、それより優れた公文式、AI-atama plusなどの「塾教材」は無視されている。福山市教育委員会は「舶来無条件崇拝」のバカ。立命館、駿台予備校がatama plusを採用。公文式は海外の生徒数が多い、公教育に導入している国がある程、素晴らしい。

●たとえ、東大合格の学力があって、英語が100点でも米国の三流大学の授業について行けない。「学習指導要領」が覚える英単語数は「根拠なしに」タケシの母親がバカにする5000語の「生活英語」「英文学英語」だけで良いとしている。TOEFL並みに1万語は必要である。

「2文4行AI教科書」は現在、世界中にどこにもない。これを授業で教師と生徒が製作して行ってもよい。それもAIで大部分は「自動翻訳」されるので、checkだけになる。そして、それを「教科書・知財金庫」「TextPedia」siteに登録して、世界中の「誰もが、Who何時でもWhen、何でもWhat、どこでもWhere」見れるようにするべきである。
「2文4行digital-AI」は「世界標準文章format」とだと思いませんか。一層のこと、IMEは日本政府が没収してISO化してしまえば「世界・異言語学習format」になると思います。日本語でWordを打ち、「日本文」以外を「非表示」にすれば通常のWordの文章です。必要に応じて他行を「表示」にすれば「翻訳文」「翻訳ルビ」が表示されます。最初は慣れるのに大変かもしれませんが、次第にbilingualになれると思います。日本人の「知財金庫」になる。中の「知財」はExpediaのように常に追加・更新され「最高価値の知財」になり、hyper linkで「無限の知財」とlinkされたものになる。「単位制」で小学生が高校の教科を学習すること、またその逆も可能である。子供にとって「知的好奇心」とは何だろう。好奇心の行き着く先は小学生が高校の教科を学習するという「先読み」ではないだろうか。「夢」のgoal見ればこれから進む「森全体」を体感できる。「不安」は解消する。現在の「学習指導要領」は「先読み禁止」であるが、「科学的根拠」はない。世の保護者は自分の子供を東大に入れたいと思っているのに自分で確かめずに森の入口で待っているだけである。二人で「東大・貫通VR-tour」に行けるのである。MOOCで東大授業が無料でみれる。

●文科省は「イジメ管理責任」を恐れて、スマホの校内持ち込みは許しているが、使用禁止にしている。バカな指針である。スマホを24時間使用可能にしてこそ、「イジメ」追放が可能になり、ICT教育の最高峰になれる。「イジメ現場」を撮影して110番に転送して、patrol carを呼び、加害生徒に手錠かけ逮捕すれば「イジメ」は一掃できる。校内持ち込み反対している尾木直樹氏の主張はイジメ告発手段を奪い、「使用禁止」指針は「イジメ」に加担している。また、文科省は「game禁止」のためにICT機器に制限を掛けている。一方、ICT機器を使えと矛盾した指針も出している。gameより生徒が関心を払える「知財」を開発するように民間教育業界にハッパを掛けるべきである。賞を出せばよい。
 バカな教育学者はスマホを禁止せよという。始皇帝でもそんなことはしなかった。スマホ禁止は本という媒体そのものを禁止せよというようなものである。本には学習書もあるし、漫画、エロ本、危険思想書もある。子供に漫画、エロ本を禁止するのは理解できるが、その上位概念の本・全体を禁止せよというのは「二者択一思想」の持ち主でバカか文明に対する犯罪者である。
 スマホと言う媒体にはgameもあるが親子がLINEで交換日記を場所、時間を問わずcommunicationをはかることができる。交換日記で「かな漢字変換」を使用して常用漢字を小学2年生までにmasterできる。英語翻訳で送れば4年生で親子がbilingualになれる。普段、会話をしない父親も会社の勤務時間中に返事ができ、意志の疎通が可能になる。子供が授業中に父親に送信してもよい。教育できるのは教師だけでなく、父親も可能である。そんな便利なスマホ(媒体)禁止は始皇帝でもしなかった。普段から両親とスマホ会話していればイジメの兆候もわかる。スマホの一番良いことは、子供が考えていることを文章化する能力が向上する。学校の国語の時間では個別学習でないので知恵遅れを作ってしまう。漫画、game、エロ本にもそれが必要だから存在するのである。媒体は関係ない。エロ本も性教育に必要である。Swedenは性交動画で性教育をしている。思春期の子供に両親の行為を見せるのも一つの方法かもしれない。私にはできない。江戸時代に禁止された歌麿春画は姫の嫁入り道具であった。また海外に密輸出された。江戸時代の「長屋」の一戸の単位は「六畳一間」だから親子のprivacyはない。「屏風」で仕切られているだけである。日本の昔は「混浴」など「開放的」であったのである。
 問題になっているスマホgameも適度であれば反射神経の訓練になるだろう。確かにgameは勝っても負けも中毒になる 適度の利用が必要である。しかしe-gameのchampionを目指す者は中毒になるほど訓練が必要である。藤井聡太を将棋gameの中毒患者とは誰も非難しない。game中毒になった者にはchampionになれないならやめろと言えば良い。
 また老人homeの老人には死ぬまで・死ぬほどカラオケ、game、パチンコ(賭け金なし)を楽しんでもらいたい。game依存症になってもらいたい。ボケ防止には最高である。世話をする手間が節約できる。老人homeのcurriculumに幼稚園児と同じことをさせるのは失礼である。 

 新しい媒体が出現すると必ずバカな教育学者が出現し、その媒体そのものを禁止しようとする。私が子供の時、TVが出現した。教育学者が1日2時間見るとバカになると力説した。NHK教育TVは閉局か。尾木直樹氏はスマホを禁止しないと学習崩壊すると言い。新井紀子氏は紙教科書をdigitalにすると読解力が落ちるとdigital testの試験で立証したと言う。悪いのはあんたの試験方法とdigital教材を文科省が制限使用させているからだ。
 生徒に「イジメ告発手段」として利用しなさいと教育すべきである。それでないと、「イジメ」の予防できない。それでも自殺が起きれば学校は「責任回避」できる。究極の「イジメ」の自殺問題が発生すると、教師・校長・教育委員会は自分たちの失点を隠すために「証拠隠滅」する。通常、イジメ自殺者は「いじらしい程」に証拠・証言を残さない。それは精神的に追い詰められ、「自殺」にしか「解決案」を見いだせないからである。加害者の行為に詳細に残す程の冷静さがあれば「自殺」できない。被害者に告発手段としてスマホを利用するように言っておけば、まず「自殺」をしないで、その前に加害者をわずかな「証拠」を付けて告発すれば「小事件」で終わる。特に被害者にも必ず「友達」がいる。その友達が「告発」し「小さい内なら」被害者も加害者も楽だろう。最悪の「自殺」に至るまでに、周りが「解決」しなければならない。それにはICT教育として「最新兵器」のスマホの利用を推進すべきである。
 教育学者は指摘していませんが、「一斉・対面・板書(大型スクリーン)」授業は「精神傷害行為」であることに気づいていません。教師も生徒も気が付いていなし、文科官僚、教育学部教授、児童心理学者の誰も気づいていない。理解できるのは私と実際に傷つけられて、フリースクールに逃避できた「普通の子」だけである。体験しないと理解できる分けがない。逃避してこそ、「比較」できるのである。たとえとして、「イジメ」による「自殺」に類比できる。毎日、「教師」に「一斉・対面・板書(大型スクリーン)」授業で「精神虐待」を受けていて、「解決手段」として「自殺」と「不登校」になるのである。

[1] 私の教育革命第2弾「2文4行 AI教科書 」の英語学習方法
 私の提案する教育革命第2段の「2文4行」のsampleを示したい。「英語対訳で読む『理科』入門/実業之日本社刊」の52-53pageを「追加・編集」したものである。この本は小学・中学生ための本である。別に難しい用語あるところを選んだわけではない。適当に選んだのである。
animals     plants bodies    cell    collection
動物や植物の体は細胞が集まってできています。
The bodies of animals and plant are made from a collection of cell.
    体     動物      植物  できています      集まって   細胞

genetally cells nucleus one have
ふつう、細胞は核を1つ持っています。
Genetally cells have one nucleus.
ふつう     細胞  持って  1つ 核

nucleus acetocarmine  pigments  well   dyed
核は、酢酸ミン液などの染色液によく染まります。
The nucleus is dyed well by pigments such as acetocarmine.
 核 染まり よく 染色液 などの 酢酸ミン液


「英語対訳で読む『理科』入門/実業之日本社刊」は素晴らしい「対訳本」である。しかし、読者が勉強するには不便な本である。それは「対訳」が「見開き・反対・別page」に「番号で対応」して列挙されている点である。これでは「探し出し」「目視が別々」になる。頭の中での「記憶注力」にむかない。また別の「対訳本」には「2行2色」で印刷され、「同色のcolor・template」で片方が見れない状態にすることができ、「test形式」になっているものがある。この場合は探す必要がないので、「記憶作業」に注力できる。しかし、「tabletAI教材」の「表示・非表示」の「2文4行」で「自動test」での出題にはかなわない。また、hearing, speakingには役に立たない。
「英語対訳本」「英語ルビつき」と「2文4行」を読者から比較すると、「学習効果」は「2文4行digitalAI」に勝るものはない。「英語対訳本」は日本文・英文を単語単位で比較できない。離れていれば探すのも嫌になる。「英語ルビつき」は漢字、英単語は比較しやすいが、「作文能力」にならない。音声「発声・認識」でintonationの比較ができない。「2文4行」になって初めて、すべての以下の機能が「随意(本人の意思)」「自動(AIの意思)」で可能になる。

「2文4行digital教科書」に必要な構成・効果は以下の通り。

①「日本語本文」②「英文対訳」③「日本語本文」の上に「英語ルビ」④「英文対訳」の下に「日本語ルビ」の構造にする。もちろん、digital版である。「紙・媒体」では効果は発揮できない。これらが、教科書だけでなく、身近に見るすべてのdigital版に適用してもらいたい。
この効果は
a) 4行は任意に「表示・非表示」できるので、勉強したくないときは「日本語本文」だけにすれば、現在配布の最悪「digital教科書」になる。任意に「表示・非表示」すれば「英作文・英文和訳」のtestにもなる。digital教科書しかできない。「紙・教科書」はゴミ箱か「紙飛行機」に。「日本語本文」「英文対訳」の「熟語」「慣用句」に「対応下線」を引けばsetで記憶できる。reading, writingの習得。

b) 4行は「表示」だけでなく、任意に「発声」させることにする。正しい「発音」を聞ける。特に「英文対訳文」は「intonation」の「発声」をさせ、masterできるようにする。また、カラオケ譜面のように「歌詞進行に合わせた音程の線graph」のように「発声」が「可視化」できれば良い。
hearing, speakingの習得。
現在スマホなどでの「音声発声装置」の「英文・読み上げfree Software」がある。intonationも考慮されている。hearing訓練には良い。好きな英文雑誌、幼児であれば絵本などを読み聞かせてくれる。現在スマホなどでの「音声発声装置」の「英文・読み上げfree Software」がある。intonationも考慮されている。hearing訓練には良い。好きな英文雑誌、幼児であれば絵本などを「人間母親」の代わりの「母親アバター」が読み聞かせてくれる。疲れ知らずである。「人間母親」は側でSNSを見れば良い。「2文4行」専用の「ルビつけ」.speaking, hearing, reading, writing programを開発してもらいたいものだ。「2文4行」専用の「ルビつけ」.speaking, hearing, reading, writing programを開発してもらいたいものだ。

c)「発声」とは逆に「音声認識機能」があれば音程が合っているかどうかをcheckしてくれます。カラオケ採点のように点数化してくれる。もちろん可視化して比較できます。満点取るまで発音を繰り返す。hearing,speakingの習得。ALT教師の顔色をみながらの学習でないので「英語嫌い」にならない。また、intonationも可視化・点数化できる。日本人は現在でも「英語complex」がある。欧米人に発音を修正されると「赤面」してしまう。それがTVのCMにも流れて、刷り込み作業が行われている。「陰謀論」みたいなものかもしれない。しかし、変な日本語を発音している外国人と同じ立場になれば開き直らなければならない。「世界標準化の助けをしてやっているので、意味が通じればいいんだ。少しむつかしい英単語を使って、お前より頭が良いんだぞ」と威張れば良いのだ。                                         

d) 各単語をmarkすれば「hyperlink」で「辞書」「英文法」「熟語」「反語」の説明に飛べる。creatingの習得。必要であれば自分の「創作note」に「コピペ」して保存する。創作の「種」にする。こうなれば教科書・参考書・noteの区別はなくなる「一生もの」の「知識の宝物」である。自分の「知の歴史」になる。成人になっても、小学生時代と現在をlinkできる。
 私みたいに「暗記力」のない者には「Explorer」で分類された「自分資料」のcontainerを背負って歩いているような状態です。現在の教育現場では「digital教科書」を使いこなせない先生が多いです。生徒に「digital教科書」を与えないのは犯罪だと思います。子供が自分の知識をどんどん「寄せ集めして、知財(知的財産)金庫」の構築を禁止しているのです。犯罪行為です。現在1万円ほどの2テラHFは教室に天井まで一杯に詰め込んだ「紙・媒体の資料」を「文庫本1冊の大きさの程度」のHFに収納できることが理解できないのでしょうか。まもなくこれも「USB memoryになる」。私は3年前に1000冊程度の「蔵書」を「自炊(断裁・scanner)」しました。1TB(テラバイト= 1,000GB(ギガバイト)もありませんでした。せいぜい300GBでした

e)私が中学生の時は「単語card」を自分で作り、暗記しようとした。また旺文社の「赤単」を丸暗記しようとした。しかし、何回トライしても、「able」まで行かず「abandon」で終わった。このdigital「2文4行」教科書であれば、このpageの単語を事前にrandomに例えば「 acetocarmine」の「酢酸ミン液」の「英単語書き取りSpelling Bee」を自動testさせ、type-inで正解を得るまで何回も自動testさせる。「音声認識」で正しい発音かどうか自動testする。AIが不正回数の多かったものを1週間後に自動testする。また、「反対語」「類語」のあるものはsetで覚えさせる。この「自動test」の「反復練習」が大事である。野球のswing練習と同じである。単語だけでなく、「文書」での自動testは「intonation」「熟語」を「音声認識」で自動testする。

f) 定年前の英語教師でない「理科」の教師でも「2文4行」作業を生徒と「翻訳tool」を使って、40年前に習った「英語科学用語」を思い出しながら作成できる。動画は米国のyoutubeの授業のhyper linkを張れる。少し早い英語に聞こえるが、それがhearingの訓練になる。「知財金庫」に収納すれば、「誰でも」見れる。

 この「2文4行word processor」の作成設計は簡単であると思う。世界最強の「異言語交換word processor」である。余り精度の良くない「google翻訳」で十分である。日本語と異言語のどちらかを入力すると「対訳文章」になる。その日本語文の「漢字」には「英訳文」の中から「英単語・熟語」を選択し、「ルビ」として「漢字」の上にコピペ。英語文にはその逆をするだけである。「key-word」「技術用語・熟語」にはWIKIのように「下線」「色違い」で特定できるようにする。hyperlinkの飛び先の「脚注」を添付できるようにする。
「2文4行format」programが完成すると、それには「日本語・英文読み下しapplication」を組み込む必要があります。フリーソフトがあります。また、「単語・熟語・反語・テスト」なども必要かもしれません。「音声認識」は高価なのでなくてもhearingを磨けば勉強には困らないと思います。そのうち、フリーソフトがでると思います。

「2」「hyperlink」の素晴らしさ。脱線するのが重要。

上の図面では「細胞cell」の説明がたった1個の文章で表現されている。
①動物や植物の体は細胞が集まってできています。
② The bodies of animals and plant are made from a collection of cell.

 この情報「細胞cell」という単語を小学何年生で勉強するか知らないが、一応、小学4年生としよう。「理科4年生」の「紙・教科書」で多くの小学4年生が「細胞cell」という「用語・絵」を初見する。しかし、
「動物/自分自身」と校庭の「植物/桜の木」が「細胞」でできている」と言われて納得できるだろうか。
「micro過ぎて何のことか理解できないし、imageもできない」また説明する教師も実感できていないし、「紙・教科書」では説明できないし、それ以外を利用する知恵もない。すべて現在では「紙・教科書」の世界である。納得できないまま、それでも「丸暗記」で試験は正解できる。中学生になれば「細胞・遺伝子」を「紙・教科書・理科1年生」で初見するかもしれない。また、高校では「紙・教科書・生物1年生」で「細胞・受精」という「概念」を初見する。すべて「『細胞』という情報の切り売り」である。小学4年生には高校生の「受精」という概念の学習を「学習指導要領」が禁止しているのである。もし、小学4年生の男の子が高校生のお姉ちゃんの「紙・教科書」で「細胞・受精」を盗み見すれば「家庭騒動」になる。それは「知識」を知ろうとすることが犯罪ではなく、お姉ちゃんの「教科書」の「知識」を「盗み見」したことが「犯罪」なのである。悪ガキの「知的好奇心」がうずくだろう。私は中学生の時、親戚のおじさんの「エロ本」を盗み見するのが好きだった。ただし、内容は現在の「週刊新潮」の「黒い報告書」から見れば童子本みたいなものであった。
 現在の「学習指導要領」は「細胞」「cell」という「用語technical term」の「英単語」を禁止しているだけでなく、「細胞」という最高「抽象」度の「概念・情報」の「具体例」の「「卵子・精子」「遺伝子」「細胞受精」なとの「用語」の「一度に/同時に」学習することを禁止しているのである。文科省役人は小学4年生に「受精」と言うとsex記事を連想させるかもしれないと「情報・鎖国」で「これ以上は勉強してはダメ」と禁止しているのである。「いやららしい妄想」をしているのは「文科省役人」の「右脳のdopamine」である。小学4年生では「性興奮」は起きないので、「純粋」に「学問」として「人間の胎内のmicroの世界の受精」を理解できる。
 これは江戸幕府役人が「人体構造」を杉田玄白に罪人処刑後に「腑分け/解剖」として許可し「解体新書」の「和訳」に協力した時の役人の「発想」と同じである。その役人がネタ本の「ターヘル・アナトミア」がオランド語であったので許可した。それがドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの翻訳本であることを知っていれば許可しなかっただろう。当時、蘭学以外は「禁制」であった。
 妄想たくましい小学4年生の男の子はお姉ちゃんの「紙・教科書」を見れば「犯罪」になるので、yuo tubeの「海賊版・番組」を見ればお姉ちゃんより利口になる。特に「NHK海賊版」は素晴らしい。子供たちに将来の夢を聞くと「you tuber」になりたいというのは「海賊」の「夢」があるからである。「自分で創作しなくても」盗んできてupすればcountを稼げるという「海賊魂/ワンピースone-piece」の世界なのである。you tubeは「著作権・泥棒自由市場」である。そして、この市場はもはや閉鎖できない世界市場である。 面倒くさい、教育論・法律論はyou tubeには通用しない。「upした者勝ち」である。
 「NHKspecial 細胞」とgoogleすると素晴らしい番組が3本あり、その一つはタモリが説明してくれる以下のものである。
驚異の小宇宙『人体』(第1集)【生命誕生/NHKspecial】
https://www.youtube.com/watch?v=bw9YnlD_8uI
このNHK番組を勝手にyou tubeにupした「泥棒/海賊」の名前は「ロバート・デ・ニシーダ」とある。多分、日本人。しかし、視聴はたった「11,340 回視聴 」である。この数値では日本の小学4年生が「バカである」ことの証明である。せっかく高校生のお姉ちゃんより利口になるchanceがあったのに。あまり見られていない。NHKが大金を掛けて作った番組だけに素晴らしい内容である。自分がどうやって生まれてきたかが理解できる。私が「人間受精」を理解できたのは高松・玉藻寮の高校2年生の時に、同級生のM君が見せてくれた「ピンボケの白黒H写真」と彼の弁舌さわやかな解説であった。彼はそれで寮内では英雄であった。現在ではyou tubeにポルノが溢れている。当時は書店にも「エロ本」はなく、ずっと後に「ビニ本」としてこっそり売られていた。どんなにNHKspecialが素晴らしいものでも、放送日以外は見ることができない。NHKの「archive」に「死蔵」されている。これがon-lineの欠陥である。ondemandのyou tubeであれば「何時でも」、「どれでも」見ることができる。まして、検定教科書のhyperlinkにあれば「芋づる式」で「果実」だけを盗み取ることができる。我々は海賊you tuberに感謝しなければならない。義賊である。盗んだものを貧民に配っているのである。「海賊冥利」である。ただ、このyoutubeは海賊版なのでいつ削除されるかか分からないので「学校図書館」が「copy保存」しておくべきである。そして、生徒に提供すべきである。digitalなので何回copyしても映像劣化はない。これこそ、学校図書館の一番大事な仕事である。学校の図書司書は暇を持て余しているので、digital化の先兵である。小学1年から高校3年生までの課程を掌握できる立場にある。
 さて、主題にもどると、小学校4年生の教師は「理科4年生」の「細胞」の「単元」のpageに各生徒の「digital教科書」に上記のyou tubeのsiteを「hyper linkhyper link」として貼り、自宅で「予習」するようにように指示するだけでよい。この番組を授業中に見ると50分なので時間が吹っ飛んでしまう。しかし、質問だけは用意しておく。また番組を見て、「疑問・質問」をできるだけ発表した生徒を褒めてあげる。確認は「倍速」でもよい。通学電車の中でも良い。「人体の細胞の数はいくら」。番組に出てくる「用語」をexcelに入れて、その「英単語」を辞書から引いて記録するように。できれば、番組の説明、superimposeは大事だからword processorで「打ち込み」英語翻訳softwareで翻訳するように。それを「digital教科書」にhyperlinkを張り付けるか、「子page/subnote」を新設して、「単元page」に挿入して、「自分だけのdigital教科書」を作ること。それを「free software・読み上げprogram」で読ませて、映像をimageするように。「英文・読み上げsoftware」で「intonation」を勉強する。各生徒の「subnote」の内容はばらばらなので、zoomの「課外授業」で「自慢合戦」すればよい。通学電車の中からchatで議論をふっけても良い。私が子どもの頃、やっとTV放送が開始されてgoldentimeは米国のTV番組ばかりであった。学校に行くとその番組で友達と議論したものである。勉強に関係ないが、子ども達は課題さえ与えれば「知的好奇心」で「アクティブ ラーニング」ができるものである。
 この方法は世界一の大学「ミネルバ大学Minerva University 」授業そのものである。「反転授業」と「アクティブ ラーニング」である。
 素晴らしい、理解しやすい動画、番組で単元の内容を見せることは重要である。しかし、問題は「理解した気になって、脳細胞に記録することなく、スルーする可能性がある」、「曖昧記憶」に頼る人間である。特に私みたいに「集中できない性格の人間」に多い。私の性格は父親が見抜いていて、「ど頭使え」と いつもゲンコツをくらった。「雑念」が多いのである。多分「座禅」の修行ではいつも「警策 」で肩を打たれる数が一番多いだろう。その「成果/脳細胞記録」を調べるには、「test」により調べるしかない。「公文式・atama plus」の「演習問題」である。そして、不正解をAIが診断して、動画、番組で単元に戻りその部分を見て、「脳細胞」によりdeepに記録する。また、より易しい「演習問題」に戻り、「脳細胞」に記憶する方法しかない。塾の優秀な講師は生徒の性格を見抜いて、最適の指導をできる人だろう。それにはAIがよいだろう。言い訳になるが、私みたいに「記憶分散型」の人間は「発明」には便利である。より多くの範囲に『分散』した『曖昧記憶』に頼る性格である。理想は「記憶の『集中』と「分散』」である。「発明」の検証は簡単である。発明により、test機を製作、または実験すれば「落第発明」かどうか判明する。そのtest機を作る前に議論で「最適解答」を得なければならない。それは「思考実験」である。そこで、徹底的に「記憶の『集中』と「分散』」の「brain‐storming」が必要である。

[3] 「学習指導要領-外国語編」の欠陥。「英語」「国語」は「科学」でない。
 文科省編集の「学習指導要綱」は欠陥をもっており、「学校教育」の指針としては「不良品」と思いませんか?と聞かれたらビックリすると思います。「学習指導要綱」は「教育の憲法」という位置づけである。いつも「従軍慰安婦」でもめている「検定教科書」を決める「基準」となるものなのです。それが「欠陥」を持っているなど考えられる訳がありません。あまり見ないと思いますが、一度自分で確かめると良いと思います。文科省のsiteからdownloadできます。私は「欠陥規則」「骨董品」だと思います。欠陥を持っていることに私も最近気づきました。

教科書検定の必要性(文科省HPより)
 小・中・高等学校の学校教育においては、国民の教育を受ける権利を実質的に保障するため、全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保などが要請されている。文部科学省においては、このような要請にこたえるため、小・中・高等学校等の教育課程の基準として学習指導要領を定めるとともに、教科の主たる教材として重要な役割を果たしている教科書について検定を実施している。
 
 文部科学省編「小学校・新・学習指導要領の展開(平成29年版)-外国語活動編」「中学校学習指導要領(平成29年度告示)解説-外国語編」「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説-外国語編」は小学校・中学生・高校生への「英語学習指針」と「英語教師」が守ろなければならない「憲法」である。最近の内容の特徴は「英語communication」のskillの充実がさけばれている。そのために従来の英語4法(hearing,speaking,reading,writing)のspeakingが2つに分かれて英語5法(hearing, communication, speech, reading, writing)になった。具体的には「debate、ディスカッション、論理」のskillの向上である。

 ここには「理科系・科学・英語用語(例えば『細胞cell』)+文科系・科学・英語用語(例えば『経済economy』)」の「英語用語履修」については一言もない。小・中・高校で学習する「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の英語以外の科目で使用する「用語」の「対応・英単語」を勉強するように指示していない。事実上の学習禁止である。

 単に「英語」という科目を履修するときに使用する英語用例として、学習指導要領は、例えば「I saw a movie with my family.」などの「生活英語」か「文学英語」を学習しなさいと例示している。私の時代は誰も使用しない「This is a pen」であった。最近youtubeで復活した。この文章で理解する単語はsaw(see), movie, familyという、「日常的」「非科学的」「抽象度の低い」単語である。これは「英会話学校」で勉強する「日常英会話」「生活英語」の内容である。これでは何ら「知的・科学・学習」にはならない。
 ビート・タケシの母親はタケシを含め息子たちに「理科系以外の学部」を受験させなかった。理由は「英語なんてアメリカじゃガキでも乞食でも話してるんだから英語話せても食っていけないんだよ! 理科系の学部以外認めない」と言った。タケシは明治大学工学部に行かされた。母親はタケシが芸人なっても、何時でも復学できるように授業料を払い続けたそうである。学校は「学問」をする場所である。「学問」とは「科学思想・技術」学習である。一応「文科系・人文系学問も科学」である。「英語」「国語」は「科学」に属さない。しかし、「科学」を理解する「道具」として重要度は高い。「英語」「国語」を研究対象にした場合は「科学」である。したがって、この論文は「科学する」である。「学習指導要領」の執筆者はビート・タケシの母親の疑問に答えていない。
「科学」は「基礎」から「応用」へと「無限」の発展を追求する学問である。したがって、「英語」「国語」は「道具」「言語」としてこれらの「科学」の学問とlinkして「学習」するだけの話である。学習指導要領は「英語」「国語」を他の科目とlinkさせないで、独立した学問として教えるというバカなことをしている。これでは「英文学者」「国文学者」の育成しかできない。「教育学者」さえも作れない。
 日本人の「英語学習」の一番大事な目標は「英会話」「生活英語」だけでなく、英語以外の「学問」の「道具」の役割を果たさなければならない。しかし、現在の「学習指導要領-英語」はそのことについては一切触れていない。禁止しているのである。

 英語圏でない私たち日本人として「英語」を勉強するということは「英語以外の科目と合併授業」にしなければならない運命にある。したがって、日本人は保育園から「科学・日本語用語(例えば「細胞」)」と「科学・英語用語(例えばcell)」をsetで勉強しなければならない「運命」なのである。

 Philipino、Indian、Singaporean、香港人は米国人同様、「科学学習用語」を英語で学習しているのでその必要はない。日本ではその一番重要な「科学英語用語」が大学以前の学習から追放されているのである。その結果、大学受験では米国では小学生・中学生がmasterしている「科学・英語用語」は出ないし、大学までの学習機会を奪っている。日本人の大学1年生の「科学・日本語・用語」理解能力は素晴らしいが、「科学・英語・用語」能力は米国の小学生以下である。これでは日本人は「英語音痴」と言われるのは当然である。

[4]「カタカナ英語」は「暗号文」?「コウモリ」?。国語?、英語?なの。常用漢字数は設定されているが、熟語(語句+語彙)は勝手に覚えなさい。中教審は国語・国字に対する尊敬の念もない。

 現在「カタカナ英語」は「常用漢字2136字」より多い1万語近くある。これからもドンドン増える。一体どうするつもりなのだ。韓国みたいに「敵性語」として日本語由来のhangeulを禁止し、言い換え運動を起こすのか。日本語からカタカナ英語を追放するのか。戦前の野球の「ストライク」のように「英語由来・敵性語」として和漢字(日本漢文)「正球」に言い換えさせるのか。そのまま、「strike」とするのが一番良い。高校までにmasterすべき英単語5000語より多いカタカナ英語1万語を放置してなんの意味がある。文科省は国語審議会で「常用漢字2136字」同様、「カタカナ英語」1万語を選定してalphabet表記を「国字」として認定すべきである。将来は「カタカナ英語」を廃止。すなわち、文科省認定「常用alphabet」である。「カタカナ」の利便性が日本人に「カタカナ英語」を作らせ「英語力」を奪っている。学校教育だけでなく、「常用漢字」同様、法令、公文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の日本語として書き表す場合の「国字alphabet」使用の目安とすべきである。日本語を「横書き・かな+漢字+alphabet混じり文」にすべきである。将来「カタカナ英語」は尺貫法と同じく廃止すべきである。その準備段階とてしてspellingを覚えるために「カタカナ英語」には「英語ルビ」を振る。「カタカナ英語」問題は文科省にとって大学入試の「listening」試験以前の問題であるはずだ。同じ問題は中国でも起きる漢字圏の共通問題である(現在では中国、日本、台湾のみ)。日本政府では法律用語として「computer」は「コンピュータ」でなく、「電子計算機」と言わねばならない「攘夷派」である。狂っている。しかし、学習指導要領の中では「コンピュータ」になっている。文科省の公文書が法律を守らず、だらしない。
 福沢諭吉の大誤算は米国に行った時にジョン万次郎と一緒に持ち帰ったWebster・英語辞書(日本語的には国語辞典/英英辞書)を見ても、将来の日本語に「50音」より少ないalphabet26文字を「国字化」しないことを判断したことである。福沢諭吉はWebster・英語辞書の「海賊版」を日本で出して大儲けすべきであった。当時、米国は「通貨の交換比率」で幕府をだましていたので小栗忠順が「遣米使節団 」として勝海舟・ジョン万次郎等と訪米していたのである。福沢諭吉は著作権など無視して「海賊版」を出すべきだった。相互主義である。海賊版は今でも退治できない文明病である。
「漢字造語puncture」で現在の「カタカナ英語」氾濫、Asia最低の英語力を予想できなかったことである。平安人であれば「かな+漢字+alphabet交じり文」にしただろう。平安時代の日本人は柔軟であった。「仮名」を発明し、しばらくは「同音・万葉仮名」を使用していたが、「カタカナ+ひらがな」を発明すると「漢文文化/役所/男文字」「かな文化/例/源氏物語/女文字」「かな+漢字混じり文字」の「3国字・併用」にしたのである。日本人の知恵であった。中国、朝鮮は「文字」は「漢文」しか許さなかった。したがって「文盲・愚民政策」であった。平安日本人は1000年以上前に文盲をなくしていた。
 福沢諭吉の最大の誤算は「英語-漢字造語」が可能と判断したことである。「Webster・英語辞書」を見た福沢諭吉は英語社会では「英語熟語・英語新語(易しい英語で新語・抽象英語・熟語を説明している形式)、initial(頭文字連語説明)」を世界で民衆を啓蒙していることを見ているはずである。当時の「Webster・英語辞書」にもあっただろうと想像するが、PTAという単語を調べると、( Parent-Teacher Association)と説明がついていたのではなかろうか。
 また、現在日本語・中国語の漢字熟語は常用漢字2136字(単一漢字の意味)の「組み合わせ連語・造語」である。最近、亡霊のように多用されている「発出」は「発」+「出」の2字の組合わせ造語である。
 福沢諭吉の妄想は現在の中国政府、民衆のmentalityに似ている。戦前80%の文盲であった中国では現在でも「国字」はあくまでも「漢字」のみである。「Pinyin-alphabet」を併用して「漢字+Pinyin-alphabet交じり文」は許されない。漢字を知らないことは「恥・無学」としている点である。戦前、80%の文盲が「国字」でない「Pinyin-alphabet」の「臨時文字」で「漢字変換」できるので、福沢諭吉同様「漢字造語computer-電脳」がこれからも絶対可能と信じているのである。日本の例を見れば妄想であることが分かる。子供が漢字に変換できることと、これからの海外からの洪水の英語を「漢字造語」できると信じている「国粋主義・中華思想・攘夷論」の妄想である。日本同様以上に破綻する。日本はカタカナがあったのでまだ救われている。「外来語・当字・漢字」で意味が通じるだろうか。私は高校時代、漱石の小説を読んで「当て字」にビックリした。「当て字・万葉仮名」時代に逆戻りである。
 あなたが当時の福沢諭吉の立場でこれから日本の「教育・学問」の「内容・方法」を江戸時代の「漢文・朱子学・非科学」から180度異なる「科学・平等・市民・民主・社会・宗教・教育」に切り替えなければならないとしたら、また、密航で英国に留学した「長州5傑」は「大英博物館」の「蔵書」などの「知財」を見ているはずである。当時、日本には幼稚な図書館しか無かったし、本は貴重で自由に閲覧できなかった。福沢諭吉が渡米し、San Franciscoに3週間いた時に写真館の女の子と写真を取る時間の間に図書館を訪問したかどうかは知らない。しかし、ジョン万次郎と一緒に高価な「Webster辞書」を本屋で購入している。また、福沢諭吉は適塾の蘭学・塾頭まで行ったので、当時、禁制の欧米の科学知識は「蘭学経由」でmasterしていたのである。彼は自然科学に興味を持ち、化学実験、発電などの実験をしている。その理論もオランダ語で理解していた。その地位を捨てて、「英語」の勉強をしたいために 江戸に出た。ジョン万次郎と咸臨丸に潜り込んだ時は英語を勉強して1年未満である。そして、幕末には幕府使節団(文久遣欧使節)としてEurope6か国の歴訪した。幕府から支給された支度金400両で英書・物理書・地理書をたくさん買い込み、日本へ持ち帰った。
 福沢諭吉は以上のような圧倒的で絶望的な「科学知識の山」を日本の子弟に教育をしなければならない使命を感じた時に、なぜ、「漢字造語」という最悪の方法を選んだのか私には理解できない。彼自身、蘭学を学ぶ前に、18歳で『論語』『孟子』『詩経』『書経』はもちろん、『史記』『左伝』『老子』『荘子』に及び、特に『左伝』は得意で15巻を11度も読み返して面白いところは暗記したという。このころには先輩を凌いで「漢学者の前座ぐらい(自伝)」は勤まるようになっていた程であった。「漢学-蘭学-英語」を修めたのに、50音より少ない英語26字alphabetを「国字」に採用するという最高の「日本語改革」を取らなかったのだろう。最悪の「漢字造語」方法を取った。江戸時代には無かった「people」をそのまま利用せずに「人民」という方法を取った。この造語には「漢籍」の素養がなければ作れない。しかし、果たして、「人民」が最適造語の保証はない。またeconomyは「経世済民」から「経済」としたと言われている。しかし、これもeconomyと同一でない。それは当然、economyと「経世済民」の背景が異なるから違って当然である。例えば
「米国では人民が大統領を選ぶ」という日本語は
「USAではpeopleがpresidentを選ぶ」
とすべきであった。
「USA,people,president」は日本に当時、無かった概念と制度である。ならばそのまま、alphabetで日本語に採用すべきであった。過去の万葉時代の日本語はそうした。「かな+漢字混じり文」は「ひらがな」が発明された時から1000年間の日本語である。漢字導入から「ひらがな発明」まで100年ごとに変革があった。「仏教伝来」の漢字導入から約100年で「万葉仮名」の採用。さらに約100年後に「カタカナ発明」さらに約100年後に「ひらがな発明」。以降、約1000年まで「かな+漢字混じり文」が継続している。精神的には「ヤマト魂」は外部の良いものは何でも取り入れ、文学の能力のあるものは漢詩、和歌に身分に関係なく吟じた。その間にも中国から多くの 「漢文」「漢字」が追加された。朝鮮半島の「小中華」とは異なった「ヤマト魂」が花咲いた。それは現在でも生きている。そして、alphabetが導入されても、200年先でも、その精神支柱は「日本列島」とともに生きていくだろう。

幕末の混乱を時系列にした。
1841年ジョン万次郎漂流-1852年帰国-1854年吉田松陰・密航・自首-1859年・刑死-1860年1月19日ジョン万次郎・福沢諭吉・咸臨丸・渡米-1860年3月3日・「桜田門外の変」-1863年長州5傑・英密航-1863年-1864年・薩英戦争・下関戦争-1864年禁門の変-1864年第一次長州征討-1866年第二次長州征討-1866年3月7日薩長同盟-1867年11月10日大政奉還-1868年鳥羽・伏見の戦-1868年戊辰戦争

これを見ると吉田松陰がジョン万次郎に会っていれば歴史は大きく変わったかもしれない。この時に満足に英語を喋れ、世界事情(世界一周)・米国事情に通じていた日本人はジョン万次郎だけだった。また、7つの海を駆け巡った日本人はジョン万次郎だけだった。 咸臨丸も幕府が養成した「海軍」の試験航海であった。航海術にはジョン万次郎がいなければ見事に失敗しただろう。江戸時代は平和主義の鎖国で「海運」は日本半周の「北前船」だけであった。中国、オランダの交易も日本船でなく、外国船に頼った。当然、船員も未熟であった。ジョン万次郎より250年前に「世界半周」したのは「慶長遣欧使節」の支倉常長であった。
 幕末期の薩摩、長州、土佐などの諸藩の内部では「旧守派の上級武士」と「改革派の下級武士」の「内乱状態」であり、一部、暗殺が起きていた。城主も「改革」しなければならないことは分かっているが、幕府との関係を重視する場合もあり、無視もする混乱状態であった。現在から見れば、明治維新は成功した革命である。しかし、「攘夷=外国排斥」で一致していた幕府、有力藩が世界の現実を見て、「倒幕」に舵を切ったのである。 

 「明治の知性」と言われた福沢諭吉・夏目漱石・森鴎外はすべて「漢籍」にも長じていた。結局、彼らの「脳細胞・右脳」には「旧来の中国思想」から転向することができなかったのである。当然、彼らより英語に長けていて、西欧思想に長けていたジョン万次郎は「明治・教育」のlineから外され、単なる「お雇い外国人」の扱いであった。このことが、日本人の「英語能力」の方向性を誤らせた。そして、現在日本人も彼らの「dogma・背後霊」の影響下にある。しかし、彼らは同じく漢籍に通じていた1000年前の紫式部と比較すると「革新性・新規性・純日本精神」に劣った「文学性」しかない。現在からでも両者を比較して見ると彼らより紫式部が優れていたことが分かる。それ故、鎌倉以降の武家社会でも源氏物語は「日本人精神支柱」として、尊敬されたのである。
 
 日本社会にはもうalphabetがしっかりと根付いている。何か新しい商品は「漢字」より「英語」が多い。それも日本人が採用または造語したalphabet商品名である。自動車の商標はほとんど英語である。唯一例外はSUBARU(昴)である。『古事記』『万葉集』『枕草子』に出てくる名前である。SUBARUは米国でも知られた車で私がIndiana州の国道沿いを走ると工場が見れた。商品はそれ自身が「広告塔」である。他の商品と区別するために「新語」「非類似」でなければ特許庁から拒絶される。computer用語はほぼ100%英語である。日本人はalphabetを受け入れなければ日本語を守れなくなっている。現在の「中教審」のGHQの亡霊に取り付けられている「攘夷派」のことを認めてはダメである。alphabetを国字に採用すれば、日本語が「ヤマト魂」を維持しながら、中国語、英語より機能的、情緒的、深い意味の素晴らしい国語になるのである。「敵性語」を取り入れた国語が強いに決まっている。その「単語」だけでなく、その背景にある文化も盗めるのである。「孫子の兵法/彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。」である。
 日本語の歴史、特に「革命」としてとらえると「漢字導入」が1番。「ひらがな発明・かな+漢字混じり文」が2番。そして、「明治維新の欧米・漢字造語」は「反動・反革命」であるので「かな+漢字+alphabet混じり文」が「 第3次日本語文化大革命」になると思う。現在がそのturning pointである。
明治維新では「かな+漢字混じり文」に「国字」としてalphabet26字を追加するだけでよかった。「かな+漢字+alphabet混じり文」にすれば言語的・機能的には「漢学」「英語」を凌駕できる日本語になれたのである。福沢諭吉の犯した過ちの結果、「漢字造語」が間に合わなくなり、「カタカナ英語」があふれ出た。一体どうしてくれるんだ。今後の日本人は「カタカナ英語」を廃止してalphabetをそのまま利用すべきである。福沢諭吉の過ちを正す義務がある。
 なぜ明治の知性の福沢諭吉がこんな過ちを犯したことをテーマに研究する価値がある。
私の邪推はジョン万次郎に対する「嫉妬」ではないかと思う。日本語文盲の14歳漁師の子倅が「漂流」というchanceを生かし、造船、航海術、英語学を16歳でmasterして、22歳までに捕鯨船で世界一周し、「Forty Ninerとして金鉱掘り」まで経験しているのである。日本に帰国して、26歳で漁師から旗本になった。一緒に渡米した咸臨丸を船酔の船長・旗本・勝海舟の代わりに嵐の中を操船したのである。San Franciscoにつけば自分よりうまい英語で使節団を実質的に縁の下の立場で日本の利益代表の通訳を遂行したのである。福沢諭吉は腐っても武士出身である。prideが折れないわけがない。諭吉が「漢籍-蘭学-英語」へとたどり着いたのは24才になっていた。たった1年の英語の勉強で渡米へのchanceは25才であった。
 ジョン万次郎になくて自分にあるのは「漢籍」「蘭学」の知識である。それを自慢したかったのである。また、明治の生徒の大部分はまず「漢籍」をかじっている。大学に来てから英語を始めるのである。尋常小学校から50音と同時にABC26文字を教えるべきであった。そして舶来品、舶来文化はそのままalphabet表示するようにすべきであった。
 昨年、世界的に成立した「新語」で有名なものに①「social distance」、②「ソーシャル ディスタンス」、③「社会的距離」がある。現在、日本では②「ソーシャル ディスタンス」の表現が一番利用され、老人でもその意味を理解して2m離れてマスクをする努力をしている。これでまた、「カタカナ英語」が増えた。私は①「social distance」をそのまま利用すべきと思う。年寄りは英語spellを「絵」として認識すればよいのである。それは、この語が海外発だからである。年寄りでも「social distance」は理解できると思う。現在の小学生にとっても大歓迎である。「corona禍/COVID-19 pandemic」で①「social distance」を新聞、TV、官公庁のposterをあらゆる所で見れば、頭に叩きこまれる。ついでに「social/社会」「 distance/距離」ということも覚えられる。「一石三鳥」である。
 私は「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説-国語編」を講読した。それは「カタカナ英語」について何かの言及があると思ったからである。「『英語編』と同様に1言もありませんでした。」信じられないことです。「狂っている」としか表現できません。特に酷いのは高校編などに高校生がmasterすべき漢字数は義務教育(中学3年生)と同様、「常用漢字2136字」としていることです。
後は「それらを組み合わせて『語彙』『語句』を『実社会』を見て増やしなさい」と放り出しています。 「小学校学習指導要領-国語編」かと思った。
 私がいた田舎の75年前の中学校は毎月1回、全生徒を対象に「漢字書き取りtest」「英単語書き取りtestspelling bee」があった。今なら「虐待」と騒がれるかもしれないが、正面玄関に100位まで実名で貼りだしていた。2年生が1位になる場合もあった。中学1年になると教材は現在の「漢字検定試験」の「漢字帳」「英単語帳」が与えられる。その教材からしか出題しないのである。私をいじめていた上級生に勝つとうれしかった。漢字は当然、「当用漢字1850字」の「組み合わせ熟語」から出題された。「熟語」であって「漢字1字」ではない。今から考えると素晴らしいsystemである。年齢に関係なく(単位制/絶対評価/全校生での相対評価)、同じ教材を与え、授業時間以外を利用させ(単位制)、自習(単位制)させる最高の学習である。氏名公表で「やる気」を引き出させ、他人の見ている所での勉強でなく、自分との戦いを教えるのに最高である。現在の「全国模試」みたいなものである。現在のICT教材であれば「game感覚」で「英単語1万語」「漢字熟語1万語と意味」「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の科目の「日英用語technical term」を文章例と一緒に「2文4行」で「game演習」してもらいたい。「フラッシュ暗算」のように。「紙・媒体」では不可能である。そして、月1回「on-line」でtestしても良い。
 私は親から英語だけを強制されていたので頑張った。しかし、1位を取ったことはなかった。英語のspelling beeは「alphabet26字」だけではない。米国同様、「英単語」である。クエール副大統領が間違った「じゃが芋・ポテト」の問題に対する正解は「potato」のようなtestである。spelling beeの例に従えれば小・中・高校生の「漢字書き取り」は「熟語」出題になる。しかし、「学習指導要領-国語」は「常用漢字2136字」さえ覚えれば、現在でも「良きに計らえ」で放置である。信じられない「国語教育」である。「学習指導要領-国語」のいうように「実社会」で使用されている熟語(語句+語彙)を収集、選択して、国語審議会(現在なくなった)で「常用漢字『熟語』」を1万語程度を毎年、「審議・公開」すべきではないか。それが「国語」を守るべき態度ではないか。国語審議会の退廃にあきれる。
 一方、民間では「漢字能力検定試験」として毎年、試験がある。「日本漢字能力検定協会」が主催しているが、理事長の不正私物化事件があった。民間では「熟語」で客観的に「国語の普及、認知向上」に努力している。バカな文科省・国語学者は、これからの世に必要ない「漢字筆順」ばかりに子供に強制している。「漢字」は「1字」で使われることはほとんどありません。すなわち「熟語」が80%です。例えば「学習」という「熟語」は「学」と「習」の2文字の合成した「熟語」です。すなわち「学」に係る「学者」「学問」「言語学」「学生」また「習」に係る「習字」「習練」「練習」などの「熟語」の「意味」を理解しなけれはならないということである。極端に言えばword processor時代の現在、「手書きできなくても、読めて、意味を理解して、自分の考えをタイピングできれば良いのである。」そして、行政府の役人はバカだから難しい漢字を言えば利口に見えると勘違いして。「corona情報の『発出』」などと、誰も聞いたことがない「発出」ということを言い出した。「宣言」また「声明」でよいはずだ。
 そして、「学習指導要領-国語」の最大の誤りは「カタカナ英語」を放置して、「常用漢字2136字」と「漢字書き順」に固執している点である。米国留学にはTOEFL英単語1万語の理解が必要と言われています。これを日本語に当てはめるて「漢字を理解するということ」は現在の教科書、新聞、学術論文などで使われている「漢字・熟語」を1万語の「意味」を理解するというこである。「常用漢字2136字」では意味ないのである。
 なぜこんな国語軽視、バカな国語政策になったのだろう。1947年にGHQから矢継ぎ早に「漢字全廃ローマ字化」命令などがあった。「学習指導要領」もGHQの命令で米国の「course・オブ・スタディ」を参考に文部省が試案として作成したの産物である。しかし、「漢字全廃ローマ字化」のショツクが激しかったので、漢字の数字をできるだけ少なく見せる努力ばかりしていたのだろう。その結果、漢字造語を怠り、カタカナ英語の氾濫を招いた。私は1947年にGHQに対して「alphabetの国字化」と「日本語を『ひらかな+漢字+alphabet混じり文』にします」と言っておけば一番よかったと思う。GHQは居なくなったが、PTAは残っている。そうすれば日本人の英語力はIndiaに続いて2位ぐらいに何をしなくても自然になっていただろう。国語審議会はカタカナ英語は日本語でないとしているらしい。カタカナ英語放置は英語圏の人に対してspyさせない「暗号文」か。私は40年前、台湾に行った時、戦前に日本語教育を受けた得意先の社長に会った。彼はその時、「自分の頭の中では日本語で考えた方が台湾語で考えるよりも楽だ」と言っていました。しかし、「最近の日本語はカタカナ英語が多いので、日本人と話をすると理解できないことがある」と言っていたことが印象的でした。外国人に対して、「暗号文」の役目を果たしている。彼の客観的立場・見解が現在の日本語の真実と混乱を表しています。「暗号文」と言えばギャング仲間同士の「麻薬」取引の「隠語」がある。特定の集団の社会生活には現代社会でも必要なのである。しかし、「カタカナ英語」は「隠語」というには多すぎる。
「カナカナ英語」は日本語(国語)ですか、英語ですか。コウモリのように「鳥類界」「哺乳類界」の両方から抹殺されています。しかし、「カナカナ英語・語彙」が「生活英語・語彙」「文学英語・語彙」「科学用語英語・語彙」、もちろん常用漢字と比較しても分類上一番語彙が多い国字分類です。「コウモリ」が日本列島上で一番多く飛んでいる状態として、人間、動物、鳥は認められているのに、無視されているようなものです。

