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無量光寺【一遍上人② 】

歓喜童子の絵を見ながら、
一遍上人の言葉を味わううちに
一遍上人の人生に俄然興味が湧いてきました。
そこでWikipediaやYouTubeで調べ、
一遍上人の映画も観ました。

そしてなんと相模原に一遍上人開祖のお寺 
当麻山無量光寺があることを知りました。
藤沢の遊行寺が有名ですが、
まず先に無量光寺に行ってみることにしました。

無量光寺への道


横浜駅から相鉄線海老名で
JR相模線に乗り換えました。
相模線はユーミンの歌に出てきますが、
人生で3度目の乗車です。

原当麻(はらたいま)で下車。

国道沿いの道を10分ほど歩いて下っていくと、
入り口の門構えが見えてきました。






7,000坪の境内は亀の形をしていて、
亀の首にあたる参道を登り山門にはいります。




まっすぐ進んだところに、
一遍上人が立っていらして、
近づくと、よく来たね…と
私を呼んでくださいました。



「歓喜童子たちを連れてまいりました。
 どうぞこの子たち用いてください。
 みんなの心を元気にして
 愛と勇気を満たしてください」
と、申し上げました。


それから、ずずっと、
中に進み、社務所に行きました。



「ごめんください」と声をかけると、
割烹着姿の優しそうな年配の女性が
奥から出てきてくださいました。
私は名刺を差し出し、自己紹介して、
不躾ながら、住職さんへの取次をお願いしました。
残念ながら、
本日ご葬儀のため住職さんはご不在でした。
本の説明をして、一遍上人のゆかりのお寺に
奉納させていただきたいと申し上げると、
住職さんにお渡しくださるとお約束いただけました。
少しお話しをしていたら、
一遍上人のお墓があることを教えてくださり、
「どうぞこちらに」と案内までしてくださいました。
そこには一遍上人のお墓と、
歴代上人のお墓がひっそりと並んでいました。
なんの標もない墓地ですから、
ご案内いただけなかったら、
知る由のないところでした。





小冊子をいただき、読んでみて、
いろいろな事がわかりました。



当麻山無量光寺は時宗に帰属し、
古くは浄土門当麻派大本山として栄え
「当麻根本道場」と呼ばれていました。

時宗とは?


そもそも時宗とは何でしょうか。
Wikipediaによれば、
鎌倉時代末期に興った浄土派の一宗教で、
浄土宗は信心の表れとして
念仏…南無阿弥陀…を唱えることで
往生できると説いています。

開祖の一遍上人


1239年(延応元年)2月15日に
伊予(ほぼ現在の愛媛)の名門河野家、
通廣公の次男として生まれ、幼名は松寿丸でした。

幼くして母を亡くし、
父の勧めで天台宗継教寺で出家し、
13歳で法然の孫弟子にあたる聖達の下で
10年にわたり浄土宗西山義を学びました。
 

1261年、秋も半ばのことです。
当時23才の一遍上人は諸国遊行の旅の途中、
依知の里の草案に一夜の宿をとり、
一心に念佛を唱えていました。
すると、
真夜中に東の空が急に光り輝き、
妙見菩薩が姿を現され、
「あなたのおいでになるのを長い間待っていた。
 この山はあなたに宿縁のある山である。
この山で修行すれば念佛功徳は四海に及ぶであろう。
夢々疑うことなかれ」と告げられ、
紫雲の中に消えました。
上人はありがたいお告げに感動し、
夜明けを待ちきれず、相模川を渡り、
東北方の大樹の茂る亀形の丘に登ってみると、
そこに妙見菩薩の小さな祠がありました。

上人はこれを「金光院」と名付け、
修行に励まれましたが、
1263年、父死去の悲報を受け、
故郷の伊予に帰っていきました。

その後、1270年43歳の時に、
奥州遊行の帰路、当麻山にとどまり、
修行をされました。

そして翌年3月、
鎌倉方面に向け遊行の旅に発たれます。
この時、名残を惜しむ弟子や信徒に乞われ、
自らの姿を水鏡に映し、
筆をとって絵姿を描き、自ら頭部を刻み、
弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成させました。
これが御影の像として尊ばれ、
現在も本尊として安置されています。
 

一遍上人は51歳で波乱万丈の生涯を閉じますが、
その臨終の際に殉じようとしや弟子に新教上人がいました。
死を前にして全ての書物を焼き払った
一遍上人の教義を継いだ新教上人は1303年2月、
遊行を知得上人に委ね、
年老いた身ながら、
翌年当麻山に一字(建物)を建立しました。

そして、無量光佛の由来からその名を
「無量光寺」と名付け、
宗祖一遍上人の分骨を埋葬し、
時宗教団の本拠地とし、
う念佛の道場として守られました。(小冊子より要約)
 


木立からは大きなエネルギーを感じます。
雨上がりのみずみずしく光る
ビロードのような苔上に、
ぴょんぴょん飛び跳ね、
舞っている歓喜童子たち…






なんとも不思議な光景が広がっていくのを感じました。







一遍上人法語


夫念仏の行者用心のことしめすべきよし承り候。南無阿弥陀仏と申す外、さらに用心もなく、此外に又示すべき安心もなし。諸の智者達の様々に立ておかるゝ法要どもの侍るも、皆諸惑に対したる仮初めの要文なり。されば、念仏の行者は、かやうの事をも打ち捨てて、念仏すべし。「むかし、空也上人へ、ある人、『念仏はいかがもうすべきや』と問ひければ、『捨てゝこそ』とばかりにて、なにとも仰せられず」と、西行法師の撰集抄に載せられたり。是誠に金言なり。念仏の行者は智恵をも愚癡をも捨て、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるゝ心をもすて、一切の事をすてゝ申す念仏こそ、弥陀超世の本願にはかなひ候へ。かやうに打ちあげ打ちあげとなふれば、仏もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし。善悪の境界皆浄土なり。外に求むべからず、厭ふべからず。よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。人ばかり超世の願に預るにあらず。またかくのごとく愚老の申す事も意得にくゝ候はば、意得にくきにまかせて愚老が申す事をも打ち捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願に任せて念仏したまふべし。念仏は安心して申すも、安心せずして申すも、他力超世の本願にたがふ事なし。弥陀の本願には欠けたる事もなく、あまれることもなし。此外にさのみ何事をか用心して申すべき。ただ愚なる者の心に立ちかへりて念仏したまふべし。
南無阿弥陀仏










歓喜童子があなたのところへも遊びに行くかもしれません…ね。

あれから1年 不思議なことがたくさんおきてますよ。

#当麻寺 #相模線 #一遍上人
#時宗

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