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伊勢山皇大神宮 年越の大祓

2023年大晦の日を迎えました。

湿り気のある空気で目が覚めると
久しぶりの雨が降っていました。

午前中に行われる大祓にゆく約束をしていました。

クリスマスすぎから風邪をひいて、
体調はイマイチでしたが、
雲が切れて
ところどころ青空が見えている頃
横浜総鎮守の伊勢山皇大神宮に向かいました。


大祓とは

大祓は、我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。

この行事は、記紀神話に見られる伊弉諾尊いざなぎのみことの禊祓みそぎはらいを起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。

年に二度おこなわれ、六月の大祓を夏越なごしの祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形ひとがた(人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪ちのわを神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。

神社本庁HPより


大祓祝詞


現代語訳


高天原という天津神がいる神の国から、天孫降臨をされたニニギノミコトが治められる大和の国は平和に治められています。

その中で、天津罪、国津罪様々な罪が生まれるでしょう。

その罪を消してしまう大祓という儀式をする準備をし、天津祝詞という天上から伝わった神聖な祝詞を唱えると、このような罪は、まるで朝の風や夕の風が吹きとばすように、鎌でばっさりと切り払われるように、消えていくだろう。

こうして消えた罪や穢れは、瀬織津姫、速開津姫、気吹戸主、速佐須良比咩が消し去ってくれるだろう。

そして罪という罪が消え、この大祓の儀式で員人々に罪を祓い清めてくださることを参集した人に良く拝聴せよと宣り聞かせる。

神仏ネットHP

世古のルーツ


私は母方のプロテスタントの家で育ち
幼稚園からキリスト教の教育を受け、
中学1年の時にバプテスト派のバプテスマを受けました。

お正月に神社仏閣の詣でたことはありませんでした。

幼い時にはすでに両親の仲は破綻していて、
父とは一度も一緒に住んだことはありませんでした。

私は母から父の好ましくない面を聞いて成長しました。

母は私に語ることで日頃の鬱憤を
晴らしていたのかもしれませんが、
聞かされているだけの私は
次第に父を疎ましく思うようになっていました。

母が亡くなってすぐに再婚した父と
「世古」という名前を嫌悪しました。

2015年に父が亡くなって、
私は生まれて初めて父を身近に感じました。

そして世古のルーツを辿るうちに
伊勢の世古道を知りました。

伊勢では家々の間の小さな路地が目につきます。
この道を世古と呼びます。
京都では
小路(こうじ)、
大阪・松坂では小路(しょうじ)と言われるものです。

セ・・・「狭い」、コ・・・(処)ということばが
世古に転化したものでないかという説もあります。

世古という名前が好きになり、
そして伊勢という場所をふるさとと感じ、
伊勢神宮に初めて行くことになりました。

あまりに無知であった神道のことも
少しずつ学ぶうちに
宗教、信仰というものでなく
「日本人としての血脈」を
感じるようになりました。

結婚して得た苗字を
世古に戻した今、
心の平静も取り戻したような思いでいます。

伊勢山皇大神宮

当宮は『横濱総鎮守』つまり国際港都・横浜の守り神として広く崇敬を集めています。

当宮の創建は、横浜が日本一の貿易港として、また文明開化の先駆けの地として、 急速な発展を遂げていた明治3年(1870)です。

当時の神奈川県知事・井関盛艮(いせきもりとめ)が 「急速な近代化・西洋化の流れの中でも、横浜の人々が日本の国柄を見失わない為に、 人々の心の拠り所、また横浜の象徴となるものとして、国家を鎮護する天照皇大神を祀る荘厳な神殿を築く」と告諭し、 戸部の地にあった古社を再興し、港を一望する丘の上へと遷座しました。

遷座に際し、五日間にわたり盛大な祝祭が執り行われました。
また、このお祭りをきっかけとして、アイスクリームが世に広まったことも知られています。

井関知事は、さらに当宮を『神奈川県宗社』と定めるよう国に建白します。

かつては当宮の例祭日である五月十五日は、 役所や会社、学校がお休みとなり、多くの市民がお祝いをしたと伝えられています。
明治期には隣接して皇室御用邸「伊勢山離宮」が設けられ、 また昭和3年に現在の神奈川県庁本庁舎・通称「キングの塔」が完成すると、 その最上階は修養塔となり、そこに奉斎された皇大神宮の月次祭には伊勢山皇大神宮の神職が奉仕していました。
まさに国際港都・横浜の歴史と共に歩み、見守り続けてきたお社なのです。

伊勢山皇大神宮HPより


年越の大祓は初めての経験でした。

始まる頃には青空が広がり、
太陽の光が燦々と降り注いでいます。

大祓祝詞を唱和し
今年1年を振り返り、
与えられた生命、いただいたご縁に感謝し、
穢れと罪を祓い、
清々しい氣の流れを感じました。

2023年、
noteを通して、たくさんの皆様と
知り合うことができました。

いくつものイベントも主催し、
やりたい夢も実現できた1年でした。

暮れになって
新しく非常勤にお仕事につきました。

2024年は仕事に励む1年となるでしょう。

感謝を持って
2023年最後のnoteを残します。


#年越大祓
#伊勢山皇大神宮
#2023年大晦日

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