 「カナカナ英語」を学問的に無視するのは「英語学者」「国語学者」「文科官僚」「教育学者」の怠慢と「日本語」に対する侮辱と無知である。言語・語彙というものは人間が利用するものであるから、当然、変化する。人間の言語活動とともに増えるし、減りもする。そして、政府のすべきことは「標準化」である。利用者間で混乱を招かないようにするためである。しかし、戦後、文科省がやって来たことはほとんどない。当用漢字1850字を常用漢字2136字と言い換えただけである。「私生児」の「カタカナ英語」は放置し、他の国字を越してしまった。そして、改善主張するとか、ideaもないので「前例踏襲・保守・攘夷」になってしまう。「学習指導要領」が誕生した時はQHG命令で「日本語ローマ字化」の有史以来の日本語危機を克服した時でである。当用漢字1850字を決定したことを自分たちの功績と勘違いしてしまったことである。しかし、大戦後、明治維新以上に欧米の文化・科学が洪水のように日本に流れ込んできた。本来、ここでたった26字のalphabetを国字化していれば日本語は「仮名+漢字+alphabetまじり文字」に簡単に移行でき、日本人の英語音痴はなくなっていた。
日本語が不幸だったのは中国語より機能的であったことである。「国字カタカナ」で「カナカナ英語」を簡単に作れてしまったのである。中国語であれば福沢諭吉がやったように「漢字意味・造語」するか「万葉仮名式・漢字」のように、近い発音の漢字「当て字」をするしかない。前者の「造語」は意味・文化を理解できる「教養者」でないと無理である。造語スピードが追いつけない。その点、日本には「万葉仮名漢字」から発明された「カタカナ」があり、誰でも創作できた。別に怠惰な文科官僚の裁定を待つまでもなく現場で使用できた。中国では「万葉仮名式漢字・当て字」だから混乱する。いずれ近い将来、政府で調整が必要であろう。Pinyin-alphabetを国字とするか、alphabetを国字化するかである。後者の方が機能的である。「横書き・人民日報」にCovid19、WHO, SDGs,social distanceなどが漢文の間に挟まれるようになるだろう。そうすれば日本人より先にbilingualになれる。

 また、日本人が覚えなければならない漢字(漢語)は「常用漢字2136字」でなく、「2136字の漢字を組み合わせた日本語熟語(漢語)1万語」を国語審議会で議論すべきなのである。本当にバカの学者の集まりである。「常用漢字2136字」は廃止して、「常用漢語10000語」「カタカナ英語をalphabet化」を制定すべきである。これらの熟語を1万語理解しなければならないのです。また、これからの「漢字熟語」は「書けなくても、読めて意味を理解すれば良いのです」。多分、私も「常用漢字2136字」の半分は手書きできないだろう。
 alphabetが「国字化」され、日本語が「仮名+漢字+alphabetまじり文」になれば「カタカナ英語問題」「漢字造語puncture問題」「漢字熟語向上」「Asia最低英語力26位」「ICT教育OECD最低38位」などの問題が1本化され、すべて解決する。そして、日本語の混乱がなくなる。また、日本語が「収容力の大きい」「表現力が緻密」な世界一の品質の言語になる。
 「カタカナ英語」が禁止されalphabet表記になると、今度は英語学者、英語教育学者が「和製英語」はどうするんだというバカな抵抗がある。「so what?/それがどうしたの」である。無視すればよい。それだけ、日本の文化を国際化しているのである。後は市場でケンカすれば良いだけである。最初は米国人に通じなくても、通じるようになる。通じなければ自然消滅する。それだけのこと。「カラオケkaraoke」「酒sake」は一番普及している日本語・英語である。 
 陳生保・著「中国語の中の日本語」に述べられている用語数が約1000語あるとのことである。そして、特に欧米から日本に輸入された明治維新時の自然科学・社会科学の重要な「基本用語」が明治期に造語されたのである。それは現在中国でも日常使用され、学校の教科書にでるとのことである。多くの中国人はそれが日本で造語されたことを知らないとのことである。それらを造語した明治人は福沢諭吉のように欧米と中国語(漢籍)の「意味」に造詣が深かった人間である。それ故、日本人、中国人に受け入れられ現在においても定着しているのである。「表音」を「当て字」にして「万葉仮名」のようにしていれば生き残れなかったであろう。日本が明治以前になかった概念の自然科学・社会科学用語は何とか、日本、中国、朝鮮の役にたてた。しかし、第2次世界大戦以降の欧米文化の「カタカナ英語」は当然日本でしか通じない。そして、何度もいうが、この造語運動はコトバに対する犯罪行為である。 
 新しいコトバを作らなければならない背景が持ち上がった時、方法は4つある、1つはSDGsのようにalphabetをそのまま採用する。2つ目は日本語と現地語に背景に造詣の深い人間がその「意味」を理解して、日本語の中から近いものがあり、誤解を与えないようであればそれを採用する、なければ日本語の近いものを「組み合わせ」て「持続可能な開発目標」のように「漢字造語」する。3つ目は「万葉仮名」のように「江洲出字図」と「表音」に「漢字」を当てはめる。4つ目は「エスデージーズ」と「カタカナ英語」を採用する。一番良いのはalphabet26文字を採用することが良いことは中学生なら理解できるだろう。最近、定着したSDGs,WHO,social distanceなどは日本語にそのまま適用した方が「冗長」でなく、「正確性」を共有できる。日本発の造語は「峠」のように1字もあるが、基本、2文字である。それは中国人の「四面楚歌」のように「4字熟語」の造語技術を日本人が忠実にまねたからである。それで中国人が「民主」「人民」「共和」のように自然に受け入れられたのである。
 この際、alphabet26字を「国字化」すれば「漢字+ひらかな+alphabet交じり文」で日本語機能を上げられ、日本人の国際化に役立ち、日本人を英語bilingualにしてくれる。「IME辞書」に「和英」「英和」を加えて市場に流せば、日本語から漢字がどんどん減っていく。「哲学」は「philosophy」になる。そして、日本人は国際人になれる。国語審議会のバカな「カエル」は反対するだろうが。
 現在中国も同じようにalphabetを「国字化」しなければ日本同様、大変なことになる。「漢字造語作業」も「知性」が必要で大変だが、「万葉仮名/当て字」方式で「表音漢字」を当てはめたら、「カタカナ英語」を持っている日本人なら簡単に「造語」できるが、中国人は混乱の極みになるだろう。1つのコトバが何通りの「万葉仮名」の表現になるのである。日本は「カタカナ」がある。中国でそれに相当するのが、「表音Pinyin-alphabet」である。しかし、中国人は漢字を使用せず、「表音Pinyin-alphabet」を使用することは「幼稚で恥ずかしい行為」と考えるのである。小学生が漢字を書けなくて、「カタカナ」を使用する行為と同じと考えるのでである。しかし、これはバカげている。外来語で中国に「対応意味漢字」がない場合、日本人なら「カタカナ」を使用することは学者でもやる。もっとも、戦後日本に洪水のように流れこんだ英語は1万語の「カタカナ英語」になってしまった。使用している漢字を追い越している。日本語は「カタカナ英語」で侵されてしまっているのである。しかし、日本語学者、英語学者、教育者、文科省官僚は「茹でカエル/カエルの面に小便」で「頬かむり」の「不作為」の犯罪者である。
 一番良い方法はalphabetを国字化して、そのまま英単語を日本語にすれば良いのである。臨時使用のカタカナ英語を減らすことができる。「IME辞書」を使用すれば良い。また、日本語を法令で「横書き」にしなければならない。
 以上の説明から日本語審議会の委員は「日本語+中国語+英語」の3言語に造詣の深い知識人でなければなれないようにすべきである。
 
 「最後にカタカナ英語を普及させた人たちのmentalityを考えてみた。善意とポジティブの面から考えてみた。あまりにもネガティブに告発してはかわいそうなので。」

 上の文章の3つのカタカナ英語には一応、対応「漢字」がある。
「メンタリティ=mentality=心的状態」、「ポジティブ=positive=積極的」、「ネガティブ=negative=消極的」である。したがって、英語にあった概念を翻訳造語できなかったわけではないようだ。対応「漢字」があったが、何か意図的にカタカナ英語を選択しているのか不明である。ただ、はっきり言えることは対応「漢字」があったが、カタカナ英語で表現した方が、同じ内容でも「漢字」で表現するより、「カッコ良い」「俺は英語を知っているんだぞ」と自慢したい心理が働いたのか。特に知的・文化人はカタカナ英語を多用する。しかし、同じことをルー・大柴が言えば「うざったく」なる。また、これほどカタカナ英語が残存していることは、対応「漢字」よりカタカナ英語を使用することに多くの人が追従している。それによりカタカナ英語が「死語」になることがないのである。
 それだけ「漢字」より大事なカタカナ英語なら、「本物志向」としてオリジナル=originalのアルファベッ=alphabetを使用するようにしてあげるべきである。町の看板・商品はカタカナよりalphabetがあふれている。もう、alphabetは日本語である。文化庁は「alphabet36文字・国字化」すべきトレンド=trendになっている。
 これから30-50年経てば、「alphabet36文字・国字化」が放置されても、カタカナ英語が生き残り、対応「漢字」の方が「死語」になり、我々の子孫は対応「漢字」の意味が理解できなくなるだろう。

[5]  「日本語と英語と中国語の形態・機能比較してみよう」
◎「英語」は26文字alphabet-英単語-英語文章の3段階である。
◎「日本語」は50音-常用漢字2,136字-(漢字熟語+かな)-日本語文章の4段階である。日本語を常用漢字2,136字に限定したのは「がな」など補完できるため、漢字習得の負担を減らすための標準化である。
◎「中国語」は漢字(約1万語)-(漢字単字+漢字熟語)文章の2段階である。
                                                                                                                                                                                                                                                                             ◎最終的に1つの文章で表現されたものになる。それ以前の構成要素だけで利用されることはない。
1つの文章の構成要素のどこに数量的な比重を置くかによって機能・効果・複雑表現・習得難易度が決まる。その違いとして
◎中国語はいきなり1万字の漢字単語とその熟語を覚えないと習得できない。文盲になる。最近は日本語の「ひらがな」に相当する「ピンインalphabetdya)清朝時代の役人の発音・北京語」が採用され、漢字が書けなくても「読めて・意味を理解」していれば「ピンイン漢字変換」でどんなむつかしい漢字でも書けるようになり、文盲は激減した。しかし、日本語のように「漢字+ピンイン交じり文字」になっていない。あくまで国字は漢字のみである。しかし、最近はWHO(World Health Organization 世界保健機関)のような英語略字が漢字文章の間に挟みこまれるようになった。
◎新しい用語・概念・国際関係、文化、科学は英語圏から派生する場合が多いので、それ以外の言語はそれを採用しなければならない。また、科学論文などは英語文章が必須である。
◎英語は「26文字alphabet-英単語-英語文章」までのsimpleな形式なので3者のうち習得が一番簡単な言語である。日本語は英語より複雑で重層である。日本語のような「機微」に渡る表現はできない。当然、これにより、英語より1つの文章が詳細・複雑な記述が可能になる。「英語」から「日本語」の翻訳には「意訳」という裏技が必要である。
◎「英語」は現在、世界の「共通言語」である。「事実上の標準言語(de facto standardラテン語)・言語」である。英語圏以外の人間は母国語と英語の両方を勉強しなければならない宿命である。

[6] 誰もこの欠陥について気づいていない。

 「学習指導要領」がこんな大事な「理科系・文科系・科学英語用語」禁止しているということを誰も気づいていないのである。また、カタカナ英語については「学習指導要領」の中で「アクティブ・ラーニング」「debate」とか無邪気に自慢して利用している。そして、その「意味」は説明していない。もはや、「alphabet国字化」は避けられない。スーパーのお菓子売り場に行って、パッケージの表示を見ればalphabetが標準である。
「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説-数学編 理数編」を講読した。ひっとして、そこに「カタカナ英語」「理科系・科学英語用語」についての言及があるかと期待したが、これにも1言もない。これでは高校卒業生でも米国の小学生の「科学英語用語」を知らなくても良いと宣言しているようなものである。。
「学習指導要領」を管轄している文科省官僚、全国の教育ママ、産業界の意見、世の文化人と言われる人、そして、英語教育学の権威もである。一番の問題は、私を含めて以上にあげた人達は自身も欠陥を経験しているのに気づいていないのである。それは教育関係者以外は「学習指導要領」を見たことなく、それで「日本人は10年も英語を勉強しているのにbilingualになれない」と嘆いているのである。事実、Philipino、Indian、Singaporean、香港人にも「英語力」は劣る。「日本人の英語力・Asia最低(29ヶ国中26番目/Afghanistanと同位)」。私も最近まで「学習指導要領」がこんな大事な「理科系・文科系・英語用語」を戦後以来、禁止しているという事実に気付かなかった。
 小学・中学・高校・大学で英語のcourseを取れば「英語のすべて」が可能と勘違いしている点である。こんなことはありえないことはビート・タケシの母親でも知っていたのである。小学校から高校までの「国語」だけを勉強をすれば、日本経済新聞に書かれている「経済事情」が理解できると勘違いしている。そこに書かれている漢字は全部すべて読める。しかし、そこに書かれている「経済用語」の意味が分からないだけである。
「国語」だけを勉強すれば「運転免許証学科試験」の内容が完全に理解できると勘違いしているのと同じである。最近、私が受けた運転免許証更新の「認知機能検査受験」問題の漢字には親切にも「ふりがな」がついていた。増えた老人の自動車事故を考慮してのことであろう。私みたいなボケ老人が問題の漢字が読めないと思っているのだろう。また私は高校生の時、バイクの「運転免許証」の学科試験に全然勉強せずに、免許を取りに行って見事に落ちた。
 日本人の「英語音痴」はこれと同じである。またそれ以上に、「英語科学用語」が「学習禁止」になっているのである。すなわち、「英語科目」で「英語文法」「日常英会話」「生活英語」など教科書で習った「生活英語」しか理解できないのである。
 
[7] あなたが大学2年生なら米国の小学生・中学生が知っている「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の「英語用語」は知らない。教えている先生も知らない。

 「学習指導要領-英語」の科目「英語」で高校卒業までにmasterすべき語彙数は5000語としている。(これも最近700-950語追加した数である)。信じられない少なさである。これではTOEFLの1万語に遠く及ばない。「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」に関しての獲得しなければならない「科学英語用語」は「夢のまた夢」である。これでは文科省自身が「英語文盲」になれと言っているようなものである。
 科学用語が5000語の中に出ていればラッキーである。私は「科学用語」ではないが「piss」という英単語を45才まで知らなかった。米国での業界の円卓dinnerの時に紳士・淑女の中で大恥をかいた。この単語は大学卒業までの英語の授業の中にも出てこなかった。この単語は米国ではzero歳児の赤ちゃんがPapaとMamaより先に一番最初に覚える単語である。
 大学3年生になれば「英語専門科目原書」を読まなければならない。そこで初めて「理科系・科学・英語用語」か「文科系・科学・英語用語」が出て来たものを必死に勉強しなければならないのである。その結果、経済学部であれば、それぞれ専門分野の「英語原書」を辞書を引きながら勉強するのである。そこでやっと米国の小学・中学・高校生の「文科系専門学部・英語用語」のなかの「経済関係用語」を勉強するのである。では経済学部を卒業した私が経済紙WSJ紙がスラスラ読めるかと言えばダメである。理由は期末試験で教授がでる範囲を教えてくれるので、「一夜漬け」で覚え、試験が終わればそっくり消去する。したがって私の英語力は高卒時と同じであった。入社試験もそれでいけた。ただ、大学院に行く者、金融ゼミに行く「ガリ勉」は最前列で必死に勉強していた。それは大学院で世界の先端文献を読まなければならないからである。これはいわゆる理科系でも同じである。したがって、普通に経済学部、法学部を卒業した者は「理科系・科学・英語用語」を勉強する機会もない。
これは、まるで「蘭学」以外の外国語は認めないという江戸時代と同じである。幕末に福沢諭吉は英語の勉強したくて「写本禁止」のたった1冊の「英蘭辞書」を求めて、大阪「適塾」の「蘭学塾頭」の地位を捨てて、江戸に出た。それと同じ環境である。幕藩体制で江戸時代を支えた学問は藩校の「漢文」しかなかった。欧米・外国語・科学思想などは禁制であった。例外で蘭学を勉強したければ長崎か大阪・適塾の私塾であった。現在の文科省は「科学教育」を禁止した幕藩体制と同じく「英語科学用語」を禁止しているのである。
 現在、学校で勉強する「英語」科目の中に偶然、「英語科学用語」が出ていれば記憶しているかもしれない。例えばアルコールalcohol、ルート(平方根)square root、convenience storeconvenience storeなどのように。また、日常生活で外来語の「カタカナ英語」で普段見ているかもしれない。しゃれた「restaurantrestaurant」なら「カタカナ」の代わりに「英語」で書かれた「メニューmenu」があり、記憶に残るかもしれない。「じゃが芋・ポテトpotato」は重要な単語である。「これを覚えないと副大統領になっちゃうよ」というjokeが米国にある。

---米国第44代副大統領ジェームズ・ダンフォース・クエールがスペル大会spell beeで「Potato」 とまちがったのである。また「ラテン・アメリカ諸国ではラテン語が話されている」などの発言を連発し、これらを理由として1991年イグNobel賞が贈られた。 WIKI

 (まじめな話) クエール副大統領を笑えない話。
下の問題は「実業之日本社刊・英語対訳・算数・数学入門」より。(この本は米国の小学生がmasterしなければならない英文・例文である/私はこの本の1割できるだろうか、自信がない)。
(問題5問)
①2×6÷3=12÷3=4
②12÷(4+2)=12+6=2
③71829を上から2桁の概数で表すときは、上から3桁の目の数字を四捨五入します。上から3桁目の数字は8だから、切り上げて72000になります。 
④ 百分率は、もとにする量を100とした時の割合の表し方で、0.01を1%とします。
⑤ 半径が3㎝である円の直径は、3×2=6㎝です。よって求める円周の長さは、6×3.14=18.84㎝です。

(解答)
① 2 times 6 divided by 3 equals 12 decided by 3 equals 4
② 12 divided by the quantity, 4 plus 2 , close quantity , equals 12 divided by 6 equals 2
③ When rounding off the number 71829 to the second digit from the top , we round off the third digit from the top. Because the third digit is 8, we round it up and the number becomes 720000.
④ Percentage are the way to express the zero of the original amount treated as 100. and zero point zero one is 1%.
⑤ The diameter of s circle with a radius of 3 centimeters is (3 times 2 equals) 6 centimeter . So, the length of the wanted circumference is (6 times 3.14 equals) 18.84 centimeters.

この対訳本を含めて、「英語対訳で読む『理科』入門/実業之日本社刊」の英作文を試みた。私には初めての経験であった。算数には特別の言い回しがあるが「理科」は英語を勉強していれば、「用語」さえ覚えれば、zero点ということはないと言い訳できる。
  
 上の5問の「算数の日本語を英語に訳せ」。これを来年3月に日本の大学を卒業する大学生の100人の入社英語試験に出してもらいたい。「米国の小学生が理解している算数の問題を英語翻訳せよ」と出したら、何人の人が100点とれるだろうか。私はやってみたら「全問不正解/零点」であった。言い訳になるが、個々の単語は少しできたが、「言い回し」ができていなかった。「×掛ける」を必死にmultiplyで文章を繕うとしたがtimesで良かったのである。現在、小学生を教えている先生にもtestしてもらいたい。来年の「教職試験」の「英語」に出してもらいたい。もちろん、日本語なら簡単な文章である。「学習指導要領-英語」の例文「I saw a movie with my family.」なら誰でもできるだろう。算数と英語とどちらが大事だろうか。もちろん算数、生物「細胞cell」の例の方が大事である。タケシの母親ならそう言うだろう。算数、生物は学校で勉強する科学である。英語は科学ではない。
 少し、挑発してみたい。これから教職につく先生の卵の人達と英語以外の科目を教えている現役先生に挑発してみたい。あなたたちはIndia、シンガポールの先生・生徒より英語力が格段に劣ることが恥ずかしいと思いませんか。また、今からでも努力してIndiaの小学生が勉強している国際語の英語の「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の「2文4行」教科書で生徒たちと一緒に勉強しない姿勢を恥ずかしいと思いませんか。2-3年後でも、日本の小学6年生が友達とNational Geographicをfreesoftware「英読」でスラスラ教室で読んでいて、数学、物理、化学、生物、地学の英単語を駆使していたら、嫉妬でぶん殴りますか。多分、私なら理科で「葉緑体」という用語が出てきたら、授業中に「先生! 『葉緑体』は英語でなんと言うですか?」といじわるな質問で授業を中断させるだろう。「chloroplastって言うんだよ」
私は田舎の中学3年生の時、高松高校に親に行けと圧力かけられた。受験科目にない「職業」の時間に参考書を広げて内職していたら、工藤先生にぶん殴ぐられた。今でも名前を覚えているのは他に理科の安西先生しかいない。校長の名は記憶の外である。当時は小学生にも体罰は当然だった。私の中学からは高松高校に毎年数人しか行けませんでした。日本の英語力がAsiaの最低の能力というのは、あなたたち英語以外の教職に携わる教師への嘲笑であることに気づきませんか。憲法9条のように学習指導要領に守られているから関係ないと思っているようですが、文科省はあなたたちを守れなくなれば、簡単に見捨てますよ。 まず、全国の父兄から「教育革命のシュプレヒコールSprechchor(独語)」が上がると思います。「米国の『社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画』の小学生・英語教科書を理解できない先生に『うちの子』を預けられない。図書室に『AI教師+2文4行・自習教室』を作れ、そして分からないことがあれば『100人ZOOM教室』で日本最高の先生に聞くから、あなたたちはタッチしないで欲しい」という時代が近い将来くるかもしれません。今からでも遅くありません。現在の検定教科書を「2文4行」に変更する努力を見せていれば、モンスターペアレントは許してくれるかもしれません。現在の日本を1945年と思えばよいのです。教育・価値観の変革です。「一斉・対面・板書」教育では最大でも50人まででないと統率・同調が取れないことは軍隊の単位「小隊」でも証明されている。これは運動会のように「肉体統一活動」にはteamworkとして大事な最大50人単位であるが、「情報処理」の単位には最適規模ではない。「ことば」の発明により人間の脳の重量の増大が停止した。「教育」も「ことば」による「情報」の一種である。「情報伝達」により、Communicationが「無限」「時間を超えて/歴史」伝達できるようになった。「教科書」は「ことば」の塊である。動物の会話のように「一過性」で終わるものでない。その「ことば」に「嘘・fake・狭義・神」を盛り込むことができる。propagandaにより、Hitlerの演説にドイツ国民が陶酔し、日本軍も天皇のために銃剣で米軍の機関銃に飛び込んでいけるようになるのである。「教育」にも「善・悪」がある。しかし、それは「結果・実験」で「証明」しなければ「騙されてしまう」。「騙すこと自体」は結果が悪くなければ社会活動で問題ない。映画、dramaなどは「騙し」であり、人間だけの精神活動である。戦争動員、宗教活動のように社会生活に甚大な被害を与えるものが「悪」なのである。したがって、「学問」の目的は「騙されないこと」も大きな目的である。このような主張をする人はマレである。
 現在の学習指導要領に一番欠けていることは「教育」がなぜ必要かとということを子供たち自身が納得できる形での「呼び水・学習」がない。いきなり「無垢の脳細胞」に「過激思想」を学習させればROMとなり、「バカの壁」となり、「消去」できない。常にそのroutineを経由した反応しかできない。別に「学問のすすめ」を課題にしろと言うのでない。小学1年生から繰り返し、具体例を上げて説明すべきである。現在「特殊サギ」防止でNHKが具体例を上げて、年寄りに教育している。それでは遅い。「教育・学習」は目的はそのpositive面の効果だけでなく、それによるnegativeな面も教えるべきである。宗教教育についても教えるべきである。教義を教えるのでなく、まず、その悪弊も教えるべきである。過去の歴史でChrist教が及ぼした害、現在の宗教教育で批判されるのはAfghanの神学校、統一教会のような過激な物だけでなくても、米国のトランプを支えたChrist教・福音派、また、現在の日本の政権政党の一翼を担っている創価学会も非難教育の対象になる。私の大学時代、新聞配達のアルバイト仲間にまじめな浪人生がいた。人間的にも両親を助け、素晴らしい子であった。ある日「先輩、私と一緒にお山に行きませんか」と言われ、車に乗せられた。私は夜景でも見る気分でいたが、着いたのが創価学会の教会であった。多くの信者の中で、あれよ、あれよというままに入会のサインをさせられた。帰りに「勤行」の本と、日蓮の肖像画と数珠を渡された。費用は払わなかった。その浪人生が出したのだろう。翌日、返そうとしたが受け取ってもらえなかった。すべてゴミに出した。その後、バチに当たらなかった。しかし、就職時に入社予定の会社から創価学会の会員かとの質問があった。事情を説明して入社できた。当時、創価学会は過激だったので学会員は一般企業では入社できなかった。会社も身元調査をしたものである。「信教の自由」は尊重されていなかった。当時の創価学会は現在の統一教会並みに「折伏活動」をしていた。私でなくても、ごく普通の大学生でも簡単に「宗教・勧誘サギ」にかかる。私は不真面目な性格だったので、毎日、「お経」を上げるなら、寝ていた方がよいという性格だった。しかし、私の長女が創価学会分派のcult顕正会に引っかかった。長女は私に似ず、生真面目で、うぶだった。大学入学が決まった直後、高校時代の仲の良かった女友達の折伏に私同様、引っかかった。熱心に会員活動をし、毎日、勤行をしていた。そこで、私は大学近くで新聞配達をさせることにした。そのアルバイトで稼いだ金も寄付していた。20万円も寄付しようとして、アルバイト生として、さすがに多いということで5万円になった。「死んでも、遺体が腐らない」とか、薬学部に行っているのに非科学的なことを言うので私と議論しても「バカの壁」ができているのでダメだった。4年生で学業、宗教活動、アルバイトをがんばったが留年したので、家に連れ戻した。次第に宗教活動から離れて行った。多くの大学生が宗教cultに、いとも簡単に、普通に引っかかる。まじめな程引っかかる。東大・京大の中核派は「共産主義・教」という「宗教cult」である。日本の最高・国立大学は国費て過激派を養成しているのである。
 私が「呼び水・教育」というのはvirusに相当するcultにひっからずに、脳細胞に「批判精神・科学精神」を記録させていないと簡単にvirusのcultに引っかかるということである。すなわち、vaccine接種が必要なのである。それが、「呼び水・教育」である。そして、「抗体」を作っていないと、いったん罹患すると脳細胞は死ぬまでvirusに「宿主」として占拠される。そして、言動も死ぬまでcontrolされる。「抗体」を作るためには1つのvaccineではダメで、多くの「型」に対応したvaccineが必要である。「共産主義・教vaccine」「過激Islam教・Christ教vaccine」「過激日蓮宗vaccine」というように「具体的な過去の病歴」に対応した治験済vaccineが必要である。私は個人的には、一番良い、汎用性のある、万能vaccineは「一般意味論」であると思う。virusは「ことば」という遺伝子の形で脳細胞に印刷されるからである。したがって「ことば」の性格を科学的に検証した「一般意味論」が最適である。「一般意味論」は一時的にboomになったが、定着していない。私は他に良いvaccineを知らない。

 宗教活動でない「学校教育」は「単位制」では100人でも問題ない。むしろ、先生、同級生に邪魔されずに「2文4行教科書・演習」に集中するためには100人ぐらいが最適である。満員電車の中で集中できるのと同じである。また誰かに質問・協力を求める時の最適の組織サイズである。
 現在、世界のinternetの情報戦で日本を駆逐・利用しようとしているのはGAFA、LINEなど外国勢です。シリコンバレーのIT産業のCEOの多くはIndianです。GoogleのCEOはIndia系です。世界のinternet頭脳に日本人はいません。softwareバンクの孫正義は韓国系です。「楽天の三木谷浩史が英語を社内公用語にしなければ、楽天は終わっていた」と言っています。かって日本人もシリコンバレーに行って技術を持ち帰っていたのです。現在社会では「情報」が「価値」をもつ社会です。かっては「米」、「石炭・石油」が国力のbarometerでした。しかし、最近は「情報」、そして、「米」、「石炭」の資産が「金融」という「無形財産」になってしまいました。「有形資産」も大事ですが、「無形資産」も大事です。我々は本能的に「学問」は大事だと両親たちから言われて来た。しかし、その意味を子供たちが本能的に理解することはできない。理解する「脳細胞」を持っていないからである。「理解する」ためにも「学問・勉強」をしなければならない。子供たちが知識がの泉を無限に組みだすためには、強制的に「呼び水」が必要なのかもしれない。
 中国は国を上げてinternetを武器にして世界を制覇しようとしている。それらに使用されるprogram言語はすべて英語である。日本語は「入口と出口」だけだ。「漢字の綴り方」などは廃止しても良いです。それよりblind touchを教えるべきです。「漢字」は書けなくても、読めて、意味を理解すれば「活字体」で最高の綺麗さで印字できます。英語でも「筆記体」は教えなくなりました。漢字をpenで書くことは廃止しなければなりません。現在、「漢字・筆記体」を使用している所はどこですか。学校だけです。卒業して会社に入れば「漢字・筆記体」を使用するchanceはありません。
日本は現在、世界中からカモにせられているか、見捨てられているのです。かってはいろいろな分野で世界一の技術がありました。しかし、現在は見る影もないです。それらの原因は現在の「攘夷・教育」が原因しているのです。日本人は韓国・中国の反日教育を非難していますが、世界は日本の「英語音痴」を笑っています。「10年も英語を勉強しているのに英語音痴とは、日本人はバカだね」とIndian、Philipino、香港人、Singaporeanが笑っています。その元凶は「学習指導要領が科学・英語・用語」を禁止しているからです。
 世界に羽ばたくために「英語」はブロークンでも必要なのです。それには、「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の英語です。科目「英語」の中に出てくる「生活英語」ではありません。こんなことはタケシの母親でも理解していました。現在の日本は長期低迷の「ゆでガエル」です。産業の米と言われた半導体のシェアーは世界の50%から5%になりました。技術も1周遅れです。最近、台湾の企業USMCに頭を下げて、数千億円の補助金を出して、旧世代の半導体工場の建設をお願いしています。「お雇い外国人」として台湾人に頭を下げなければならないのです。ここで誘致しなければ「2週遅れ」になるのは確実である。というより、日本から半導体生産が消え、すべて輸入品に頼らなければならなくなる危機状態を感じない「ゆでカエル」である。同じカエルでも「世代飛び/蛙飛び経済(Leapfrogging)」でなければなりません。「教育」も「蛙飛び」です。現在、OECD最低のDX教育、Asia最低の英語力は10年でtop可能です。それには文科省と「ゆでガエル先生」の変革が必要です。それには私が提案する「digital・2文4行」の教科書です。
 
[8] (岸田総理+古川・法務大臣+茂木・外務大臣+末松文科大臣+後藤・厚労大臣)5大臣の「理科系・英語用語」能力は米国の小学生並み

 上の「算数・練習問題」を上の教育関連の5大臣にも試してもらいたい。国会で文科大臣にこの問題を出してつるし上げてもらいたい。クエール副大統領も恥をかいたのである。恥をかくことで国民に「日本人・英語音痴」に問題提起・注意喚起できる。
 この理由は簡単である。5大臣は「文科系」学部卒業なので大学3年生から「文科系・科学・英語用語」は履修するが、「理科系・科学・英語用語」は履修する機会がない。「理科系・科学用語は米国小学生並み」である。 ただ 茂木・外務大臣+後藤・厚労大臣は米Ivy Leagueに留学している秀才なので、bilingualbilingualで英語はペラペラである。「文科系・科学・英語用語」を必死に勉強したので、その分野では米国人とdebatedebateできるだけの能力はある。しかし、「理科系・科学・英語用語」は勉強していないので小学生なみではないだろうか。単語を読めても、「意味・内容」は理解できないだろう。ただ、高校までに「日本語」で「理科系・科学・用語」を理解しているので、その用語の「意味・背景」は理解している。英文に「日本語用語・日本語ルビ」が降られていれば「意味・背景」を理解できるだろう。
茂木・外務大臣+後藤・厚労大臣は米国大学院を卒業していて、「文科系・科学・英語用語」の学習に苦労したのにもかかわらず、2人は日本の「英語教育」制度の「学習指導要領の欠陥」に気づかなかったのだろうか。小泉新次郎は屈辱的なコロンビア大学・大学院留学で「欠陥」を認識できたはずである。留学時に「だって、大学までに理科系・科学・用語を教えてくれなかったんだもの。文科省の学習指導要領が悪いんだ」と総理の親父に頼み文科省にねじ込むべきだった。
小泉新次郎 WIKI
2004年3月、23歳の時に関東学院大学経済学部経営学科を卒業。その後、コロンビア大学大学院に入学のプロセスとしては例外中の例外と言われる「条件付き合格」し、条件である「TOEFLのスコアが最低限必要な600点(60点?では)に達するまで大学内の語学講座で英語の授業を受ける」に従い1年ほど英語を学び、2005年9月よりジェラルド・カーティスに師事して修士課程をスタートし、一年後の2006年(平成18年)に政治学で修士の学位を取得した。 引用者注、「条件付き合格」とは「裏口入学」とのこと?
 それにしても小泉新次郎はすごい、裏口入学しても、たった1年でTOEFL合格できたのである。これに似た人物にジョン万次郎がいる。彼は土佐藩でも家が貧しく、「寺子屋」で「読み書き」を受けていなかった文盲・漁師であった。すごいのは16-17歳の2年間で文盲からカレッジを首席卒業しているのである。
ジョン万次郎wiki
14歳-16歳は「漂流の後捕鯨」 16歳 1843年(日本は天保14年)にはオックスフォード・schoolでジェームズ・アレンから小学生に混じり英語を学んだ。船長が農場のスコンチカットネックに移った後、しばらく船長の叔母アメリアと住んでいたが、後に万次郎も移った。ここでスコンチカットネック・schoolに通い、17歳1844年弘化元年)にはフェアヘーブンのバートレット・アカデミーで英語数学測量航海術造船技術などを学ぶ。彼は寝る間を惜しんで熱心に勉強し、首席となった。 帰国して旗本になり、万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団の1人として、咸臨丸に乗りアメリカに渡る。船長の勝海舟が船酔いがひどくまともな指揮を執れなかったため、万次郎は代わってジョン・ブルックとともに船内の秩序保持に努めた(彼はアメリカ人との交友を日本人船員に訝しがられることを恐れ、付き合い方には注意していたとされる)。San Franciscoに到着後、使節の通訳として活躍。帰路ホノルルではSamuel C. Damon英語版)と再会した。帰国時に同行の福澤諭吉と共にWebsterの英語辞書を購入し持ち帰る。 明治なり東大の英語教授になっている。 引用者注-これでは勝海舟、福沢諭吉もジョン万次郎に頭が上がらない。生まれの卑しい文盲の漁師の実力に対する嫉妬があったのだろう。ジョン万次郎は家康に旗本に取り立てられた三浦按針を彷彿とさせる。「難破-航海術-造船技術」が重なる。順序は逆であるが「時代の節目」に現れた英雄である。250年以上の差がある「デジャブ」である。
 この2人が短期間で「英語」と「大学同等教育」をmasterできたのは「教育に理解を示す」先生がまわりにいたからである。本人の意欲と環境さえ与えれば短期間で「一流人物」になれる。特に16歳のジョン万次郎が英語を小学生と一緒に勉強したということは「単位制」であり、素晴らしいsystemであり、今後の教育革命を暗示する技術である。私の提案する「2文4行」で普通の能力の子が小学6年生(12歳)でbilingualになり、英語の授業で5000語の生活英語をmasterし、中学卒業(15歳)でTOEFL1万語をmasterできるだろうか。私は十分可能性があると思う。ジョン万次郎は「文盲」で英語知らない16-17歳の2年間で工業高校(バートレット・アカデミーが何に相当するか私には分からない)並みの実技を身に付けたのである。それほどでなくても、日本人の普通の子が小学校6年間で5000語の生活英語と 国語、社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画の日米用語5000語程度はmasterできる。合計1万語である。1万語近くあるカタカナ英語は廃止してalphabet優先にする。高校3年間で2万語は楽に覚えられる。福沢諭吉が改悪した「科学漢字用語」を「副/ルビ」にして、alphabetを「主/本文」にした教科書にすれば良い。最近の新語はほとんど「カタカナ英語」である。世界の標準語でない「カタカナ英語」を廃止してalphabetに置き換えるべきである。年配の人には抵抗はあるだろう。しかし、いずれ死ぬ。若者が「カタカナ英語」を使っていることは日本人・外国人でもない「宇宙人」である。外国人から「カタカナ英語」を見ると、「日本人は我々が理解できないように『暗号文』を使っている」というだろう。
私は子供時代を思い出す。ちょうど尺貫法からメートル法の切り替え期であった。着物計測に使う「鯨尺」などの販売には罰則があった。よく地面に立てる「釘さし」という遊びに使用しいてた「5寸クギ」などは言い換えができなかった。氏名と同じ固有名詞みたいなものであったからだ。しかし、建築方法が変わり「5寸クギ」は言葉とともに自然に消滅した。日本語にalphabetを加え、国字化して、「かな+漢字+alphabetまじり文」にするのである。そうすると必ず「漢字用語派」の「抵抗勢力」が認めないだろう。しかし、分けの分からないカタカナ英語が増えるし、「英語音痴」はますます増える。日本語学校では海外の高校を卒業して日本の大学に進学する生徒を2年間で「あいうえお」から日本語科学用語を教えるのである。小泉新次郎ができたのだからできるだろう。小学校-中学-高校の10年間で覚えるのは造作ないことである。
 カタカナは将来、日本語から追放すべきである。カタカナは「ひらがな」より先に800年頃発明された。「男文字」としてbusiness界では第2次大戦以前まで残った。905年に「ひらがな」による「古今和歌集」が成立し、土佐日記、源氏物語の「女文字」としてカタカナ同様、第2次大戦以前まで残った。江戸時代を含めて出版は「ひらがな+漢字混じり文」で新聞などは「ひらがな」が採用されていた。大戦を境に、カタカナは外来語の音読みに使用され、日本語としては「ひらがな」が男女ともに使用する標準語になった。私の父は明治末生まれであった。母は大正10年生まれであった。父親からの手紙にはしばしばカタカナが混じっていた。現在の日本人は「カタカナ英語」は昔からあったように思っているがせいぜい100年である。戦後それが1万語近く発生してしまった。漢字より多いのである。廃止してalphabetにすべきである。
 
