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📕 玅雀、ナヌミン、赀毛のアン📕


「玅雀」ず聞いお、䜕を思い出したすか
真っ先にナヌミンの5枚目のアルバムを連想した方も倚いのではないでしょうか 


これは吉屋信子先生に小説のタむトルです。


私は吉屋信子先生の「花物語」が倧奜きでした。
䞭原淳䞀先生の挿絵も矎しい花物語 手元にあった本を手攟しおしたったので、
残念に思っおいたので、鎌倉の吉屋信子蚘念通に行っおみようず思い立ち、
11月1日に通内芋孊予玄を取り付たした。
10月14日のこずです。

ナヌミンず玅雀


 10月27日に「すべおのこずはメッセヌゞ 〜小説ナヌミン」販売開始。
翌日、予玄しおいたAmazonから届きたした。
読みはじめたら止たりたせん。

するず第二章74ペヌゞに
「家の本棚には吉屋信子の『玅雀』など戊前の少女小説があり、文孊少女のゆうこちゃんだけでなく、由実も読み耜った。」

そしお第六章211ペヌゞには
「吉屋信子の小説みたいな麗しい瞬間」
ずいう䞀文がありたした。

11月1日出かけた吉屋信子蚘念通でショヌケヌスに展瀺された
「玅雀」を芋た途端、電流が流れたした。

吉屋信子文孊通


「玅雀」そうか これが
ナヌミンが少女時代に愛読した小説だ
そこですぐにAmazonに泚文しお、
翌日から立科に向かいたした。


信州から戻っおくるず、届いおいた「玅雀」
すべお攟っお、読み耜っおしたいたした。

玅雀 あらすじ


黒き瞳のひずよ

うれし悲しみの色を芋せぬ
あはれ君の黒きひずみ
そは鉄くろがねず黄金こがねの
溶けお凍りし
死火山の冷たき宝石
    ヌポヌドレヌヌヌ

東海道線のヌ東京行きの列車に沌接駅から父が枩宀で咲かせたフリヌゞアの花䞀束を携えお身軜に乗り蟌んだ蔊村玔子は自分の占めた座垭の前にいち早く二぀に黒い瞳を芋出した。略
その矎しさも怪しきばかりの凍れる宝玉の双眞の持ち䞻は十四五歳の少女である。
 P7、P8 4行目


ヌ䞍思議な珍しい感じの少女
玔子はこう思っお、あたりじろじろ芋るのも気がさしお県をそむけるず、その少女の隣に仲良く䞊んで腰かけおいる䞀人の少幎、十䞀、二歳の子がいたのだ。その少幎の顔はたあ䜕ず云う可愛ゆらしさ、䞊品さで貎族的でそしお可憐でヌほんずに可愛い可愛い矎少幎だった。
P8 134行目〜P9 2行目


事情あっお独り身を通す蔊村玔子は蟻男爵家で䜏み蟌みの家庭教垫をしおいたすが、
久しぶりの里垰りの垰路の東海道線に䞭で、
この姉匟に出䌚たした。

姉匟の母は䜕ず汜車の䞭で心臓麻痺で頓死しおしたいたす。
長厎でカ゜リックのシスタヌの愛の教育を受けた玔子は、
これは神様の思し召しず思い、
この二人を匕き取るこずを決意し、
蟻男爵家に二人を䜏たわせおほしいず頌みたす。

蟻家は早くに父を亡くし、
若干19歳で圓䞻ずなった珠圊が、
母ず効の綟子ず3人で暮らしおいたした。
母の優しい蚈らいで、
䞍幞な姉匟は孀児院に行くこずを免れ、蟻家で暮らすこずになりたした。

挿絵は束本か぀ぢ先生
P50より




姉のたゆみは、しっかりもので健気ながら、
勝ち気な面もあり、なかなか蟻家に銎染めたせんが、
匟の章䞀はあどけない倩䜿のような少幎は呚りず打ち解けお、
皆に愛されおいきたす。

たゆみは綟子ず歳も近く、
特別な蚈らいで同じカ゜リックミッションスクヌルに通うようになりたす。

P268より


「孀児で居候」ずいう立堎のくせに生意気だず
綟子の同玚生の成金金持ちの嚘・利栄子は䜕かずたゆみを敵芖したすが、
たゆみは歌も䞊手く、フランス語も堪胜で
乗銬たで達者なこずがわかりたす。
利栄子は面癜くありたせん。
蟻珠圊ず結婚させたいず目論む母芪ず結蚗しお、
意地悪をしおいきたす。

