ゲッセマネの祈り
昨日4月15日は聖金曜日でした。
2004年に公開された映画「パッション」は
「ゲッセマネの祈り」の場面から始まります。
イエスの人生を語るには最も相応しい場面と
監督メル・ギブソンは捉えていたのでしょう。
地面に平伏して祈るイエスの姿は
これまで私が思っていた「ゲッセマネの祈り」
とは全く違っていました。
ゲッセマネはエルサレム旧市街の城壁と
イエスが昇天したオリーブ山の間の
谷間にある園の名前です。
アラム語で「油絞り」という意味があるように、
オリーブ山からゲッセマネの園まで
オリーブの木々が生えていました。
ゲッセマネの園には
今でも当時あったオリーブの古木が
8本生えているそうです。
かつてはそこでオリーブオイルを絞ったのでしょう。
最後の晩餐でイエスはユダの裏切りを予言し、
その食事の後でペトロの離反をも口にしました。
それから一同ははゲッセマネの園にやってきます。
イエスはリーダー格のペトロ、ヤコブ、ヨハネ
の3人のみを祈りの場に連れていきます。
そして、自分の死を覚悟して、
最後の祈りをささげたました。
この壮絶な祈りが「ゲッセマネの祈り」です。
さて、今はアメリカ在住の叔父が
まだ神学生の頃の小さな勉強部屋には
二枚の聖画の模写が飾ってありました。
本がたくさんある叔父の部屋に
遊びに行くのが大好きでした。
小さな頃から観ていたので、
「この絵は何の絵?」と、
きっと聞いたことがあるのでしょう。
私はそれがイエス様の絵だということを知っていました。
「さいごのばんさん」「げっせまねのいのり」
私にはその深い意味はわかりませんでしたが、
その絵を見るたびに心が熱くなりました。
そして、私の心にある「イエス像」は
ホフマン作『ゲッセマネのイエス』に
描かれたイエスだと今でも思います。
叔父が副牧師として、
いわき、平教会に赴任することになり、
その二枚の絵を私にくれました。
以来、私は自分部屋に飾り、
毎日、二枚の絵を見ながら、
暮らしました。
「ゲッセマネの祈り」のイエスは苦渋の中で、
天を仰ぎ、祈っています。
聖書 マタイによる福音書26章36~46
36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
38 そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
40 それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。
41 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
42 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」
43 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。
44 そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。
45 それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。
46 立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
イエスは従順に笑顔で
「さあ、私の定められた時がきた。
喜んで、十字架にかかろう」
と言ったわけではないのです。
悲しみ悶え「死ぬばかりに悲しい」とおっしゃるイエス。
「できることなら、
この杯を私から過ぎ去らせてください」
と祈られるイエス。
イエスは人間としてこの世に生まれ、
人間として生き、
人間として、死んでいくのだ
と思わされます。
神の子なら土壇場で、
神が命を助けてくれるのではないかと思うわけです。
イエスは父なる神に答えを求めて
三度同じ祈りをされています。
人はどんなときに祈るでしょうか。
一つ目はお願いです。
二つ目は悔いあらためです。
三つ目は感謝と賛美。
そして最後の、そしてもっとも重要なことが
四つ目、神の御心を問う祈りです。
イエスの祈りに対して神は
どうお答えになったでしょうか。
聖書には書いてありません。
答えが書かれていない代わりに
弟子たちの様子が書かれています。
「私と共に目を覚ましていなさい」
とイエスに言われながらも
眠ってしまう弟子たち。
「誘惑に陥らないよう、目を覚まして祈っていなさい。
心は燃えていても、肉体は弱い」
起こされも、また眠ってしまう弟子たち。
最後の晩餐でワインを飲んでいたし、
疲れていたから仕方なかったでしょう。
これが私たちの姿です。
このような弱い人々を救うために、
旧約聖書に書かれた預言を成就するために
イエスは十字架にかかられました。
疫病が蔓延し、
戦争が起こり、
貧富の差は広がり、
これまで信じていたものが崩壊していき、
どうして良いかわからないことだらけ。
弱い私たちです。
でも、イエスはその私たちのために
十字架にかかってくださいます。
何度でも。
2012年秋、私はボストンから北上し、
ヴァーモント州グラフトンに旅し、
最後にニューヨークに行きました。
たくさんの人に会い、
いろいろな事を考えました。
最後の日、
友人と二人でハドソン川のほとりを散歩して、
リバーサイド教会に立ち寄りました。
米国バプテスト同盟の世界教会主義教会の大きな教会です。
扉は開いていて、中に入ることができました。
一人の女性がにっこり笑いながら近づいてきたので、
私たちは日本のバプテスト派のクリスチャンです。
と自己紹介しました。
すると彼女は
「そこのお部屋に有名な絵があるから観ていってね」
と言いました。
巨大な教会なので、
教えてもらわなかったら、
全くわからなかったと思うような
小部屋に行きました。
そこにあったのは、
あの、「ゲッセマネの祈り」でした。
息を飲むほど驚き、
友人と絵の前にひざまずきました。
そこはゲッセマネ礼拝堂でした。
あとで調べてみたところ、
リバーサイド教会堂を建てたのは
ロックフェラー2世。
ベトナム戦争中にはキング牧師が
反戦演説をした有名な教会でした。
この絵はコピーですが、
ロックフェラー2世から寄贈されたホフマン作の
『神殿のキリスト』『キリストと金持ちの若者』は
地下室の集会場キャビネットに飾られているそうで、
地下室にも行けばよかったと残念に思いました。
明日は主イースター。
死に打ち勝ったイエスの復活を
心から祝いたいと思います。
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