[9] 日本に来る外国籍の子供の救済。「3文6行」で母国で勉強させて、on-lineでtestし、合格した者を「研修生・留学生」とする。
 
 中南米などから親に連れられ「出稼ぎ日系人」の子弟の教育が問題になっている。ジョン万次郎と同じである。いきなり、日本語も分からないまま年齢に応じた「通常教育」に放り込まれ、年齢がくれば、進級・卒業・進学させてしまう最悪のsystemである。「半グレ」育成systemである。私は「3文6行」方式とジョン万次郎方式にすれば彼らは「ポルトガル語・スペイン語・英語・日本語」の「trilingual」になれる。
 現在、日本には日系南米人の子弟で未就学の者が多くいる。また、学校に行っても日本人に混じって授業についていけない者が多い。彼らは「スペイン語またはポルトガル語」の習得者で、日本語はほとんどできない。彼らには年齢に関係なく、「あいうえお」から私立進学高校に入学する実力をつけさせなければならない。彼らを「日本語+英語+母国語」の「trilingual」に仕上げなければならない。それには彼らに日本の保育園から高校卒業までの検定教科書のdigital版を年齢に関係なく与えて、自分たちの目標を見せることである。これは現在の日本人教育には与えられていない特典である。彼らに勉強を兼ねて、「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の科目を「3文6行」のdigital教科書を彼ら自身に作成させれば良い。それぞれの能力に応じた部分を「翻訳対訳」「ルビ振り」「excel辞書」の作成全国委員会を立ち上げるべき。「コピペ」すれば全員共有財産になる。きょう中南米から来た日系人子弟にも、小学生で来日した子弟で高校進学を希望している中学生にも保育園から高校課程のdigital教科書を与える。そうすればジョン万次郎のように2年でtrilingualになれる。一緒に勉強している通常日本人もその教科書を欲しがると思う。atama-plusにある教科は検定教科書の代わりにそれを利用した方がAI教育できる。0歳-保育園はatama-plusがないので「公文式」が良い。通常日本人がその教科書採用は教育委員会の「石頭」で採用できないので、「PTA乗っ取り計画」は後で述べる。
彼ら自身に作成させれば良い。」ということは、その過程そのものが、「学習・研究・教育学」である。それも、大学でも教えていない「学者」のやる課題である。本来、国連でやるべき課題である。
「公文式」0・1・2歳Baby Kumon
「公文式」3・4・5・6歳年少・年中・年長
atama-plus小学校=算数
atama-plus中学校教科=英語+数学+理科+社会
atama-plus高校1-2年=英語+数学+物理+化学+生物
atama-plus高校3-浪人=英語+数学+物理+化学+生物
 将来、大学の各学部の教科書は現在のものでなく、atama plusに作らせ、世界最高の「2文4行」の「経済原論」のdigital教科書を作らせる。
 大学教材の例えば「経済原論」もatama plusに依頼して「世界一の『2文4行』digital教科書」を作成してもらう。現在の各大学は各教授による「手作りon-line授業講座」は「日本一」でない。それは「大学エゴ/学閥」。大学講座の「演習問題・過去問・模範解答」が公開されていない。例えば私が受けた「経済原論」について言えば、全大学・経済学部の「経済原論」の「期末試験・模範解答」dataを集めたものでない。「大学入試問題過去問集」のようにあらゆる大学入試が収集・分析・分類されたもののようになっていない。それができれば、日本中の「経済原論」 んきむの「digital教科書」は「日本一」である。そして、それが「2文4行」であれば「世界一」の教科書になる。その「経済原論」の収集は世界の大学からも集めなければならない。それを文科省のsiteに「無料公開」すればMOOCなどは吹っ飛んでしまう。それ1冊で世界の「経済原論」の世界一教科書になる。当然、その本のpageは「引用文献」で現在の500pageなどというものでなく、5000-10000pageになるだろう。「紙・教科書」では実現できない。そして、それを「独習」して、「文科省サーバー」に「学習log」を収集して、「AI採点」してもらえば、「期末試験」などは不要になる。大学も「世界一通信大学」と称することができる。
 以上は本人の意思に関係なく、日系両親に連れられて日本の学校に放り込まれる児童のためのideaである。しかし、現在は中国、Vietnam、フィリッピンからの「外国人研修生」制度で来日する場合がある。彼らは100万円以上の前借金をしてブローカーに払い、日本で短期間の日本語教育を受けて3年間働く。しかし、日本語能力に問題があり、職場で劣悪な条件で働かされる。そこで、日本に来る前に、借金をする前に「3文6行digital教科書」で母国で独自に勉強してもらい、日本語の能力を付けてもらい、日本政府がon-lineで「日本語能力test」に合格した者だけを「外国人研修生」として招へいするようにすべきである。日本語能力は日本語学校で2年間勉強した程度を目安とする。それであれば「研修生」でなく、「留学生」と同じである。「留学生」は専門学校、大学に行くのであるが、「研修生」は企業で「研修(実質労働)」になる。また、前借金する必要がない。政府はzoomで海外の希望者の「日本語学習補助」をする。

[10] 江戸時代と明治以降では授業内容は180度変わった。「科学」導入。

 現在の民主主義、資本主義の「科学社会」に浸っている我々、現代日本人は忘れてしまっているが、明治維新で「教育内容」は180度変わったのである。明治維新で江戸時代の「藩校」では「禁制」だった欧米の「科学思想・技術」「民主主義/四民平等」が全面採用された。学校に行く意味は「学問」をするということである。それは、現在では欧米由来の「科学」を勉強するということである。江戸時代の藩校では「科学教育」は禁制だった。そこでは「中国思想/四書五経」「朱子学」「鎖国封建制・攘夷」が最高の学問であった。会津藩の藩校・日新館「什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)」はイスラム神学校同様、「武士道/非科学教育」の最悪の教えであった。幕藩体制を守る「cult教育・集団」であった。しかし、当時はそれが最高の「教材」であった。武士以外は「読み・書き・ソロバン」であった。欧米の「科学思想」は「禁制」であった。わずかに許可された医学などの蘭学があった。和算もあったが、趣味であった。それが「明治維新」で一気に180度切り替わったのである。江戸時代に「藩校/武士道」で教えていたことは、今度は「禁制/廃止」になり、新たに欧米の「科学知識」「科学技術」「民主主義」「思想自由」が「標準」になった。江戸時代の学問で現在残っているのは、かろうじて「国語」の中の「漢文」が残っている。その漢文も「論語」ぐらい。むしろ「漢詩」が多い。
 「禁制」だった欧米の「科学思想」が現在の学校の「科目」として具体的に「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」となっている。
 多くの「科学用語」が福沢諭吉などにより「和製漢語」に翻訳・造語された。

これにより、日本人の「英語音痴」が始まった。福沢諭吉はジョン万次郎(漁師出身で文盲だった)より旧主派(下級武士)であった。そのprideが現在の日本人を「英語音痴」にした極悪人である。

 英語用語をそのまま「日本語」に採用すべきであった。今から考えれば、福沢諭吉は余計なことをしてくれたものである。たった26文字のalphabetを「国字」にし、日本語を「横書き」と「かな+漢字+alphabet交じり文」にすればよかった。そうすれば、日本人は北欧並みに90%英語bilingualになれた。もちろん現在の日本の「日本語・科学用語」と同等の科学知識と意味を英語用語で理解できていることは当然である。今後そのようにすべきである。このchanceは1945年の敗戦でもあったが見過ごされた。現在、そのツケが来ている。それは「カタカナ英語」の氾濫である。
学習指導要領WIKI
1947年(昭和22年)-第二次世界大戦後しばらく行われていた学習指導要領。手引きという立場であり、各学校での裁量権が大きかった。1953年(昭和28年)までは学習指導要領(試案)という名称であった。小学校において、戦前からの修身、地理、歴史が廃止、社会科が新設され、家庭科が男女共修となった。自由研究が新設された。

漢字廃止論WIKI
 敗戦後、国語改革による漢字廃止政策が盛り上がった。1946年(昭和21年)4月、志賀直哉は雑誌『改造』に「国語問題」を発表し、その中で「日本語を廃止して、世界中で一番うつくしい言語であるフランス語を採用せよ」と提案した。11月12日、讀賣報知(いまの読売新聞)は「漢字を廃止せよ」との社説を掲載した。太平洋戦争終結後、1948年(昭和23年)に「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という私見から、GHQのジョン・ペルゼルによる発案で、日本語をローマ字表記にする計画が起こされた。同年3月、連合国軍最高司令官総司令部に招かれた第一次アメリカ教育使節団が3月31日に第一次アメリカ教育使節団報告書を提出し、学校教育の漢字の弊害とローマ字の利便性を指摘した。正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指示(統計処理は林知己夫が担当)、1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はtest後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね、日本語のローマ字化は撤回された。結局、当用漢字と現代かなづかい、教育漢字が制定された。その後当用漢字は常用漢字に改められた。 
 PCやword processorの発展により、typewriterや活字、手書き原稿を前提とした漢字制限・字体簡略化論はその有効性を失っている。漢字制限派だった金田一春彦1995年平成7年)にここまでword processorが発展するのなら、常用漢字も新字体も現代仮名遣いも無用のことだったと述べている。
 上の真意を言い換えると「漢字は読めて意味が理解できれば、自分の考えをタイプできれば、書けなくてもよい」ということである。また、現在、氾濫している「カタカナ英語」をすべて「alphabet」にすべきということである。
 現在、常用漢字は2136字である。金田一晴彦のいうようにword processorの普及で「漢字習得」は「かな漢字変換」で習得困難でなくなった。中国のように8000語まで増やしても問題ない。文科省はGHQの圧力がすごかったので、増やすことに慎重である。漢字は「筆記」できなくても、「読めてて、意味を理解でき、typeできればOK」とすべきである。
 明治維新で「科学」が全面的に採用されたが、第2次世界大戦の日本の敗戦後にまた大きく変わった。GHQの「日本語をローマ字にしろ」という要求をやっとの思いで、やり過ごしたので「学習指導要領-英語」の「英語学習」などについては「おざなり」になったようである。単に「英語」は「国語」「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」と同列に扱われたのである。したがって、これらの科目との「連携」「併用」という考えは全く思いつかなかったようである。むしろ、「同列」というより、「国語」が「英語」を干して、切り離し、他のすべての「科目」に適用したのである。「細胞」と「cell」を1つの教科書に記述することを禁止してしまったのである。明治時代の方がもっと自由であったろう。以下に述べる私の案の「2文4行」などという発想を思いつくこともない。「夢のまた夢」である。
「学習指導要領」が誕生した当時はGHQ占領下で、「ローマ字」強制を回避して、戦前教育の「黒塗り教科書」否定でwhat(何を教えるか)ばかりに配慮され、how(いかに運用するか)などは検討されずに、科目だけをとりあえず決めたということが、現在まで踏襲されている。そして、当時の文科官僚が「咥えタバコで事務的に」適当に記述した「学習指導要領」がそのまま「教育憲法」として維持されている。メモ書きした官僚は自分の書いた文章が現在の「英語音痴」を発生させていることなどは思いよらないだろう。
 その結果、最近、問題になつている「digital教科書」は単に「紙・教科書」をコピペしたものになって、10年以上むなしく経過して、日本のDX教育はOECDの最低国になっている。韓国に1周遅れである。今回のcorona禍でもpanicになり、無策のまま終始している。とにかく、「学習指導要領」は憲法9条のように「できるだけ、触らない」ということで、「抽象的」な規定のまま推移している。いつも注目を浴びるのは事実上、韓国に検閲されている「紙・教科書」の「従軍慰安婦」だけが脚光をあびるだけである。しかし、産業界のように教育界以外はcomputer化、ペーパーレス化しているが、教育界は旧式のままである。その結果、教師の頭の中も「前例踏襲」の旧式のままである。「ゆとり教育」などにチャレンしたが失敗に終わり、ますます萎縮して「旧式」のままになっている。教育界でも民間の「塾・予備校」はどんどん効率を重視し、受験対策の比重を高め、brand磨きに走った。肝心の受験brandでは私立高校と公立高校の逆転が起きた。私の高校時代に比べれば信じられない現象である。進学校と言えば公立高校であった。私立高校は「滑り止め」であった。そして、教育界におけるcomputer化は韓国に「一周遅れ」になってしまった。私は韓国が毎回「従軍慰安婦」を騒ぐのは日本の児童に「紙・教科書」に固定化し、「2周遅れ」にさせるための「高等戦略」ではないかと疑いたくなる。「digital教科書」になれば「従軍慰安婦」は「戦場売春婦」と一瞬で「すべて置換」をクリックすれば変更できる。また「hyperlink」で当時の敵国・米軍が「従軍慰安婦」を「捕虜」にして、「ハーグ条約」に基づいて「従軍看護婦」と同等に扱った。「日本人戦争捕虜尋問レポート No.49 WIKI」などに飛び真実を知ることができる。米軍は「ハーグ条約」に基づいて「従軍慰安婦」を「捕虜」として「軍人」同様に扱って保護したのである。ソ連軍は満州に進出した時に日本の婦女子をレイプして殺害した。「ハーグ条約」にロシアは批准していたが、ソ連邦になったので批准していないと主張して、日本の婦女子はレイプして、軍人捕虜は「シベリア抑留」を正統化した。従軍看護婦は、病気、負傷した兵隊の肉体の面倒をみる役目である。従軍慰安婦は健常な兵隊の心の安寧を面倒みる役目である。ともに名誉な仕事である。慰安所を設営した中曽根元総理が、慰安所を設営しないと、日本兵が現地の女性をレイプするからだと自伝で説明していた。彼は慰安所設置を犯罪とは思っていない。また、当時の世界の軍隊の常識であった。したがって第2次世界大戦前後では日本人慰安婦が朝鮮半島出身慰安婦より多かった。また、日本人慰安婦と朝鮮出身慰安婦は同じ慰安所で働いていた。朝鮮の無この婦女子を拉致して慰安婦にしたことなどは一例もない。しかし、現在の韓国の反日教育では事実を教えていない。
 現在の文科官僚の「脳細胞」は「終戦直後」のままのトラウマで、「英語」「国語」は「言語」であり、その役目は他の科目(科学)を理解する道具であり、他の「科学教育」との「連携・合併授業」が必要という「教育学・言語学・心理学」のskillのない「バカの壁・脳細胞」のままである。「教育学・落第者」なのである。そして、日本人全体が私も含めて、その事実に気が付かず従属しているのである。
 そもそも、「国語」は他の科目の「補助道具」であるという認識がない。小学生が「理科」の授業を受けているのは「国語」との「合併授業」である。教師・生徒に「国語」と「理科」を勉強しているという認識はない。「理科」から「国語」を排除できない。ではこれに同じく「補助道具」の英語を、ついでに加えた合併授業も簡単に追加できるというideaは文科官僚にはわかない。「国語」で書かれた「理科」の「文章」の下に「英語文章」を併記するだけである。後は生徒に任せて良い。本来この教科書は明治維新の時に取られるべきであった。江戸時代には「理科」の科目は「蘭学」以外は禁制であった。その「知識」「概念」「用語」自体が禁制であった。明治意思トンでそのまま「英語spell用語」を導入していれば、現在の日本人はIndia人並みの英語を駆使できただろう。
「英語」は「英語以外の科目」とすべて「合併授業」できる可能性がある。また「数学」も「物理」「科学」「生物」「社会」などは部分的に「数学」で説明した方が理解しやすい場合がある。その時は「部分合併」みたいなものである。特に「定性的・定量的・分析」などという場合に「数学的知識・分析」が必要になる。「バカの壁」が構築されている狂信的な学者では「定量的」な分析ができない者がいる。特にいわゆる「文科系」の学者に多い。「結論ありき」なのである。computerが存在しなかった時代は「集計・統計・即時性」の手段がなかったので「政治・経済」などは「声の大きい学者の勝ち」であった。しかし、現在のようなcomputer社会であれば、あらゆる数字が瞬時に集まり、結論を出せる時代になった。「自動化(人間が介在しない)」が可能になった。これが「教育分野」に適用されれば、1年に1回の「入試」を廃止することも可能である。日本全国の生徒個人のすべての科目の勉強の成果を毎日、文科省のserverに集計することは現在では可能である。教師はtouchしなくてよい。自動的に集計・通信することが可能なのである。このことはすなわち、全国の生徒の序列を毎日、自動的に計測できるのである。文科省のサーバーは「入試」を不要にして合格・不合格を「公正・平等」に結論を出してくれる。現在、私の財産は「タンス預金」以外の財産はすべて国家が把握しようと思えば把握できる。「知財/知識財産」についても把握できる。ただ残念なことに「知財」は「味噌・クソ」が一緒なのである。価値が多用なので集計しても意味をなさないのである。せいぜい、「学歴・職歴」でし集計されるだけである。
 文科官僚はdigital教育に至っては「思考停止」のpanicになっている。何をして良いか分からない。むしろ経済産業省が「未来の教室」として「ICT教育」を推進している。これはちょうど会津戦争で勝ち上って来た官軍を迎え撃つ会津藩の家老・西郷頼母と同じである。戦闘意識のない平和主義者の西郷頼母が指揮をしたのでは勝てないのは当然である。これは現在の日本の左翼系の人達と同じmentalityである。彼らの国防精神は憲法9条遵守しかないのである。外国からミサイルが首相官邸に撃ち込まれても、六法全書を振りかざせば、敵は攻めてこないと信じているのである。第一、現在の首都圏は「戦争対応都市」ではない。台風で簡単に1-2週間停電になり、水道が停まり、経済活動が停止するのである。これからは「都市機能」に「戦災・地下壕」などを義務付けける法案を通すべきである。現在議論されているものは地震だけである。ミサイルは絶対飛んでこないと思っている。「平和ボケ」である。「首都機能移転」などは「戦災」を想定して地方に「疎開」しなければならない。ミサイルが飛んでこなくても、30年以内に来ると言われている「関東大震災」に堪える建築は少ない。阪神大震災の都市型震災で木造建物の倒壊で下敷きになり、生きながら焼き殺された人達のことを思い出すべきである。世田谷区、板橋区、練馬区、杉並区の木造密集地あたりは阪神長田区と同じになる。しかし、現在の東京・木造密集地には「東京大空襲」より怖い状況である。外国からの数発のミサイルで「火焔地獄」になる。消防車は機能しない。それは40リッターのガソリンを保存している「自家用車」である。これは戦前にはなかった。40K爆弾(焼夷弾/napalm弾100Kg)と同じ効果がある。日本人が自ら殺してくれと準備しているのである。また、荒川堤防をやられたら都心は「水攻め」である。秀吉の「高松城」攻めである。(少し脱線したが、高校の歴史では当然習わなければならない、「東京大空襲」被害である。) 
 現在の文科省はGHQのような怖いものがなく、全国の生徒と父兄などの悲鳴など「知ったことか」と「前例踏襲」「無為無策」で過ごす。文科官僚も変に「ゆとり教育」のように改革をして失敗したら出世に響くと、「だんまり」を決め込む。その結果、全国の父兄は文科省を見限り、「塾・予備校・私立」に走り、子供の負担は「ゆとり」から「詰め込み/二重教育」になっている。東大合格のベスト10は9校まで私立受験高校。全国の父兄は「公立高校」を見捨てたのである。習近平なら「塾・予備校」を廃止できるが、日本の教育が再生するにはAfghanistanと同じことをしなければならない。
それは「検定教科書」の代わりに「塾教材」と私の提案する「2文4行」しかない。
 これなら極端な話、英語授業を廃止しても「ゆとり教育」を実現して、6年生で「bilingual」にできる。教師が英語教育ができなくても、「AI教材」を児童に与えて、教室の隅で居眠りをしていても良い。また、習近平が「塾廃止」で先端教育技術を抹殺したが、日本の文科省はこんなバカなことはしてはダメであるし、また「職業選択の自由」でこんな憲法違反はできない。公教育に「塾・予備校教材」を採用すれば、「二重教育の廃止」「単位制」「教育革命」が可能になり、塾を抹殺できる。そして、日本の教育はOECDの最高にジャンプできる。
100年単位で産業を過去・現在・未来を見てみよう。明治維新、第2次世界大戦後で日本は「革命的変化」をした。明治維新で「科学・第1次産業革命(蒸気機関+機械化)の導入+第2次産業革命(化学、電気、石油、鉄鋼=重化学工業 )へ発展」、第2次世界大戦後で「第3次産業革命(computer産業)の導入」。現在は「カエルの面に小便の文部官僚の怠慢・厚顔」により「ゆでカエル状態」である。これからの科学技術を何だろう。それはcomputerでのhardwareからsoftwareウエアーへの発展である。現在は一時は世界を制覇した日本の技術、製品は米国、台湾、韓国の後塵を追いつつある。GAFAがinternet で世界制覇している。「internet、AI、VA」などである。特にAIなどは「情報・言語」に係る産業である。そして、そこで使用される中核言語は「英語」である。それに携わるためには100%英語のcomputer用語だけでなく、関連科学分野の英語能力が小学生以下では国際的にも、未来的にも活躍できない。こんな小学生でも理解できる簡単な事実に反対するバカな数学者が2人いる。
塾・予備校教材を「2文4行」にして検定教科書の代わりにすることのmeritはすごい革命になる。「学習指導要領の『巻頭・前文』に一行、『塾・予備校』の『教材・教育方法』を「2文4行」にして、「単位制」を採用する」と明記するだけでよい。後は何も変更しなくて良い。
① 東大生は塾に行けた金持ちだけであったが、塾に行けなかった貧乏人の子供達にも「最高・同一・平等教育」を与えることができる。これは文科省の「教育基本法」の大義に合う。
② 親の余分な塾教育の経済的負担(cost performance)、子供の時間的2重教育の負担(time performance)の軽減になる。
③ これで、最低38位OECDのDX教育、Asia最低26位の英語力を「蛙飛び」でtopになれる。
④ 文科省官僚の過去の無為無策を「ほうかむり」できる。
⑤ 文科省は40人クラス教育が「100人・ZOOM・VR・AI教師」になった時の余剰教員の失業対策を考えるだけでよい。国家予算の教育費の人件費を半分にできる。民間の早期退職制と同じである。廃業する塾の講師にはなんの補償もないのである。  
もし英語教科を残すのであれば現在の教科書より「音楽との合併授業」「好きな米国雑誌の翻訳」などの方が効果あると思う。
全国の父兄に「検定教科書の代わりに塾・digital教材に切り替えても良いでしょうか」と聞いてみれば良い。その父兄から「念書」を取っていれば、たとえ失敗しても責任回避できる。もっとも、厚顔無比の官僚は「民間試験導入」の失敗にも気にしていないので始末が悪い。
[11]肉体が滅びても「コトバ・思想」は残る。日本での非論理思考の教育の悲劇歴史 「会津戦争」「戦争責任」。
 日本でも歴史的にみても、特に子供の教育で會津藩校 日新館の「什の掟」―「じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)」は最悪の「教育」でした。(現在、私のように言う人は白虎隊の悲劇を観光資源にしているため、ほとんどいないと思います。自分で「什の掟」を読んで確かめてください)。私には極端なISなどの「イスラムの教え」と変わらないと思います。事実、「白虎隊」の思想が現在のイスラム「ジハード」「世界同時テロ」へと引き継がれました。「白虎隊」「婦女隊・21歳の中野竹子/薙刀で官軍の鉄砲に立ち向かい戦死」の悲劇が起きたのです。同じ会津藩でも大河ドラマ「八重の桜」になった「22歳の新島八重」は家業が「鉄砲隊師匠」であったので最新技術は知っていました。籠城時に最新ライフル・「元詰め」スpenサー連発銃で「先詰め銃」の官軍兵を合理的に多く射殺しました。その時、大山巌を射殺できず、重症を負わせました。運命かもしれません。そして、弾丸が尽きると「投降して」残りの人生の明治の世で多くの社会貢献をしました。「超現実主義者・論理的兵法・家業」に従ったのです。この2人が同じ藩の中にいたことが興味深いです。そして、女性であることも興味深いです。迫る官軍に対して、対応が2つに分かれました。婦女隊・中野竹子は「玉砕覚悟」で薙刀で官軍鉄砲に立ち向かい、戦死。武家の子女として屍をさらすのが恥辱と考え、母・妹(会津一の美女)に「首をはねてもらい、回収してもらいました」。その現場を想像してみて下さい。この考え方が美化され、日本軍の「戦陣訓」となった。また、当時、官軍は敵婦女子をレイプする場合がありました。武家の子女の自死は礼儀に乗っ取り「切腹」であり(介錯=首を切断」して弔う。罪人は「晒し首」になる。戦国時代から「首実験」がならわい。現在から見れば奇妙な慣習である。当時の武士道からすれば中野竹子 が正しく新島八重が卑怯者であった。その考えは第2次世界大戦まで続いた。
「戦陣訓WIKI 」 -----生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ ------
第2次大戦の南方戦線で弾薬がつきると機関銃で待ち構えている米軍に対して、銃剣で「天皇陛下バンザイ玉砕攻撃」をして撃ち殺されることが美徳になった。撃ち殺した米軍には理解できない行為でした。犬死です。中野竹子と全く同じ狂気になった。米軍は不思議がりました。
 一方「白虎隊(16歳から17歳の武家男子を集めた部隊である) 」は「什の掟」に従い「玉砕精神」で官軍に比べて貧弱な武器で大人の官軍に立ち向かい、経験不足で多くが殺されました。敗退しながら、炎に包まれた鶴ヶ城・天守閣を眺めながら、飯盛山で自刃しました。自刃が「武士道」の美徳だったのです。途中で会った会津兵が逃げるように言われたにも関わらず「自決」しました。この時、白虎隊から逃亡したのが14歳の山川健次郎であった。大山捨吉8歳上の実兄。
「山川健次郎」WIKI 
(会津藩出身で白虎隊士(途中離脱)として明治政府と戦ったが、後に国費で米国留学をして東京帝国大学(東京大学の前身)に登用された[理科大学長、東京帝国大学総長、明治専門学校(九州工業大学の前身)初代総裁、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校武蔵高等学校中学校および武蔵大学の前身)校長、貴族院議員枢密顧問官を歴任した。
 「白虎隊・女子隊・精神」は現在の「中東」の「自爆テロ」に引き継がれました。その玉砕精神が連合赤軍の岡本公三により「イスラム・ジハード」に引き継がれました。白虎隊の遺体は官軍が弔うことを禁止したため、野原にさらされました。新島八重のように投降していれば、生きて明治ためになったでしょう
この時の官軍と賊軍(幕府軍)の「戦争責任」が興味深いです。戦国時代の「戦争責任」は基本「城主切腹」です。それは城主が戦争を開始したからです。開始前に投降していれは「領土安堵」もありました。その代わり「先鋒」として戦わされます。高松城の清水宗治、小田原征伐の北条氏政・氏照(切腹後・晒し首)。伊達政宗は赦免などがあります。
 幕末になると、250年間戦争もなく、「武士道」が「形骸化」しました。領主は「飾り」で「家老」が「政治責任」を持ちました。当然、明治維新での「戦争開始責任」は「家老達」が決定しました。「賊軍」の「幕府軍」は「敗戦・降伏」の場合は「家老切腹」が「条件」になりました。面白いのは西郷頼母である。領主・松平容保が「戦争責任・降伏」で切腹すべきと言って、他の家老たちから責められた。
 会津藩は迫りくる官軍に降伏交渉したところ、西郷頼母を含め家老全員の切腹が条件になったので、怖くなり、降伏から交戦に切り替えた。私も西郷頼母なら同じく「敵前逃亡」して同じ行動を取っただろう。誰しも自分がかわいいのである。切腹したくなければ、城主・松平容保以下の武士は戦わずに「逃亡」が最善の方法である。官軍を「津波」と思えばよいのである。武士たちは江戸時代に戦争をしたことが無かったのである。生き残っても誰もあなたを「卑怯者」とは言わない。会津藩の農民は逃げなくても殺されなかった。というより、一部農民は官軍の道案内をした。それは松平容保が天皇を守るため京都守護職になり、費用捻出で過酷な年貢を課したからである。現在の会津は「白虎隊」を藩に殉じた「武士道の模範」としているが、ウソである。武士の大半は会津から斗南藩に追放された。「観光資源」として「白虎隊」をもてはやしているに過ぎない。結局、会津藩は敗戦、降伏となり、4番家老「萱野長修」1人が城主、松平容保と他の家老達をかばい全責任を負い刑死した。戦争を始めるのは簡単であるが、「終戦交渉」は難しい。西郷頼母は降伏交渉が下手くそであった。中国の歴史で「劉邦と項羽」が秦を滅ぼすときの差を官軍に教えるべきだった。降伏する敵の秦の兵隊を味方にした劉邦のように「慈悲」を与えるべきである。また、切腹を要求せれた側が「撤回・慈悲要求」を受け入れないと、官軍たちにも「血の雨」が流れることを理解させ「慈悲」を要求すべきであった。事実、交戦により官軍側にも多くの損害が出た。「慈悲」は「give & take」なのである。「一方的give」だけでない。
 戊辰戦争に先立つ北越戦争では長岡藩家老・河井継之助のprideが北越戦争を起こした。当然、敗戦後には「戦争責任」を問われ「指名手配」になった。負傷し会津に敗走途中で死亡した。転向できない優秀な人材であった。
勝海舟VS西郷隆盛の「江戸無血開城」が江戸市民を守ったことが褒められている。西郷自身は秦を滅ぼした項羽のように幕府の財宝を奪い、江戸城を焼き払い「血を流して」勝利したかったみたいである。やっていれば、官軍も大被害を受け、後の治世がうまく行かなかったであろう。
 現在は国際的には降伏すれば、何ら不利益のないことが国際条約で決まっている。「捕虜の保護」である。「1899年ハーグ陸戦条約」である。江戸時代は当然そのようなものはなく、「交渉次第」である。ロシアは加盟していたが、ソ連はそれを継承していないとして、日本の敗戦後、満州でソ連は日本兵を「シベリア抑留(約57万5千人/約5万8千人が死亡)」で奴隷にして「強制労働」させた。満州の日本人婦女子はレイプした。ソ連兵にとっては当然の行為で「良心の呵責」はない。
 会津藩の悲劇は「平和主義者の家老・西郷頼母の娘たち」であった。籠城前に「足手まとい」になるのを避けるため、妻を含め一族21人が自決した。西郷頼母と長男は落城前に逃亡して、明治末まで生き延びた。
 千重子の義母の律子(りつこ、58歳)、妹の眉壽子(みすこ、26歳)、妹の由布子(ゆうこ、23歳)、長女の細布子(たいこ、16歳)、二女の瀑布子(たきこ、13歳)は、辞世の歌を残し自刃。千重子は、三女の田鶴子(たづこ、9歳)、四女の常盤子(とわこ、4歳)、五女の李子(すえこ、2歳)を刀で刺し、母と妹らは互いに刀を刺して亡くなる。 しかし、官軍が自宅に侵入すると細布子はわずかに息があり、「その所に参らるゝは、敵か味方か」と尋ね、敵ならば、戦おうとするしぐさをしたが、川島が「味方だ、味方だ」と叫んだ。細布子は、その場に倒れ、懐剣を出し、咽喉を刺そうとするが出来ず、川島が不びんに思い介錯したという。五人姉妹の長女、次女は壮絶な辞世の句を残しています。上の句を次女・瀑子、下の句を長女・細布子が読みました。
「手を取りて 共に行きなば 迷わじよ いざ辿らまし 死出の山道」

 「会津戦争」では多くの悲劇があったが、ハッピーエンドも3つあった。1つ目は14歳で白虎隊を逃亡した「山川健次郎」である。2つ目は23歳の新島八重が官軍を最先端のライフルで撃ち殺している横で、ともに籠城した8歳の山川捨吉(山川健次郎の妹)は明治最初の「米国女子留学生」となった。籠城時、新島八重が打ち損じて重症を負わせた後の日本最初の陸軍大臣大山巌の妻となった。3つ目は新島八重は降伏しては米国留学帰りの新島襄の妻となった。米国留学帰りの大山捨吉と留学帰りの新島襄と結婚した新島八重は日本の看護婦制度を確率し、日清・日露戦争に従軍した。大山巌と新島八重は米国帰りの合理主義を愛したのである。そして、面白いのは「日本初の国費留学生」が「賊軍」の子弟から、また女性からも選ばれている点であり、成果を上げている点である。handicapがある方が良いと明治政府は判断したのである。
 現在の我々は「民主主義」「資本主義」などを満喫しているが、これらは明治維新で欧米から「科学思考」「資本主義思考」「民主主義」が入って来たのを自覚していない。江戸時代は「身分制」の「封建時代」であったことを忘れがちである。「朱子学」「鎖国・攘夷」であり、「武士道」を唱えれば欧米に勝てると本気で思っていたのです。江戸時代250年間、武士は外国と戦争したことがないのです。「先詰め・火縄銃」「長刀」で「元詰め・ライフル」に勝てると思っていたのです。中野竹子・白虎隊の「玉砕精神」は「太平洋戦争のバンザイ突撃」「神風特攻隊」に引き継がれ、「日本赤軍」に引き継がれました。第2次大戦時、銃後では「竹やり訓練」がまじめに、女性たちと子供たちに全国でなされました。米軍の上陸に竹やりで対抗するためです。中野竹子と同じ「玉砕精神」の訓練です。
 現在の中東の「ジハード・自爆テロ」を先例を示したのは「テルアビブ空港乱射事件1972年5月30日」の日本赤軍・岡本公三たちです。従来、Islam、Christ教は「自殺」禁止している。共産主義とイスラム過激派は本来相容れない思想ですが、縁もゆかりもない、極東の日本から来て、イスラムのために殉教(自爆テロ)してくれたのであるから、Judaism教、Christ教、Islamにとって理解を越えたものになりました。当然、Islam徒の過激派はそれを見習った。3カ月後、ミュンヘンOlympics・イスラエル選手村事件1972年9月5日へとつなかり、子供、女子を洗脳して「自爆ベスト」を着せ「殉教・自爆テロ」の兵隊にすることが定型化してしまった。また、「911同時多発自爆テロ」へとescalateしたのです。
 「肉体は滅びても、思想・コトバ」は生き残り、遺伝子として引き継がれるのです。

 日本の明治維新はその後の欧米の科学思想と政治形態を参考に第2次大戦までは日清・日露戦争で勝ち、上手く行った。負けた中国は混乱し、ロシアは共産主義のソ連邦になった。ただ負けた国の運命はその後の占領国の政策で天国と地獄を味合うことになる。共産主義の傘下になった国は悲惨であることは、ロシア崩壊、第2次世界大戦後の経過を見ても分かる。
 時代の大変革期こそ、「digital塾教材」と簡単な「2文4行」のideaが窮地を救うかもしれないのである。幕末の小栗忠順のように優秀だと大した理由もなく処刑された。彼は勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎の咸臨丸とは別の船で渡米した。ジュン万次郎と一緒に咸臨丸に乗り、彼の活躍を見ていれば、少し変わったかもしれない。徳川慶喜に戦争継続を提案していたから「戦争責任」を問われたのかもしれない。しかし、彼の残した横須賀製鉄所・造船所、日本初の西洋式火薬工場などは明治政府に引き継がれた。幕臣・小栗忠順の良い精神は、肉体が滅びても、敵・官軍に引き継がれるのである。同じ賊軍でも五稜郭に咸臨丸(途中沈没)で立て籠った榎本武揚は能力が見込まれ、赦免され明治で大活躍した。新選組・農民出身の土方歳三は「玉砕突撃」の「武士道」で散った。第2次世界大戦は「御前会議」で開戦になった。敗戦後の「戦争責任」は「昭和天皇」になく、幕末の思想の「武士道」と同じく「家老たちの切腹=A級戦犯」が妥当という、国際条約を無視しても日本人民衆のmentalityに沿うものである。我々はまだ、「武士道精神」の中にいる。
「現在の文科官僚は幕末の会津藩と同じである。会津藩「什の掟」が第2次世界大戦の「軍人勅諭」になり、弾丸尽きると米軍の機関銃が待っている前線に「天皇陛下バンザイ突撃玉砕」をしたのである。中野竹子と同じである。terroristの伊藤博文・渋沢栄一のように発想の逆転で、考えてみれば現在の教育危機は、逆に飛躍へのchanceである。私は現在の状態は幸いであると思う。文科省の教育無策・低迷の間に「塾」の方がどんどん進歩して、AI-atama plus算数のような「AI教師」が完成している。「紙・教科書」を「コピペ」した「偽・digital教科書」は10年以上何もできなかったのだから、「世代飛び/リープフロッグ型発展/Leapfrogging」で現在の「検定教科書」は廃止して、AI-atama plus算数をそのまま導入した方がOECDでtopに踊りでれるだろう。ちょうどこれは「有線固定電話」を経ないで「4G電話」に「世代飛び/カエル飛び」したKenyaのMasai族のようなものである。現在では銀行口座を持たないMasai族がスマホで送金などでは日本人より上手に利用している。日本は現在、無料送金は財務省が銀行保護のため禁止しているのだろうか。全国の父兄は塾教育と「単位制」が公的学校に採用されれば「塾・予備校」代が助かるので大喜びだろう。これにより、習近平とは異なる方法で「塾潰し」ができる。現代日本は何か改善策が思いついても、必ず既存の組織の「既得権益」を害するので、外国に遅れてしまう。教育界だけの問題でない。すべての分野に既得権益との「内戦」がある。幕末と同じである。既得権益の「不平武士」は「西南戦争」「佐賀戦争」で殺してしまわなければ「文明開化」しないのである。そして、担がれるのは「武士道」に準ずる「転向できない」西郷隆盛、江藤新平などの優秀な武士である。
近江商人WIKI 「三方よし」
全国の父兄・生徒、教師、社会の「三方よし」である。 「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」
「教育」も生徒に「情報」を売るという「良い商売」である。 以上の例からも分かるように現在の「学習指導要領」は「軽薄な基盤」の上に立っていることが分かるだろう。そして、誰もそれに気づいていない。せめて、GHQが「日本語ローマ字化」がダメなら26文字alphabetを「国字」に採用しろ、日本語を韓国の漢文憲法のように「横書き」にしろ。また日本語を「かな+漢字+alphabetまじり文」にしろ命令していてくれれば、こんなに「カタカナ英語」は出現しなかった。そのまま英単語がカタカナ英語の代わりに日本語で使われていただろう。GHQ, PTA,WHO,UNなどの英単語のように素直に使用されている。GHQそのものは日本から去ったが歴史教科書には残っている。カタカナ英語は福沢諭吉がいなくなり、外来語の漢字造語作業が間に合わなくなったので、カタカナで代用したものである。日本語のカタカナという高機能が「災い」を招いたのである。現在では「カタカナ英語」は1万語近くある。そして、毎年増えている。2021年は年寄りの私でも「vaccine(vaccine), virus(ウイルス)、COVID-19、corona禍、social distance、break through感染」は瞬時に覚えた。自分に感染するのが怖いからである。そのまま「英単語」で覚えた方が理解しやすい。corona禍 が過ぎ去るまでは覚えておこう。その他COP26もあった。日本が非難されている会議だから覚えたくないが、勝手に頭に残る。また他に「17の目標」、数が多すぎるので覚えたくないSDGsという単語もあった。毎日TVで連呼されるので自然に頭の中に入ってしまう。最近、SDGsは天敵であるはずのCMにも出てくる。これらは発展途上国のための国連の言うことだろうと、嫌々、googleしたら「目標4:質の高い教育をみんなに」とあった。これはAsiaでの英語力26位・OECD最低のICT教育の発展途上国の日本人全員のことを言ってくれているのだと思う。これでは無理してもSDGs覚えなければならない。またその原因である「学習指導要領」の大変革をしなければならない。
カタカナ英語は整理して、英語由来のものはalphabet表記すべきである。そうすれば日本人の英語音痴は少しは改善するだろう。文科省は常用漢字のように日本語としてカタカナ英語を整理しalphabet認定・推奨すべきである。そしてHPに公開し、ダウンロードして子供たちは授業以外でそれを眺める。眺めるだけでなく、「音声発生」機能でhearingする。「音声認識」で自分の発音speakingの点数を計測する。100点取るまで正しい発音を繰り返す。カタカナ英語を放置したままでいるのは文科省の怠慢である。
 「常用漢字」WIKI
「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」[1]として、内閣告示「常用漢字表」で示された現代日本における日本語の漢字である。現行の常用漢字表は、2010年(平成22年)11月30日に平成22年内閣告示第2号として告示され、2136字、4388音訓(2352音、2036訓)から成る。常用漢字は、漢字使用の目安であって制限ではない。一方、日本の学習指導要領では、義務教育の国語で習う漢字は常用漢字のみと規定している[注 1]。日本の主な報道機関は、日本新聞協会が発行する『新聞用語集』(新聞用語懇談会編)に掲載される新聞常用漢字表に基づき、各社で多少の手を加えて漢字使用の基準としている場合が多い。
 現在、日本人は漢字よりalphabetにあこがれている。民間ではalphabetだらけである。酷いのは米語にない、日本製英語が大量に作られ、米国人に通用しない。alphabetならそれで良い。現在、商品名はalphabetが基本である。当然、商品名は「固有名詞・新語」でなければ特許庁が拒絶する。Walkmanは世界語になった。Walkmanは正しくない英語と言われたが、世界規模に普及した。そして、「携帯音楽・イヤホン文化」を作ったのだ。一時は世界を席巻した。現在はiphoneにとって代わられたが、「イヤホン文化」は継承されている。
 この日本語の変容の流れに「学習指導要領」「学校教育」は遅れている。産業界は日本人の英語教育の遅れで騒いでいるが、学校教育の変更も大事だが、日本語そのものに「受け皿」がなければ効果ない。それには国際化のため以下を法制化しなければならない。
① 日本語文章を「横書」にする。特許関係の文章は国際化で「横書」している。年度も西暦にしないと「歴史比較」できない。せめて西暦を主にして和暦を併記にすべきである。免許証がやっと併記になった。特許関係は「和暦」を廃止した。
②「国字」にalphabet追加・法律化して、日本語を「かな+漢字+alphabet混じり文」にする。私が子供の頃に行われた、度量衡の「メートル法」と同じである。これには「罰則」があった。遵守事項でも良い。しかし、法制化すべきである。まず、「国語」の教科書、判決文、法律、官報を「横書」にすべきである。特許係争の「審判・審決」は「横書」である。国会議事録は「横書」になっている。これは消滅した速記録が横書きであった名残である。国会が決定する法律も横書きにできるはずである。

[12] 有名な「英語教育大論争・平泉渉参VS渡部昇一」の無意味性

 過去、「日本人英語音痴」のために、いろいろな「英語教育改革」論争があった。一番有名なのは1974年「平泉渉VS渡部昇一」であった。しかし、これもナンセンスnonsenseな議論であったと私は思う。それらは「受験英語廃止し英会話重視」という論争である。その結果、議論の外にあった「英語早期教育」へと発展し、「JET導入計画」が導入されたが「英語音痴」は解消していない。「英語嫌い」を作っただけである。実にバカバカしい。これらの議論は「コップの中の争い」すなわち、科目「英語」内部の論争である。日本語で例えれば、科目「国語」内の議論である。例えば科目「国語」で「学校で勉強する漢字数はいくつにするか」とか「漢字書順testはどうするか」とか「漢文廃止」の類と同じ議論である。
 一番大事な膨大な「科学・英語用語」「約1万文字(英語授業で学ぶ語を含む)」の習得についてはなんの議論もない。「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の「対応英語」についての言及は何もない。「昭和の知性」「英語学・言語学の権威」と言われた渡部昇一にしてこのザマである。
すなわち、「英語学習」と「学問」とを勘違いしているのである。「国語」「英語」の学習はすべての他の科目に関係しているのである。こんな簡単な事実に誰も気づかないのはおかしい。
 高校を卒業すれば「bilingual」になれ、Morley Robertsonのように米国アイビーリーグ大学と東大に「現役・同時合格」する方法を私は提案している。
 私の大学受験時代(1963年)の対策は「英文法」「英文和訳」「英作文」に分かれていたように思う。「英会話」はなかった。最近は「英会話」の重要性が叫ばれていて、「民間試験の導入」が企画され、失敗した。「英語」に限らず日本語でも学問するということは「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学 」などの「科学用語」の理解し、利用・応用することである。1つ1つの用語は基本的に「抽象度」の高い用語である。これらは「学習指導要領」に示された「I saw a movie with my family.」saw(see), movie, familyというような「日常的」「非科学的」「抽象度の低い」単語ではない。
例えば「ips細胞」という、たった「5文字」で表される「内容」は何pageにも渡る報告書(Nature論文)になり、それがNobel賞の審査対象になるのである。その「特許出願」もしかり、また、その内容だけでなく、開発物語は「歴史」になる。そして、現在でもそれに関連した論文が継続的に発表されている。 論文を積み上げれば、厚みはビルより高くなるだろう。「ips細胞」には国家予算がつき、大きな研究所が作られ、世界から頭脳が集まり開発競争は世界的になっている。専門外の素人でも「ips細胞」という単語は知っている。問題はその知識の「量と抽象深度」である。「ips細胞」を研究するという科学は「ips細胞」という5文字を頂点とした「一般意味論」でいう「抽象度のハシゴ」の「系統樹」により成立しているのである。それらの「系統樹」の「発明・発見(新規性が必要)」が学問の目的である。「抽象度のハシゴ 」とは「上位概念・下位概念で序列」を付けるskillである。

これは「理科系・文科系」に限らず学問の形態である。では「英会話/communication」はその中のどこに当てはまるだろうか。あまり関係ない話である。しかし、「人間関係」構築には「英会話」は重要である。このあたりを渡部昇一は言いたかったのではないかと思う。しかし、「科学語彙習得」についての言及はない。「一般意味論」を理解していないからかもしれない。
 米国の大学入試で「エッセイ」が要求されるのは、1つのテーマについてどれだけ「知的系統樹」を作れるかの検証であると思う。
 文科系で科学的に「中国歴史考察」するのには、「4文字熟語」が面白い。たった4文字という頂点の抽象語の研究で2時間ドキュメンタリー番組ができるほど、「4文字熟語」は「抽象度」が高いのである。例えば「四面楚歌」は「項羽+虞美人最後の歴史」として、現地取材して、遺跡を発掘して検証し、CG製作し、できるだけ史実にのっとり「科学的」に描写できる。最近は「科学論文」も「図面」「写真」「実験動画」「CG」が必要になってきている。