別荘のある䌊銙保で、ある事件が起こり、
物語は思わぬ方向ぞず進んで行きたす。


                       P250より

䜜者 吉屋信子

吉屋信子さん wikiより


吉屋 ä¿¡å­ïŒˆã‚ˆã—ã‚„ ã®ã¶ã“、1896幎明治29幎1月12日- 1973幎昭和48幎7月11日は、1920幎代から1970幎代前半にかけお掻躍した日本の小説家。初め『花物語』などの少女小説で人気を博し、『地の果たで』で文壇に登堎。以埌家庭小説の分野で掻躍し、キリスト教的な理想䞻矩ず枅玔な感傷性によっお女性読者の絶倧な支持を獲埗[3]。戊埌は『埳川の倫人たち』が倧奥ブヌムを呌び、女性史を題材ずした歎史物、時代物を曞き続けた。同性愛者であったず蚀われおおり、50幎以䞊パヌトナヌの千代ず共に暮らした。
wikiより


解説のよれば、

「本誌少女の友で連茉䞭の吉屋信子先生の傑䜜『玅雀』は党囜の女孊校、小孊校で倧倉な人気になっおいたす。
少女が集たるず『あなた玅雀およみになっお』『いいわね、玅雀はステキよ』ず話の皮になっおいたす」
P296



ずいうように倧倉は絶倧な人気を博しおいたようです。


「玅雀」は1930幎昭和5幎に曞かれた䜜品で、単行本は1933幎昭和8幎に実業之日本瀟から出たした。4幎埌の1937幎昭和12幎に同じ実業之日本瀟から出た『私の雑蚘垳』の巻末にこんな宣䌝文がありたした。

「矎しい聡明な少女達が人生の荒浪をくゞっお行く時におりなされたる、悲しくも繊麗なる、綟ず感觊を、この物語から受け取りるに盞違ありたせん。
 満倩䞋の少幎少女諞君の玅涙を絞った名䜜です。本曞は吉屋先生が、数ある少女雑誌のうちでも、他の少女雑誌ぞの執筆を断り、特に少女の友のためにあらゆる熱意ず党心を打ち蟌んで曞き綎られた圓時の物語です。
少幎少女小説界の最高峰」
P299


私は吉屋先生の文䜓が奜きでした。
母を倱ったばかりの16歳の時、
薄幞の姉ず匟が自分達ず重なる郚分もあったのか、
容姿も䞭身は䌌おもに぀きたせんでしたが
図曞宀で借りおきおは読んでいたず思いたす。
そしお次第に「女人平家」「埳川の倫人たち」が
人生の愛読曞になっおいきたした。

赀毛のアンず玅雀

『玅雀』の宣䌝ポスタヌ

さお、ここにたた面癜い接点を芋぀けたした。
1935幎昭和10幎に公開された”ANNE OF GREEN GABLES”
映画の邊題は「玅雀」でした。
この映画はドヌン・オデむが䞻挔したモノクロ映画ですが、
ドヌン・オデむはその埌、芞名をアン・シャヌリヌに倉えたくらい
気に入った映画でした。

ずっずなんで、『玅雀』なんお邊題が぀いたのかしらず
䞍思議に思っおいたしたが、
䞉笠曞房から村岡花子蚳の「赀毛のアン」が出たのは、
1952幎。

1935幎には日本の子䟛たちは「赀毛のアン」を読んでいなかったのですね。

孀児のアン・シャヌリヌの物語を
圓時人気絶倧だった『玅雀』のタむトルを぀けた・・
これはお芋事だったような気がしたす。


アルバム 玅雀

アルバム『玅雀』


タヌミヌ氎の江瀧子が倧奜きだったナヌミンのお母様、
きっず吉屋信子ファンだったの違いないず思いたす。

本棚にあった吉屋信子の本を少女時代の
八王子の由実ちゃんは読み耜っおいたのですね

吉屋信子の䞖界ぞ

流れ星

角にたち出でただひずり
人埅ち顔のさみしさに
ゆうべの空をながむれば
雲の宿りも捚おはおお
䜕かこいしき人の䞖に
流れお萜぀る星䞀぀
75P 1行目〜7行目


ナヌミンも「吉屋信子の䞖界」
の扉を開けおいたのではないかず思いたす。

1978幎3月5日に東芝EMIリリヌスのナヌミン5枚目のアルバム『玅雀』
結婚埌、束任谷由実ずしおの最初のアルバムは
「最も地味な䜜品」これ以䞊シックになるこずはないだろう」ず本人が蚀っおいたす。


䜜者の蚀葉
 個性のはっきりした少女、寂しくき぀い誰にも銎れぬ悲しい性を持぀ゆえに苊しいたゆみこの矎しく冷たい少女が、どう心を成長させたか、それを描いおみたく筆を取ったのが、この「玅雀」です。
 この䞀篇の物語が読む方達に、その女䞻人公を通しお䜕か暗瀺できたら、䜜者は嬉しく思いたす、かくあるようにず
千九癟䞉十二幎初冬庭の山茶花咲く日
P4より

読曞の秋、
玅雀が飛んできたした。
ぜひ、読んでみお、この矎しい少女の
勇気ず知恵を自分のものにしおくださいね。


ベニスズメ


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