[13] 高校までの「英語」以外のdigital教科書に「2文4行」で「英語ルビ」を振れば「bilingual」になれる。日米の有名大学に現役・同時入学ができる。

 日本人「英語音痴」を改善する方法で一番良い方法は英語以外の学習に「英語」を割り込ませることである。極端に言えば「英語」の授業はalphabet26字さえ覚えれば廃止してもかまわない。他の科目と「英語」を合併授業にして潜ませれば良いだけである。これは50音さえ覚えれば、「国語」を廃止して、「社会、歴史、人文地理、時事問題、数学、物理、化学、生物、地学、 音楽、図画」の授業が可能ということから理解できるでしょう。漢字・(常用漢字2136字)は「ふりがな」で徐々に覚えれば良い。「英文学」「国文学」は「科学」でないので学校で教えなくても、個人的に「趣味」として勉強すればよい。
 その具体的方法は平安貴族・僧侶が漢文(仏教経典とか律令の法令など)を勉強した時のように「日本語用語」に「英語ルビ」を振る方法である。
 一方、現在の学習指導要領は科目「英語」授業の中でmasterしなければならない「語彙の数」は
小学生で600-700語
中学生で600-1800語
高校生で1800-2500語  合計5000語
 これらは「This is a pen」というような「生活英語」である。この中には「理科系・文科系・科学英語用語」が完全に欠落しているのである。TOEFLが示している米国大学での授業に必要な語彙数は1万語である。したがって、日本の大学生が、India、フィリッピン、シンガポールの大学生に負けないためには、この1万語をどの段階でmasterするかである。現在の日本では高校でなく、大学3年生から、一部の学生が猛烈に勉強しているのである。大学院に進学する場合(海外の最先端の英語科学技術文献を読まなければならない)とか、米国の大学院に留学する場合などである。一旦、社会に出た場合は米国の大学院、MBAでの勉強、研究所に移籍するのに必要である。日本のほとんどのNobel賞学者は社会に出てから米国の大学、研究所に移籍するために猛烈に「理科系・英語用語」を勉強した人達だけである。
 なぜこんなIndianが可能なことを文科省が放置しているのだろう。5000語と1万語の「乖離」はどこから来ているのだろう。これが戦後70年間議論されたこもないのである。「高校での英語教育で1万語習得は絶対不可能であるから、議論以前」と文科省、教育者、産業界、全国父兄、そして、生徒自身も疑問に思ったこともないのである。私自身も、最近、この「乖離」に気づいた。この疑問を英語教育者に疑問を呈したら、多分こんな返事になるだろう。「現在の英語学習時間でも5000語なのに1万語を要求されるのなら、英語以外の科目を廃止してすべて英語の時間にしなければならない」という計算をするだろう。彼らは小学生並みの知能・知恵しかないので、そんな結論になるのだろう。教育systemの「発明」でdigital「2文4行system」を採用すれば「科目・英語」授業を廃止しても「英語授業時間」が5-10倍になることが思いつかない「おつむ/頭」なのである。私はこの疑問の「デジャブ・議論」を思いだした。戦後GHQが「漢字廃止して、日本語をローマ字にしろ」と言った時、「漢字test」でGHQの要求をはねつけた。そして、「当用漢字1850字」を決めた。そして、日本語を維持できた自信が逆に「英語音痴」を作ってしまったのではないだろうか。引き続いて「学習指導要領・英語」で、高校生までに覚える「英単語数は当用漢字に近い約5000語で十分」というなんの根拠もなしに考えてしまったのではないだろうか。「英語敵視政策の攘夷論」である。これではタケシの母親より頭が悪く、知恵がない。そこには「海外留学」「英語bilingual」の国民をし、負けた米国に対して、「頭脳」で勝つという発想はないのである。海外留学したい者は「大学3年生からガンバレば良い」としてしまったのである。事実、コロンビア大学に裏口入学した小泉進次郎は、たった1年でTOEFLに合格の実力をつけられた。孫正義もそうである。日本人もやればできるのである。文科省が禁止しているだけである。私は大学3年生でガンバラなくても、高校卒業すれば1万語を「ゆとり」でmasterするsystemを考えるべきであると思う。
 現在、海外留学、大学院に進学しない大学卒業生の「英語能力」は「高卒程度の5000語」程度以下である。入社試験でもその程度で良いとしている。これではIndianに負けるのは必定である。
 普通の大学生は専攻が異なる「理科系・文科系・英語用語」は学習しないので「英語力」は米国の小学生並みである。大学では試験前の「一夜漬け」でも卒業できる。教授が試験に出す範囲を教えてくれるからである。それがなければ90%は落第である。試験が終われば脳から消去である。
 したがって、普通の大学生は専攻が異なる「理科系・文科系・英語用語」は学習しないので「英語力」は米国の小学生並みである。
 日本人の大卒社員は別に英語に不慣れでも国内で仕事をしている場合は困ることはない。また、英語用語も「カタカナ英語」があるのでなんとなく理解できる。1万語を覚えなくても「世界事情」は「カタカナ英語」があるので雰囲気は理解できる。この「カタカナ英語」の日本語の長所が、日本人を「英語音痴」にしているのである。現在「カタカナ英語」は1万語近くある。日本人同志であれば「外国事情」も「カタカナ英語」で理解できる。しかし、相手が外国人であれば「カタカナ英語」は通用しない。私は「カタカナ英語」は廃止して、文科省が「常用漢字」のように「カタカナ英語」の「alphabet」使用を法制化して公示すべきであると思う。新聞などの媒体に使用を義務付けるべきである。日本語が「仮名+漢字+alphabet混じり文」になるのである。これでTOEFLの3割は自然に覚えられる。「SDG’s」などは昨年の用語である。
 現在の英語教育は日本語の授業で例えれば「国語」だけで「漢字」を覚えて、「数学」「理科」「社会」を教えずに「国語力」だけを磨いて、その他の科目を理解しろと言っているのと同じである。これでは日本人が学校教育で「英語能力」はつかないのはあたりまえである。この主張は「東ロボの母」と言われている新井紀子教授の主張「digital教科書は止めて、紙・教科書の国語、算数を増やして読解力を磨け」というのに似ている。「バカの再生産」である。小学校で「紙・教科書」に戻せば、生徒は紙飛行機を作り、教室内を走り回り、「学級崩壊」である。韓国に2周遅れになる。 
数学者・藤原雅彦氏は「英語教育が国を滅ぼす」から「英語教育を止めろ」とまで言っている。何か戦前の日本軍のようだ。自身は海外経験がありながら、「英語教育が国を滅ぼす」根拠として例示していることがネガティブなことばかりで、生産的な提案が一つもない「攘夷論」である。英語に関心ない、あきらめた攘夷派には「喝さい」を得るだろうが、英語学習に悩んでいる者には傷口に塩をぬるようなものである。また、数学者の枠を越えて過去20数年の「新自由主義」を否定して、科学を放棄して、日本を「情緒の国」に戻せと主張している。狂っているとしか言いようがない。海外生活をしている時によほど嫌なことがあったのだろうか。
「学習指導要領」は戦後に始まり、何回か改定されているが、内容的には「理科系・科学・英語用語+文科系・科学・英語用語」については「事実上の禁止」であることには変わりない。
 また、「学習指導要領」には「digital教科書」の記述は一語もなく、一体何をやっているのだろう。思考停止である。「GIGAschool構想」で全国の生徒にすべてPC配布済みである。その利用方法についての説明はない。gameでもしろというのか。その放置根拠は「digital教科書」は単に「紙・教科書」の「コピペ手抜き・偽・教科書」だからである。ICT教育では落第である。「digital」と名乗る資格はない。
 それに比べて、民間のDX教育・ICT教材には素晴らしいものが出ている。「教師不要」の「独学」できる物もある。文科省は民間の力を借りるのに別のバカなことをした。「大学入試」の「英語hearing試験」に適用した。当然失敗が予測されたので突然中止した。その理由が受験生の「経済的負担と平等性確保の困難」という事前に予想された、しごくもっともな発表であった。hearing民間試験のためにがんばった金持ち受験生を罠にはめたのである。文科省も粋なことをする。
 どうせ民間の力を借りるなら、平素の授業に民間「tablet教材」を「検定教科書」の代わりに導入すれば最高である。全ての関係者が大喜びする。「単位制授業」「自習」にして、教師は教室の隅で居眠りできるようにした方が良い。現在の教師は「過酷労働」でなり手が少ない。「働き方改革」の対象外である。ノイローゼになり休職も多い。「単位制」であれば、いじめっ子のクラスから逃げたければ、希望のクラスに変えてもらえる。というより、クラスはなくなり「ゆるい学年制の100人クラス」になる。ZOOM-VR-100人教室にして、生徒に勝手に自習させればよい。一応、教室には100人集まっているが、各自、別の授業をしているのである。教師に自宅で「testの採点」などさせてはダメである。塾教材のように「自動採点」すべきである。通信簿もAIが作成してくれる。教師をモンスターペアレントから守らなければならない。教師は減らすことが可能になる。「35人教室」などもってのほかである。「100人VR教室」にすべきである。Cost & time performanceである。
(2023-2-10追加)
 AI授業は最近、出現したChatGPT のように「自然語対応」にした方が良い。児童がAI教科書で自習している時に、AI教師が時々、本物の塾の「個別指導」講師のように「褒めて」学習意欲を盛り上げるように「合いの手」を入れてやる。質問を受けるだけでなく、生徒が感激するような「小話」も入れてやる。本物の塾教師は金をもらってる以上、お客様のバカな生徒にも「褒めて、おだてて」教えるのは疲れる。また、時間拘束も大変である。しかし、AI教師なら「疲れることもなく」、「より細やかな指導」また、logを取り、それにより成果の上がる「誉め言葉、褒めポイント」のbig dataで学習生徒の「快感脳細胞」に最大の刺激を与えるようにAI改善する。語りかける音声も生徒の好きな声優、idolの声で語りかける。通常、生徒の集中できる時間は20分と言われている。それを1時間以上持続できるようにする。科目を変えることも重要かもしれない。算数の学習・testをしている時に理解を深めるために理科の関連したtopicsに飛んでも良い。できるけ、生徒の脳細胞に記録できるあらゆる手段の改善ができるのは「AI教師」しかない。公学校の教師が「一斉・対面・板書」教育育でneurosisになり、「不登校先生5,897人)」になった。これが「単位制」「個別指導」になれば、一方的に喋る「一斉・対面・板書」と異なり、生徒個人に寄り添った教育をしなければならないので、別のノイローゼの問題が発生する。人間の教師は改善には限界がある。将棋を見ても分かる通り、もはや教育も人間教師はAI教師には勝てないのだ。それを前提の教育改革をしなければならない。

 ZOOM-VR-100人教室に参加できない「引きこもり」の生徒とも「remote」授業が可能である。自宅と教室のremoteが可能であれば、地球の反対側のNZとのremote授業も問題ない。もちろん、Afghanistanの学校に行けない女子とも、Ukraineで砲撃を回避している地下壕のに避難している子供とも可能である。その時に使う教科書は「3文6行」である。また、現在、日本の少年院に収監されている生徒にもZOOMremote授業は最適である。講師には刑務所に行ったことのある堀江貴文(ホリエモン)が最適である。出所すれば彼の会社でホワイト・ハッカーになれるだろう。少年院は勉強するのに最高の環境である。成績が良ければ刑期短縮がインセンタィブになる。就職先はシリコンバレーになるかもしれない。
 また、現在、問題になっている「イジメ」対策には24時間、スマホ、PCを生徒に自由しようさせるべきである。GIGA構想で全国の生徒にPCを配ったが、教師がICT教育に自信がないので、「町田小6いじめ自殺」でICT教育そのものを否定する「二者択一思考」の「攘夷派」の教師がいる。この悲劇の教訓は「passwordの使いまわし」などのことではなく、「イジメ事例発生」時点で告発するように教育すべきであった。いじめ犯罪は小さい時に公開・告発・指導するのにPCが一番有効な武器になる。イジメている現場を撮影、イジメているemailが来れば、その時点で警察に通報してpatrol carを呼ぶべきである。教師、校長、教育委員会は頼りにならない。犯罪を取り締まるのは警察である。110番通報でpatrol carが学校に来ればすべて解決する。patrol carを数回、呼べば次第にイジメはなくなる。「町田小6いじめ自殺」でも、「旭川中学生凍死事件」の犯罪証拠はすべてPC、スマホに残っていた。学校は事件が公表するとその証拠隠滅を図ろうとした。もちろん告発そのものを矮小化する。それが悲劇を生む。
 現在の教師・校長・教育委員会は「文科官僚へのヒラメ無責任体制」である。それがまじめな教師をノイローゼにする。腹をくくって、校長評価は最低でも、検定教科書は放り出しAtama plusを正規授業に採用して、自分は教室の隅で読書または居眠りして、自習する生徒同志でも問題解決できないときに初めて口を挟めばよい。そして、「単位制」で小学6年生までに中学課程を終了させればよい。残業などは絶対しない。価値のないどうでもよい報告書は出さない。校長、教育委員会が文句を言えばPTAを抱きこみ、市長に「校長、教育委員会長をクビにしなければ次の選挙で落とすぞ」と言えばよい。「教師」は医師、弁護士と同じく「先生・稼業」で大幅の「裁量権」を与えられている。結果を出せば良いのである。PTAはそのためにある。
 巷間、父兄の間では毎年の「class替え」を「宝くじ」のように「一喜一憂」している。それは自分の子どもが「嫌な先生」に当たることを心配しているのである。「宝くじ」「くじ引き」ならあきらめも付くが、「人為的」に行われているからママ友間で「一喜一憂」が起きるのである。特に嫌われる教師は生徒への「エコヒイキ」である。私の小学生時代からあった。また、当然、能力の低い教師も嫌われる。これは「一斉・対面・板書」授業だから起きるのである。「単位制-AI教師」になれば教師の役割・負担・義務・責任は100%なくなる。教師はcomputerに変わるのであるから、「公平・無私」になる。そもそもclassが亡くなり、学年も亡くなるのであるから、父兄・生徒・教師も全員安心である。子どもは親を選べないのと同じく、生徒は先生を選べないのである。AI先生であればどのclass・学年に行っても同じである。「不登校」が起きるのは生徒自身の「捨て身」の教師・学校に対する正当な「抗議」である。「不登校」の原因は生徒自身にあるのでなく、教師、「一斉・対面・板書」授業というsystemにあるのである。したがって、「塾」「オルタナティブスクール」というsystemに逃避するのである。こんな簡単な事実が分からないほど文科官僚以下の教育供給側が理解していないバカなのか。または理解しているが、単位制にすると自分たち・先輩の「教育行政・不作為犯罪」を認めることになるから無視しているのである。その結果、身内の教師に「精神疾患」という被害が起きているのである。
 生徒の母親はパートに出て「塾代」をかせがなくてもよい。学校の「宿題」に悩まされなくて良い。子供は学校、塾の「どっちつかずの偽善性」に悩まされずにすむ。塾で覚えたことを、もう一度「一斉・対面・板書」授業を受けさせられている生徒の身になるべきである。このストレスは堪えがたいだろう。
母親は「教育」については塾化した学校に任せ、「自分磨き」をした方がダンナとの間がうまくいく。
 最近の「atami plus算数」のような「塾」の教材は生徒の「脳細胞」の中身を「演習」でcheckでき、理解していない問題点を個人別にAIで診断して、「再試験」で100点取れるまで「自習」できるようになっている。いっそのこと、全国の全生徒の「学習log」を文科省のサーバーに毎日収集する。このビッグdataで全国の生徒の「地域格差」を調べる「1年1回・全国test」など不要になる。
毎日「成績」dataが集まるのである。全国の全生徒(高校までの約1263万人)の能力を毎日調べられ、「絶対評価」で「序列化」できる。「1位からビリまで」毎日、自動集計してくれるのである。「全国模試」のような「一発試験」でなく、また全学年を通じての「相対評価」でなく「学習指導要領」に基づいた「絶対評価」である。「入試」は必要なくなる。これ以上「公正無比」なものはない。大学側はdataに基づき、科目に加重を掛け合格者を選択すれば良い。この選択も教授がやるのでなく、AIがやれば公正無比である。
 多くの高校生が「東大法学部」を希望すれば全員「通信学部」に入学させれば良い。1度に何10万人でも入学させれば良い。東大の収益は「濡れ手に粟」である。そうすれば全員「無料」のMOOCに移るかも知れない。この点、教育方法に関しては東大より慶応大学が福沢諭吉以来、常に進んでいる。今回のcorona禍でも東大はon-lineだったが、慶応大学はon-demandであった。慶応大学には文学部・経済学部・法学部の通信学部があり、「卒業論文の提出と卒業試験の合格」すれば「通学過程と同じ学位」を与えるとしている。東大も真似して「通信学部」を作れば良いのに。
 ただ、「芸術、体育、医学」のように「実技」が必要なものは、別途、「実技試験・論文試験・面接」が必要であるだろう。医学部も「臨床・研究」を分けないと、山中伸弥教授のように手術下手の臨床では困る。
 現在の学校教育の「一斉・対面・板書」教育は時代遅れである。現在の「板書・対面授業・非単位制」は5W1Hで考察して見ても、「場所・教室(where)」「時間(when)」「教授と生徒(who)」「科目(what)」「板書教育(how)」「学習動機(Why)」のどれ一つ欠けても成立しない危険なsystemである。「DX教育時代」には適しないsystemである。生徒が理解したかどうかを計測できないのである。したがって、塾では公文式・atama-plusのように「単位制」で演習・自習で、どれだけ生徒の脳細胞に正しく記録されているかを確認しなければならない。医者が「血液検査・心電図・MRI」などで検査して、病状を確認するのと同じである。「問診」だけで病名を決められたらたまったものではない。最近の「appleスマートウォッチ」は「心電図・血圧・酸素濃度・体温・睡眠ログ・月経周期」まで計測してくれる。AI化しているのである。AI-atama plus算数などは授業もAI教師が生徒各個人の「脳細胞」を計測して、最適授業を準備してくれるのである。
 
 公文式・AI-atama plusの「自習・単位制」が「一斉・対面・板書」教育より近代的で素晴らしいと言われるのは3点あるといわれている。私は2つ新たに加えた。
1つ目は「単位制」で「一対一」で「プリント」を解いていくので、一人の教師が100人でも見れる。「生徒の1人1人の能力に寄り添った教育」である。「tablet教師」にすれば「自動採点」できる。tatami plusAI教科書ではそのようになっている。200人でも見れる。これが「一斉・非対面教育」である。小学3年生が2年生の授業内容を理解していなければ(落第)、そこに戻り2年生の授業が100点取れるまで繰り返す。進んでいる生徒は5年生の課題を進むことを許可する。(飛び級)。これが「単位制」である。
2つ目「勉強好き」を作るということである。これこそが「教育」の原点である。受験に有利なsystemというのは結果でしかない。「授業」を「game化」している点である。「学習指導要領」を無視しどんどん「自習」させる。それが゜脳内麻薬/dopamine」を発生させる。これで「勉強中毒患者」にする。それは誰も指摘していないことであるが、「一斉・対面・板書」は生徒に級友の中で「恥」かかせて、classの「序列化」を形成する。これが学年を通じて、markingされるので1-2割の人は「落ちこぼれ」になる。「普通の子」を「落ちこぼれ」にしているのである。人間教師は「落ちこぼれ」候補を放置して、単元を一定に進めるのが人間教師としては優秀なのである。
3つ目は教師に「対面教育(一斉授業)」で「受け身」で教えてもらうのでなく、自分から「自力問題解決意欲」を持つ習慣がつく。「自立心」を養うことである。今回の「学習指導要領」改定で、やっと導入された「アクティブ ラーニング」である。これでもまだ不十分かもしれない。「単位制」にしなければダメである。
 人間が「脳細胞」に「知識」を印刷するには「集中」しなければならない。その時間の「密度」と「時間」が長いほど成果が上がるのである。それは「一夜漬け」で対応した私自身の経験で理解できる。毎日、「小出し」の「授業」では「体系的な記憶」にはなじまない。生徒が人間教師を嫌いになれば、同時にその担当する科目も嫌いになる。特に幼少期では顕著である。その結果、父兄は毎年の「class替え」に血ナマコになる。「単位制」になれば「class・学年」がなくなる。高校1年のお姉ちゃんと中学2年の弟が机を並べて、異なる科目をAI先生と勉強する。これは現在の「塾」の授業である。公的授業に「塾授業」を採用すべきである。
 人間教師が介在する「一斉・対面・板書」では生徒の注力がそがれてしまう。AI先生、それも日本一の知識と生徒の能力を瞬時に判断して、それに「個別」に対応できる「演題」「説明」を用意できるAI先生に勝るものはない。「一斉・対面・板書」で「個別」に対応すれば、他の生徒は放置される。AI先生は人間先生のように「感情」がないので、「疲れを知らない」。
4つ目は誰も指摘していないが、「公文式」はまじめな教師をノイローゼにしない。居眠りしていても良い。
5つ目も誰も指摘していないが、tatami plus-AIの各個人のdataが文科省のサーバーに集められ、日本中の生徒の「脳細胞」を毎日知ることができる。
 一方、明治維新以来、採用されている「一斉・対面・板書」は「スポーツ」「音楽」などの「teamwork・プレイ」教育に必要である。特に軍隊には必要である。「上位下達/絶対服従」を「脳細胞/右脳」に叩き込まなければならない。「考えてはダメ」なのである。terrorist養成学校にも必要である。最新の軍隊はAI化したものになっているのて、将来は必要なくなるだろう。メンバーがバラバラの行動をすれば能力を最大限に発揮できない。「brain‐storming」「チームスポーツ」「合奏音楽」などは「一斉・対面・板書」教育が必要である。しかし、その場合でも「自習・単位制」で平均能力をつけた者が「チーム」での合同練習の場合である。そうでないと1人の「落ちこぼれ」がチームを危機に陥れる。「野球」「音楽」などのように「rule」が決まっている場合である。「軍隊」などは「チームプレー」である場合が多い。しかし、「一斉・対面・板書」の逆を行くhit & runの「ゲリラ」の方が効率の良い場合がある。
 生徒が「学習効果」を獲得しているかどうかを調べるのに、オーム真理教のようにヘッドギアを生徒の脳細胞に電極を差し込んで調べることはできない。可能なのは私が免許証更新で受けた「認知機能検査受験」のように「test」しかない。
  さて、そのことから検証すると、一番遅れているのは文科省官僚の「脳細胞」である。かれらの一番大事な仕事は、管理下にある生徒がいかに学習成果を達成するべきかを立案する「最高責任者」である。かれらの立案した、現在彼らの「脳細胞」の映したのが「学習指導要領-英語」である。すなわち、文科官僚の解答である。それがAsia26位の英語力の結果を導いているのである。普通、このような解答を出した文科官僚には「100点満点で10点」と採点するのではないだろうか。彼らはクエール副大統領より始末が悪い。副大統領は4年で去ってくれる。そして、「従軍慰安婦」ばかりがマスコミに取り上げられる。日本人の「英語音痴」の元凶が「学習指導要領-英語」を死守している文科官僚であることは明かであるが、皆、見過ごしている。現在の教育関係者は文科大臣を筆頭に「最弱チームプレーヤー」である。自分の実力を知らずに近代軍に精神論・攘夷論で戦いを挑むバカチームである。薩英戦争・下関戦争の薩摩、長州である。しかし、その結果の敗戦で反省して、自軍の強化にいそしむのである。
 文科官僚の脳細胞とその指導力は江戸時代の「什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)」と同じ程度である。戦後すぐの状態を維持しているのである。一体どうすれば良いのだろう。Asia最低という戦争結果は出ているのである。できなければ「学習指導要領-英語」を成果を上げているものに置き換える必要があるのではないだろうか。彼ら文科省・幕府は倒幕をまたなければ自己改造ができないのだろうか。公文・atama plusは薩摩・長州である。
 「学習指導要領」の思想でもう1つ明確になっていないことに「単位制」がある。「一斉・対面・板書・授業」が当然と思われているので、「単位制」は不可と思われていた。しかし、記述がないのであるから「一斉・対面・授業」を廃止してもよいと合理的な考えも出てきた。「一斉・対面・板書・授業」はWhen(授業時間)+Where(教室)+Who(生徒と教師)+What(科目)+How(digital)のどれ1つの条件が欠けても成立しない危険な授業(情報伝達business)である。corona禍でWhere(教室)が禁止されたのでremote(On line)にしなければならなくなった。「泥縄式」になった。
 ここで「通信学部」の「On demand」が注目されるようになった。もともと、「通信学部」は学校に来れない、また、教室での一斉授業についてこれない低偏差値の生徒(バカ)のための学校であった。原則、試験なしに誰でも入学できる学校である。授業には動画を入れて理解しやすい内容であったり、授業スピードも生徒個人の能力に寄り添えるように繰り返すことが可能である。「紙媒体以外」の「録音・録画」されたものの教材もある。ここにcomputer技術が加わり、AI技術で「バカを利口にする技術」が注目されるようになった。別にバカでなくても、普通の能力の子供たちに適用すれば、「落第・飛び級」が自在になったのである。ここで「バカ」と言ったのは「差別用語」でない。利口
の反対語である。corona禍で注目しなければならないのはOn lineでなく、On demandである。On lineは「泥縄」のくだらない授業になった。また、「使い捨て授業」である。もともと、くだらない内容だから、それで良い。例えば日比谷高校・校長による「泥縄式・remote・物理授業」であった。Ivy leagueの「市民大学」のように価値があればNHKに売れる。On demandは準備が十分であり、世界一の授業に何時でも入れ替えることが可能なのである。corona禍が過ぎてもAI技術と結びつけることが可能である。もともと「公文式」はOn demaondであった。小学4年生に「鶴亀算」のかわりに中学の「方程式」を教えていたのである。そして、「バカを利口にし、勉強大好き麻薬患者」にしていたのである。On demand「単位制」の良さが公的教育に採用され出した。さすがに文科省も認めなくてはならなくなったようである。それが、福山市教育委員会の「異学年授業/イエナプラン教育」である。汚い文科省は、素直に「公文式」atama plusを公的教育に導入すると面子が立たないので、公文式より劣るが「単位制」のドイツ・オランダの「異学年授業/イエナプラン教育」を試験導入した。「黒船・舶来歓迎・文科省思想」がうずいたのである。「黒船・舶来ならしかたない」というGHQ思想である。私の個人的な感想は公文・算数よりAI-atama plus算数がAI教師化していて良いように思う。
 
 もちろん、「AIhyperlink」で「あなたは*****に飛びますか」とAIが「ガイdance」してくれればもっと良い。もはや、「洗脳マシン」になってくれれば良い。「スパイ洗脳」のように「拷問」でなく「快楽・洗脳」するprogramにしてもらいたい。私みたいにズボラで、無気力なバカで、飲み込みの悪い人間でも最高の大学に行けるようにしてもらいたい。そのためには「バカの脳細胞のサンプリング」が必要である。私の「勉強log」を文科省が集め「バカ対応学習AI改善」の資料にしてもらいたい。
 「学習」ということは、「脳細胞」に「印刷・刷り込みすることimprint」作業である。実に事務的なものである。しかし、される者には「拷問」でなく「快楽」でしてもらいたい。
 現在の「試験」というものは「相対評価」で「バカ」を排除するためのtestである。これからのtestは「バカ」を「利口」にするDX教育でなければ、少子化でせっかく生まれて来た人間を有効利用できない。「バカもおだてれば天才になる」。これができるのがDX教育である。
 Morley Robertsonは東大理一とIvy Leauge5大学とUCLAに「現役・同時合格」をした。現在でもこの記録は破られていない。Ivy Leauge5大学同時合格は世界中にたくさんいるだろうが、日本の東京大学にも合格という者はいない。Morley Robertsonのように日米の中学・高校に在学しなければ無理である。現在、その可能性が一番高いのは米国駐在員の子弟で現地学校で米国大学合格英語能力をつけ、別途、駐米大使館などの一室を借りた日本補習校に通って東大を目標にしている子弟だろう。彼らにしてみれば、現在の文科官僚はバカに見えるだろう。日本人として生まれた者は「英語bilingual+科学思想持ち主」になる「運命」にあるということである。それを邪魔しているのは彼らが死守している「教育基本法+学習指導要領」であることに気づかないバカさについてである。
 この「在米駐在員子弟」の対極にあるのが、中南米の「出稼ぎ日系人」の子弟である。スペイン語・ポルトガル語しかしゃべれない子弟がいきなり、日本の学校に放り込まれて、不完全な授業でも卒業させてしまい、「半グレ」予備軍を作っている。彼らのハンディキャップを逆に「3文6行・digitalAI教科書」で「trilingual」を作るprogramを作るべきである。幼い彼らを「最高ポテンシャル(潜在)・エリート人材」としてとらえるべきである。将来の中南米の人材先兵に養成すべきである。これから発展可能性があるのはラテンアメリカである。Jewのように。日本人子弟にはそのようなことはできない。「3文6行AI教科書」であれば、「教師不要」の「単位制」授業が可能になる。これは後述の「Afghanistan女児1000人招へい看護師養成project」にそのまま適用できる。
 タリバンは女児に対して、中学への進学を禁止しました。現在の日本人であればタリバンを非難できますが、江戸時代の日本は同じでした。藩校は「武士・男子」しか受付ませんでした。日本と比較してAfghan女児に同情します。何とか救済できないかと思います。私はPCを提供するべきと思います。通信事情が悪いから「on-line授業」はできないし、タリバンの了解を得られないと思います。まず、「ダリー語+日本語・2文4行AI・コーラン」と「数学・化学・生物・家庭科・保健・物理・地学」「日本の看護学校の教科」ならタリバンも許可すると思います。これですべてを履修できれば日本の看護師・国家試験を受験できます。合格できれば日本で看護師として働き、10年働けば、大金と「医療知識」を持って帰国し、Afghanの医療に貢献できます。「英語」を加えて、「3文6行」にしても良いと思います。いずれにしても「世界一」の教科書になります。
 今後、 保育園から高校までの「英語」以外のdigital教科書に「英語ルビ」を振り、英語教科書に「日本語ルビ」を振り「2文4行」にすれば1万語の「理科系・文科系・日米用語」を通常授業の中でmasterできる。別に強制しなくても徐々に覚えればよい。第一、教える教師も「英語用語」を知らないのである。一緒に勉強すればよい。
 これで単純に「英語」授業を廃止しても、現在の授業時間で「英語」の学習時間は5-10倍になる。「ゆとり教育」の復活である。
 
 小・中学生の教育ママは米国の「NATIONAL GEOGRAPHIC KIDS」を、年頃の女子高校生はSeventeenを、男子高校生はエロ本・廃版のPlayboy,Penthouseのdigital版をsubscribeする。たった1000円程度である。freesoftware「英読」で読む。これで「英語力」は飛び跳ねる。幕末の「解体新書」の杉田玄白みたいなものである。できれば1冊の本を数人の同級生で手分けして「和訳」し、互いにチェツクすれば「英語力」は上がる。日本語版を出せばよい。全国の生徒に呼びかければ「group学習」できる。また、英語圏の国の生徒とemail「文通Pen pal」が可能になる。私の中学生時代は航空便しかないので、返事をもらうのに1ヶ月かかった。現在では「ZOOM無料TV電話」がある。今年の夏休みに、私は米国の知人の息子で日本語と経営学を勉強しているジョージア工科大学の学生の「卒業課題」に付き合わされた。日本語のインタビューを1時間以上受けた。ZOOMは始めただったが、こんなに簡単だとは思わなかった。
 海外文献を読む風景は私が小学生の時の町内の頭の悪い不良中学生のお兄さん達を思い出す。かれらはプレスリーの「監獄ロック」のrecordを共同購入して、「蓄音機」で聞き、「完全copy」していた。ファツションは大阪からトラックで売りに来ていた「米・中古衣料」からジャンパーとジィーンズを買って踊っていた。当時は化繊は普及していず、木綿ズボンは膝が抜け、弟たちは兄から譲られた大きな膝あてのものを履いていた。その当時のジィーンズを今、保存していれば「ヴィンテージ」がつくだろう。中古だから「ダメージ加工」などしなくても擦り切れていた。互いに歌をチェツクして私より英語発音がうまかった。私は4年生から英語の家庭教師をつけられたが、結局ものにならなかった。当時はテープレコーダーもなかった。自分の声は聞けなかった。彼らは中学を卒業するとautobicycleを盗み、少年院に進学した。そして本当の「監獄」に入った。実に正直に自分の主張を通したのである。
 英作文の勉強をしたければ日本の面白い文章に「英語ルビ」振れば良い。
 先に例示した「算数」の「①2×6÷3=12÷3=4」のtestを「2文4行」で考察してみよう。
「学習指導要領」の例文「I saw a movie with my family.」とmultiplyの利用を絡めて、①2×6÷3=12÷3=4 を「I multiply 2 and 6 and devide by 3 equals 12 devide by 3 equals 4」ではどうだろうか。
 日本人は「擬人法的」「一人称」表現を恥ずかしがったり、嫌うので、「主語省略」「受身表現」を使いやすい。以前、英会話教室で講師に注意を受けた。また、正解のequalsは「三単現」表現になっている。日本人としては「ヘー」としか、言いようがない。「三単現」など英語からなくなっても、意味を間違えることはない。英語の盲腸みたいなものである。しかし、習慣だから仕方ない。算数の授業の中で「英文法」の「三単現」の授業を「hyperlink」または「挿入」で展開できる。気分転換に良い。「I saw a movie with my family.」などは「朝飯前」ではないだろうか。「英語」の授業など無くても、「算数」「理科」の例文で「英語」を教えることができるだろう。そうすれば、タケシの母親の意向にもかなうし、英語の授業時間が5-10倍可能になるのではないだろうか。
 もちろん、この算数の「問題」も「2文4行」の「digital教科書」である。
 上の「三単現」に近い習慣は日本語にもある。助詞(副助詞)の「は」と「わ」である。国語で小学生を悩ますものである。この「決めつけ」は意外と最近で、1946年11月16日の『現代かなづかい』で決めたらしい。迷惑な話である。この当時は日本語の漢字を止めて、ローマ字にしろとGHQが言い出して、国語界は「てんやわんや」であったので、「は」と「わ」問題など小事であったのだろう。この表現は平安時代以来らしい。しかし、明治の「言文一致運動」からすると違反である。1946年11月16日の『現代かなづかい』を決めた担当者が「底意地の悪い役人」であったのであろう。今からでも「わ」に統一すべきである。「改むるにはばかることなかれ」である。

[14]「今月の英語の歌」で校内competition。6年間で72曲masterできます。
  香川の直島小学校では毎月変更はしていませんが、英語の歌を授業の合間にやっています。産経記事の「話す力」の向上には絶対必要です。自分たちで決めた「今月の英語の歌」をカラオケで完璧にcopyして、月末に中学・高校・全校生でon-line-competitionして表彰するようにすれば良いと思います。「今月の英語の歌」は中学・高校の「一体化授業」です。高校生のお姉ちゃんに中学生の弟が勝つ場合も考えられます。年齢差は関係ないです。中学生・高校生のunitのgroupを作り、振付danceも実行可能です。MIDI-Keyboardで演奏も可能です。そうすれば海外に行ったときdinnerなどの時に披露すれば受けると思います。小泉首相がBush大統領にPresleyの歌を披露していました。へたくそでした。校歌より大事です。
WRAP Koizumi and Bush at Graceland, Elvis Presley's home, anti whaling demo
https://www.youtube.com/watch?v=7p4Kp0AYp_0
素材はyoutubeに転がっています。独習可能です。私が小学生の時、頭の悪い町内の中学生の不良お兄さん達が、意味も分からないのに小遣いを出し合ってPresleyの「監獄ロック」のrecordを買い、「蓄音機(当時は屋外に持ち出せるのは手回し)」で聴き、お互いに発音をcheckして完全copyしていました。もちろん当時は私達小学生・中学生はPresleyの歌はradioから流れてきても、「不良の歌」として禁止でした。高校時代のBeatlesも禁止でした。現在では音楽教科書に出てきます。当時はtelevisionもなく、radioからしか音楽は放送されていませんでした。当時は現在以上に米国のhit-chartが流れていました。私より発音はうまかったです。中学を卒業しても高校に行けずオートバイを盗んで少年院に進学しました。
Elvis Presley - Jailhouse Rock (監獄ロック / エルヴィス・プレスリー)
https://www.youtube.com/watch?v=k1A9L5aWnoc
「監獄ロック」を今youtubeで見てみると、刑務所所長の前で歌っている内容です。日本の少年院は陰湿で暗いimageです。更生programの中に「今月の英語の歌」は入れるべきと思います。現在のPhilippinesの刑務所では囚人に対抗合戦をさせ、成績優秀であれば刑期短縮になっています。素晴らしいことです。
 私が推薦する「英語の歌」はABBAの「When I kiss the teacher」です。女生徒が男性教師にkissをした歌です。Beetlesの「Hey Jude」も良いと思います。小野ヨーコがJohn Lennonを略奪結婚した後、Lennonの先妻の息子Julian(Jude)をPaulが慰めた歌です。LondonOlympic2012で披露されました。
 「今月の英語の歌」とdanceはteamworkに大事です。最近「高校dance選手権」が有名です。別に選手権にでられなくても、普通に英語の歌が歌えれば良いのです。ICT-AI授業はAI先生との授業なので孤独です。そこで、年齢に関係なく「好きな者同志」が「歌」「dance」「sports」などはteamworkに大事です。英語弁論大会などもありますが、誰も見向きもしません。現在の日本のidolの歌を「英訳」したものを歌えばいきなりyoutubeで世界に普及します。J-Popの世界進出です。K-popのBTSの「dynamites」がbillboard1位を取れたのは「英語の歌」だからです。作曲家は韓国人ではありません。
 中学校の入学試験では「課題曲」を出し、「カラオケAI採点Soft」で採点すれば「公平」です。「人類の平和」に「歌」は欠かせないです。

[15] 「on-line学習」と「on‐demand学習」

「on-line学習」と「on‐demand学習」が「同level/対立構造」で論じられていてはダメです。全く違います。「on-line学習」は「on‐demand学習」ができない者に対しての「補助手段」です。
学校を卒業すれば、ほとんど「on‐demand学習」です。誰も「手取り足取り」助けてくれません。
そして、学習者は「on-line学習」を卒業して「on‐demand学習/自習」のskillを身につけなければならないのです。哺乳類が母親から独立して、自分の才覚で良い「よい猟場の情報」「集団での規律」などの能力を付けなければならないのです。そして、常に「学習」です。常人には「つまらない情報」も生徒の能力により「大発明・大発見」につながります。「教師がいなければ勉強できない。成績が上がらない」というのでは「甘え」です。学習者のとるべき態度でありません。「on-line学習」の「教師」も生徒がいかに「早く」「強い独立」「乳離れ」できるように努力しなければなりません。それも「教育・学習」の一番大事な使命です。「学習中毒」になるようにそのknow howを教えなければなりません。より「強い独立」するためには「良い教材」「on‐demand教材」を準備しなければなりません。「on-line学習」には「活動写真」の「弁士」に相当する「教師」が絶対必要です。「on-line授業」は「教師の能力」により、生徒の「脳細胞」にどれだけ「記録」できるか、また、「生徒」が自立できるかに「教師の能力」依存します。意外と現在の「紙・教科書・一斉・対面・板書」の「一律教育」が生徒の「やる気」を消滅させ、「学校嫌い・学問嫌い」を製造しているか知られていません。文科省は予算を付けて調査する必要がります。「on-line学習」は「1つの科目/what」「教室/where」「授業時間/when」「生徒と先生/who」「授業目的・概念説明/why」を「一定のスピートで先生から生徒に情報を送る/how」の条件が成立しなければ教育が成立しないのである。どれ1つ欠けても成立しない脆弱、危険なsystemである。
 現在社会はcomputer化して、必ずしも「on-line学習+教師の組み合わせ」を必要としない「ICT教育・DX教育」の社会になっています。talkieが出て「弁士/教師」が不要になりました。その「天然色映画technicolor movie」も「無料」の「TV」が出て並立しています。現在では「on‐demand・無料の最良の教材」が選択に困る程溢れています。一度、整理するsiteが必要だと思います。
 そして、「on‐demand授業」には「on-line授業」にない特徴があります。「on‐demand授業はon-line授業の容量の「100倍-無限」の「知財」を詰め込める「知財金庫」を構築できます。
生徒を「Indiana jones」のように「過去の財宝」を探し出す「treasure hunter」でなく、未来の「大発見・大発明」のskillを教えることができるのです。私も「過去の特許文献」から「財宝」をみつけました。3億円の最高裁の特許判決の資料を見つけました。「創造的・探索」です。他に特許庁の「万国資料館」の誰も見ない、紙カビの匂いのする米国特許の書架を何日も通い「公報めくり」をして「何10億円」の「財宝」を見つけました。それが現在では自宅にいて、TV番組をみながら晩酌をしながら「on‐demand」で検索できるようになりました。効率は100倍以上です。「発明・発見」は「科学的学問」の方法です。それには「温故知新」で古い資料を読んでそこからのinspireがすべてです。「突然変異」での「発明・発見」はありません。必ず古い資料の中にヒントがあります。それには「on-line教育」のskillでなく、「on‐demand」のskillです。特に「hyperlink」での「引用文献」は大事です。その「孫引き」で「patentmapping」で発明の「構成要件」に「抽象度の階段づけ」が発明の方法です。
「5W1H」で説明すれば現在の授業は「Where:教室」「Who:先生と生徒」「When:授業時間」「What:授業内容」「How:板書」「Why:教育目的のモチベーションアップ」の条件の全6件のどれ一つ欠けても成立しない「情報伝達」である。実に危ういsystemである
 「情報伝達手段」として「on-line授業」が「on‐demand教育」に比べて劣るsystemで、riskの多い学習systemであることは理解できる。しかし、この2つの性格を分析すると、「on-line授業」は「教師側の都合と立場の」が強いsystemであり、「on‐demand教育」は「生徒側の都合と立場」が強いsystemと言える。「on-line授業」は5W1Hの一つでも欠けても成立しないsystemということは、それだけ「1つの科目/what」が「緊急性」「重要性」「新規性」の高い「内容」と言えるかもしれません。例えば、マスコミ、出版物、展示会、学会、競技会などは5W1Hを考慮した場合は「on-line授業」は「効率的」です。

[16]学校教育に「塾製AI教材」を「検定教科書」の代わりに正式採用すべき。紙芝居➡無声映画➡トーキー。

 根本的なことでハッキリしていることがある。それは「塾・予備校」の存在そのものが、「学校公教育」より優れている証拠である。「学校公教育」が優れているか、同等であれば「塾・予備校」は倒産するのが経済原則である。ならば単純に、「塾・予備校」の教育を「学校公教育」で採用し、父兄、子供の「二重の負担」をなくすべきである。Cost & time performanceである。こんな「不経済」で「無駄な教育投資」をしているのは文科省官僚がバカの壁を脳細胞に築いているからである。「税金泥棒」である。というより、「犯罪者」である。
 政府の役人(指導者)が「怠惰・無知・自己主張(ideology)」で自国民に犠牲者を出した場合、国民に対する「行政不作為」の犯罪者と言われてもしかたない。歴史上、宗教人は多くの犠牲者を出した。最近では共産主義が数千みこみの犠牲者を出した。戦争はruleを守れば敵国人を大量殺害しても犯罪にならない。チャツプリンの説明では「英雄」になる。日本では意外と知られていない犯罪者が森鴎外である。「かっけ(江戸わずらい)細菌説」を主張して3万人余の陸軍兵を殺した。海軍では麦飯を食わしていたので、死人はほとんどでなかった。教育の指導者が間違った指導をし、犠牲者がでれば犯罪者である。
 
 現在、digital教科書(単に紙・教科書をtablet入れたもの)の導入実験校は成績が「紙・教科書」より成績が悪い結果が出ている。それは「教育方法」が悪いからである。そこで、「算数・検定教科書」の代わりに「塾製」の「算数・tablet教材」を小学4年生・全国・500クラスに3年間(4-6年生)に試験導入する。同じ学校の「紙・教科書」組と比較検証すれば良い。全国から募集するのである。教材費はすべて「検定教科書」の代わりに文科省負担。責任を明確にするため、募集は担任教師で希望する者から選抜する。校長、教育委員会の干渉は除外する。しかし、父兄の「念書了解」は取る。(当然、大賛成であろう)。学習は「単位制」で「小学1年生から中学3年生」までの教材を与える。「落ちこぼれ4年生」は「小学1年生」から始め、「熱心4年生」は中学3年まで「飛び級」を可能にする。当然「2文4行」の教材である。
 というより、子供が小学校に入学すれば、「小学1年生から高校3年生」までの「digitalAI教材」を与えるべきである。当然、中学・高校の課程は理解できない。しかし、「学習」できる可能性を与えることが重要である。「森全体(高校3年まで)」を与えることが重要である。「全体把握」を可能にするのである。「最終goal最大課題」を見せることが重要である。「人生の選択肢の最大化」である。学齢ごとに割り当てたもの以外の、それの先を見てはいけないという現行教育制度はおかしい。学問・学習は憲法に保障された「自由」である。「最大の人生の選択」をしての結果であれば不幸な結果になっても納得できる人生になる。現在の教育制度は「出し惜しみ/学習禁止」で「階級化社会」を作っている。それを防ぐためにも「すべての情報を公開すべき」である。現在の情報化時代であれば可能である。MOOCなどはその好例である。福沢諭吉はたった1冊の「英蘭辞書」のために、職を辞し、大阪から江戸に出たのである。
 もっと重要な目的は小学から高校までの全教科を100%理解する期間は最長18歳、最短15歳(飛び級)までにmasterしても良いとすることである。「新・ゆとり授業」である。ある生徒は中学生になっても掛け算ができなくても、18歳までに「掛け算」「確率・統計」を理解できれば良いのである。これが可能なのは「単位制(落第・飛び級)」だけである。人間には「得手・不得手」がある。生徒の性格に合わせた学習をすべきである。日本語・英語が文盲のジョン万次郎は14才で小学校に入学して、飛び級で2年間で専門学校までを首席で卒業した。「造船学・航海術・数学・天文学」は「机上の空論」でなく、「鯨とり」として「日本人初の世界一周」をし、1849年には帰国費用を稼ぐために「金鉱堀」をした。日本人forty ninerである。33歳の時、1860年咸臨丸・遣米使節団の通訳となった。満足に英語を話せたのは彼一人なので、スパイ扱いされた。英語を習い始めて1年の福沢諭吉の英語の先生であり、航海術では勝海舟の先生であった。
 現在、塾での授業が「公立学校」の「正式授業」に採用されれば、父兄、児童の「金額・時間」のsavingになる。このことは「塾」が不要になるということである。「公的教育」の貧困により「塾産業」の存在価値があるのである。何か違う意味で、習近平が「塾禁止」した行為に似ている。たとえ塾が消え去っても、一番大事なのは生徒にとって何が一番良いかということである。教員資格のない塾講師が資格ある教員を追い出しても良いのではないだろうか。客である生徒の成果で教師を評価すべきである。生徒は余った時間で、piano、スイミングなどに参加できる。
 ICT教育の良い点は、いつでも最高の教材を準備できるということである。悪い部分があればすぐに改良できる点である。「紙・教科書+一斉対面授業+板書」は教師の「技量」に生徒の成績が左右されるが、ICT-AI授業は「日本一の教師の技量」を「教材」にぶち込めることである。そして、最新の技術であり、今すぐにでも生徒のために取り入れなければならないtechnologyである。
これは「紙芝居➡無声映画➡トーキー」へと変化したことを見れば明白である。「紙芝居」は日本独自の演芸であるが、「紙の絵」をめくりながら「語り部(弁士)」が絵の説明をするのである。これは現在の「一斉・対面・板書」授業と同じである。弁士が教師であり、「紙の絵」が「紙・教科書」である。教師・弁士はad libを入れても良い。しかし、弁士が喋っているときに、それを邪魔する生徒は昔は体罰の対象であった。授業の進行を邪魔すれば許される分けがない。「紙芝居」はやがて「動画」の「無声映画」になった。子どもは動かない紙芝居より「動画=無声映画」の方が良いのに決まっている。大人でも同じである。「 無声映画」には音声技術が確立するまでは弁士が付いた。または「caption字幕」が付いた。弁士=教師も生き残れたである。それがtalkieの発明により、弁士は完全に廃業に追い込まれた。これを「公教育」に当てはめれば「映画館=教室」から「教師=弁士」の追放である。また、VTR(録画技術)が普及し、個人levelまで普及すると「映画館=教室」に行く必要がなく、いつでも、どこでも、何でも鑑賞(学習)」が可能になった。しかし、どの教材を選ぶかは最近のAI技術を待たなければならなかった。デジカメが出て、DPE屋さんがなくなった。AI教師+ZOOM100人教室ができれば、現在の教師は不要になる。自宅から授業を受けられる。
 むしろ大学の教授が先に首になるかもしれない。最高のICTDX教科書ができれば、学生は田舎で東京の授業が受けられる。事実、ある私立大学でcorona禍ですべてon-line授業になったので、「授業料減額裁判」が起きている。MOOCで無料授業を受けたのと同じである。MOOCは東大、京大などより好みできるだけ良いかもしれない。

[17] すべての大学入試に1万語の「英単語」の試験を課す

 文科省のHPに米国大学での授業に必要な「理科系・文科系・科学・英語用語」1万語を例文を載せた「単語集」を掲載。現在、すべての科目の教科書で使用されている「例文」から引用してもよい。「2文4行」で「対訳」をつけて載せる。だれでも無料でダウンロードできるようにする。大学受験生全員に必ずこの中から出題する。自動車運転学科試験と同じである。testはマークシートの「自動採点」をする。これは「理科系・文科系」の知識の勉強を要求する。現在、TOEFLで課しているのと同levelになるだろう。現在に必要な「リベラル アーツ」の知識も要求するのである。 特に数学は文科系授業にも必要である。金融関係、「data science」には必須である。computer言語の習得にも数学は必須である。
 このtestは毎月1回全国模試として小学生から高校生までに義務化して、「序列」をつける。上位1000名の実名公表にする。出題数は500-1000問とする。ついでに「漢字語彙」のtestをしても良い。 ただし、testの内容はspellingでなく、「意味」「語彙」「慣用句」「熟語」を重視したものにする。spellingcheckは自動でしてくれる。
 また、根本的な議論が放置されたままである。それは紙・教科書とdigital教科書の費用負担についてである。現在、教科書は「無料配布」されている。「紙・教科書」がなくなれば、教科書会社を経由せず、文科省のHPに貼り、「無料配布」できる。印刷代・製本代が不要である。文科省は編集権料金だけ払えばよいだろう。そして、現在、生徒が負担している「教材・note・鉛筆」などの無料配布費用に回せばよい。生徒に限らず、だれでも無料で入手できるようにしてもらいたい。digital教科書が良いのは「飛び級」の生徒が「先読み」可能になるのである。また、1種類の教科書だけでなく、すべての会社の教科書が無料閲覧できることである。
 10年毎の「学習指導要領」更新までは、教科書を変更することはない。死にかけている私が高校で勉強できなかった「確立・統計」を勉強したければ勉強できるようにしてもらいたい。現在ではyoutubeにもっと良いものがあるかもしれない。
 現在は「無料教材」があふれている。私には何が良いか分からない。文科省は「文科省推薦・無料教材ranking」を発表してもらいたい。現在、著作権を無視して、Beetlesの歌が、いろんな形式でyoutubeにあふれている。そのうち、「digital教科書」も勝手に「2文4行」形式のものがアップされるかもしれない。最高のyoutuberになるだろう。

[18] alphabetを「国字」とする。日本語を「横書き」「かな+漢字+alphabet混じり文」にする。

 「福沢諭吉の犯罪を回復するのである。」現在、漢字は日本、中国、台湾、香港でしか利用されていない。今後の「世界標準言語」は「英語」である。と言っても日本語を英語にする訳ではない。「かな+漢字+alphabet混じり文」にするだけである。カタカナ英語が多いのはみっともない。将来カタカナ英語を全廃にする。「株式会社 三菱UFJ銀行」のようにするのである。
①第1段階(15年間)「カタカナ英語」と「漢字」に「英語ルビ」をふる。すべての日本語を「横書」にする。紙媒体をdigital化にする。「新聞、6法全書、教科書、官報、判決文」なども例外なく「横書」にする。これだけは韓国に学ぶべきである。韓国憲法は最初は「漢文横書」で、現在は「hangeul横書」である。日本の「週刊誌、マンガ」も横書きにすべきである。もちろん、line, Wordなどの日本語word processorは「漢字変換」すれば漢字、カタカナ英語に「英語ルビ」が振られていなければreading,writingの訓練にならない。文科省がword processormakerに要請すべきである。
 現在の日本は「規制」がすべてを縛る。何か素晴らしいideaがあって実行しようとすると、必ず何かの「法律・規則」に引っかかり、実行できない。「送金/既存の銀行」「マイナンバーidentity number/左翼の反対」「Uber配車(白タク)/既存のタクシー会社」、「atama plus教材/既存教師」「幼保一体化/厚労・文科の政治家利権」など「既得権者」がいて「八方ふさがり」で実行できない。そして、世界から取り残される。digital庁ができて、「縦割り行政打破」が叫ばれているが、digital庁という「縦割り」が1つ増えて何もできない。したがって、「既得権者」の機嫌を損ねないで、こっそり革命を起こせることしか実行できない。私は「縦書き禁止」「alphabet国字化」に既得権者はいないので、「やればできる」と思う。印刷会社、出版社の特需が増える。digital庁のprogram開発はことごとく失敗しているので、「analog」方法で「省例」を告示するだけで良い。
②第2段階(10年間)は「英語ルビ」と日本語本文の「欧米由来の漢字造語」「カタカナ英語」を「日本語本文」のものと入れ替える。すなわち、「哲学philosophy」「細胞cell」「restaurantrestaurant 」などを入れ替えるのである。例として日本語本文に「philosophy、cell、restaurant」 が挿入され、「哲学、細胞、restaurant」が「ルビ」になる。完全にmasterした人は「スイッチ」で「漢字、カタカナ・ルビ」を任意に「非表示」にすればよい。これで、日本人・社会人でも英語1万語をぐらいは10年で理解できるようになるだろう。「bilingual」になれる。「今からでも遅くない、君はbilingualになれる。英会話学校に行っても意味がない」となる。
小学生も10年すれば日英1万語を理解できるだろう。これで、Indianの英語力に追いつける。hearing以外はreading,writing機会が多くなるので記憶できるだろう。しかしhearing,speakingは日本にいる限りは経験する環境が少ない。自分から積極的にFEN、CNN放送、外国映画を聞くしかない。しかし、いきなりでは難しい。まず、上に述べたようにdigital教科書、digital新聞の「発声」機能で反復練習すれば良い。最初はユックリ、次第にスピードを上げていく。やはり好きな英語音楽が一番よい教材だろう。
 しかし、現在、日本語で発行されている日刊紙digital版の「英語翻訳」は酷いので「Japan Times」の「英文」に「日本語ルビ」をつけたものが良いかもしれない。たとえ「ルビ」に誤訳(誤変換)があっても、それがチェツクできることが学習になる。
 これの意味することは何だろう。現在、nativeによる小学校・中学校の「英語教育JET計画」を廃止できる。この計画は文科省官僚の「英語劣等感・舶来主義、GHQ支配感」の象徴である。国辱物ある。すぐにクビにするべきである。考えてみよう。彼らとVietnamから来ている研修生とどこが違うのか。JET要員は日本観光旅行を政府保証の国費で払っている日本国内アルバイトである。Vietnam研修生は日本の奴隷労働市場の奴隷である。米国務省が日本の研修生は「人身売買」と認定している。将来、「従軍慰安婦」のように告訴される国際問題である。ともに日本でのパートタイマーである。一方は「お雇い外国人様」、他方は「奴隷」である。ついてに言えば豪州などの「ワーキングホリデー」はブローカーが父兄から手数料をとるボッタクリ詐欺的商法である。金の流れを見れば一目瞭然である。「海外労働」は民間に任せてはダメである。間に立つブローカーは「奴隷商人」である。Vietnamを出発するときに既に「借金まみれ」になっているのである。
 
[19] 日本語文化大革命

 現在は日本語の「大変革期」である。現在はその渦中にある。したがって渦中にある我々はそれに気つかないのである。「バブル経済」は渦中にいる人間は後になって気づくのである。日本語の歴史を500年単位で考えてみよう。
① 552年、仏教伝来。漢文経典。文字を持たなかった日本に文字が輸入された。漢文の導入。株式会社金剛組は百済帰化人・金剛重光による578年創業で現存する世界最古企業である 。
② 680年ころ。天武天皇が稗田阿礼(人間memory)に「古事記」の素案を暗記させる。
③ ◎712年「万葉仮名(当て字)/最大973文字」で「古事記」を編纂。
  ◎630年頃-759年 「万葉集」「万葉仮名」で編集。天皇、貴族から下級官人、防人(防人の歌)、大道芸人、農民、東国民謡(東歌)など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められている。「遊女」の「宇加礼女(うかれめ)」は有名。
  ◎752年聖武上皇「大仏開眼」。文字が万葉仮名の時代にこんな大事業ができ、India、中国から僧を呼んだりできたものだ。当然「漢文」でやり取りしたのだろう。職人は大仏殿の設計図も描けたのであろう。正倉院文書/写経工房を作り販売。役人文章は「漢文」。
④ 800年頃 「カタカナ」成立。
⑤ 905年 「ひらがな」による「古今和歌集」。「土佐日記」「ひらがな」の確立。(文盲が少なくなった)。
⑥ 1180年頃 平安時代後期「今昔物語集」は「和漢混淆文/漢字+カタカナ交じり文」
⑦ 1868年-明治維新。新聞発行で「活字体の成立」。「漢字ふりかな」(大正期まで続く)。漢字を一度に覚えなくても新聞を読める。徐々に漢字を覚える。
⑧ 1887年  「言文一致運動」。二葉亭四迷「浮雲」。日本語の「しゃべり文字」標準化・統一化。「文語体/候文」追放。
⑨ 1894年 ガリ版発明。堀井新治郎父子が謄写版を発明。活版印刷より安価に出版が可能になった。また「製本」技術としてホッチキスが1903年に伊藤喜商店(現、株式会社イトーキ)がアメリカ合衆国より初めて輸入したステープラーが、E.H.ホッチキス社(E.H.Hotchkiss)のHotchkiss No.1が簡単に製本できた。江戸時代の職人による版木に掘る筆記体から素人でも鉄筆による「活字体」利用が推進された。新聞発行などにより製紙産業の発達で「西洋紙」が廉価になり、誰でも利用できるようになった。自費出版が可能。
⑩ 1978年 東芝が「かな漢字変換」日本語word processorを発明した世界初の日本語漢字変換word processorJW-10(630万円)。本格的パーソナル・word processor・TOSWORD-JW-1(1982年11月/59万8000円)。初の仮名漢字変換方式。漢字のtypewriter化。「筆記体の消滅」。この発明は日本語における「仮名の発明」の次に大きい発明。
これにより日本語の「漢字廃止・ローマ字化論争」に終止符を打った。日本の児童が「五十音」を覚えれば常用漢字2136字を「書けなくても、読めて・意味を理解」すればよくなった。また、この東芝の発明のideaは2006年に中国最初のword processor・software 「捜狗」にパクられ、「ピン音入力/中国語alphabet」方法を提供開始した。これにより、中国の「文盲」追放に貢献した。中国児童も同様に8105字の簡体字を「書けなくても、読めて・意味を理解」すればよくなった。(文盲追放/戦前中国は漢字を覚えなければ文盲。愚民政策。また、7大方言で「筆談」「通訳」しかなかった)。中国の有史以来の「文盲」追放は東芝の発明のおかげということは私以外、誰も主張しない。北朝鮮・韓国の「漢字追放」は33年早まった。
⑪ (現在)SNS時代。個人が全世界に向けての出版が可能。自動翻訳。英文和訳で英語文法が日本語に導入され、将来「ため口」が日本語の標準になる。

以上の中の「日本語大革命」で一番の変化が激しいのは「TINS」時代の現在である。それに気づいている日本人は少ない。バブル経済の渦中にいる人間がバブルの期間を認識できないのと同じである。

 この年表を「時系列」に眺めて見て、日本語の変化、成長が分かる。中国から「漢字」が「文字」のない日本にもたらされた。それを見た大和朝廷、為政者は戸惑ったに違いない。争いも起きただろう。新しい文化が外国からもたらされると混乱は必ず起きる。明治維新で禁制だった「科学」が輸入された。この開国は大和朝廷と同じ心理状態だろう。第2次大戦後も戸惑った。変化と成長が普及して行くのにちょうど「100年単位」の「時間」と「混乱」の中で成長していくのが分かる。
「漢字仏典」-「万葉仮名(当て字)」-「カタカナ発明」-「ひらがな発明」-200年後に「和漢混淆文」-700年後「活字体確立/言文一致体確立」-「word processor発明/筆記体消滅」
 このことからすると私が理想とする日本語(横書き+ひらがな+漢字+alphabet-カタカナ消滅=交じり文)になるには、今後50年かかるかもしれない。私の死後である。

 「ひらがな」の発明が日本語を漢字文化の中国より機能化したので中国より1000年も前に「文盲」を減らすことができた。また、源氏物語に代表される日本文化の発展に寄与した。これと同じように中国に先行した文化に「歌舞伎」がある。誰も主張しないが、中国の「京劇」は日本に来ていた中国人(明朝残党)が歌舞伎を真似したものであると思う。「隈取」などはそのまま京劇に採用されている。この両者の発生には100年の差がある。もちろん歌舞伎が先行している。「国姓爺合戦 」は明朝滅亡と清朝に対抗した、日本人ハーフ鄭成功の物語である。日本の観客はそのことを知ったうえで同情(判官びいき)・鑑賞したのである。明朝同情者が中国に持ち帰り、京劇に仕上げたのである。近代の「デジャブ」で言えば満州皇帝が溥儀が日本の関東軍の協力を得て、国民党軍+共産党軍と戦っているようなものである。最終的に負けたが。将来、台湾問題が生じるが鄭成功はいない。

[20]「ルビ」は平安貴族・僧侶が発明した「異言語学習」手段。

 文科省官僚は「日本語」の特徴にコンプレックスを持っている。GHQに植え付けられたものである。しかし、NY大学の中国人教授・張旭東(NHK3月24日放映「欲望の時代の哲学2020(5)で)」は日本語の構造を褒めている。中国語に比べれば当然である。

「日本語には3つのsystem、漢字、ひらがな、カタカナがあって、外国語をオープンに取り入れられるようになっているが、心の枠組みは変わらないままだと」述べている。

これは大和朝廷以来の国民性である。「歓迎すれど、同化せず」---また、国内では「漢字」のハードルを取り去り、中国、朝鮮のように「愚民政策」「宦官」「纏足」文化をとらなかったことである。「ひらがな」で「文盲」をなくした。和歌などはその最たるものである。日本は万葉の昔から奴隷制度はなく「文化国家」であった。万葉集には天皇でも歌の才覚がなければ載せてもらえなかった。一方、遊女(高級売春婦)は歌の才覚があれば載せてもらえた。「源氏物語」は世界最古の恋愛長編小説である。中身は冷静に考えれば「宮廷スキャンダル小説」である。光源氏が皇后に手をつけ、皇太子を生ませ、また、自分の妻が寝取られても良しとするのである。私はフィクションでなく、実際にあった事実を小説にしたのではないかと思う。現在でも、その文化は脈々と生きている。日本の週刊誌はNews Weekでは絶対ありえない「裸写真・sex記事」と「高級な言論記事」との「五目御飯」の「てんこ盛り」である。まるで「週刊・源氏物語」である。外国人が電車の中でビックリするのは、「居眠り」と紳士が「エロ本」「マンガ」を読んでいることである。平和なのである。最近はスマホである。
 この日本人の「歓迎すれど、同化せず」の「ヤマト魂」はどこから来るのだろう。それは「日本列島」という「浮沈戦艦」の「島国根性」ではないかと思う。「ヤマト魂」とは
①「島国根性」。「舶来」は一応良いものと信じて歓迎する。どうでも良いbrandでも、他の日本人に対して、「希少価値」で見栄を張りたい。朝鮮の犬の食器にも価値を見出す。そして、copyしようと「国産化」する。白磁、青磁、火縄銃、絹、TV、PC、自動車、スマホなど。
②オリジナルに同化されず、改良し、自分たちに合うようにチューンナップする。結果として、世界一の品質になる場合がある。
③外国の侵略にさらされることが少ないので、基本「平和主義者」である。しかし、一端、侵略されると「精神主義」で「倍返し」になってしまう。「元寇」に対して「倭寇」。米国に戦争で初めて有史以来、敗北したので綿製品、自動車などの経済戦争で米国をギャフンと言わせた。
 まわりを天然の海の要害に守られており、敵兵は第2次世界大戦までは「船」でしか来れなかった。1m沖合でも溺死するのである。朝鮮半島はそうは行かなかった、中国の植民地になり小中華として「同化」しないと存在を認めてもらえなかった。日本は自分たちで海外の良いもの(物品、思想、文化、技術)を選択して輸入できた。したがって、海外からの「モノ」は「舶来もの」として品質の良いものであった。第2次大戦までは「舶来もの」は文字通り「船」でしか来なかった。「文化」のようなものも「本」として輸入された。現在はinternet、衛星中継など地球の裏側から何でも飛んでくる。このようなことが可能になったのはケネディが暗殺された時の1963年11月22日以来である。
 
 日本国民の「文盲率」は「ひらがな」の発明で少なくし、「和歌」では天皇も農民も身分差はなかった。中国は4000年の歴史があるが、文盲がなくなったのは第2次大戦後である。戦前は80%文盲だった。朝鮮半島も同様である。大正期までの日本の新聞には「ひながなルビ」がついていた。これで、小学生でも新聞が読めて、徐々に漢字を覚えていた。中国はいきなり8000字覚えなければ文盲であった。

1918年(大正7年)の「ふりがな」のついた「インフルエンザ」の朝日新聞の記事。
 
「ひながな発明+ルビ発明」技術は「英語学習」にも応用できる。特にDX時代になり「辞書」を引かなくても良いように「自動ルビ振り」、「音声発声機能」で英語学習効率を5-10倍できるようにしてくれた。現在の文科官僚は「英語学習」は科目「英語」の中でしかできないという固定観念がある。他の教科と一緒にやれば、現在と同じ学習時間で5-10倍の量を勉強できるのである。そして、また一番大事なことは「学習すべき内容」は「英語」科目の中にあるのではなく、英語以外の科目の中にある用語である。それは科学用語である。文科省は明治以来、英語の授業で「空っぽの科学技術」を教えていたのである。英語以外の教科書に「英語ルビ」を振れば、極端に言えば「英語」授業を全廃しても良い。「英語」のすべてを他の科目で学ぶことができる。そして、英文法などは「数学」の文章の中で「hyperlink」で飛べるようにしてやれば良い。「英文法」は「内容」でなく、「説明書」である。そんなことはタケシの母親でも知っていたことである。
 平安貴族・僧侶は「漢文」に「カナ」を振り「音読/漢字の発音」を学習した。「やまとコトバ」の「訓・振り」をして意味を理解したのである。大正期の朝日新聞と同じである。学習する子供にとっては「音・訓両用」は区別できないので、現在では漢字の数だけ、「音読み」「訓読み」がある。そして意識していないほど日本語化している。
 常用漢字とは、1981年に内閣告示で公布された「常用漢字表」にある1945種の漢字のこと(音読みは2187、訓読みは1900)。 「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの」(内閣告示)である。
 日本語原文に「英語ルビ」を振るということは「訓読/英語の意味/表意」をふったのである。この「半・英作文作業」により、明治維新で導入せられた膨大な欧米科学思想・技術の「科学用語」を理解する手段を得られるのである。この「異言語学習」手段を文科省官僚は理解できず、子供の英語学習手段を奪い、日本人を「英語音痴・再生産」に追い込んでいるのである。

[21] 中国語の問題。中国10億人英語bilingual・スパイ大作戦

 現在、米国、中国は冷戦状態である。最近は「情報戦」である。中国が世界に作った「孔子学院」は設置国の人間に「漢字」を教えて、「親中国の人間(スパイ)」養成機関にしようとしていたのがバレて、次々に閉鎖されつつある。中国共産党の戦略は下手くそである。バカな米国人に漢字を教えるより、中国14億人が英語bilingualになれば、internetでいくらでもスパイできる。現に英語に堪能な中国人が世界中に「スパイウエアー」で潜りこんでいる。
 中国4000年の漢文と言えば「縦書き」が基本であったが、最近は英語と同じく人民日報も横書きになった。朝鮮日報も横書きになった。日本は遅れている。日本の新聞は電子版だけは横書きである。人民日報の漢字の上に「英語ルビ」を10年間振れば、10億人が英語bilingualになれる。「電脳」という漢字にcomputerのルビが乗るのである。文法は英語、中国語はほとんど同じだし、子音中心だから簡単である。対訳は不要だろう。中国には10億人を「北京語bilingual」にした実績がある。中国人10億人が英語ペラペラになったら米国、英国、カナダ、豪州は震えあがるだろう。スパイの資格は相手の言葉を自在に利用することである。ただし、10億人スパイが寝返って「二重スパイ」になるかもしれない。
  「彼を知り己を知れば百戦殆うからず。(孫子)」
習近平は塾を閉鎖した。やり方が乱暴だ。文化大革命で10年間学校閉鎖し、自身も下放されたので、塾閉鎖など平気なのだろう。しかし、バカげている。日本でも、中国でも塾の存在そのものが公的教育より、内容、方法が優れている証拠である。ならば塾を閉鎖するのでなく、教室は封鎖するが塾のノウハウ・教材・講師を公的学校に誘致し、生徒全員が放課後に塾授業を受けられるようにすればよい。生徒が移動する手間が省ける。塾に行けなかった貧乏人は無料にし、塾に行っていた金持ちの生徒は従来通り払えば良い。塾に行けなかった生徒の父兄は喜ぶ。特に地方の父兄が喜ぶだろう。中国共産党は地主を殺し、その土地を小作人に与え、また、赤軍にしたので、国民党に勝てたのである。共産党得意の戦法である。そうすれば、公的学校の教師は塾講師に駆逐され、放課後でなく、正規授業に組み込まれるかもしれない。公的学校の教師が現在では地主みたいなものである。
Uighur、Tibetの侵略方法も間違っている。Uighur、Tibet語を禁止するのでなく、彼らにPinyin-・bilingualになっていただくようにお願いするべきだ。Uighur語、Tibet語に「漢字」「Pinyin-」を振るだけである。10年もすればbilingualになってくれる。あのprideの高い上海人でさえ、Pinyin-・bilingualになったのだ。彼らの孫たちは上海語がしゃべれなくなるのである。文化侵略は「便宜」を与えて相手の「脳細胞」を知らない間に書き換えなければならない。日本は米国から「文化侵略」を受け、カタカナ英語が毎日、増えてきている。もはや止めることはできない。そのカタカナ英語には日本語にない文化が仕込まれているから仕方ない。ならば、それを磨いて、それを武器に米国に反撃するべきである。game、animation、マンガ、J-POPのように。日本人1億人がカタカナ英語と漢字に英語ルビを振り英語bilingualになり、高品質の日本製で米国民の脳細胞に食い込むしかない。言語はしょせん道具に過ぎない。中身が大事である。韓国のBTSは反撃している。
 中国で小数民族の異民族、元朝・清朝が中国を征服できたのは彼らがbilingualになったからである。また、世界のJewが活躍できているのは彼らが、その地でbilingualになり、頭脳を磨き上げたからである。コトバは道具であり、武器でもある。
 中国人にUighurの話をすると、日本もAinuのコトバを奪ったという。これは彼らの勘違いである。Ainuは万葉時代以前の日本と同様に文字を持たなかったのである。大和朝廷は中国から漢字を恵んでもらい、仮名を発明し、中国語より機能的な日本語にしたのである。カタカナ+ひらがなの発明で中国より1000年も前に文盲をなくしたのである。北海道の市町村名の約8割はAinu語に由来するものである。
 現在、表面化していないが、中国語も「カタカナ英語」問題を抱えています。福沢諭吉が造語した「経済economy」「人民people」「共和国republic」は漢字造語できましたが、いずれ量的に造語できなくなります。現在、新しい外来語は「共和国republic」のように「類似意味漢字造語」に言い換えるか、「英語音読・当て字」をとりあえず使用しています。最近の中国語最高の「当て字」造語は「可口可乐Coca Cola」だといわれている。1500年前の平安時代の日本の真似をしています。中国語には日本語カタカナ英語に相当するのが、Pinyin-alphabetです。しかし現在中国人は漢字を使用せずPinyin-alphabetを中国文に混ぜて使用することは「恥ずかしい」ことというmentalityがあります。万葉時代の役人と同じです。女性はカナを利用しました。いくら漢字重視でも「近音・当て字」をやられたら、我々が漱石の「当て字」小説を読んで混乱するのと同じです。使用者に「可口可乐Coca Cola」のように商品宣伝で理解してもらえればよいが、通常の当て字では公式文章には使用できない。既に中国語は外来語に造語できなくなっておりpuncture状態です。日本の戦後75年でもカタカナ英語は1万語近くあります。中国も同じ事情だと思います。中国政府は戦後日本のように外国語を「Pinyin-alphabet表示」するか、外国語alphabetをそのまま「国字」として採用するかの岐路に立っています。福沢諭吉が犯した犯罪を採用せずに、また日本が戦後誤ったようにカタカナ英語を採用せず、外国語alphabetをそのまま「国字」にするのがbestの選択である。なぜなら「新語」にはそれが発生した「文化・科学・背景」を背負っているから、素直に外国語単語を「国字化」した方が、一番正しい意味を理解できるからである。人民日報にWHO、Covid-19、SGDsがそのまま表記されるようにしなければならない。すなわち中国語は「漢字+alphabet交じり文」にしなければ国際化できなくなる。これは日本人がwalkmanみたいに「和製英語」で世界に発信してもよいのである。というより、最近の商品名はほとんどalphabetである。その方が売れるからである。売れれば認知される。
 「日本が有史以来、中国に一番貢献したのは日本の漢字変換word processor」だとSNSで言ったら、日本語に堪能な在日・中国人と中国本土からfakeだと多くの抗議が来た。彼ら中国人にとって漢字は精神的支柱である。それを約1500年前に野蛮国・倭国に貸し与えたのである。それが日本から漢字変換技術を教えられるということは屈辱以外の何物でもない。漢字教育、漢字変換は近代における夢であったのだ。中国の戦前80%の文盲追放の基本的な技術でもあるからである。戦前に中国大陸は日本製の漢字typewriterに武力と侵略で市場を奪われた怨念もある。それがPCでalphabet-typewriterを打てば簡単にどんな漢字でも書けるということは夢であったのだ。中国最初の「Pinyin-漢字変換word processor・智能ABC」は1990年。それで現在の中国人は簡単に8000字以上の漢字をmasterしている。知らなくても発音さえできれば書ける。中国人が「智能ABC」でalphabetキーを叩いて、簡単にどんな漢字でも書けるようになった。最近はwechatで「音声入力」も可能になった。外国語翻訳はlineより強力である。私が近年、中国に行った時、ホテル、restaurantでは英語が通じない。私がwechatで日本語音声入力して、翻訳して相手に示せば、その逆を町の食堂のオバチャンもしてくれるので通じた。日本より進んでいる。lineにその機能を持ってもらいたい。
 私の「漢字変換技術」の意見に抗議してきた日本語に堪能な中国人も「一太郎VS 智能ABC」の歴史を比較して示すと黙り込んだ。「智能ABC」開発者は日本で「一太郎」でblind touchでalphabetを打てば、「手書き」より早く漢字が書かれていたのを見て腰を抜かしたに違いない。東芝のword processorJW10は630万円もしたが、1979年に出現していた。中国人にとって東芝の漢字変換は屈辱である。しかし、現在の「智能ABC 」を利用している大部分の中国人はその事実を知らない。自分たちの独自技術だと思っている。それを日本人が発明したとは絶対に認めたくない。新幹線と同じである。冷静に考えれば、これは漢字を使用している中国、日本、台湾でしか発明できない技術である。また、日本には「かな+漢字交じり文」という1500年の歴史がある。したがって日本人にしか発明できなかった技術である。
 
[22] 「英語」は「音楽」「体育/dance」の合併授業にする。

 「英語+音楽」の「合併授業」。ゼロ歳児(胎教)から。小学校入学まで。
私は中学卒業までに「第5言語」までmasterすべきと思っています。着手すべき年齢。
●第1言語「ドレミ」7文字(世界共通言語) =絶対音感/1歳未満/胎教/「ドレミの歌」。涎を垂らしながらtabletを駆使する。youtubeをパクリ、hearing, speaking(singing), MIDI-keyboardに接続しreading, writing(playing), dancing。「数字の歌 10文字/1歳未満 」
●第2言語 alphabet 26文字/1歳未満/「ABCの歌」
●第3言語 ひらがな 50文字/2歳未満/「あいうえおの歌」。
●第4言語 常用漢字 2136文字/3歳未満/lineで両親・祖母と「交換日記」。「かな漢字変換」。tabletを指でなぞり筆記。
●第5言語 英語 TOEFL 10000文字/7歳未満/blind touchを習得させる。「2文4行・digital・AI教科書」で学習。「NATIONAL GEOGRAPHIC KIDS」をdigital化して「2文4行・digital・AI」化してhearing, reading,speaking, writing(editing)する。着手すべき年齢は一応の目安。hearing,speaking(singing),reading,writing(playing),dancingの4法は「できるものからやれば良い」
世界の言語学者で第1言語を「ドレミ7文字(世界標準言語)」とは誰も指摘していません。第1言語から第5言語と並べたのは「基本獲得言語・文字数」の少ない順番に並べたものです。偶然、学習すべき順番に近いです。私の育った戦後すぐでは「音楽」は父親から禁止されていました。音痴のままあの世に行きます。音楽は世界の赤ちゃんが最初に「胎教」で勉強すべきと思っています。
「胎教」ということが古来言われています。私は「音楽」は生まれる前でも可能と思います。現在小学生-高校生にGIGA計画でパソコンが全員に配布されています。私はもっと早めて、女性が妊娠すれば、「母子手帳」の「紙製」は廃止して、パソコンで配布すべきと思います。その中には母子の健康情報・育児情報だけでなく、保育園・小学校への継続性の「事前教育」も大事だと思います。教師は両親しかいなのです。それを補助するためにはICTのPCは絶対必要です。と言っても、共働きが基本の現在では「手抜き」のためICT教育は女性の妊娠時から始めるべきです。配布PCは生まれてくる子供の一生のパートナーになるのです。情報はクラウドに保存可能ですが、入出力には必要です。問題はその「中身」です。
 その「PC母子手帳」には「夜泣きの解決法」「虫歯・母子感染」「虫歯予防・歯磨き方法」などを記録します。それを知らないと、教えないと悲劇が生じます。知らないこと、教えないこと(行政の不作為)は「犯罪」です。
 ●「夜泣きの解決法」。毎年、新婚夫婦が夜泣きに悩み、実子を押入れの布団の間に入れ、翌朝、死んでいる事故が起きています。私の場合も長女の夜泣きに悩まされ、同じ行動を起こしそうになりました。深夜、安アパートで30分ごとの数回の夜泣きには「簀巻きにしたい衝動に」襲われました。後日、米国に行ったとき、友人に聞いたら不思議そうにしていました。欧米人は産院から自宅に帰ると、別室に寝かせるので、朝まで夜泣きに悩まされることはないとのことでした。しがって、「夜泣き癖」もつかないとのことでした。私も病院から帰ったとき、「川の字」に寝るのでなく、台所に放置すれば「泣き癖」はつかなかったと後悔しました。現在でも日本の全国の新婚家庭では「夜泣き」に耐えるのが「美徳・義務」と教えられています。祖母に聞いても同じ答えです。「知らないことは罪」です。
 ●「虫歯母子感染」 これは有名なので日本でも防止法が実施されています。虫歯菌が母親が哺乳瓶の乳首を温度を測るために咥えたり、離乳食を一口試食したspoonを使ったりすることで母子感染するとのことです。乳歯が生えそろうまでに「虫歯母子感染」しなければ虫歯にならないそうです。
 ●「虫歯予防歯磨き方法」これは一部でしか知られていません。Swedenのイェテボリ大学歯周病科が実証試験で成功した例である。「すすがない歯磨き」である。私自身、歯医者に歯槽膿漏の初期を言われ、イェテボリ法を試したら見事に治った。これは当然で、歯磨粉を歯磨きが終わっても「すすがず」口中に維持していればバイ菌も死滅する。しかし、現在でも毎日、歯磨薬剤、歯brushの間違ったCMは流されています。

学習指導要領は「英語学習」を英語5法(hearing, comunication, speech, reading, writing)に分類した。しかし、私はこの分類は私自身の経験から不満である。hearingだけは別格に扱うべきである。私は現在でもhearingに弱い。これはあまり訓練をしていないせいもあるが、hearingの最適年齢時に学習していないせいだと思う。hearingが遅くても、別に「会話」には困らない。相手に「ユックリしゃべってくれ」とお願いする。困るのは「radio、TV」などの話者がしゃべっている時に聞き取れないのである。スピードに追いつけないのである。hearing,speaking,reading,writingでspeaking, reading,writingは「マイ・ペースown pace」で「脳細胞」を駆動できる。しかし、hearingは「相手pace」である。特に英語は「intonation」があり、日本語のflatな表現と異なるので日本人には難しい。特別に訓練しないと聞き取れない。音の高低を聞き分ける必要がある。高校生までは「高音・mosquito音」が聞き取れる。その年齢以上になると「高音部」が聞き取れなくなるとのことである。英語は「高低」の大きい言語である。最近、私は日本語も聞き取りづらくなった。聴覚には問題ない。日本語も一応、「高低の和音」である。その「高音部」が聞き取りづらくなっていて、耳には入っているのだが、「脳細胞」の記録と照合すると一致しないようである。毎年の健康診断の「聴音検査」で数年前から「ピーピーピー」という高音3段階が聞こえないのである。耳鼻科に行くと、「年齢です」で終わりだった。しかし、私の悪口を言っている家族の「ヒソヒソ話」はちゃんと聞き取れる。多分、低音だからだろう。これは世にいう差別用語の「勝手つんぼ」らしい。「聞こえても聞こえないフリ」をしているのではない。普通の会話では実際に耳まで届いているのだが、高音部が抜けた日本語になっているので「脳細胞」で理解できないだけなのだ。高校の同窓会の友人達にその話をすると、全員同意してくれた。
 さて、hearingの学習に一番良いのは何だろう。やはり「歌」ではないだろうか。それも楽しい歌ではないだろうか。「身振り」を入れたdanceも必要かもしれない。最近のidolは私の小学生の時の不良中学生と同じで「歌・dance」がうまい。カラオケsetでの高低チェツクも満点である。hearingもいけてそうである。
「絶対音感/音を7音で聞き分ける」は6歳までに訓練すればすべての人が持てるそうである。これができれば「ドレミ」は「世界共通語」である。「pianoの音程が聞き分けられhearing、楽譜で歌えて、pianoが弾けてspeaking(singing+playing)、楽譜が読めてreading、作曲writing」ができれば最高である。danceができればもっと良い。たった7音の「総合芸術」である。「英語」に限らず語学も音楽と同じでないかと思う。良く「英語脳」と「音楽脳」は共通するという。ダメ元で文科省・厚労省は保育園で「絶対音感教育」を実験してもらいたい。そうすれば10年後にJ-popが世界を席巻するかもしれない。保育園児も大喜びだろう。現在はpianoを買わなくても「MIDIkeyboard」をPCにつなぎ独習できるようになっている。「作曲」までできるようになっている。ヘットホンをつけさせ放置すればよい。「知育玩具」である。「MIDIkeyboard」を保育園児に配布すべきである。4才児でも「game機」を与えぱなしにすると「game能」になり、取り上げるのは難しくなる。それでは「game」でなく「音楽」「英語+日本語」を与えて「音楽脳」「英語脳+日本語脳」にすれば良い。
「音楽脳+英語脳」ということは言うことどういうことだろう。言語は「言葉」なので「左脳」の訓練である。一般的に「音楽」は「感性+直観」で「右脳」作業と言われている。「絶対音感」は「第1言語」で「右脳+左脳」の両方の訓練に良いのかもしれない。そのためには「楽譜」を「目」で理解し、「5感」のpotntialを上げる「総合教材」なのかもしれない。「5感」は視覚(seeing)、聴覚(hering)、味覚(tasting)、嗅覚(smelling)、触覚(touching)の5つの感覚。
「5感」の味覚(tasting)、嗅覚(smelling)、触覚(touching)は生まれつき持っている。しかし、日本人以外は両親の教育により、「退化degenerate」させている。それは「ススルslurping能力」である。ラーメンをススれる国民は日本人だけである。欧米人でも一端退化させたslurpingを復帰させている「職業profession」がある。それは「ソムリエsommelier」と「tea taister」である。日本人である証にslurpingの訓練を怠ってはいけない。そして、日本人以外の外国人を「和そば屋」に連れて行き、「ソーメン」をすすって食べる所を見せよう。私はそうしてる。slurpingは「口腔cavity of mouth」と「唇lip」の「性感帯」を触覚(touching)で「脳内麻薬」を出しているのである。外国人にダマされて、slurpingをやめてはダメである。最高の食事マナーである。
 「紙・教科書」はせいぜい机の前の本棚に収納できますが、「digital教科書」と「今後の自分資料」はドンドン増えていくと思います。20feetcontainerに収納しなければならない本が「USB-2テラ-HF(文庫本の大きさ)」に収納できます。
 私みたいに「暗記力」のない者には「Explorer」で分類された「自分資料」のcontainerを背負って歩いているような状態です。現在の教育現場では「digital教科書」を使いこなせない先生が多いです。生徒に「digital教科書」を与えないのは犯罪だと思います。子供が自分の知識をどんどん「寄せ集めして、知財(知的財産)金庫」の構築を禁止しているのです。現在1万円ほどのHDは教室に天井まで一杯に詰め込んだ「紙・媒体の資料」を「文庫本1冊の大きさの程度」のHDに収納できることが理解できないのでしょうか。私は3年前に1000冊程度の「蔵書」を「自炊(断裁・scanner)」しました。1TB(テラバイト= 1,000GB(ギガバイト)もありませんでした。せいぜい300GBでした。「digital教科書」を禁止する新井教授はそのダメージを理解しているのか。「金庫泥棒」です。
 もう一つ、「analog」より「digital」が優れている点がある。材料代が「ほぼzero」などである。私が子供の時、買ってもらった「子供camera」は「白黒12枚撮り」であった。となると撮影対象が限られ、shutter chanceも限られる。しかし、digitalなら「無限」である。「撮り直しも効く」また、shutter chanceを待たなくても「動画」で「監視camera」にすれば「時間」の節約になる。「日記」は一番学習の「好材料」である。正月に「日記帳」を買っても「3日坊主」である。しかし、「digital」なら大量の「line」dataを1ヶ月後に「整理」できる。その整理も「日記整理program」が可能である。GPSがsetされ、restaurantでの支払いで何を食べたか、smart watchで健康状態などが自動的に収集され、本人が忘れたことでも「自動的」に記録・整理してくれる。「生まれて死ぬまでの記録・編集」も現在てば可能である。価値がないかもしれないが。ただ、そのAI診断で「こうすれば成績・生活・運が向上する」というアドバイスをもらえば「偉人」にもなれる。
 女性が妊娠すれば「母子手帳」はPCで提供。出産すれば2テラUSB-HDと「MIDIkeyboard」を提供。保育園に入学すれば「digital教材」を「小学6年生まで」提供。それ以前は、「ドレミの歌(第1言語)」「あいうえおの歌(第2言語)」「ABCの歌(第3言語)」「数字の歌」「九九の歌(これは意味を理解しなくてもrhythmで覚えるだけである)」「英語の唱歌」を入れる。しかし、考えてみれば「紙・検定教科書」それをコピペした「digital検定教科書」程つまらなくて、役に立たない教材はない。「digital検定教科書」は「digital」という資格もないので「一発消去」で「塾教材」を入れた方が良い。「民間free教材」を認めれば「教科書代」を「通信費」に回せる。新井紀子教授のように「紙・教科書」がdigital教科書より良いという人間は、子供たちに「知財金庫」を奪う泥棒である。
 atama plusのdigital教材は生徒が「書き込み」できれば「note」になる。「page」が乱れるので、linkで飛ばすか、「子page」で挿入するしかない。
 
「美術+算数」の「四則演算の合併授業」が可能である。それは「偽札作り作戦」である。生徒に大型projectorに映った1万円札を鉛筆で写生させる。「美術」の課題である。千円札は10枚、500円硬貨・100円硬貨・50円硬貨・1円硬貨はstampで転写して20枚作る。現在の算数の四則演算はどのように教えているか知らないが、「りんごの数」とかは余り意味がない。一番重要な四則演算は「貨幣計算」である。「桁上がり」「金利計算の掛け算」などあらゆる生活に密着している現実的にmasterしなければならないskillである。特に「抽象概念」として価値観理解として最適の教材である。貨幣は「信用」というものが具体的に印刷されたものである。「信用」がなければ単なる「紙屑」である。最近の高校の教科では「株式」まで勉強するようになっている。偽札の発行元は日本銀行でなく、生徒の名前になる。copy機は使用禁止である。教育者の中には「偽札作り作戦」に反対する人もいるだろう。「小切手」「digital貨幣」も「偽札」になる可能性が多い。発行者が政府でなく、個人だからである。いろいろなskillを勉強しなければならないのである。反対する人は金銭的にサギに合いダマされても仕方ない。

[23] Afghanistan女児1000人/年・看護師養成project

 日本に毎年1000人の10-15才のAfghanistan女児を呼び、「看護師・研修生」とすれば良い。日本のAfghanistan援助は他国と違っても良いはずだ。中村哲医師の方法が良い。
12年間、日本に滞在させ、6年間で「日本語+英語+看護師資格取得」、6年間の「お礼奉公」の病院勤務。優秀であれば「医学部」に入れればよい。「援助」でなく、「business partnerとして対等関係」でAfghanistan政府と契約を結べばよい。男児はterroristになるので呼ばない。アルカーイダNo.2のアイマン・ザワヒリまた、Cuba革命のNo.2のエルネスト・ゲバラはともに医者であった。医者はterroristになりやすい。日本赤軍の永田洋子は薬剤師であった。「Afghanistan女子」にも「日本語+英語+Dari語」の「3文6行」の教科書を提供して、優秀な子であれば1-2年で来日する前に「実技」は別にして日本の看護師国家試験に合格できる。来日して、看護師として働きながら優秀な女子は2-3年で医師国家試験に合格できるだろう。学費は「自治医大」方式である。
これならtalibanも同意するだろう。日本語教育はtabletを2000台送り、taliban命令で学校に行けない女児に「自宅」で2年間で自習して、優秀な女児を選抜して呼んでも良い。Afghanistan言語「Dari語」に「3文6行(日本語ルビと英語ルビ)」にすればよい。「Dari語」は「右から左へ・横書き」方式らしい。江戸期の鴨居に飾る書は「書道額(書額)」に入れたものでやはり「右から左へ・横書き」と同じである。明治・大正期の広告のキャッチcopyは「右から左」であった。「3文6行」にしても楽に読めるだろう。「Dari語」も左から右書きに変わるかもしれない。
 NHKの「おしん」の動画も入れておく。薪の代わりに背中に赤子を背負い、tabletで勉強している「二宮金次郎」である。昔と違い、日本にいても両親とは毎日lineで連絡とれる。12年間帰る必要はない。日本での12年間を終え、Afghanistanに帰り、「良き母」となり、Afghanistanの医療と近代化に貢献できる。これは中村哲医師が夢見たことであろう。
 このことから日本人看護師も職場でも英語が話せるようにならなければならない。最新医学は「医療英語」ばかりである。無理やり日本語に造語しなくても「英語病名」を導入すべきである。医師の方はドンドン「英語化」しているので「看護学校の教科書」も「2文4行」にすべきである。Afghanistan女性に負けないようにしなければならない。

[24] 私は1982年にMOOCより先に「東大授業のVTR化」を提案していた。
 

「東大をVTR化せよ-ビデオプレイ誌1982-12号」で提案していた。東大の授業をVTRに取り、それを最寄りのセンターで閲覧可能にするという、当時では「奇抜」で誰も考えないideaであった。一応、有料である。東大生でなくても金さえ払えば授業を受けられるように提案したのである。当時はinternetのない時代である。運営方法はMOOCのように「終了認定」もあった。
 現在、世界の有名大学の授業はMOOCで「無料」で履修可能になった。東大だけでなく、米国のIvy League, UCLA, 英国ケンブリッジ大などである。しかし、残念なことに日本の大学生は「英語力」がないので理解できない。たとえ東大生でも理解できない。TOEFL-1万語を理解していないのでダメである。米国の小学・中学生が理解している科学英語用語をmasterしていないのである。Philippines, Singapore, India、香港の大学生はスラスラ読めるのである。

 東大はMOOCで授業を無料公開している。東大が利益をあげるために、「法学部・通信学部」をつくればよいと思う。5000名増員。現在は定員枠のため「相対評価」で合格(campus組)を決めている。自動車免許・医師免許と同じく「絶対評価」すべきである。定期試験は全国の自動車試験場を借りて「東大・法学部campus組」と一緒に受けさせ、「campus組」の平均点を上回れば、「東大法学部卒 」の卒業証を出す。学生は「東大法学部卒」という「brand」が欲しいのである。金をとっても良い。ボロ儲けした授業料は理科系研究費に回す。そして、東大を世界35位からtop10圏にいれる。Nobel賞も狙う。通信学部生は卒業式以外は登校禁止。

 将来、MOOCであらゆる学科の修了証を受ければ、一部上場会社の入社試験にtop合格可能と思います。あらゆる学科とは「数学部」「経済学部」「法学部」「工学部」「理学部」などです。ここまで来ればあなたは「学習・麻薬中毒患者」になっています。「liberal arts」の第一人者になれるでしょう。どこかの大学臨時講師も可能でしょう。
「liberal arts」は「全般的」ですから、その中から自分の能力を発揮できる「専門分野」を残りの人生に掛けることが可能です。
 あなたが先鞭をつければ、後に続く者がでてくると思います。そうなれば既存の大学はmarmot(guinea pig)、show windowにしかすぎません。すなわち将来、東大卒より、MOOCで東大、Harvard, MITの多くの学科を終了した者が価値を持つようになる。

 最近調査したところ、私は「慶応大学通信学部」が「穴場」であると思う。卒業できる単位・成績を取得すれば「通学部」と「差別・区別なく」、同等の「学士資格」がもらえるのである。「文学部・経済学部・法学部」がある。卒業しても「通信学部卒業」と言わずに「慶応義塾大学・法学部・卒」と言っても「学歴詐称」にならない。岸田首相の「バカ息子」の岸田翔太郎と同窓になれるのである。金さえあれば、慶大通信部と同時に、本当に自分の勉強したい学問で、自分の能力でしか合格できないボロ大学または専門学校に「同時入学」して、そちらに通学して、4年後に同時卒業すれば良い。「学歴」には「慶応大学卒業」の方を出せば良い。そして、通信学部のtext、ボロ大学・専門学校のtextを「2文4行・AI化」すれば、「通学部」の生徒に販売できるし、成績も「通学部」の生徒より上がる可能性がある。また、大学卒業すると「英語力」はColombia大学院に「裏口入学」した小泉進次郎より「英語力」は上になり、「英語学校」に行かされることもない。もっとも総理の息子でなければ「裏口入学」させてもらえない。「慶応大学卒業」で「英語力」があれば米国の大学院に入学しても授業についていける。私個人としてはcomputer scienceの専門学校はこれから「穴場」であると思う。liberalArtsであり、社会人になっても360度の方面に進出できる能力を持てる。

[25] 新井紀子教授と藤原正彦氏はAI-atama plus算数の授業を受けるべき。

 新井・藤原両氏はともに数学者である。そして、新井教授は自身の考案したRSTtestで「最近の子供は読解力が落ちている」その原因は「digital教科書先進校の生徒が紙・教科書の生徒より学力が劣る」という全国testの結果ともしている。「digital教科書を廃止して紙・教科書に戻し、国語と算数の授業を増やして思考力を磨け」と提案している。この論理・結論の間違いはdigital教科書を「検定・紙・教科書」の内容をコピペした「詐欺・digital教科書」と比較し、他の素晴らしい「塾・digitalAI教材」との比較なしに、文字通り「二者択一」で決めつけている点である。非論理的である。こんな実験をする教授に国税を使わせるべきでない。この両者は幕末の「新選組」と同じである。
「タチが悪い」のは、この両者はが海外留学をしていて国際感覚に優れている知見を持っているはずである。特に新井教授はcomputerの権威「東ロボくんの母」にかからずICT機器より「紙と鉛筆」にこだわるのである。犯罪行為である。
 新井教授と藤原氏は「最先端DX教育のAI塾教材」と「紙・教科書」と比較検証して「digital教科書を廃止して紙・教科書に戻し、国語と算数の授業を増やして思考力を磨け」という結論の前に、AI・atama plus算数の授業を受ける必要があるのではないか。AI・atama plus、は塾講師の指導を補助する教材である。AI・atama plus算数教材と「紙・教科書・算数」とを比較すべきである。
 また、私は学習指導要領の「改善作業協力者」に、Morley Robertsonを入れて、日米同時現役合格者の実体験者の意見を聞くことが重要であると思う。もっとも彼は高校時代、素行不良で退学処分を受けている。そのおかげで東大理一+Ivy League5大学+UCLAに現役・同時・合格できたのである。
 新井教授と藤原氏はともに数学者で教育に関する最大の誤解は「最先端の技術」を理解するには「原理・基礎」を「紙と鉛筆」で描いて「思想」を理解してから次のステップに「順序良く手順」を踏むべきというこだわりがある。それらは一部の学者がやれば良いので、子供たちは「最先端の技術」を学び、「原理」を知らなくても「応用」ができれば良いのである。その後、「原理」を振り返ればその理解を深くできる。私の経験でも「鶴亀算」は理解できなかったが、「方程式」を理解したことにより、「鶴亀算」の「意味」を理解できた。また藤原氏は英語教育排斥に将来は最先端の「翻訳機」ができるから、英語を学ぶなという根拠に「最先端技術」を使用すれば良いという卑怯な論理展開している。そして、算数は「紙・鉛筆」を使えと言うのである。
 例えば私がCAD/CAMを勉強した時の1965年代は現在のPCより性能が劣る大型computerしかなかった。民間で誰でも使用できない時代であった。現在のsuper computerを利用する環境と似ている。私も富士通のFortranのtextだけでcomputerを見せてもらえなかった。結局CADに行く前にFortran学習を途中であきらめた。後年、PCが出現してC-Basicを独学して、CAD/CAMを作った。
 当時の産業界の図学の主力道具は「武藤工業のドラフター+コンパス+デバイダー+定規+計算尺+三角関数表+鉛筆」が最先端の「筆記具」であった。学校では「製図版+T定規+計算尺+三角関数表+烏口」が教えられていた。工業高校に「 武藤工業のドラフター」が行き渡るのはもっと後であった。現在の「GIGA計画」と同じ雰囲気である。 価格も似ている。「計算尺」は生徒の個人負担であった。「三角関数表 」は数学教科書の巻末にでていた。先進の学校には「タイガー計算機」があった。シャープの「真空管式電卓」は私が就職した1968年に事務所の経理に1台あった。私の初任給が24,000円で、電卓は10倍であった。新入社員は全製品の原価計算票の見直しが最初の仕事であった。私はソロバンの掛け算ができなかったので、昼間の経理が終わった後に「電卓」が使用できた。残業代が100時間で基本給の2倍になつた。2時間連続して利用すると「真空管」の熱で計算結果が「暴走」するのである。10分休憩で冷却する。個人用電卓は1972年の世界初の「カシオ・ミニ」である。6桁で12,800円であった。現在価格では10万円くらいの感覚である。図学に使用できる「関数電卓」の最初は1968年の HPの 9100Aである。値段は不明だが、現在の金では100万円以上だろう。私が日本で初めて1974年にNECにCNC-CO2レーザーカッターを3000万円で作らせた時にはCAD/CAMsoftwareの安価なものは無かった。ミニコンで1500万円以上した。仕方なく当時の最新の150万円のCANONの3000ステップのstored-memory型「関数電卓」を買って、自分で幾何の教科書を見ながら製作した。紙テープが出て「抜型製作」としては当時では世界最先端であった。我々が真似た米国では大卒のengineerが「三角関数表」で「パートprogram」を書いた物をタイピストが「鑽孔テープ」を打っていた。1ケ所でも間違えば材料を無駄にする。我々は中学出の製図職人と糸鋸職人がレーザーて製作できるようにした。1977年 に世界発のPCSORD-M220が出たのでそれに乗せ換えた。客との間は300ボーレートのモデム通信であった。世界最初の「PC間通信」であった。internetのない時代である。
 現在ではPCで3次元CADsoftwareが安価に利用できる。それでも2000年代には2-300万円したものである。日本の工業高校では2次元CADで卒業させられた。3次元CADは中国と日本で同時期に利用できた。日本では中小企業の優秀な大卒の息子が大金を払い導入していた。しかし、使わずにお蔵入りする場合が多い。一方、中国はblue-collarが海賊版で親方に時給を上げてもらうために夜学で覚え、簡単にmasterしてmachining centerを操作している。彼らは2次元CADなどは学校で勉強せずに、いきなり3次元CADから勉強して、簡単にmachining centerでsample作っているのである。中国は簡単に日本の技術を「カエル飛び=世代飛び」しているのである。リープフロッグ型発展/Leapfroggingなのである。小学生には「紙と鉛筆」でなく、word, excel, CAD、Illustrator, Potshot, 3D-printer、漫画・animation作図CAD、blind touchをいきなり教えなければ世界から置いていかれる。
 筆記具の進歩に追従することは大事である。紙が「陶板⇒竹簡・板札⇒紙⇒tablet」、penが「矢じり⇒毛筆⇒pen⇒鉛筆⇒mouse・keyboard」と進歩したように「最先端の筆記具」に国民が追従できなければならない。為政者は人民の政権批判を防ぐために、時には最先端の「筆記具」を使用禁止にする場合がある。
 家康は秀吉が「朝鮮金属活字」を略奪し、天皇に謙譲した例に習い、「駿河版銅製活字」を作らせた。それで中国の「群書治要」を復刻した。しかし、それは西洋のグーテンベルグのように「宗教革命」を起こすようなものでなく、幕府の権威付けにしかならなかった。漢字活字だけでなく、「ひらがな・カタカナ活字」を作り、民衆に解放していれば日本の近代化に貢献しただろう。しょせん、幕府管製なので民間には普及しなかった。民間は江戸中期に「木版掘り」の「草双紙」を出版した。しかし、しばしば幕府の取り締まりの対象になった。活字のmass productionは明治期になってからである。
 現在、新井教授は日本の産業進歩を遅らすために子供にtabletを禁止して「紙・鉛筆」に限定させようとしている。そしてそれが最大の犯罪行為は子供から「知財金庫」を奪おうとしていることである。
 最近の「5G紛争」を見れば誰でも理解できる。ICT教育、DX教育などは「原理」より先に「応用」を覚えて成果を上げてから、必要であれば「原理」に遡って勉強すればよいのである。日本はdrone技術では中国に完全に遅れている。東京Olympicsで1824機のdroneを飛ばしたが、softwareは米INTEL製である。北京Olympicsは520機であったが、2021年3月「上海の夜空を埋めたのは3,281機」である。日本にはその技術はない。そして、軍事droneが2020年に勃発したAzerbaidzhanとArmeniaめぐる軍事衝突でTurkeyの無人攻撃droneがArmeniaの戦車を破壊した。5000機の軍事droneが東京を同時・多発で襲うことを考えれば身震いがする。こんな時代に紙と鉛筆で対抗するのか。太平洋戦争の時、B29爆撃に竹やりで立ち向かわせようとした軍部
に似ている。私は当時zero歳で池田市に疎開していて助かった。大阪市内をnapalm弾(焼夷弾)襲っていたのを母親の背中で眺めていた。後に母親が花火のように綺麗だったと教えてくれた。
 子供たちがcomputergameの戦争gameを楽しむのを禁止するのも良いが「依存症」にならない程度に許すべきである。そうでないと現実の戦争が起きれば右往左往するだけである。
 現在、「GIGAschool構想」で全生徒にPCが配られた。しかし、現場の教師はこの最大のchanceのcorona禍でも「一斉・対面・板書」にこだわり、「泥縄」で自分の授業を撮り、在宅の生徒とon-line授業というバカなことをしている。ICT教育は学校閉鎖が最大のchanceであった。AI-
atama-plusを採用して、教師は生徒100人を塾の講師に頼んで、有給休暇を取り、暴落した観光旅行の「GoTotravel」のcouponで国内旅行をすればよい。corona禍での上客は公務員の教師ぐらいしかいない。文科省も国土交通省と談合して教師に「GoTotravel」を命令すべきである。名目は「修学旅行視察」とすれば国費を使える。民間は「GoTotravel」を会社が許してくれない。休暇を終えて、学校が再開して、生徒が登校してきても、授業はAI-atama-plusにとって代わっており、生徒1人ひとりの「進捗度」に合わせた最高の授業になっている。教師はそのまま引き継いでもすることがないので、教室の隅で居眠りをしていても良い。再就職先をcomputerで探す訓練をすれば良い。
 OECD最低のICT教育の日本の最大の障壁は「公的学校」の「教師」「教育委員会」「文科省官僚」である。これは明治維新の武士と同じである。旧態にこだわり、政権のhardwareが革命で変わったにかかわらず、それに対応した新しいsoftware(科学)を拒否し、藩校の教育(朱子学、漢文、攘夷)に固執しているのである。あと50年すれば彼らの「ゆで蛙」のバカさ加減が未来の教科書に載るだろう。
 terrorist攘夷派・伊藤博文が1863年1月31日に英公使館を焼き討ちをした。幕府を困らすためである。渋沢栄一が真似しようとした。その後、同年にチャツカリ、英国に「闇留学」した。私の妄想では、この「焼き討ち事件」は高杉晋作ら長州五傑(井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、野村弥吉)と英国側との「共同謀議」でないかと思う。公使館は完成していたが、まだ英国側は入居していなく、幕府の資産であり、燃えても英国側に実害は無かった。英国側も幕府に貸しを作れる。それでなければ「長州fives」の実行犯の英国留学を認める訳がない。一種の「亡命」みたいなものではないだろうか。単に英国が知らなかったという程、英国はお人好しではないのではなかろうか。西欧の事情を知るとチャツカリ、180度考え方を代えて攘夷を捨てて攘夷の対象のEuropeに留学・遊学する才覚がないとダメなのである。そして、今度は倒幕になるという精神を持たなければ激動を生き残れない。転向できなかった武士は西南戦争に参加して殺されなければならないのである。今から考えたら明治維新時代の武士の行動は「喜劇」みたいなものである。「四民平等+廃刀令+断髪令」を出しても抵抗する元武士がいたのである。しかし、現在でも、どんな時代でも「時代の趨勢」に逆らう人間はいるものと理解するべきである。「歴史の教訓」に学ばないのである。幕末の会津藩の悲劇を見れば「分かっているけど、止められない」のである。脳細胞ROMに「バカの壁」が刷り込まれているのである。最先端の「塾教材ICT教育」情報は「バカの壁」の教師にも「素晴らしい」という証明は十分与えられているのであるが、反対・無視行動をするのである。公的学校の教師は塾の講師になり、自分が受け持っていた生徒を相手にそのまま引き継ぐか、転職するかの「二者選択」をさせれば良い。そのまま「私塾教育」を「公的学校」で引き継ぐのは「利権利用・天下り」と考えるべきである。文科省は「武士・廃業」対策として認めるべきである。それでもZOOM100人教師になれば2/3の教師は不要である。
 現在の文科省に掛けているICT教育の誤解。それはICT教育は「方法論How」だけだと誤解している点である。「知財」としての宝の山であることを理解していない。したがって検定教科書を決める基準は教育現場丸投げである。そこで、「わいろ教科書」が発生するのである。教科書会社での差はそんなにない。しかし、いったん決まると、検定教科書が生徒を育てるだけでなく、生徒が検定教科書を育てて「知財」として「価値」を高めていくのである。digital教科書に「書き込み」のついたものが後輩にゆずことができ、後輩がそれをより大きく育てていく「知財」になることを文科官僚は知らない。配られた、検定教科書はその生徒が卒業するとゴミ箱にいれるようにしているのである。「2文4行」、hyperlinkが加わった「知財」になれば捨てられない。ICT教科書」に「stock/財産」の概念を仕込むべきである。福沢諭吉が大阪・適塾の塾頭の座を捨てて江戸に出たのは「英蘭辞典」で勉強したかったからである。textは「知財」なのである。

[26]「一般意味論」の学習。「科学思考」。生成AIを評価する。

 中学生ぐらいになると、学習で「議論」「debate」などが要求されて来るようになる。今回の「学習指導要領」の改正の重要店である。「自己主張」するためにも必要な技術である。しかし、自分の主張が「真」であるためには、自分の主張する「命題」が「真」でなければならない。それは「コトバ」で表現される。「論理的」「科学的」であれば相手を説得することができる。それに必要なのが「一般意味論」である。しかし、現在でもこの私の主張の「一般意味論」はmajorsではない。しかし、私は100%の「真理」であると思っている。とりあえず、「一般意味論」を体験してもらいたい。せいぜい、1-2時間の授業で理解できる。それで、くだらないと思えば、消去してもらいたい。
 中学生になると、人生などについて考えるようになる。哲学的になる。この時期に「一般意味論」の学習が必要なのは、生徒が「家族・家庭」からの「独立志向」を持つようになる。外部組織とのつながりがを思考するようになる。現在社会は従来の価値観と異なる「基準」で多様性を持っている。この時期に「悪い思想」例えば「cult集団」からの「誘い」に簡単に乗ってしまう。それは「知的好奇心」「独立思考」に拍車がかかるからである。一旦「バカの壁」ができてしまうと、一生破滅になる。脳細胞の記憶はcomputerと同様にRAM(Random Access Memory)とROM(Read only Memory)がある。決まり切った作業はROMにsubroutineとして記憶され、歩行運動などはいちいち考えなくても、自動的にROMのsubroutineが働く。常に同じ反応を示す。その部分に異常行動が書き込まれたsub routineが「バカの壁」といわれる。修正不能である。RAMは反応は遅いが書き換えることが可能である。人間の思考は進歩するので、RAMの記憶回路に何が放り込まれるかが重要である。狂気の思想がROMに書き込まれたら修正不能である。頭脳の良し悪しに関係ない。オーム真理教の高学歴信者の脳細胞には養老孟子がいうように「バカの壁」が築かれているのである。
「悪い方向」に誘導されるのを防ぐためには「科学的な思想skill」で武装しておく必要がある。「一般意味論」が「科学的思考skill」ということに異論は多いだろう。ただ、それでも「知っていて損はない」という程度の価値観で考えてもらえばよい。その最大の特徴はこの価値観に立てば、「宗教」ideologyなどの「人間行動の毒・害」をこうむらないことである。「一般意味論」の信者になっても「無害」である。せいぜい、「無神論者」になる程度である。
 私が大学時代に「思考と行動における言語 (1965年) (岩波現代叢書)S.I.ハヤカワ著」を読んだ時に、「ストーン」とMarxistの偽善が理解できたのである。当時は東大を始め一流大学は「Marxistでない者は低能児」という雰囲気であった。私は「Marxismは『科学』でなく、単なる『宗教』に過ぎない」と「一般意味論」で納得できた。また、「論理学」の主流は「数理・記号・論理学」であり、「科学的・論理的に考える」ということに悩んでいた時であった。私は遅くとも中学までに「一般意味論」を教えないと、「バカの壁」が構築される秀才が誕生する。
 「一般意味論」こそが「二者択一思考」「絶対真」「絶対神」などに影響されない「自由」「科学的思考」「論理的思考」「法理」「科学論文記述」「創作・発明・発見」のskillを持てるようになれると思います。しかし、現在でも「一般意味論」は主流ではありません。学習時間は2-3時間で十分である。「一般意味論」は小学生でも理解できる「真理」追求方法です。「国語」「英語」「道徳」「歴史」「哲学」「社会」「時事問題」「数学」のいずれかの科目の中でも教えらる。

「一般意味論」はいろいろ解釈されますが、2つの基本ruleがあります。

 1つ目は「地図は現地ではない」。「現地」を表現した「地図・文章(命題)」は「真実」とは限らない。その証明は「実験」などで「命題外」で帰納的に「証明」しなければならない。
1つ目の「地図」という本来、信頼しなければならない「基準・標準」でも、「現地」と異なる場合がある。「自分で確かめなさい」ということです。「『神』の存在」は自分で確かめなさいということです。「『神』というコトバは『現地』ではない」ということです。 「地図」にあった「現地」が変化する場合もあります。「地図」が間違っている場合もあります。
 2つ目は「言葉には抽象・階段/ハシゴがある」ということです。
2つ目は「言葉の定義、特に抽象的な言葉には「抽象の度合い(階段/ハシゴ)がある」ということです。そして、「論理思考の方法は『下位概念』から『上位概念』を導くことはできる(帰納)」ということです。例えば「日本人」は「東京人」「大阪人」の「上位概念」です。したがって「論理思考(真)」として、「『下位概念』の『東京人』は『上位概念」の『日本人』である」ということです。「論理思考(偽)」の「命題」は「『上位概念』の『日本人』は『下位概念』の『東京人』である」となります。言い換えると、「東京人は日本人に含まれる」ということが「真」です。
「神」の言葉の「聖書」は正しい。「神」は存在しないし、「聖書」の「上位概念」の「神」から「演繹」での「論理」は「逆」で「偽」です。
「神は正しい」故に「神の言葉を伝承したChristは正しい」故に「その教えを信じるChrist教とは正しい」故に「Christの言葉(聖書)」を信じない日本人は「異端/悪人/Satan」である。故に「神の言葉を信じるChrist教徒は異端の日本人を滅ぼしても良い」ということになります。これは「演繹・論理的」に正しいです。「コトバが大虐殺を起こすのです。」Christ教徒の所に「Hitler、毛沢東、Putin」を入れれば理解しやすいです。
 
「3段論法」は「偽」です。
A=B, B=C ゆえにA=C ということはあり得ません。「偽」です。
3=3, 3=3 ゆえに 3=3は「真」です。
100>50 50>30ゆえに100>30ということは「絶対・真」です。 100=「日本人」、50=「東京人」、30=「東京在住のあなた」
を当てはめれば、「日本人」>「あなた」が「真」ということが理解できると思います。
 よく、「論理的であるかどうか」でdebateの相手を非難します。しかし、どんなに「論理的」でも、その主張には「『真』か『偽』がある」ことが分かると思います。宗教、ideologyは「教義」から「論理的」に「演繹的に」説明します。ところが、「偽」があることがあります。実験すればわかります。しかし、それを認めないことが多いです。「バカの壁」が既に構築されているからです。また、「神」というコトバは存在しますが、「神」そのものを見た人間は有史以来いません。「幻覚」ではあると思います。「肉体は滅びますが、コトバは永遠に残る可能性があります」「Christ、釈迦、Mohamed、Marx」の肉体は滅びましたが、彼らの「コトバ」は残り「バカの壁」を持った人には「永久不滅」です。

 「一般意味論」はまた、「創作・発明・発見」の方法でもある。上で説明した「ips細胞」という「コトバの上位概念」の下に膨大なの「コトバの下位概念」の「コトバの系統樹」があります。その中の「未発見の組み合わせ」の中から発見することが「発明・発見」です。「系統樹」を逆さにした形です。上に来た「根本」が「上位概念」で「枝」が「下位概念」のNetworkです。「系統樹・patent・mapping」です。「新発見new matter」は必ず「系統樹」の中の特定の位置にあります。それが「特許請求の範囲claims」です。発明は「結果」です。したがって、「発明・発見」の方法は「系統樹・patent・mapping」の「未発見場所」を求めての作業になります。「検索」により関連「公知prior art」を探し、「系統樹・patent・mapping」に当てはめ、「消して行き」残りの場所から目的の「新発見new matter」を探しだすのです。
 いわゆる理科系の学問・科学はそれが正しいか間違いかは、その「論理記述・命題」自身にはありません。「実験などの外からの検証が必要です」。「真の論理思考」は言い換えると「科学的思考」でなければならないということです。理科系の検証は簡単です。実験ができるからです。「科学」は「疑うこと」「証拠を確定すること」「実験をすること」「論理思考をして、仮説・法則を確立すること」「再現性で確認すること」です。科学にとって、特に「社会科学」にとってもう一つ大事なことがあります。それは実験が困難だからです。「コトバ」だけの検証になりやすいからです。 「疑うこと」には自分自身の仮説を疑うことも含みます。謙虚になれということです。
 ソ連は「宗教」を否定した「Marx・Lenin」が唱えた「科学的・社会主義」でした。しかし、彼らも宗教と同じでした。「ソ連崩壊」は「歴史的事実」です。「69年間の共産主義・実験」の失敗と「粛清など100万人近い処刑の犠牲」の結果、「虚偽」であることが証明されたと言えませんか。戦争を含めれば数千万人の犠牲です。これは現在の中国共産党にも該当することです。「共産党には間違いはない」という前提があるからです。「無謬性」です。「大躍進」「文化大革命」では敵でなく同胞を数千万人を殺害しても「間違い」はないのです。Christ教も多くの人を殺害しました。「間違いはない」のです。反省すると「自己否定」になるのでしません。「科学」は「 無謬性」は認めないのです。「人間のやることに誤りはある」とするのです。
 Marxが「宗教はアヘン」と言ったことにより、ソ連は「宗教」を禁止して、「共産主義」を推し進めて失敗しました。しかし、その「共産主義」も「宗教」と考えれば「ストーン」と理解できないでしょうか。ただ、「善悪」という概念を一端外して、「共産主義」を考えると、その「作用・効果・成果・影響」は原爆級の「想像・創造・破壊・再生」を人類に起こしました。これは過去の宗教にも該当します。Christ教も多くの敵勢力・同胞を殺しました。これを「地球上の人類」より「上位概念」の「地球上の生物」という観点から考えてみればどうでしょうか。最近、流行のSDGsです。これもまた「17の主義・主張」です。宗教運動でしょうか。ただ、「十戒」「十七条の憲法」のように「教祖」はいません。私は17個もあるので、まだ全部を理解していません。17個で足りるかどうか心配ですが、私の「全体的にボンヤリした理解/持続可能な開発目標」は「お前たち人類は地球が創造されたのち、有史以来、多くの生物(動物+植物)を殺し、絶滅に追いこんだ。「地球上の生物」の総意として、「人類」の「上位概念」の「生物」から「人類よ、いいかげんにせよ」と言っているような気がします。どうでしようか。「ストーン」と来ませんか。
 4個目に「質の高い教育をみんなに」とあります。私はこのテーマが現在、一番印象に残ります。特に日本人の「最低の英語能力」に「質の高い英語教育をみんなに、特に貧しい日本人に最優先に」だと思います。それは「2文4行」とICT教育だと思います。私の説明は「一般意味論的」ですが、いかがでしょうか。
 無謬性の原則と全体主義 「二者択一思考/正義か悪か」
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30783840R20C18A5EN2000/
ドイツ系ユダヤ人政治学者ハンナ・アーレントは名著「全体主義の起原」で「為政者の無謬性を求める人々の欲求が『無謬の為政者』すなわち独裁者をつくり出し、全体主義をもたらした」という趣旨の分析をしている。市場競争にさらされた孤独な人々は世間から見捨てられ忘れられたと感じ、心のよりどころとして何か確かなものを求める。だが、確かなもののない世界では、それは虚構のideologyの無謬性しかない。ideologyの無謬性の前提を一旦受け入れると、ideologyの論理に合わせて現実を作り替えることを拒否できなくなる。アーレントは「全体主義国家が行った大虐殺や粛清は、為政者の無謬性という前提から演えき的論理によって強制されたものだった」という。

 「宗教」は「神」を絶対視する「バカの壁」の産物です。Judaism教・Christ教・Islamは同じ「神」を信じています。言い方は「エホバ・ゴッド・アラー」と異なりますが、同じ神です。
しかし、信心の方法・解釈が異なると「殺し合い」になっています。本来、宗教は人間の安寧を求めるべきなのに残念です。「一般意味論」を「バカの壁」ができる前に知れば、あらゆる「思想・発明・発見」にも「科学的」に対応できると思います。
 「一般意味論」は「コトバの機能」を検証する実験運動です。そして、これも1つのideologyかもしれません。「pragmatism運動」の一つです。「人種のルツボ」の米国で発生した運動である。あなたは「神」を信じて殺し合いをする人間になりたいですか。それとも「人間の発声するコトバ」に過ぎないとして「無神論者」になり、「争い」を避ける人間になりたいですか。

一般意味論WIKI
一般意味論(いっぱんいみろん、General Semantics)は、アルフレッド・コージブスキー1879年1950年)により1919年から1933年までの間に構築された教育的規範である。一般意味論は、言語学意味論とは全く異なる。その名称は、コージブスキーが「意味反応」(Semantic Reactions)として研究していたものから来ている。意味反応とは、単に人間の作ったシンボル(言語)だけでなく、周囲の環境におけるあらゆる事象の意味に対する人体全体の反応を指す(訳注:たとえば、梅干を見て唾液が分泌されるような反応、すなわち条件反射も含む)。コージブスキーが人類の生存にとって最も有益であるとした意味反応のsystemを「一般意味論」と呼ぶ。
 新井教授の「東ロボ」は東大受験の「文章題」は難しくて合格点にならないが、私が卒業した関西学院は合格できるという失礼なことを言った。programが悪いだけである。
 将来、「自然言語処理」が進歩すれば「論理的判断」がcomputerでも可能になるだろう。しかし、その場合も一般意味論的に「コトバ」に「抽象度」を数値化したものを比較して、「論理性」を推定しなければならないだろう。
 「教育・学習・科学・勉強」などの言葉で重要なのは「何what」を扱うかも重要であるが、「いかに/方法how」の獲得も重要である。この「方法how」について「科学的」に考慮した場合、「新しいもん好き」が有利である。科学が発達すれば、「新世代科学技術」有効なのはいうまでもない。新井紀子教授のように「digital教科書」が「紙・教科書」より劣るというのはanachronismでしかない。いつの時代にも「旧主派」はいるものだ。それは「旧体制」が自分たちの「利益」になるからである。
 追加 2022-5-1
今回の「高等学校学習指導要領-国語」改定で「論理国語」で導入され、「debate、discussion」の必要性が述べられています。そうでないと「正論」が負けてしまうからです。
そこで「(2)情報の扱い方に関する事項」において、「主張のその前提や反証などの情報と情報の関係」、「情報の重要度や抽象度などによって階層化して整理する方法」17page。
 この部分が「一般意味論的手法」です。実際の教科書はどうなるか不明ですが。高校の「選択課目」では遅すぎる。中学国語の中で「必須」にすべきである。1時間で十分説明できる。

高校の選択科目「論理国語」での「論理教育」は遅すぎる。これは「科学的論理思考」を教えるのだろう。それでは子どもが物心付いた時から教えるべきである。私は幼児教育について詳しいことは分かりませんが、子供の「反抗期」は「自立・自己主張」の表現だと思います。彼らには「コトバにできない」「体力で反対できない」「経済自立できない」からの両親への感情表現だと思います。これを解決するにはevidenceに基づいた「第3者的合理的回答」が一番重要だと思います。それにはICT機器による「裁定」が親子が納得できる解決策だと思います。それにより子どもは「論理的思考」の訓練を受けられ、「正しい人格形成」になると思います。一番悪い教育は「理由・証拠」を示さず「ダメな物はダメ」という会津・日新館の「什の掟」です。今回の学習指導要領・改定で国語・英語に追加されたcommunication, speech、 discussion、 debateは小学生からでは遅い。家庭での「親子喧嘩」で十分訓練できる。その時、親が「ダメな物はダメ」と言えば、その子どもはterroristになれる。科学的(一般意味論的に)、論理的にevidenceを示してdebateすれば、その子どもはNobel賞をとれる。「Chat GPT」に仲裁役を頼める。

[27]発明・発見の方法は簡単
 「発明・発見」は「科学的手法・説明」でなければ認められない。「発明」をすれば「特許出願」をする。「発見」をすれば「nature誌」等の「学会誌」に投稿する。その「書式」は決まっている。それには「従来技術prior art」と異なる事を「実証」「説明」しなければならない。「新規性」が要求されるのである。「発明」は「効果」が必要であるが、「発見」は必ずしも必要ない。将来、「効果」が「発見」されれば良い。ここでもめるのが「私が最初に『発明・発見』した」という人間が必ず出てくる。「功名争い」である。政治の世界なら「嘘でも、力ある者」が勝者になれる。しかし、「発明・発見」は「記録」での「科学的考察」になる。弱者でも強者に勝てる世界である。いくら「発明・発見」していても、「出願・発表」して「記録」にしていなければ土俵にも上がれない。
 発明の「書式」には「特許請求の範囲」で自分「発明」の「範囲」を「文書」で記述する。ここで大事なのは「範囲」を大きくすると、すなわち「より抽象化/上位概念」にすると「従来技術prior art」と同じになり「新規性」がなくなるのである。そこで「従来技術prior art」に「公知」または「新規性」を「追加・入れ替え」し、それがこの世になければ「新規性」として認められる。これが「発明の方法」である。発明の論争は「知的財産高等裁判所」で決着してくれる。そこでの審理の方法は「含む・含まれない」の世界である。ここに「上位概念・下位概念」という「一般意味論的」にいう「言葉の抽象度のハシゴ」で「特許請求の範囲」を分析して「決着」するのである。「上位概念・下位概念」での決着の説明でよく利用されるのが「鉛筆」である。「鉛筆」という「公知技術」があり、それに「公知」の「消しゴム」を頭部に付ければ便利である。「消しゴム付き鉛筆」が存在していなければ「発明」になる。しかし、「鉛筆」そのものの「特許」で存続していれば「消しゴム付き鉛筆」はその「上位概念」の「鉛筆」の特許侵害になる。「鉛筆」の特許が満了した後には「消しゴム付き鉛筆」は侵害にならず「消しゴム付き鉛筆」の特許の権利主張ができる。
 「発明・発見」の方法は「未知の発見」である。特許明細書、学術論文は「その結果報告」である。この事から「その結果報告」を「逆行」すれば「発明・発見」に至るのである。しかし、いったん公表された特許明細書、学術論文を「コピペ」したのでは公知なので「発明・発見」にならない。そこで、その「手法」を真似すれば良いのである。「特許請求の範囲」の一部を「公知」「未知」のものと「追加・入れ替え」たものが「新規」であれば「発明」である。世界の一流企業・研究所は過去の特許、論文を調査して、それを改良したものを「発明・発見」として申請している。そうしないと、過去の文献を知らずに研究費を掛けて同じ発明・発見をしても研究費が無駄になる。過去の文献は「宝の山」なのである。私も黴臭い「旧・虎ノ門・万国資料館」で米国特許の死蔵の文献を探し出し、日本で実用化し、何億円の利益をもたらし社長賞をもらった。現在でもその技術を市場で見る。
 
[28]教育3カエル
教育の改革には「3つ変える」が必要であるようだ。「3つのカエル」である。すなわち
「井の中カエル」「ゆでカエル」「飛びカエル」である。
①「井の中カエル」
「井の中の蛙大海を知らず」ということわざは日本で生まれたものではなく、中国で生まれたものです。中国の思想家である荘子の「秋水篇」には「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」と書かれていて、これが由来です。わかりやすく説明すると「井戸の中にいる蛙はずっと狭い世界しか見たことがなく海を見たことがないため、視野が狭くありきたりの知識しかない」という意味です。

 これは現在の日本の教育界の現象を表したものです。井戸の外からは
a. 日本人の英語力はAsia29ヶ国中26位。「10年も英語を勉強して英語音痴と、日本人はバカだなあ」という声が「井戸の外」から聞こえてくる。別に英語を知らなくても、困ることはない。日本語には「カタカナ英語」という便利な機能があるから日本国内(井戸の中)で住むから心配ない。中国人見よ。彼らは英語を全部漢字に翻訳変換・造語している。福沢諭吉がこの方法を教えたのだ。「ccmputer」は「電脳」という素晴らしい漢字に翻訳した。すごいじゃないか。うまく漢字造語できなければ日本人が1300年前に発明した「万葉仮名」を真似して、近いPinyin-発音の漢字を「当て字」して当てはめているので問題ない。英語などは要らないのだ。中国には「Pinyin」という「北京語発音alphabet」がある。小学生、外国人が漢字を覚えるのに使用する言語外機能である。日本語の「ひらがな」の代用に相当する不便なものである。中国人は漢字が分からなければ表音文字の朝鮮人がhangeulを使用し、日本人が「ひらがな」を使用するように「Pinyin」を使用することは「恥ずかしい」ことなので意地でも使用しない。これは平安時代の官吏が漢文でなく、ひらがなで報告書を書くことは自分の知性を疑われる心境に似ている。万葉人官吏のように「ひらがな」より「当て字・漢字」が良いのである。日本の1300年時代にやっと追いついた。しかし、いずれ「漢字+Pinyin混じり文」にしないと日本の「カタカナ英語」が使えないので必ずpunctureする。
b. 日本人の教育におけるcomputer利用はOECDの最低38位である。韓国に比べて「1周遅れ」である。「GIGAschool構想」で生徒全員にPCが配られた。しかし、教師は利用方法を知らない。勇気を出して生徒の前で使い、失敗すると恥ずかしいので、生徒の困惑など知ったことかと「紙・教科書」の内容を黒板に書いていく。「教育の憲法」の「学習指導要領」が機能しなくて、井戸の水が腐っていて、「カエル教師」に井戸の外からPhilipino、Indian、香港人、Singaporeanに小便を掛けられても「蛙の面に小便」と気にしない。
②茹でガエルWIKI
(ゆでガエル、英語: Boiling frog)、茹でガエル現象(ゆでガエルげんしょう)、茹でガエルの法則(ゆでガエルのほうそく)とは、business環境の変化に対応する事の重要性、困難性を指摘するために用いられる警句のひとつ。「カエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水に入れて水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い最後には死んでしまう(茹でガエル)」という作り話が由来。
 太平洋戦争が終わった時、日本は敗戦であり、Asia諸国もIndiaを始め独立しだした。当時は日本同様に混乱の極みであった。日本もGHQに占領され、教育も戦前の教育は否定された。GHQは日本語の漢字は習得が難しいのでローマ字にしろと命令した。しかし、識字率testして、それが困難でないことを証明してローマ字化を免れた。その時「学習指導要領」が定められた。それ以来、少しの変更はあったがその精神は75年間変更ない。特に「英語教育の欠陥」は放置されたままである。その欠陥は小・中・高校の英語以外の科目「数学」「化学」「物理」「生物」「社会」「政治」「地理」「歴史」に「英単語用語」を使用禁止にしたことである。これは現在に至るも変更がない。日本は戦後復興をoccupied Japanからmade in Japanの貿易立国にした。apparel、製鉄、造船、transistor・radio、autobicycle、自動車、電卓、quartz時計、TV、memory、光fiber、neodymium磁石、液晶TV、lithium電池、携帯電話、新幹線、QR-code、お財布携帯、太陽電池、LED、有機EL、電子cameraなど世界一になった。米国の怒りを買い、現地生産、自主規制を迫られた。その後は大部分、中国、韓国、台湾に負けてしまっている現在である。しかし、国民の大半はそのことに気づいていないここ20年である。日本人の給料は20年間上がっていない。少しづつ、Asia諸国に追い抜かれたのである。「茹でガエル」状態である。教育も気が付けば英語力は日本を上回っている。日本にはGAFA、LINE社のような企業はなく、彼らの植民地状態である。GoogleのtopはIndianである。これは「英語力」の差である。もはや現状の日本をかっての世界一にする方法はあるか。それは「世代飛び/カエル飛び」である。
③「飛びカエル」「世代飛び」「Leapfrogging 型発展」
発展途上国が先進国を追い抜く方法である。電話は「有線」から「携帯電話」と発展した。携帯電話もガラケーからスマホにと発展した。日本は3Gまでの携帯電話は世界一であった。しかし、4Gでは米国、中国、韓国に並ばれ5Gでは置いて行かれた。現在ではスマホの利用方法ではKenyaのMasai族より遅れている。銀行口座のないMasaiは「スマホお財布」機能で送金料なしで自由に送金している。日本人より進んでいる。「Leapfrogging 型発展」現象である。日本では送金に規制があるため実行できない。Kenyaより遅れているのである。これと同じ現象は「教育」にも起きている。日本はAsiaでは英語力、ICT教育ではOECD最低である。これは「教育基本法」「学習指導要領」「文科省官僚」「教育委員会」が最低であるからである。そして、それに気づいていないのである。「ガラ携」ならず「ガラ教育」なのである。教育では「鎖国状態」である。
 世界一の英語力を付けるためには「学習指導要領」で決められた「検定教科書」を廃止して、「塾・予備校のAI教材・単位制教育方法」の採用で「カエル飛び」教育をする。その教材は私の提案する「2文4行」形式である。20年もすれば国連事務総長になる人間も出る。また、GAFAMのような会社を設立する人間もでてくるかもしれない。
 現在の英語教育に携わる者は幕末の藩校の思想「バカの壁・石頭」を持った「石カエル」である。庭の池の隅で池に飛び込まずに固まっている不動の石カエルである。
 世界に置いていかれる状態の「最大の抵抗勢力」は現在の文科行政と、生徒を人質にとった教育委員会などの現職教育組織のhierarchyである。自分たちの陳腐化したsystemにてしておかないと「既得権」が侵害されるからである。

[29] 塾の功罪。塾には「功」、公的教育には「罪」しかない。「教育革命」のterrorism。「PTAの乗っ取り計画」。習近平より鄧小平。
「孟母三遷Where」「温故知新When」「知彼知己、百戦不殆Who,How」「造反有理Why」

 教育をつかさどる文科省、その傘下の教育委員会、学校自体の欺瞞、無自覚、怠惰、保守は内部からの改革は不可能である。通産省が「黒船」で文科省に対抗して「未来の教室」を提案している。しょせん政権内の「内輪もめ」にしか過ぎない。私は以下の視点で「教育革命」を起こすべきであると思う。
a.  革命の主役は「terrorist」としての「最高の教育を望むすべての生徒who」しかない。「生徒目線」で「何をwhat」「どのようにhow」「世界一の教育達成why」「すぐにwhen」「日本のどこでもwhere」である。
b. 公的教育は「3カエル」なので無視。塾が主体になる。幕末の私塾と同じである。「時間・金」がもったいない。そのためにはまず「PTAの乗っ取り計画」である。合法・順法闘争である。現在のPTAは学校内に強力に食い込んでいるが、「法人格」はないボランティア団体である。そして、現在のPTAはなり手がなく、単に「人質・生徒」への学校の「上意下達団体」の「奴隷」になっている。学校に部屋を借りることもでき、学校の備品も利用できる。生徒はPTAの構成員ではない。PTAは「生徒目線」の政策は考えない。「奴隷」が学校に「反乱」を起こすべきである。「造反有利」である。このphraseは紅衛兵が主張した「文化大革命」である。PTAは「教育革命」の紅衛兵でなければならない。「逆転の発想」で教育委員会を指導する立場になれば良いのである。そうすれば文科省の石頭を柔軟にできる。日教組が生徒に寄り添い、国際的、創造的になれば共闘してもよいが無理だろう。まず、日の丸に頭を下げられるかである。現在の日教組は闘争目標がなくなり、なにをすべき迷っている。生徒に寄り添える「第2日教組」を作り、「自分たちの利益」でなく、「DX教育」「国際化教育」などを目標にすべきである。「第2日教組」は「inrernetでやるので組合費zero・専従は置かない」運営をする。cloudに組合活動のlogを残す。何か校長・教育委員会に問題があけば、それを改善させるためにstrikeを打つ。PTAと共闘する。
c. 最初の目標はPTAが学校に対して「検定教科書」の代わりに、「塾教材」を導入するように要求する。塾に行かなくても、放課後でなく、朝から塾の授業を生徒全員が受けられるようにする。そうなると塾に行かなくても塾の授業が受けられ、時間を省略できる。time performanceである。また、
塾に経済的に行けなかった貧乏人の子供も無償で受けられる。cost performanceである。塾と教室はZOOMで一応つないでおく。出席扱いである。
ここで、この闘争革命でバカと利口がいる。バカは習近平である。利口は鄧小平である。最近、習近平は全中国の塾を廃止させた。貧富の差の解消である。金持ちの子弟しか行けなかった塾を廃止して学習機会の「悪平等」を達成するため命令一発で「塾禁止」した。「共同富裕」政策である。「富める者」を削除して「平等」にしようとした。一方、鄧小平には「先富論」があった。   
  「先富論」WIKI
 我々の政策は、先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助けること、富裕層が貧困層を援助することを一つの義務にすることである。
 
 この両者を比較すると「富者」が「貧者」を救済する鄧小平の「先富論」が正しい。そのことを「塾」に当てはめれば、「塾」に行けない「貧しい生徒」に「塾教育」を与えるのが鄧小平。「塾教育」を切り捨てるのが習近平。日本(資本主義)でも中国(社会主義)でも「塾教育」が存在するということ自身が「塾教育」が「公的教育」より優れているということである。これは共産圏でも同じ経済原則である。したがって、鄧小平のように日本から技術導入して置き換えれば良いという実に簡単な事実である。「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」ということである。特に現在日本のように「劣った教育」が無理やり公的教育の生徒にお仕着せ、大金と無駄な二重教育をするヒマはないはずである。文科省官僚は習近平以上のバカ者である。

d. 当然、学校・教育委員会は「塾教育」の導入には「無視・反対」する。そこでPTAは過半数の同意を得て、「strike/登校拒否」して、生徒は学校に行かず、塾に朝から行くようにする。塾費用は教育委員会から出させるように要求する。塾も当然利益になるので協力する。文科大臣は習近平のように「塾禁止」は「職業選択の自由」の憲法違反になるのでできない。教育委員会・文科省はPTAを告訴できない。strikeを解除するためにはPTAの要求を受け入れなければならない。他に選択肢はない。導入に慣れるには、担任教師は塾講師から勉強しなければならない。教材は「2文4行」のdigital版である。
e. 全国のどこかの公立学校で「火の手」が上がれば、幕末の長州のterrorist・国賊が「官軍」になり、「革命」は全国に広がる。反対する教育委員会役員には「廃刀令」を出してクビにする。PTAと異なり、法的手続きでクビにできる。塾で勉強した時間は「出席日数」に充当させる。本来、革命は「敵対勢力」が行うものである。現在、日教組はなんの力もない。生徒目線を持てない政治団体である。日教組は「塾教材導入」という発想も持てない「日和見り」保守団体である。もちろんstrikeは打てるが生徒のためでなく、自身のためなので教育革命にならない。
 高校生であればPTAを無視して、生徒自身が「生徒会」の要求として「strike闘争」をできるだろう。校則も自分たちで決められる。学校が文句を言えば「strike」を打てばよい。1人でやったら退学になる。terroristとして干される。憲法に保証された「結社の自由」の勉強に最適である。組織化はgrouplineで1日でできる。その通信内容は「日本国憲法第21条第2項-検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」で保証されている。
 「terrorist」と言えば穏やかでない。しかし、それは小数派の過激運動である。戦後世代であれば「大学闘争」があった。「ベ平連(Vietnamに平和を!市民連合)」「全学連」などであった。最初は「授業料値上げ反対」などの穏やかなもので、「タテ看板」を立てるぐらいから、次第に授業boycott(strike)、大衆団交、果てはbarricadeによる建物占拠などが行われた。 次第にescalateして、学問に関係ない、政治問題「日米安保」などで学外に出て、demonstration、火炎びん、内ゲバ殺人(現在まで累計約100人)へと激しくなった。現在の「教育革命」は合法・順法でなければならない。Gandhiの「非暴力革命」である。strikeはPTA・生徒に認められた権利である。法律化されていないが、罰則もない。
 最近の大学生は軟弱で、闘争意識がない。辞任した田中英壽・日大理事長の大学私物化などは最高の闘争課題である。かって日大は大学闘争のpioneerでありheroであった。現在の日大は「デジャブ」ではないかと思われる程、当時と酷似している。私みたいな「ノンポリ」でも当時、秋田明大は我々世代、特に2流大学の学生にはheroであつた。現在の「idol」みたいに熱気があつた。そして、その日大闘争で大学側の飼い犬になり秋田明大に対立したのが「相撲部」の田中英壽であった。その彼が日大理事長になるという皮肉である。当時、日本の大半の大学生は田中英壽のような人物は「右翼」の評価にも値しない「ポン大」の象徴と見られていた。そして同じ理由で辞任した。
「日大紛争」「秋田明大」「田中英壽」wiki
 理工学部教授が裏口入学斡旋で受領した謝礼を脱税していたことに加え、1968年に莫大な使途不明金が明るみに出たことで、日大生の怒りが爆発したことに端を発する、大規模な大学紛争である。秋田明大(のちに日大理事長となる相撲部の田中英壽とも対峙)を長とする日大全共闘は、教職員組合や父兄会をも巻き込み、全学的な広がりをみせた 学内に警視庁機動隊が投入され、警察官1名が殉職したほか、双方に多くの負傷者を出した。同年9月には学生側が古田重二良会頭を筆頭とする大学当局に経理の全面公開や全理事の退陣を一時約束させたものの覆され、運動は退潮していった。開始時期の早さやbarricade・strikeの長期的維持、万単位の学生を動員して理事者との文字通りの「大衆団交」を実現したことなど、東大紛争と並んで全国の大学紛争に大きな影響を与えた。東大紛争と比べて要求項目が明確であり、当初は大学民主化の色彩が濃かった。
 「教育」は「情報」の「下位概念」である。したがって、「情報」で使用されているskillはどんどん「援用」すべきである。そして、「情報」は公開されれば「無料・無体財産」である。一旦、公開された情報は誰が使用しても良い。「発明・発見」は「無体財産」として保護されるべきである。しかし、その「科学情報(文字・図面・写真・動画=論文・特許明細書)」は「無料」である。それを商用利用するときに「実施権料」を払うだけである。学問には「実施権料」を払う必要はない。他に著作権(Copyright)も「無体財産権」がある。しかし、「科学情報」でないので、「趣味」として金を払えば良い。著作権改正で「金さえ払えば著作物を著作権者の許諾なしに授業に利用できるようになった。」「教育的価値」があれば文科省が税金から払ってくれる。
f. 塾には公的学校にないmeritがある。それは経済学・経営学を体感できるmeritがある。すなわち授業料を1分単位で計算すれば価格計算ができる。「授業」と言う「情報」に価格をつけることができる。すなわち「商品」であると認識させることができる。「くだらない商品」は買わなくて良い。しかし公的教育は無料なので価格がつかない。塾に劣る授業でも「義務教育」として受けなければならない。子供たちにとっては「拷問」である。教育情報を市場原理で選別され、生徒に無視され授業は「ゴミ」になる。それを生徒に強制するのであれば、「ゴミ処理料」を生徒に払うべきである。
g. 「孟母三遷Where」「温故知新When」「知彼知己、百戦不殆How」「造反有理Why」
●「孟母三遷Where」孟子の母親は子供に寄り良い教育環境Whereを選ぶために3回も引っ越しをした。
●「温故知新When,What」新たな道理や知識を見い出し自分のものとするために前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりする。
●「知彼知己、百戦不殆Who,How」自分の考えが正しい(強い)かどうかは敵Whoの考えをよく調べて対策(How)を考えなければならない。敵からも学ばなければならない。自分の慢心を戒めている。
●「造反有理Why」敵は外部だけにあるとは限らない。味方の中に負ける道理や知識にしがみついている上司がいる。その場合は「内なる敵」として排除しても良い。「下剋上」が許されるのである。
●これからの「教育」は「人間・教師」より優れた「AI教師」になる。「人間教師」は教えるのでなく、ガードマン。そのガードマンも「AI監視カメラ」で「無人化」になる。別に学校に行かなくても
どこでも、いつでも勉強できる。「AI技術」はあらゆる分野に進出する。乳幼児は「人間・母親」より優れた「疲れを知らないAIアバター母親」が育児する。異常があれば隣でSNSばかり見ている「人間母親」に連絡する。料理は作らず「出前館」。識者は「スキンシップ」がないと、愛情のない子に育つと言う。そんな意見は無視すれば良い。
 1歳になると「童話読み聞かせ」が必要になる。共働きの疲れた体で付き合うことはない。「AI母親」だけでなく、「AI父親」も参加した方が良い。そのうち、「実際の父母」より気の利いた知性の「最高のAI-baby-sitter」を無料で雇えるようになる。

[30] マイナンバーidentity numberは「特典privilege/」で義務ではない。

 日本が世界から取り残されているのは「教育」だけではない。子供達だけでなく、大人もバカなのである。特に社会生活でのdigital化の遅れはOECDでも最低である。医療、、仕事、社会手続きなど、本来「マイナンバーidentity number」で統一せられなければならない社会生活がanalog社会で効率が悪く、税金の無駄遣いの垂れ流しである。これなどは幕末の混乱と似ている。利権の飛脚から郵便制度への導入の混乱などに似ている。internetが普及しだした時は日本が列島に光fiber網を築いて世界一のinternet網を築くと宣言した所、ゴア副大統領から日本独自のOS「トロン」とともに潰された。中国の5Gのように潰された。また、国内では左翼文化人、左翼系市長が「privacy侵害」と言って、「マイナンバーidentity number」の前身、「住基net」を潰してしまった。「攘夷論」をあおるのである。敵は外国にあるのではなく、国内の既得権者にあるのである。米国には「マイナンバーidentity number」に当たるSScardという便利なものがある。日本人の大人はバカだからマイナンバーidentity numberは義務で国民を取り締まるという左翼系のfakeに騙されて「住基net」を潰してしまった。
   国立市の住基net不参加「違法」東京地裁判決-市長の賠償責任認める。原告側は判決後に記者会見し「法治国家の首長が法を守らないという異常事態を、一刻も早くやめてもらいたい」などと訴えた。左翼系・上原公子・関口博・市長は違法者とみとめられたのである。 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG04045_U1A200C1CR8000/
 マイナンバーidentity numberは免許証と同じく「特典privilege」なのである。米国でSScardを取れない不法移民の人達の悲劇を知らないのである。欧米もマイナンバーidentity numberで翌日にはcorona補助金を振り込んだ。韓国は北朝鮮のスパイを判別するためのマイナンバーidentity numberがあるので、vaccine、病気診療、補助金配布、税金管理などは費用をかけずに1日で処理できた。中国も同じ。中国は住民ひとりひとりの「顔認証」まで登録させて監視している。至る所に監視cameraがある。5G技術で100m間隔にある信号機に設置された監視カメラである。したがって、中国では「ひき逃げ犯」「窃盗犯」「誘拐犯」などは確実に逮捕される。日本も信号機に監視カメラを付けるべきである。その費用は信号機の歩道側に「液晶広告」を付ければ税金を使わなくてすむ。またalibi証明になる。警察官を半減できる。赤信号で渡れば「周さん、信号違反ですよ」と交差点のmonitorに映し出される。これは当然、Uighurでも適用されいる。数人集まれば行動管理される。最近、日本で放映される中国交通事故情報は監視cameraのものが多い。事故情報を日本に売って稼いでいる。スマホのGPS情報も管理されている。これらにより、冷戦時代の東ドイツの「シュタージ/秘密警察」のように人間による監視・尾行でないので、「正確・低コスト」で監視できている。
 日本も日本中の信号機に監視cameraをつければ、警察官を半数に減らせる。その費用は信号機の反対側に1年1万円の「液晶広告版」をつければ公費を使わなくてもつけられる。設置費は60万円あれば十分である。5年で償却である。まず、「ひき逃げ」は100%つかまる。現在のconvenience storeの監視cameraは「番号・運転手の顔」は移らない。轢き逃げ被害者が放置され死ぬことがなくなる。歩道を歩いている「空き巣犯」も鼠小僧のように屋根伝いに移動しなければ確実に捕まる。あらゆる刑事犯が激減する。また誤認逮捕された容疑者は確実にalibiを主張できる。既にJR東日本が実施している。
 駅の防犯対策、顔認識cameraで登録者を検知
JR東日本が7月から、顔認識cameraを使って、刑務所からの出所者と仮出所者の一部を駅構内などで検知する防犯対策を実施していることが、わかった。    https://www.yomiuri.co.jp/national/20210920-OYT1T50265/

 現在のcorona禍でも医師会が「遠隔診療」「data共有」させないように圧力をかけている。digital化で効率を上げ、正しい診断をされるとヤブ医者が食えなくなるのである。「紙・保健証」は顔認証できないから、多くの「不正使用」がされている。しかし、政府は左翼系が恐くてそれを言えない。
日本の現在社会のdigital化の遅れは幕末時と比較すれば理解しやすい。武士を「四民平等」にしたら既得権を奪われた武士による「反革命」が起きたのである。現在でも存在する。
 日本より先進の社会が既にあるのである。KenyaのMasai族より「スマホ送金」で遅れていると罵倒されても「現金主義」の日本の大人がいるのである。digitalが社会生活の向上、税金の無駄遣いを防ぐと言ってもバカな大人が信用しないのである。彼らの頭には国立市長と同じく「バカの壁」が築かれているのである。小学生にスマホでできるDX技術を教えて、両親は子供から教えてもらえば良い。また現在の疎遠な「親子関係」の意思疎通にスマホ・SNSは道具になる。

[31] 「教育」と「学習」の違い。「教育」の胡散臭さと「学習」の実利
  
「教育」は「学習」の「上位概念」である。この2つの概念の違いは何だろう。いろいろ妄想した。
1) 「教育education」と「学習study」の違いを今まで考えてみたことがなかった。現在までその違いを意識したこともなく過ごしてきた。ハッキリしていることは「教育」は国家、学校が「生徒」を「あるべき姿」に「教育」させることである。一方「学習」は「生徒」が「何を、どのように」に「脳細胞」に叩き込むべきものであるを定義したものである。「教育」「国家・教師目線」と「学習」「生徒目線」の違いである。
2) 具体的に法制化されたものが「教育基本法」「学習指導要領」である。戦前の「教育」は「天皇制」「軍国主義」「愛国主義」が「教育」の「理念」であった。「道徳・修身」という形式で「学習」させられた。「教育」は戦後では骨董品扱いである。入試にも出ないので、生徒、保護者も無視している。最近の中国を見ていると理解しやすい。「教育」とは「生徒」が共産党を尊敬し、それに従うべきと国家権力が強制することである。実に理解しやすい。したがって、「学習」の内容もそれに沿った内容になる。戦前の日本の「天皇制」の教育に似ている。米国での「教育」「学習」はなんであるかと考えた。「教育」を担うのが「家庭」とChrist教の教会であり、学習を担うのが「公的教育」なのかもしれない。
3) 「無料の公的教育」の「教育のプロ」が「教員資格」をもった「教師」である。一方、「有料の学習」を合理的に生徒に注入するのが、「学習のプロ」の「塾・予備校の講師」である。日本では「教育のプロ」と「学習のプロ」の「二重態勢」で「生徒」は混乱している。生徒は「学習」は必要であるが、「教育」は不要であると本能的に思っている。教室では寝て、塾では必死になるのである。
4) 日本に限らず、「芸能」「スポーツ」などは「***道」という「抽象的な」「観念的な」「教祖」を作りたがる。「柔道」「華道」「茶道」「剣道」などである。これは「競争」を排除した「rule」を作るためである。「sport」などでは「rule」に基づいた評価しかないはずである。「最強」での「記録・ranking」でしかないはずである。
 その傾向が「学問」にも適用され「学問閥」が作られる。「学問」とは「科学」であり、「真・偽」しかないはずである。しかし、「教祖」の説が「演繹的・論理的」に強制力を持って「下達」される。「コトバ」で発信された「命題」には「真・偽・証明」しかないが、「発信者」が誰であるかが重要視される。「brand力」である。「宗教」「ideology」も「brand力」が重要である。

[32]さっぱり理解できない「高等学校学習指導要領(平成30年度告示)解説-情報編」

 今年から「情報」が高校の授業に採用される。今までのcomputer授業はいわゆる「大学・理科系」の授業であった。若いほど理解しやすいということで、工業高校、工専などの公的教育機関と私立の専門学校しか教えていなかった。目的はmotor・digital制御でrobotを作るのに役立つ技術である。最近ではcomputerの能力が進歩したので、robotの「motor/筋肉」だけでなく、「眼/画像処理」「耳・口/音声処理」「脳/CAD、animation作画、CG、3D作画」の開発が可能になり、「理科系」分野以外も多岐に可能になって来た。最近、「社会現象」を扱ういわゆる「文科系」の「data science」などの分野もある。
  Amazonで検索すると「高校・情報」の教科書は「Python」と「Java script」と言うことである。computer言語はhardwareに依存するのである。そして、実際にprogramを組んで何か役に立つものでないと学習の意味がない。特に最終的に新規の目的での完成を目指さないと「勉強のための勉強」では現在の「英語」教育と同じで誰の身にも付かない。
 programは小学生でも検討されている。良いことだ。computer利用にはprogramming (創作)、それを利用するoperating(操作)がある。operatingは評価されない。しかし、e-のように世界選手権もある。gocart(F1racerを目指す)、BMX、skateboard、snowboardのOlympics金medalは3-4歳からの教育でないと取れない。金medalの下には敗者の山がある。しかし、敗者になっても人生には価値がある。何もせず引きこもりよりはマシである。必ず役に立つ。その点、programming (創作)は無限の可能性がある。必ずしも金medalでなくても目的(idea)が良ければ大成功をおさめられる。面白いのは最高のprogramming が市場で金medalが取れる保証がないのである。最近、newsで「game依存症」が問題になっている。最近では4歳児でもgame機を取り上げないと、いつまでもやるほど魅力的なgameprogramが増えている。それならば「game中毒」の代わりに「音楽中毒」にすればよい。
 この例から、4歳児でも「MIDIkeyboard」と音楽programを与えれば、「音楽演奏」が可能になるかもしれない。世界的musicianにならなくても本人が音楽を楽しんでくれれば、父兄は安心であろう。
 しかし、現在の日本のprogramming 産業は米国、India、韓国、中国から「1周遅れ」である。これだけは「英語力」に似ている。programming 言語は100%英語であるからである。日本ではcomputerは「コンピュータ」でなく、「電子計算機」が未だに公式名称である。「学習指導要領-情報編」ではさすがに「コンピュータ」になっている。computerにすべきだ。 
 また、「programming 学習」の効率を考えた場合、1つのcurriculumを1年間で分割して、「一斉・対面・板書」の週2時間というscheduleで本当にmasterできるのだろうか。こんな方法だと小学校のnativeの「英会話」2時間と同じく「英語嫌い」を作ってしまう。私は1つのcurriculumを1年間で分割して、「一斉・対面・板書」で受けている、あまたの専門学校の生徒は本当に産業界で役に立ってるか心配である。
 「programming 学習」こそ、公文式、atama plusのように「単位制」で「演習・自習」が最適の授業ではないだろうか。ZOOMで同levelの人間が「group学習」した方が良いのではないだろうか。debugでerrorは指摘してくれるし、教師にいちいち聞かなくても独習できるのではないだろうか。一番大事なのは「教材」である。まず、数年の改定を待たなければならない「文科省検定」のものは最悪であることはハッキリしている。まず、「検定もの」は「紙・教科書」思想がbaseである。機関銃の勉強に火縄銃の構造を教えているようなものである。最初から「digital教科書」で最高の機能のもので教えるべきである。「紙・教材」がbestということは考えられない。「情報」を教える教師が不足してると言われる、バカな教師より、産業界の実務家に1週1時間だけZOOMで参加してもらえば300人の生徒を一度に教えることができ。その時に飛び交うくだらない「意見」が一番役に立っ。バカな生徒は必死に予習して質問を準備しているだろう。programming の学習は当然battingと同じで「演習」をどれだけ重ねるかである。そして、どれだけ達人の技を盗むかである。当然、それには「目利き」が必要である。私が関数電卓でprogramした時、memoryに制限があったので、いかにsimpleに組むかが美学であった。今は、良いprogramをいかにパクるかであると思う。そして、それより良いprogramをすることが一番大事である。 
 私の大学での「第2外国語」はドイツ語であった。しかし、現在はほとんど完璧に単語を忘れてしまった。ドイツ語で嫌になったのが「前置詞」で「名詞」に応じて「女性名詞」「男性名詞」がある。これでpanicになった。「一夜漬け」が終わると完璧に消去した。海外で仕事をする上で英語以外は必要なかった。これからは「第2外国語」はprogram言語にとって変わるべきではないかと思う。第1言語(ドレミ・絶対音感),第2言語(日本語)、第3言語(英語)、第4言語(Phthon)、第5言語(Java)ということになれば、両親、産業界が大賛成してくれるだろう。applicationではword(blind touch)、excelで十分である。
 phthonに関しては「東大・京大のphthon教科書」-東京大学の数理・情報教育研究センターで公開されている授業用の教材である。『Pythonprogramming 入門』 - PDF版 電子書籍(316page)。無料・digital教科書である。なんせ東大生と一緒の教科書をタダで勉強できるのである。brand力に感謝。

[33] 「教育・学習」ということを単純に考える。イジメについても。

 いったい、誰が、いつ「教育・学習」ということを「難しく・崇高」に考えるようになったのだろう。学習者の脳細胞に「記録」される「瞬間when、状況where、参加者who、教材what、学習動機why、どのような方法how」を考えてみたい。
 死にかけている年齢の現在の私でも、小学校での授業中、教師の言うことを聞かずに、いつもぼんやり窓の外を見て、いろんなことを夢想していた子供の時の自分も「教育・学習」という「脅迫・背後霊」を抱えていたように思える。百人一首の意味を知らずに諳んじていた小学4年生の同級生がいた。中学1年生で英語の教科書をlesson10まで諳んじていた町で1番の秀才もいた。いつも自分と比較して、つくづく自分は暗記力の弱い人間だと劣等感にさいなまれて現在にいたっている。私の記憶力はほとんどが「曖昧記憶」である。現在、多分、常用漢字2136字の半分も正確に書けなくなっているかもしれない。私の脳細胞の中に記憶している事項と、それの根拠となる「一般意味論的」にいう「現地・真実」の間のnetworkの「網」の「直行便の糸neuron」は「糸切れ」しているだろう。しかし、「net」なので「遠まわり」しながら「真実」にたどりつける。
 いったい、学習者はいつ脳細胞に「記憶」しているのだろう。大学での「一斉・対面・板書」授業で教授が自分の教科書を読んでいる時、黒板に書かれたことをnoteに筆記している時だろうか。そして同時に脳細胞に叩き込もうとしただろうか。筆写するのに忙しく、半分も記憶していないだろう。授業から筆写作業を一掃してもらいたい。教室を出て復習しようとしても自分の書いたnoteが理解できない。もちろん予習しようとしても「未知」の項目だから、不親切な教授の教科書では理解不能。理解できれば授業に出る必要はないということになる。いったい、学習者はいつ学習しているのだろう。
 私の経験では授業中でなく、また、授業の前後でもなく、期末試験前の「一夜漬け」の時が一番集中して学習していた。試験に出そうな部分のsubnoteを作り、友達にnoteを借り、また、その教授の過去問の模範解答のガリバン刷りを古本屋で買って暗記するしかなかったように思う。その結果、私の成績はほとんど「再試」になるので60点しかもらえなかった。それでもおかげで経済学部を「ビリから3番目」で卒業できた。当時はcomputerはなく、3年までのtest成績が就職課のcard caseに納められていた。私が就職紹介状をもらいに就職課に行くとビリから3枚目の私の成績cardを抜いていた。
 現在の学生なら、逆のcourseをたどるのではないだろうか。internet情報が普及しているので、授業に出ないで教授の教科書を読んでみる。理解できない部分は要点のキーワードをgoogleで検索して、wiki、youtubeに飛び、コピペ作業で「subnote」を作りながら脳細胞に記録する。これにより、「編集能力/盗作能力」が向上する。これは「発見学習」「アクティブ・ラーニング」になるのだろうか。大学授業は最終的に教授の教科書を「盗作」する能力をつけることである。そこで、過去問を見て、模範解答を見て、自分の想像と比較して間違いを修正する。脳細胞の「一時記憶エリアRAM」に書き込む。それにしても大学授業は「上から目線」で学生を「お客さん」として扱っていない。ならば「一斉・対面・板書」は止めて、あらかじめ資料をcloudに上げておくべきである。
 この場合の「subnote」は当然、digital版で教授の紙・教科書を断裁してscannerで「自炊/OCR」して、それをbaseにして、google検索からの「コピペ情報」を張り付ける。この作業で自分の脳細胞のRAMに記憶される。過去問・模範解答も張り付ける。学習者は「編集者」となる。当然、脳細胞は活性化される。
 そして、「2文4行」にしていく。この作業が大変であれば、同じ教科の学生と分業して「cloud」で共有する。そうすれば大学卒業までにTOEFLは合格できる。卒業までに「subnote」を完璧にすれば、そのsiteは次年度・下級生から「有料」で参加料をもらえるようになる。そのゲインは既存会員で山分けする。何か「マルチ講business」みたいである。教授の紙・教科書の価値を60点とらすためでなく、それにコピペして120点の価値にするのである。もちろん、このsiteは「一生物」になる。ICT教育とは「Information and Communication Technology教育」である。これは私には「教育」は「情報business」であると言っているように思う。最終的にいかに安くcost performance、無駄なくtime performance学習者の脳細胞に印刷imprintするかの話である。そこに「崇高さ」などのまやかしは必要ない。学習者自身が「2文4行」作業をすれば「学習motivation」があかり、学習能力が向上する。自分のためだけでなく、他人にも利益を与えられるのである。
 GIGA構想で全国の生徒にPCを配ったが、教師がICT教育に自信がないので、「町田小6いじめ自殺」でICT教育そのものを否定する「攘夷派」の教師がいる。この悲劇の教訓は「passwordの使いまわし」などのことではなく、「イジメ事例発生」時点で告発するように教育すべきであった。いじめ犯罪は小さい時に公開・告発・指導するのにPCが一番有効な武器になる。「ガン健康診断」と同じである。ガンが発生していないか常に撮影すればよい。AI監視camera、イジメている現場を撮影、イジメているemailが来れば、その時点で警察に通報してpatrol carを呼ぶべきである。ガンが4期になっては遅いのである。教師、校長、教育委員会は頼りにならない。というより「手の施しようがない」と客観視が必要である。学校は江戸時代の病院同様それほど閉鎖的な腐った体質なのである。「攘夷」として「近代・ ガン健康診断」を拒否するのである。
 現在、自動車製造、飛行機製造においては「製造ミス」は当然発生するものとして、「recall制度」を導入している。製造makerに積極的に「不具合」を報告・修理させ利用者が事故を起こさないようにして、製造責任の刑事責任を問わないようにしている。しかし、「不具合」を隠ぺいした場合の「罰則」は厳しく、修理だけでなく、「製造・営業停止」などの会社の命運を左右する処分が待っている。これは「教育」に置いても当然である。イジメは必ず発生するものとして、常に「健康診断」同様、「監視camera」「通信記録監視」「スマホ」などでイジメの兆候をAIで監視し、イジメが小さい時に「処置」をするのがICT教育・DX教育である。
 イジメは学校内であろうと学校外であろうと犯罪である。犯罪を取り締まるのは警察である。110番通報でpatrol carが学校に来ればすべて解決する。patrol carを数回、呼べば次第にイジメはなくなる。「町田小6いじめ自殺」でも、「旭川中学生凍死事件」の犯罪証拠はすべてPC、スマホに残っていた。学校は事件が公表するとその証拠隠滅を図ろうとした。もちろん告発そのものを矮小化する。それが悲劇を生む。「スマホ24時間使用OK」にすべきである。生徒に「イジメ現場撮影」と「警察転送」を奨励すべきである。最近の刑事事件の証拠収集は、まず「監視camera」の収集から始まる。中国の「5G」技術はすごい。交通事故が起きると100m間隔にある5G監視cameraに記録が残っている。日本も見習うべきである。日本はconvenience storeのボケた映像を回収することから始まる。日本中の信号に「5G監視camera」が設置されれば、犯人は鼠小僧のように「屋根伝い」で逃げなければ必ず捕まる。「窃盗」「放火犯」「轢き逃げ犯」は100%捕まる。ほとんどの「刑事事件」が解決するだけでなく、「予防効果」がある。中国・Uighur、London Piccadilly、新宿・歌舞伎町 ではそのようになっている。convenience storeの監視cameraでは「横写真」しか取れない。信号に付けば「車の番号」「運転手の顔」を綺麗にとれる。設置費用は信号の「歩道側」に「太陽電池・広告monitor」を付ければ国費なしで設置できる。
 現在、文科省は「中学校へのスマホ持ち込みOK・使用禁止」 というバカな方針をだしている。24時間使用OKで積極利用を要請すべきである。特に保育園・小学生にYoutube,LINEの使用を優先させるべきである。「ドレミの歌」「アイウエオの歌」「ABCの歌」「数値の歌」「九九の歌」を覚えてもらう。そして、LINEで両親、祖母、友達、教師と「交換日記/group・ライン」を推奨すべきである。LINEで「かな漢字」変換を利用すれば、小学2年生までに「常用漢字2136字」など朝飯前である。第一、教室で「つづりかた」を教える必要があるのだろうか。24時間LINEを利用すれば漢字能力、文章作成能力が自然に上達する。だいたい、教科書の「お仕着せ文章」より、自分で考えたことを「文書化」することの方が「教育効果」がある。たとえ、傍にいる両親に口頭でなく、LINEで通信することは大事である。口頭では「感情で赴くままの右脳の表現」になる。しかし、「文書化」の作業を経由することは「左脳」の働きを活性化させる。これは「人間」として一番重要なskillである。両親は子供たちの脳細胞まで立ち入ることが可能になる。「親子断絶」などありえない。現在の「核家族」は「祖父母」とはほぼ断絶である。物が欲しい時だけの連絡である。父母、特に父親とは会話もない。「交換日記」を日本語・英語で交わせばよい。事務所で隣にいる「上司」にline、mailで「伝言」すると怒り出す「上司」がいる。しかし、「証拠保全/言った、言わない。説明不足」は常に事務所で起きる。上司はそれだけ部下に信用されていないということである。また、その習慣は「remote業務」には絶対必要なskillである。そして、「情報共有」として「groupLINE」は「事務効率化」になる。「完結・明瞭」は「左脳」の良し悪しできまる。「情報共有」していれば「teamwork」での「欠落」などは防げる。「三人寄れば文殊の知恵」である。むしろ「groupLINE」に入れてもらえない「差別」の方が問題である。
最近、文科省が好きなカタカナ英語「アクティブ・ラーニング」である。そして、小学生の幼稚な文章・作文力を向上させるには、「新聞記事・エッセイ・小説」を読ませ、「読書鑑賞文」を個別に書かせてそれを評価すれば良い。教師は生徒の発言より、「文書化」された方が公平な評価とlogを何時でも見れ、生徒の異変に気づける。
 子供から何か「おねだり」があれば、「特許出願の明細書」を見せて、その「おねだりの内容」を文書化させると良い。例えば「携帯電話」であれば「目的」「作用」「効果」を書かせるべきである。ただ「***ちゃんが持っている」ではダメである。「定量的」に「40人クラスで何人が持っている」とか、携帯を持っていると「***ができる」と「効果」を列挙させる。当然cost performanceは「定量的な説明」が必要である。どれだけ自分の心の満足が得られるかも「定量的」に表現させる。また、月額の費用と効果を数値化で表現させる。携帯の種類を調査させることも必要である。「検索」の技術を磨ける。既に持っている友達の「インタビュー」を文書化させる。別に、クラスの人間の過半数が持たなくても、誰1人持っていなくても、「申請書」の内容が良ければ買ってやってもよい。First Penguinは必要なのだ。そして、1ヶ月ごとに「結果報告書」を書かせる。また別に「高尾山に登りたい」というのであれば、「事前調査報告書・計画書」を提出させるべきである。学校の授業ではこんなことは教えない。「抽象的な表現」で済ませてしまう。そうすると、「考えない、現場と異なる結論をすぐ出す軽薄な子供」に育つだろう。小学校入学する前は「おねだり」は少ないだろう。むしろ、親が年齢に応じて上手に誘導してやる必要があるだろう。「楽器」「dance」などは「右脳」の「感性」だけの訓練になるかもしれないが。これは失敗を前提で買ってやるべきである。そして、見事に失敗すれば Mercariで売ればよい。差額が教育費になる。
何でも規制する文科省は「スマホ利用と漢字習得の関係」を調査すべきである。
スマホでLINEが使用できるようになって数年である。小学生の「漢字習得とLINE利用の関係」を是非調査してもらいたい。まったく利用しない生徒と積極的に利用している生徒との比較である。testは「手書きペーパーtest」だけでなく、「tablet漢字・音・訓読み」「 tablet漢字語彙・音・訓読み」のtestもしてもらいたい。
 そうすれば24時間使用OKの根拠になるだろう。これこそICT教育である。何も教室だけが「授業・時間・場所」でない。

[34] 学習指導要領の新指針。「カリキュラム・マネージメント」「アクティブ ラーニング」「単位制」「2文4行AI教科書」「塾教育」を「公教育」に追加可能?
2022-7-1
                                  2023-11-1
 最近、文科省のHPに「すごい通達」を見つけた。「4.学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策-文科省HP 登録:平成27年(2015年)11月」である。7年の前のものである。「学習指導要領等の理念を実現」と謳っているが、その後に改変・告示された「平成29年」版「学習指導要領」と180度異なる見解を示している。戦後、77年以来の「教育革命指針」である。「学習指導要領」に少ししか記述されていない「ICT教育」と、ほとんど記述されていない教育革命を起こす最近流行の「AI革命」を先取した「通達」である。「学習指導要領」は「前例踏襲」で保守・旧悪維持・悪平等の思想であるが、この通達は「学習指導要領」を無視して、「何でもあり」としている。
 この「通達」を正直に先取実行したのが、「塾」「予備校」「フリースクール」「通信制高校」である。理由は簡単である。公教育と同じ「一斉・対面・板書(大型screen)」授業にしていたら「倒産」するからである。たとえ「林先生」のような優秀な「人間講師」授業より「AI先生」の方が良いのである。「林先生」はバカな生徒は相手にしない。しかし「AI先生」はバカな生徒にも「林先生」のlevel以上にまで引き上げてくれるのである。最近のほとんどの「塾」のCMの「単位制」「個別指導」「AI教材」のようにしないと生き残れないからである。
 いったん「AI教材」を作ってしまえば、100人も1人もコストは同じである。いや100万人にもコピペして「丸儲け」になってしまうのである。そして「林先生」のような「人間教師」より「AI先生」の方が「優しく、無限に、何度でも、夜中でも、どこでも、疲れ知らず、内容修正可能」に「各生徒に合わせて/個別指導」で教えてくれるのである。その顕著な例は1945年生まれの私の田舎の高校時代は「駿台予備校」と言えば、日本一であった。現在の私立進学校などは聞いたことかがなかった。日比谷高校が有名であった。その駿台予備校がatama plusを採用していると聞いてビックリしている。また、立命館は「入試判定」に採用していると聞いてAIもすごいと感心している。「AI将棋」と同じである。
 そして、この「通達」のすごいところは、公教育が「塾教育」の「単位制」「個別指導」「AI教材」を取り入れるべきと言っているのである。そして、さすがに言っていないが、
①公教育が「単位制」「個別指導」「AI教育」を取り入れたら、当然、父兄は塾代を払わなくてcost performance、生徒は「塾・公教育の二重教育」を受けないので、「時間の無駄」がなく、time performance、最終的に習近平のように「塾」「予備校」「フリースクール」を倒産させる事ができると読んでいる。そして、公教育も「通信制高校」のようになれば学校に行かなくても、「世界旅行」しながら高校を卒業することができると言っているのである。事実、「N高等学校」では世界的に活躍していて学校に行けない「上野愛咲美・囲碁5段」「紀平梨花・フィギャ選手」「望月慎太郎・テニス」「小田凱人・車椅子テニス」などが生徒である。また、東大にも2名進学している。以前は「通信高校」は公教育に行けない「落ちこぼれ」が行く高校であった。
②「AI教材」が「落ちこぼれ」の「フリースクール」「通信制高校」で成功すれば、公教育での「単位制」「個別指導」「AI教材」も成功するのは当然である。「人間教師」と「人間校長」が邪魔しなければである。その意味するところは「塾」「予備校」「フリースクール」同様、「人間先生」は必要なくなる。教育は「人間先生」より優れた「AI先生」が教えるので、教室の隅で寝ていても良いのである。邪魔だけはしないで欲しい。登校が必要なのは、「学校に来るな、自宅で勉強しろ!」と言っても「好きな友達と一緒に机を並べて勉強したい」という生徒とか、クラブ活動で「集団・実技・学習」の必要な生徒である。その場合は「AI教材」に裏付けられた、人間の水泳coach、piano講師、dance講師などである。「一斉・対面・板書(大型screen)」しかできなかった「年寄り教師」は民間のように「早期退職」で自分に適した「第2人生」を選択した方が本人のためになる。若い教師は教えるのでなく、ガードマンとして教室に控えていれば良い。
③この「通達」のもっとすごいところは「底意地の悪さ」である。「学習指導要領」「学校教育法」「教育機会確保法・フリースクール法・2017年」を忠実に守って「悪平等維持」の「紙・検定教科書」で教えている、また貸与PCを24時間使用させない「教育委員会・学校長」に対して「罠」を仕掛けていることである。「教育委員会・学校長に早く『単位制・個別指導・AI教育』を導入しなさい」ということは、「遅れたら知りませんよ」と言っているのである。それは将来、父兄からの叛乱があるからである。
④「不登校」で「教育機会確保法」を忠実に守り、「フリースクール」に子どもを入れた父兄は「フリースクール」に現在のところ感謝して、その余分な費用をパートに出て必死に稼ぎ、仕送りしている。しかし、将来、自分の子ども不登校になった「公教育」が「フリースクール」のCurriculumと同じ「 単位制・個別指導・AI教育」になったら、騙されたと思うだろう。「金返せ」と叫びたくなる。また、「フリースクール」に逃げられた「不登校生」は良いが、その同級生で「一斉・対面・板書」授業で教師から「精神虐待」を受け、「塾」「予備校」に行っていた同級生は、「教育委員会・学校長」に「塾代+慰謝料」を請求するだろう。文科省は「学校長」に責任を被せて逃げるだろう。このHPの「通達」で「学校長・園長」に責任を押し付けているからである。父兄の返還請求の責任はお前たちで取れ「わたしゃ知らないよ」と言っているのである。
学校全体としての取組
 「カリキュラム・マネジメント」については、校長又は園長を中心としつつ、教科等の縦割りや学年を越えて、学校全体で取り組んでいくことができるよう、学校の組織及び運営についても見直しを図る必要がある。そのためには、管理職のみならず全ての教職員がその必要性を理解し、日々の授業等についても、教育課程全体の中での位置付けを意識しながら取り組む必要がある。また、学習指導要領等を豊かに読み取りながら、各学校の子供たちの姿や地域の実情等と指導内容を照らし合わせ、効果的な年間指導計画等の在り方や、授業時間や週時程の在り方等について、校内研修等を通じて研究を重ねていくことも考えられる。
 こうした「カリキュラム・マネジメント」については、管理職のみならず、全ての教職員が責任を持ち、そのために必要な力を、下記(2)に示す支援方策等を通じて、教員一人一人が身に付けられるようにしていくことが必要である。また、「社会に開かれた教育課程」の観点からは、学校内だけではなく、保護者や地域の人々等を巻き込んだ「カリキュラム・マネジメント」を確立していくことも重要である。
 公教育も「集団学習/teamwork」「実技学習/音楽、芸術、sports」などは「登校」が必要になるが、「AI先生」よりすべてに劣る「一斉・対面・板書」授業しかできない「人間先生」は生徒に「害」しか与えないので、クビということである。上の説明が理解できない人は、最近の藤井8冠が「AI将棋」に勝てないので、その「AI将棋」を先生として勉強している。
「アクティブ・ラーニング/active learning/積極学習」の反対語は何だろう。「パッシブ・ラーニング/passive learning/受動学習」である。それは現在までの学習で教師からの一方的に生徒に「一斉・対面・板書。受動学習」である。それを改善して正反対の「アクティブ・ラーニング」にすべきということに、戦後やっと文科省の石頭でも気がついたようである。現在までの授業の「正反対」をすれば「正解」である。
①それは「各個人の進度」に合わせた「個別指導」である。「個別指導」は最近の「塾のTVコマーシャル」の「枕詞」である。
②「紙・教科書」の反対は「PC-AI教科書」。
③学校の「定期試験」ではなく、「毎回試験での評価」。これらは「単位制」で「塾教育」そのものである。
④「塾教育」は「公的教育」の「反対語」であり、「公的教育」より優れていることをやっと、文科省が認めたようである。これは文科省の「指導」にしたがって、「公的教育」に「塾教育」と入れ替えれば良いということである。最近は足立区のように塾に行けない「貧乏人の子弟100人」に「補助金」まで出している。何か狂っている教育行政である。素直にatama plusを「公的教育」に導入すれば良いのです。「塾」に行けない子どもに資金援助することがおかしいと思いませんか。それほど、日本人全体が「文科省・無策」「GHQ学習指導要領」の催眠術にはまっているのです。「現在の公的教育」を廃止して「塾教育」と入れ替えるとよいのです。しかし、それでは面子と「教育学部利権」の教師を生かせないので、「追加導入」という姑息な「方策」を示した。
⑤これは中国の習近平も同じです。最近、彼は「塾」を禁止してしまいました。「悪貨(公教育)が良貨(塾教育)を駆逐する/グレシャムの法則」です。「塾同士の激烈な競争という、正常な教育市場競争に独裁者が安易に『悪平等』にするために『金の含有量』を減らした貨幣を市場に流す」ことです。国鉄、電電公社、郵政も「民営化」にすることにより、Costとserviceが利用者に還元されました。
 「組織は腐敗する」は正しい法則です。「パーキンソンの第三法則 」です。日本の教育行政も戦後いらいの改革はなく、予算をどんどんつぎ込んで、逆に「ゆとり教育」で子どもの精神までゆがめてしまいました。そして、何の補助もない「塾・予備校」は常に競争に晒され、「改良」しか生き残れませんでした。最近は「個別指導」「computer化」「ZOOM教育/ICT教育」など改善のオンパレードです。その改良も多くの失敗を重ねて、「どれだけ東大に合格させることができるか」が一つの指標になっています。東大合格のbest10は「筑波付属高校」以外は「進学私立高校+塾教育」です。私の時代の私立高校は公立高校の「滑り止め」でした。それが逆転してしまいました。今後の教育改革は「公立学校」を「民営化」するか、「塾・教育」を取り入れるしかありません。「公的教育の腐敗」は「鄧小平の社会主義市場経済」ではなく「毛沢東の文化大革命」です。文科省の面子のための「毛沢東路線」が崩壊し破壊することが「正しい教育革命」です。
⑥そして、現在の10倍の生徒が東大合格の偏差値の「絶対評価」を持っても東大には「定員」があり、「相対評価」で不合格が出てしまいます。それを防ぐためには「通信制の学部」を併設して、入学させるしかありません。授業をビデオに記録してMOOCに登録することです。私の「東大をVTR化せよ」案でした。高校生の希望者全員が東大通信学部に入学できるようにすれば、東大も「大儲け」の「民営化」が可能になる。東大卒brandを守りたければ卒業させなければ良いだけである。東大より慶応大学の創立が古い。別に古ければ良いというものでないが、東大は慶応の真似をしている場合が多い。まだ、真似をしていないのが、「通信制」である。慶応には「文学部・経済学部・法学部 」の通信制学部がある。これは「実技」を伴わない「座学」だけでも教育が可能なので「学士」の□を与えることも可能なのである。東大も慶応大の真似をして、「経済学部・法学部 」を新設すれば、入学希望者は各10万人は集まるだろう。毎年100億円ぐらいの授業料を取れる。慶応の学生を全部奪うことができる。「6大学野球」の仇を打つことができる。また、このぼろ儲けした金を医学部につぎ込めば良い。京大のIPS研究所に負けない研究所を開設できる。大学経営に関しては日本大学の方が東大よりうまいかもしれない。
 たくさん取り寄せた「学習指導要領」をもう一度、読んでみた。「総説」で意外な改定ポイントを見つけた。「総説」の項目に「カリキュラム・マネージメント」「アクティブ ラーニング」という訳の分からない「カタカナ英語」が使用されている。「この2つが今回改定のポイントである」と自慢している。「学習指導要領-国語・英語」の内容を見たが「アクティブ ラーニング」についてはなんとなく説明されているが「カリキュラム・マネージメント」については何にも説明されていない。そこで「中学校学習指導要領(平成29年告示平成29年7月)解説-総則編を読んだ。そこには「カリキュラム・マネージメント」について述べられているが、抽象過ぎて今一つ理解できなかった。仕方なく、「カリキュラム・マネジメント 」でgoogleすると文科省のHPに「飛んでもない」ことが書いてあった。「平成29年」版に比べて明らかに改善されて説明がある。戦後以来の「教育大革命」である。
私は勘違いしていたが、このHPは「平成29年」版「学習指導要領」より先に公開されているのである。それならば「平成29年」版「学習指導要領」にほとんど反映していない。狂っている。
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4.学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策
文科省HP 登録:平成27年(2015年)11月
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1364319.htm
「カリキュラム・マネジメント」の重要性
三つの側面
こうした「カリキュラム・マネジメント」については、これまで、教育課程の在り方を不断に見直すという下記2.の側面から重視されてきているところであるが、「社会に開かれた教育課程」の実現を通じて子供たちに必要な資質・能力を育成するという新しい学習指導要領等の理念を踏まえ、これからの「カリキュラム・マネジメント」については、以下の三つの側面から捉えられる。

1.各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校の教育目標を踏まえた教科横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。

2.教育内容の質の向上に向けて、子供たちの姿や地域の現状等に関する調査や各種data等に基づき、教育課程を編成し、実施し、評価して改善を図る一連のPDCAサイクルを確立すること。

3.教育内容と、教育活動に必要な人的・物的資源等を、地域等の外部の資源も含めて活用しながら効果的に組み合わせること。

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 これらは明らかに学習指導要領(平成29年告示平成29年7月)解説-総則編より簡潔だが具体的な指針になり、戦後の大変革である。大革命の項目は「第1」「第3」である。
(第1)「各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校の教育目標を踏まえた教科横断的な視点」とある。これはまさしく「2文4行」に適用できる。「英語」が「他の教科」すべてに「教科横断的」にcoverしなければならないのである。「物理」が「数学」を必要としていたようなものよりもっと「教科横断的」なものである。
(第2) PDCAサイクル」は「塾教材」そのものである。図示ではPlan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)で「一方的に」回るようである。Check(演習・評価)して、zero点の生徒がいればAction(改善)でなく、AIで診断して「落第」して1rank下のPlan(計画)、Do(実行)に戻るのである。zero点とる生徒はAction(改善)が分からない。zero点生徒は恥ずかしくて教師に質問できない。その場でfriezeして、教師は他の生徒の進度にあわさなければならないので、放置しなければならない。AIが戻るべきPlan(計画)に飛ぶ指示が必要である。zero点生徒は自らの欠点をAIで診断して、他の生徒を「追い越す/飛び級」する「意欲・motivation」が沸くのである。Plan(計画)ではdigital教科書のhyper linkであらかじめyoutube, NHK for Schoolであらかじめ「予習」をして理解しなさいということである。Check(演習・評価)で、生徒の脳細胞が正常に動作するかのCheckである。「単位制」の説明である。
(第3) 「教育内容と、外部の資源も含めて活用しながら効果的に組み合わせること」これは「塾教材・講師」を「公的機養育」に取り入れても良いという「お墨付き」である。この「項目」を読んだ教育委員会・校長は誤解して、「非正規教員」の補充と勘違いするかもしれない。また、「課外授業」のスポーツを知識のない教師が「顧問」になり、怪我を心配するより、専門家を雇用した方が良いという指針と考えるかもしれない。とんでもない誤解である。すべての保護者が希望している「塾教材・講師」の補充と理解すべきである。現在「単位制」を採用しているのは「塾・予備校」だけである。最近、自治体の中には他府県に進学で負けたくないために塾に行けない貧困家庭に「学習塾助成金」を出している。このことは自らの公的授業が塾より劣ることを認めているのである。文科省もそれを認めて金は出さないが、この項目で後押ししているのである。資金で困るのであれば、公的学校教師と「検定教科書」をクビにして「塾教材・講師」に入れ替えればよい。最近は教師のなり手が少なく、授業が成立しない場合があるので、「非正規教員」が増えている。そこに「塾教材・講師」を採用するだけで良い。父兄が飛び上がって喜ぶ。
◎ 最近、(2022-8-20)知った事実、digital教科書は「紙・教科書」の「完全copy」でないといけないと学校教育法に規定されているということである。信じられない文科省の怠慢である。digitalの機能を殺さなければならない。現在、少しでもdigital機能、例えば「動画」などへのhyperlinkを付けることは「教材」として「脱法行為」で認めている。
◎ また、2024年から「小・中学校の「英語」課目を完全digital化するとのことである。それに対してnegativeな意見が現場から上がっている。Wifi環境が悪くon-line授業ができないとか、教師がICT教育に慣れていないとか「抵抗勢力」の意見ばかりが強調される。「2文4行」の「単位制」のon-demand教科書ができていれば、「一斉・対面・大型display授業」は成立しないので、教師は教室の隅で寝ていても良い。「教科」にないが「group学習」「独習」の訓練である。
◎ digital教科書は著作権の関係で「コピペ」がblockされているらしい。そんなものは拒否し「紙・教科書」を1冊だけ「自炊」する。scanしてOCRでdigital化して、「書き込み自由」のnote兼用にしなければならない。もちろん「2文4行」である。生徒にこの作業をやらせる。教科書会社には全生徒分の料金を払っているのだから、残りの新品の「紙・教科書」は使用せず教室の隅に積んでおけば良い。上級生のものも1冊だけ「コピペ」して、文科省に対する抗議態度表明である。そして、生徒には「紙・教科書」の山の容量が自分のcomputerで何byteであるかを認識してもらう(computer学習)。また、「紙・教科書」がどれだけ無駄な反・SDGsであるかを体感してもらう。これも教育である。現在の文科省の教科書行政は教科書が「著作権・特許権」同様「知財」という認識はない。教科書会社を利権構造として利用しているだけである。ときたま「検定教科書選定」でイジメているだけである。本当は塾の教科書が何倍も素晴らしい。

[35] 「TextPedia」の創設。「2文4行・AI教科書」WikiPedia版 。
「世界に向けて・世界一のdigital教科書」を生徒自身で作ろう。

●私の提案する教育革命第2弾「2文4行」のSNSsiteを作る。モデルは「百科事典site」WikiPediaの「教科書+AI版」である。誰かが作らなければならない「国家事業」である。 
「小学6年で中学課程終了でbilingual」「中学3年で高校課程終了」で「高卒認定試験を受け、米国大学に『とび級入学』」を可能にする。
●優秀で最高の教師とは「ここの所は私が説明するより、日本一の先生が大金を掛けて作った『NHK for Schoolの動画』が上手に説明できているから、皆さんそれを今から見てください。ただし、それを見て、必ず『疑問点』『不明点』『感想/idea』を見つけて下さい」と言う教師です。
「hyperlink」「過去問・模範解答」「自動test/課題」などの機能を付けたatama plusのような「AIdigital教科書」でなければ意味がない。教師不要の「自習」可能の教科書である。
 小・中・高校生の「英語授業」を廃止しても「2文4行・digital教科書」であれば、実質「英語学習」は5-10倍になる。そして、すべての教科の「日本語・英語・用語」もmasterできる。この教科書は海外の子どもも利用できる「世界一の教科書」である。
現在は「学習指導要領」が「科学・英語・用語」の学習を禁止している。
  まず、「TextPedia」は基本、学校で勉強に使用する「教材」を「2文4行」化した「教材」をupload & downloadするsiteである。
●会員・実名制。氏名のみ公開。GPS場所は秘匿。実名は投稿に責任を持ってもらうため。評価が高ければ「大学入試」の「推薦」になる。また、自分の投稿が残るのはprideをくすぐる。Upされたものには実名のcreditを入れる。
●運営方法はWIKIを真似た方がよい。編集を重ねて内容がよくなる。Upするためには「原本管理者(その分野に専門知識を持った専門ボランティア)/現場の若手教師で十分」に送り、「審査」を受けた後にup。UPされている「2文4行」は会員であればdownして利用。内容に問題あると思えば、自分の「改定・2文4行」を原本管理者に送付。
●「hyperlinkを貼る」ことも勧める。youtube、NHKなどの「動画授業」を探し出し添付。「検索」の技術を磨ける。特に「過去問題・模範解答」をできるだけ添付して、「演習」させる。高校課程であれば大学入試など豊富である。「文章問題」でないものは「自動採点」。この「単位制」運用はatama plusに限りなく真似た方がよい。AIを設計するのが難しければ「link」で「過去問題」に飛ばしても良い。とにかく多くの「過去問題・模範解答」を添付する。「文章問題」については「模範解答と比較した自己診断」が必要である。「大学入試過去問・回答」は最高の「教材」である。バラして、「検定教科書」の「各課程」に張り付けられる。
●小学1年生でも高校課程までdownできるようにする。それを勉強する場合、「単位制」なので、「自分で落第・とび級」を判断できる。一応の目標は「小学6年生でbilingual」「中学課程終了」。「中学3年生で高校課程を終了」「高校卒業認定試験」を受ける。小学1年生から高校3年生12人1ユニットで「検定教科書」を講読。小学6年生が空いている高校3年生の教科書で勉強しても良い。それも「2文4行」である。著作権問題を解消できる。
●この「2文4行」は海外の「英語圏」の生徒も加入できる。日本語を勉強できる。「3文6行」にすれば「trilingual」になる。「Ukraine語+日本語+英語」が可能。 Afghanistanで学校に行かしてもらえない女児が自宅で「日本語」「英語」の勉強ができる。Ukraineの「地下壕」に避難している児童も勉強できる。一番必要なのは、親の「出稼ぎ」で連れて来られた日系の中南米の子弟が「自習」して、「落第・飛び級」ができる。「3文6行」になれば「英語圏」以外も世界から閲覧できる。「世界商品」として「世界市場」に出せる。現在、WikiPediaは日本版と英語版が別々にある。「3文6行」にすればあらゆる言語に「現地語」「日本語」「英語」になる。世界の「交流教材」である。
●WIKIの「教科書-2文4行・digital」版であるから、間違っていても良い。修正・投稿で修正すれば良い。一般のline, twitterなどは「一時的」な情報である。しかし、「TextPedia」は半永久の知財である。一般の辞書・百科事典には「間違い」は認められないがTextPediaはWIKI同様間違っていても良い。修正受付が可能である。高校生が中学生の課目を「2文4行」にして投稿しても良い。学習者自身が「2文4行」作業をすれば「学習motivation」が上がり、学習能力が向上する。自分のためだけでなく、他人にも利益を与えられるのである。「ターヘル・アナトミア」を「解体新書」に翻訳した杉田玄白の精神である。彼自身は蘭学に長じていなかった。前野良沢に教えてもらいながら、勉強しなから翻訳したのである。「解体新書」が完成した時、前野良沢はひどい翻訳と思ったので、自分が共著になるのを断った。そして、「解体新書」は杉田玄白の名前で出版され、best sellerになった。これは勉強だけでなくむしろ「間違い探しtest」である。権威ありそうな物でも間違いは多い。
添付は世界的な経済紙の「日本経済新聞」の「英語版HPのPRsample」版である。有料である。「こんなのでも金を取る」。「日本語版」は本社deskだけでなく多くの人のcheckが入るが、「英語版」はgoogle翻訳並みにひどいものである。我々は現在WIKIを離せなくなっている。それも無限大に成長していくので、とりあえずの調査には今のところ最適である。「紙・百科事典」は「10年以上の編集期間なので最新topicsが載らない場合がある」「専門家が紙の容量の都合で、割愛したものもある」「1次資料の引用などに限界があるが、wikiにはhyperlinkで簡単に飛べる」また追加・修正できる。今、「紙・辞典」を買っている人は自分が無知であることを表明しているのである。孫に「digital辞典」の使い方を聞くべきである。
 日本経済新聞の「英語版」の翻訳は酷いが、これが「2文4行」になっていれば、たとえ「誤訳」していても、読者は確かめられる。しかし別pageになっているので、「誤訳」を確かめようがない。現在、多くの日刊紙の土日版に「子供向け英語news」が出ているが、すべて、離れているので、勉強のしようがない。編集者は同じ過ちを何10年もしているようである。

 

●会員同士がZOOM授業が可能。基本「単位制」の「独学」である。したがって、学校の教室に行っても各自、別の勉強になる。「もの寂しければ」登校して、「仲良し」とZOOMで授業しても良い。北海道の生徒が沖縄の生徒とzoom授業しても良い。motivationが上がる。現在の学校教育では不可能だ。しかし、同じ「検定教科書what」を使用していれば「場所・空間where」を越えて、「時間when」を一致させるのである。また、pianoの練習がしたければ、headphoneをして、keyboardに接続して、「独習」できる。操作が間違えばdisplayの楽譜が間違いを指摘してくれる。これは「what課題」が異なるということである。
 相手が「異性who」なら誰でも必死に勉強するだろう。「5W1H」の一つの「who男と女」の「matchingapplication」である。ただし、その場合は未成年なので保護者・担任の「事後承諾」をもらうことにする。しかし、決して「相手」を好きになってはいけない。logを残しAI自動checkすべきである。
「反転授業」「発見学習」が可能になる。あらかじめ、hyper linkの「動画」で予習しておき、FAQでも解決しなければFAQ cornerに「質問」を出す。類似の疑問同士の者、その課題に関心があり一緒に勉強したいものがZOOMで「議論・問題解決」を求めあう「反転授業」が可能になる。このような「学習方法」が「発明・発見」のskill(思考回路)を身に着け、paper testに強い「暗記秀才」を追放できる。
●ZOOM授業が良いのは常時「会話」しなくても、勉強していることを示して「監視」してもらう。そして、分からなければ誰かにchatで聞くこともできる(logが残る)。1人が答えれば良いので、他の人は無視してもよい。100人ぐらいの規模が良いだろう。「headphoneで私語OK」。ZOOMで教室の外の校庭でdanceをしている者にも聞ける。少年院の者にも聞ける。地球の裏側のNZの者にも聞ける。Afghanistanの女子教育禁止で、家庭にいて、背中に弟を子守をしている二宮金次郎・女子版の女の子も可能。Ukraineの地下壕にいる女の子とも可能。同じ算数の勉強ができる。これでこそ「世界一のdigital教科書」を名乗る資格がある。検定教科書は単なる「目次」に過ぎない。その10倍以上の「課題・情報・解答」に触れることができる。
●excel辞書作成
 投稿された「2文4行」に引用された「日本語(カタカナ英語を含む)」「英単語」を「例文/英文・和文対訳」をexcelのtemplateで管理する。数万語になるだろう。これで「単語帳」になる。そして、「単語test」「例文test」が可能である。「音声合成」で「intonation」を勉強し「音声認識」で「intonation・test」が可能である。、randomに出題ができる。
●(2022-7-1)追加  「カタカナ英語alphabet変換」を使用しよう。 「IME user辞書tool」を拡充・共有しよう。辞書の編集者になれる。
 つい最近、私はMS-WORDで「カタカナ英語」が「英文」でも「IME漢字辞書」に登録されていることを発見した。今まで、「カタカナ英語」は英語spellを間違わないようにinternet辞書に行き、そこで「検索」して「コピペ」するしかなかった。「漢字変換」の「候補の底」に「英単語」がlistされていた。「英語ruby」との「並列表示」はできないが、「カタカナ英語」だけに関しては「漢字+かな+alphabet混じり文」にいきなり作文できる。これを多くの人が利用し通信すれば「漢字+かな+alphabet混じり文」が普及するだろう。子供たちが文章をつずる時にどんどん利用してもらいたい。同じ「カタカナ英語」を2回目打つと「底から最上位選択」が可能になる。「カタカナ英語1万語」が自由にspellingできたら「半分bilingual」になれる。
 また、この機能には「microsoft IME user辞書tool」がある。既存の辞書に追加できるのである。「カタカナ英語」限らず福沢諭吉が漢字造語した作業の逆をして原文英語を登録して「和英辞書」として行けば「漢字+かな+alphabet混じり文」に「カタカナ英語」以外からも英語が増えてくる。例えば「人民」は「people」、「酸素」は「oxygen」などを登録すればどちらも使用できる。TOEFLに必要な1万語を登録してしまえば商品として売れるかもしれない。名前は「TOEFL-word processor」である。ただし、1個づつ登録しなくても、Excel、textfileから一発で登録できるみたいである。TOEFL本からできそうである。誰かやってくれないかなぁ
MicrosoftのWordは現在日本語の基本toolである。日本政府は「国有化」すべきであると思う。というのはMicrosoftは「英語圏」支配なので、余り日本語に対する尊敬がない。もともと「かな漢字変換」は東芝が発明し、「一太郎」に受け継がれた。それをOSを独占していたMicrosoftが「後だしじゃんけん」で取り上げた。MicrosoftWordの「英語版」は「spell checker」しか利用されていない。彼らには「異言語」に対するrespectがない。「かな漢字変換」は「中国語」にも採用され、「ピンイン入力」にも採用され「漢字圏」に貢献した。
 またこの技術は「英語圏」以外にも採用される素晴らしい技術なのである。「ルビ技術」という平安時代の発明を追加すれば「異言語・AI-word processor」になるのである。自分の母国語で打てば「自動翻訳」で「2文4行digital-AI」word processor」になるのである。Afghanの中学教育を禁止されている女児が使用すれば、「Dari語」+「日本語」+「英語」の「3文6行AI教科書」で自宅で学習できる。内容は日本のものでよい。
「2文4行digital-AI」word processorは「世界標準文章format」とだと思いませんか。日本語でWordを打ち、「日本文」以外を「非表示」にすれば通常のWordの文章です。必要に応じて他行を「表示」にすれば「翻訳文」「翻訳ルビ」が表示されます。日本語で書かれたすべての文章が自動的「2文4行digital-AI」になれば自然にbilingualになれると思います。どんなに自動翻訳が進歩しても常に辞書を更新しなければ最適の翻訳は不可能である。その時に役立つのが「ルビ」である。平安時代の僧侶・貴族が漢文を勉強するときに自分たちが発明した「フリガナ」で難解な漢字を解きほぐし、漢字をmasterしたのである。いきなり1万語近い漢字を覚えるのはエジプトの石板「ヒエログリフ」を読み解くのに等しい。
 mailを送る時、「カタカナ英語」「漢字」をすべて英語にしたら怒られるかな。怒られるほどに自分が英語力に強くなる。「翻訳文」を送れば間違いの内容になるが、「漢字+かな+alphabet混じり文」から「漢字」がすべて「英単語」になった日本語なら「意味」の間違いはない。「ルー大柴」の日本語になるが面白い。小学生のmailでも可能である。
●追加教材
「検定教科書」には1263万人の「固定客」がいる。また、改定も10年ごとである。すぐに「2文4行」は完了するであろう。そこで、追加教材として良いのは「米国・digital雑誌」が良いかもしれない。幼児から大学生までの雑誌が2000円以下でsubscribeできる。例として、
 ◆NATIONAL GEOGRAPHIC LITTLE KIDS(3-6歳)。
 ◆s Illustrated(スポーツ誌)
 ◆Seventeen(小女誌)
これらを1冊だけ講読し、分割して、多くの人で「2文4行」にする。
●使用application
「2文4行」作成には有料、無料を含めていろいろなapplicationがある。私は応募原稿に対しては現役高校生が「自動翻訳」を使用したものでも良いと思う。勉強になる。あまりに酷いものは採用しなければよい。また、一端採用したものでも、利用者の指摘で入れ替えても良いと思う。それによりベストのものに収れんしていく。
 ◆「文書作成」LibreOffice、 MS office。
 ◆「対訳文作成」には「自動翻訳」がある。「Google翻訳」。「英和辞典・和英辞典 – Weblio辞書」「Deep L」などがある。しかし、完全なものはない。それが却って「勉強」になる。「間違い指摘test」である。
 ◆「ルビ作成」には「英読(英文に『漢字ルビ』を自動的にふる)」。
 ◆「英るび」で日本語に「英語るび」を振る。開発中。
● 蛇足だが、このideaを理解できない「紙・教科書・攘夷派」の「石頭」の人達には「2文4行」の「日本語」だけをlockして残し、後は「非表示」にすれば、あなたの希望する現在の「偽・digital教科書」になるので安心して利用して下さい。それでも不安なら「印刷」してください。

[36]駅弁大学・「コンビニ大学」「教育inflation」  
 大学には色々ある。戦後には「一県一国立大学 」の「駅弁大学」ができたことにより、大学が一気に拡大した。また、それ以外に明治維新後にできた慶応大学のように古い歴史の私立大学もある。最近では世界一と言われている「ミネルバ大学」のように「通信制」と「移動campus」と組み合わた大学もある。大学の名声と評価が困難になってきた。ハッキリしていることは大学の設立が簡単になった。また、internetを利用した大学が増える可能性があるということである。名声・伝統校もウカウカできない。
 ここで、東大が「通信制・法学部5000名」を募集したら受験生はどのような判断するだろう。また、学費を出す父兄はどう判断するだろう。「通信制」なので「全日制」と2つの学部に入学可能になる。京大・経済学部と東大・通信制・法学部の両方に入学できる。期末試験が重なれば 東大通信制を優先して、京大・経済学部は「再試60点/「絶対評価」合格点」を選択するかもしれない。というより、「単位制」「絶対評価」になれば1学期で卒業可能になる。
 大宅 壮一が「駅弁大学」と揶揄したのは大学はエリートの選ばれた者が行くべきと当時の世相を表現したものだと思う。また、大卒が増えすぎると受け皿がなくなり、「大学はでたけれど」という戦前の実態を心配したものと思われる。多額の国費補助金を使い、挙句の果てに就職出来なければ「税金の無駄遣い」と映るのかもしれない。特に医師、獣医師、歯科医師、薬剤師、弁護士などの「資格職業団体」は自分たちの競合者が増えることで反対する。しかし、自分たちの子弟が入れる「寄付金(裏口入学)大学」には賛成する。
 20年単位で見れば科学技術は進歩する。大学のCurriculumは追いつけない。ということは「資格職業」の先生たちは「日々・知識更新」しないとダメなのである。一番困るのは資格はあるが、勉強しない無能力の資格者は客である患者、依頼人にとって大変なことになる。そんなときは「電子Karte」を他の医者にみせて、「second opinion」を聞くしかない。
 日本の大学だけでなく大学教育問題点は「入学」を「相対評価」で「定員枠」しか「入学」させないことである。本来、学問は「求める者」に「入学」を許し「絶対評価」で基準に達しないものには「免許皆伝」を与えないのが正論であるはずた。そうしないと「大学・道場」経営が成り立たない。
 戦後、設立された「駅弁大学」だけでなく、「convenience store大学?」の私立大学は大宅壮一が心配した結果になっただろうか。実態は逆で、戦後の「高度成長」を支えた「企業戦士」になり、世界市場を席巻した。大学で勉強したことより会社に入ってからの勉強が役にたっている。どんな大学でも、「大卒」というprideが動機になり、一応、企業でガンパッテいるのである。そこが高卒との違いである。
 今後、大学に「通信学部」が併設されると、入学者が5-10倍の合格可能性がある。そうなれば、大多数の私立大学の「通信制」は募集者が集まることはなく、東大などの「brand大学」に集中する。それで良い。「自由競争」である。「一人で5学部入学」も可能である。「駅弁大学」が設立された時に心配された「大学過剰」の心配は必要ない。「通信制」は「全日制の付録」なのでCostは安いので被害は少ない。
 文科省は「通信制・学部」については何も規制しない。ただ一つ、「卒業資格はcampus組の定期試験の平均値以上であれば、平等に卒業証書を出さねばならない」と通達するだけで良い。慶応大学は「通信学部」も「キャンパス組」も差別なく、「学士卒業」となっている。
そうなれば、社会人でも仕事をしながら「通信制・学部」に入学・卒業することができる。それがよい。社会人は、高卒学生と異なり、Curriculumに対して厳しくなる。「即戦力」にならない「骨董品・教授」の授業を選択しないし、「教授評価site」に「minus点」を付けるだろう。
 また、細分化された現代社会なので、学部に関係なく、異なった大学の「教科」を受けることも可能にする必要があるかもしれない。1つの大学buffetで好きな料理(他学部)を選ぶようなものである。またfood courtで異なる大学の好きな料理を選択するようなものである。
 駅弁も最近見かけなくなった。東京駅・上野駅では全国の駅弁が買えるようになった。これなどは「通信制大学」そのものである。昔の駅弁はその駅に行かなければ買えなかったが、現在は通信・搬送が便利になりどこでもdeliveryしてもらえるようになつた。「通信・搬送」革命である。病院も内科などは「remote診断」で名医に掛かれるようになった。特に「corona禍」で医者が感染しないようために必要である。医療手術みたいな実技でもVRでremote手術できるようになった。
 時代は想像以上に進歩しているのである。
 全国の医者・医学生のために「日本語医療用語は禁止にして英語用語のみ」にしてあげないと、無駄な「日本語病名」も覚えなければならない。尺貫法を廃止して「meter法」1本にするのと同じである。

[37]「オルタナティブスクール」のように「塾教育を公教育」に導入。
青山雄太氏への手紙  2023-5-6
「2023-5-5-NHKのくまもとの風」を見て「オルタナティブスクール」に感心しました。このような学校経営が可能なことを初めて知りました。現在の初等教育で「オルタナティブスクール」の存在が許されるとは知りませんでした。「不登校生」を対象にした教育確保法(2017年実施)などという法律があることも知りませんでした。いずれにしても素晴らしい試みだと思います。「オルタナティブスクール」では公立学校になじまない不登校児童とかを募集していますが、普通の子弟が入学可能なのでしょうか。私は公立学校こそ「オルタナティブスクール」と同じCurriculumにすべきと思っていました。諸悪の根源は「学習指導要領」です。
 
「オルタナティブスクール」でgoogleすると青山雄太氏紹介の15校がありました。https://ao-labo.com/school-list/

 それぞれのHPを見て、設立の趣旨と教師が従来の公立校の教育に飽き足らず、それより素晴らしい教育をしたいという意図が分かります。長州・藩校明倫館の塾頭を務めていた吉田松陰が 松下村塾を引き継いだ時と同じかもしれません。士分だけの藩校では不可能な商人・農民を受け入れました。明治維新(倒幕・革命)の中核人物を育成しました。もっとも幕府からは「terrorist養成校」だったです。事実、伊藤博文は幕府を困らすため、英国公使館を焼き討ちしました。渋沢栄一もそれを真似しようとしました。      
 私は現在は「学習指導要領」打破の時代だと思っています。「日本語・教育・革命」の時代だと思っています。公立教育ではそのようなことは不可能です。現在、以前では不可能だった「武器」が出現しました。後はそれを使用する革命家・教師(文科省から見ればterrorist)と「方法論」だと思います。革命の原資は文科省から窃取しても良いのです。明治維新でもそうしています。間違った思想のterroristの東大・京大の中核派を国費で養成している文科省が良いterroristを罰する事はできません。

武器としてはICT教育のGIGA計画で配布されたPCです。そして、「方法論」は「単位制」の授業です。ここ数年で「単位制」のICT機器・教材は選択に困るほど出現しました。私はどれでも良いと思いますが、「AI授業(教師に代わり・出題・回答・理解への誘導、教師が居眠りできるもの)」「6歳の児童に、小学から高校までのdigital教科書配布」、そして私の提案する「教育・日本語革命・第2弾の『2文4行』」「日本語横書き」「alphabet国字採用」が必須だと思います。

◎ というより、「digital-AI検定教科書」は義務教育(高校も含む)だけでなく、我々、死にかけている世代にも「無料配布」すべき「公共知財」である。文科省のHPに誰でもdownloadできるようにすべきである。世界のどこからでも、誰でも見れるようにすべきである。このような「公共知財」は他にある。「日本特許明細書」MOOC(世界の大学の授業)の授業などである。一体、閲覧制限をしてなんの意味があるのだろう。文科省は余りにdigital-検定教科書の出来が悪いので世界に開示したくないのだろうか。protectをかけて向学心のある人間をshutoutしている。日本国憲法が「義務教育」を規定しているのであるから、その「学習素材の自由公開」も入れるべきであると思う。そうすれば「100人ZOOM教室」で教師を半数にできる。意欲ある教師には無限の生徒が集まる。

◎私は公教育の「一斉・対面・板書(大型screen)」学習は「落ちこぼれ製造装置」だと思います。また、多くの学童が公教育と塾の教育の「二重教育」の「費用のムダcost performance 」「時間のムダtime performance」を避けられます。現在の公教育のすべてを「オルタナティブスクール」にすべきと思います。
 番組の中で新太君が「先生が全部指示して指示通り動かないと怒られる」「授業中動いてはだめ、人がしゃべっている時にしゃべったらだめ、優秀な女子の同級生からも先生の意向を受けて注意を受ける。(これパワハラ・イジメ)では?」と言っていましたが、「一斉・対面・板書・学習」の最大の問題点です。「落ちこぼれ生徒」が「学習」の真理をついています。
「オルタナティブスクール」では「検定教科書」の代わりに「digital-AI塾教材」で「自主学習」する。「検定教科書」に落ちこぼれたのだから「digital-AI塾教材」使用を教育確保法に認められた制度である。公学校に通っている第2の新太君が「俺、今日から 『落ちこぼれ』、『塾AI教材』で『1人学習』する」と宣言して、自分の机を教室の後ろに移動させ、黒板に背を向けて、勝手に電源を取り、大型monitor、headphoneで他の生徒に迷惑を掛けないで「1人授業」したら、担任、校長、教育委員会は教育確保法で承認しなければならない。校長はせいぜい「保健室」の隣に空間を確保して隔離して抵抗するしかない。それもしばらくの間である。第2の新太君以外の父兄も全員希望する。出稼ぎ外国人子弟が入学して来れば、そうしないと「落ちこぼれ」になる。楽器演奏なら校庭の芝生の上での学習も認めなければならない。また、楽器・合奏なら夜、帰宅した気の合った者同士で「ZOOM学習」をすることにより、team workの育成になる。

[38]ChatGPTを批判する教授は無能力者

 ChatGPTという「怪物」が出現した。この出現に対して、肯定、否定の話が出ている。特に否定の話として、大学教授が自分たちの学生に課した課題をChatGPTで答えるのは許さないと言う。バカじゃないの。それは教授が出した課題の正解としている回答がChatGPTより「劣る」ことを心配しているのである。AI技術は今後、どんどん進歩して教授の心配するような事態になる。今までは他の大学の授業より自分の授業が素晴らしいと嘘をついていれば良かった。しかし、その主張を裏付けるためには世界の教授の授業と比較・検証しなければならなかった。しかし、今までは大学という「秘密主義の垣根/商売のterritory」があり、「比較禁止」であった。最近はMOOC(私が1977年に提案していた)で「公開」されるようにはなったが「比較・検証」まで行っていない。ChatGPTではそれが可能になるのだ。
 すでにchess、囲碁、将棋はすでにcomputerに勝てないことが証明された。それではchess、囲碁、将棋がgameとして成立できないので、それを存続するために「人間将棋」では対局中に「PC将棋」を見ることを禁止している。もはや、「人間将棋」は「詰め将棋」という相手に勝つ勝負というより、ミスをしない将棋というgameになっている。そして、ミスをしないPC将棋は「控室」で「採点」して、それを視聴者に見せるというgameになった。藤井聡太がPC将棋にない差し手をして勝った場合が話題になる。それはPCの設定が浅かった場合である。しかし、次回からは PC将棋はAIでより賢くなっているのでそのようなことは起きない。現在、藤井聡太はPC将棋を「師匠」として勉強している。ではPC将棋をこの世から抹殺すべきなのか。そんなことはChatGPTを抹殺するよりむつかしい。将棋fanを敵に回してしまう。
 この状態と同じで、教授の回答はいずれ世界の大学の授業と「比較・検証」したChatGPTに負けてしまう。特に海外文献から盗んでいた教授は「出典」を示され「化けの皮」がはがされる。東大の教授が三流大学の教授にやられれば、将棋のように観客(学生)に取っては痛快である。gameは下位の者が上位の者に「新手」で勝てば将棋fanに取っては最高なのである。
 新井紀子教授が「東大入試文章問題」に「東ロボ」が永久に勝てないと言っていたが、いずれ「100点」を取れる時代がくる。それがAIではないだろうか。
 このことから類推すると将棋と同じようにChatGPTを「師匠/tool」として研鑽するのが「人間」のとるべき道ではないだろうか。
 ChatGPTは質問の仕方によって、回答の優劣に大差が出ている。そこで「良い質問ですね」と言われるようにするための職業が発生した。AI prompt writersと言うらしい。年俸4000万円の人もいるらしい。ChatGPTはしょせんtoolなのだからそれを上手使う人間が出ても当然である。その職業もtoolがより使いやすくなれば廃業するかもしれない。しかし、それはすべて売る相手がいての話である。学生というmarketを持っている大学教授は今まで安心であったが、大学の枠を超えたInternet空間に出現したChatGPTには負けてしまう。
 大学で出題した課題が「良い質問ですね」と言われるかどうか、教授の模範解答とChatGPTでたちまち比較される。学生も正解が答えられなくても、比較はできる。もし、不都合な言い訳をすればfacebookで証拠を上げて学生間に拡散されてしまう。もともとfacebookは大学構内の交信から始まったものだ。大学教授という商売もむつかしくなったものだ。教授の「評判」などはSNSでたちまちつぶされてしまう。教授の職業は「上から目線で教えてやる」というのではなく、chefで客の学生に「料理/学問」を提供して味わってもらうということである。まずければSNSで非難される。

[39]「2文4行format」の汎用化   2023-10-1
 現在のところ「2文4行format」は「英語」を「標準」している。それは「英語」が世界の言語で
「de facto standard 」であるからである。この2言語が「Spain語」「France語」としても問題ない。「2文4行format」が各言語の「上位概念」として考えれば「英語」に限定しなくて良い。すなわち、「英語」を「標準」にしなくても良いのである。その意味するところは「各国家・言語」の平等尊重である。そのためには「環境整備」が必要である。例えば日本語の場合は「縦書き禁止」「カタカナ英語禁止」「alphabet国字化」として「漢字+ひらがな+alphabet交じり文」にした方がよい。「2文4行format」が基本で、そこに使用される「辞書file」がunit化されていて、「スポン」と入れ替えが可能にするのである。「2言語・自動翻訳」はポピュラーになって来ている。「2文4行format」はそれに「ルビ」を付けて「異言語学習」の最適のフォーマットである。またもう1つ重要な役目は「2言語・自動翻訳」の「翻訳ミス発見」するという大事な役目もある。どんなに自動翻訳が進歩しても「新語発生」「同音異議」での「誤訳」が発生する。その誤訳を発見して、翻訳辞書に学習させるのである。

[40]「2文4行format」で「ろう者」に「口話(読唇術・発話)AIアバター」教育で外国語も。「手話」を追放。2023-11-1

 最近の「FAKE-AI技術」はすごい、米国大統領が「音声AI」「映像AI」でTVでFAKEを喋っていても、素人では見抜けなくなっている。NHKでも「音声AI」でannouncerなしで代読させている。ほぼ、完璧で人間announcerが喋っているようである。本物のannouncerは「トチル」のである。原稿を書いているcommentatorは生き残れるかと思っていても、「生成AI」のチェツクが入る。最近の放送でcommentatorは手書きでなく、word processorで打っているので、「同音異義」の間違いが多く、放送後の修正が増えた。現地訪問の「記者」ぐらいが生き残れる。cameramanも最近は「視聴者提供」のnewsが多くなっている。cameramanは「瞬間移動」できなければ失業である。将来になくなる仕事はannouncer、cameramanである。これは「無声映画」がtalkie出現で「弁士」がいなくなったのと同じである。announcer、cannouncerも「芸人・俳優」になれば生き残れる。
 将来、「AI」が進歩すれば、ろう者・健常者が「手話」を覚えなくてもよくなるのである。現在の専門家でも見破れないFAKE動画でも「読唇術」のできる「ろう者」なら見破ることができる。それは「口・唇・表情筋」の「動き」で「読唇術」が可能であるので、現在のFAKE動画では見破ることができるのである。
 以下はろう者同志が健常者と変わらず「読唇術」で「手話」なしで「発話・会話」している。彼女らは「現代・口話」達成者でもある。
「読唇術の極意について、難聴者コンビではなしてみた!」
https://www.youtube.com/watch?v=XbiY_mDdxP0

「口話って?今の口話と、昔の口話は実はぜんぜん違う!?実際に口話で会話をしている私が、解説します!」
https://youtu.be/Aa7ORzDS3oI
「口話」- 口話は、相手の口の動きから話し言葉を理解し(読唇術)、伝えたいことを声に出して話す (発話)コミュニケーション方法です。 「ろう者」の「手話」に代わるもの。しかし、「口話・教師」が少ないことと、過去の「口話」教育がひどかったので「手話」が主流になった。
 もし、将来、FAKE-AI動画が進歩して、彼女らが見破れないほど、「口・唇・表情筋」の「動き」が自然になれば、現在のannouncerは完全に不要になる。それは逆に「ろう者の口話教育」に利用できるということである。「手話」の追放が可能になる。そうすれば健常者が手話を覚える必要はない。現在でも健常者が手話を覚えなくても「スマホLINE音声入力」で「テキスト文」の画面をろう者に見せれば、ろう者がLINEで返事できる。昔の「筆談」である。将来はろう者が上の二人のろう者のように「口話」をmasterすれば「手話」の代わりに外国語が勉強できる。下手をすれば健常者よりbilingualになれるかもしれない。私などは今でも「RとL」「Sとth」「BとV」の発音ができない。

 つい最近、Hollywoodの俳優・脚本家が「著作権」でstrikeした。それは「脚本」も生成AIで「keyword」を入れれば「自動作成」され、仕事が減ることへの心配であった。また、映画俳優も、コピーされ、出演時間が減るようになることを心配している。最近のアニメ等は口話は必要ないので、AIで製作されるようになり、セル画などで「手書き」するより生産性も上がっている。また、ドラえもんも、サザエさんも昔に比べて、「精細、ビビット」になっている。特に明るくなった。

資料
●00 告発「学習指導要領・批判」 原稿Ver.25(添付資料のまとめ)

●000a 英語「話す力」AIで向上へ-エキュメノポリス-産経-2023-8-16
●授業中のうかつな一言 子ども傷つけ猛反省-日経2023-9-18
●青山雄太氏紹介・15校オルタナティブスクール2023-5-5
●000a 「カリキュラム・マネジメント」の重要性。「塾教育」を「公的教育」に導入可能
●週刊ポスト2021-11-19-01「大前研一」日本人の英語力が貧弱なのは間違った文科省教育の学習指導要領のせいだ」
●「TextPedia」企画案。年間収益60億円。
●00 小学校・中学校・高等学校・学習指導要領-国語-作成者殿
●00 小学校・中学校・高等学校・学習指導要領-外国語(英語)-作成者殿
●00 5大臣の理科系英語用語能力
●00日本独自のアフガン援助計画
●01Google検索「タブレット教材」7社
●02 18社教科書会社に「英語ルビ」を提案02-2021-8-1
●03 「かな・alphabet・漢字・交じり文」の日本語ワープロ提案-現在は「日本語文化大革命」のturning point2021-5-25
●04 究極のDX教育・人体実験。文科省は各生徒の「脳細胞」を教育・把握・指導
●05 文科省の「スマホ学校使用禁止」はイジに加担2020-9-18-02
●06 「捨て子」に「エリート教育」をすればどうなるか
●07日本の教育の「遅れ」は教育基本法の「対面教育(一斉授業)」「学習指導要領」「非単位制」にあり
●08 教科書ハッキング
●09「デジタル教科書」を「紙・教科書」に戻せは「学級崩壊」で紙飛行機
●10 公立・小 中・高校」の「民営化」
●11 NH通信高等の授業を無償公開せよ2020-5-3
●12 「NHK通信高校授業」を無料配布
●13 「オンライン授業」か「ダウンロード(オンデマンド)授業」か-東大-田浦健次郎朗
●14東京大学「法学部・通信学部」を設立して大学授業・入試改革の実験をすべきと思いませんか。
●15 東大をVTR化せよ-MOOCで具体化-ビデオプレイ誌1982-12
●16 大学授業革命授業を評価する「プロログ(professor-log)」の設立
●17 「授業の合間に今月の英語の歌」「音楽と英語の合併授業/香川直島小学校 」の提案
●18 日本の技術で中国に有史以来、最大貢献したものは何
●19 カルロス・ゴーンに15億円懸賞金
●20 Generation Hopping2020-8-5
●21 親が金持ちなのが羨ましいというと自己責任!と反論されますが、ならば子供に一切教育を与えないのでしょうか?我が家のように高校の学費も、受験料も、本も与えず、生活費はバイトで稼がせ、団地住みなのですか
●22なんらかの事情で塾に通えない子どもたちのため
●23本当に、小学校のプログラミング教育で論理思考は育つのでしょうか
●24中国人に伺いします。ピンイン入力で漢字変換してます。漢字に英語ルビが付けば、20年後にはバイリンガルが10億人です。孔子学院でバカな米人に漢字を教えるより、10億人のスパイ養成になります。どうですか
●25韓国人にお伺いします。「歴史を忘れた民族に未来はない 」と言いますが、「ハングル漢字混じり文字」から漢字を追放しました。
●26世界の従軍慰安婦像の横に「反論・プレート」を設置する運動はどうでしょうか。民間人の寄付により2m幅4m高10cm厚のブロンズ製反論碑を日本語+ハングル+接地国言語で説明。本人回答あり02
●27 皮肉だが医者・保健所がPCR検査を邪魔した。
●28 福島原発処理水を「南鳥島」または「沖ノ鳥島」に移設して放流。たった5-15億円
●29 レーザー兵器の1発にかかるお値段は110円と自販のジュースより安いです。これからの兵器はレーザー兵器に移行していくのでしょうか?それともまだまだ他の兵器が頑張りますか
●30「ホイール・イン・モータ革命」の深浅市・電気街「華強北」に2日いて感じたこと。慶応大学の電気自動車。
●31「選択の科学」を科学する2021-1-24
●32 特許「泥棒」物語
●URABE-PATTERN

占部聰長 Urabe,Toshinaga
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