📙朗読劇「真昼の夕焼け」📙
五大路子さんが座長を務める横浜夢座の朗読劇「真昼の夕焼け」が
横浜市磯子区民文化センター杉田劇場で開催されました。
原作:筧槙二
演出:高橋和久
音楽:栗木健
出演:五大路子 高橋和久 高井清史、大和田悠太 伊藤はるか
主催:一般社団法人横浜夢座
共催:横浜市磯子区民文化センター
横浜大空襲
昭和20年(1945年)5月29日(火)快晴の朝、9時20分頃、横浜上空に姿を現した米軍のB29編隊517機が10時30分頃までの約1時間で、総数43万8576個(2569.6トン)という大量の焼夷弾を投下しました。
この空襲は私の地元神奈川区、特に東神奈川駅を中心に行われ、横浜の市街地は山手地区と山下公園を除いて、ほとんど燃え尽きてしましました。
31万人以上の人が被害に遭い、約7000人以上の方が亡くなったとも言われています。
大正12(1923)年の関東大震災から20年余、ようやく復興した横浜の街は再び、灰礫に帰してしまったのです。
東京大空襲は多くの物語で伝えられていますが、なぜか、横浜大空襲のことはほとんど語られていません。
この日、鶴見の軍事工場で勤労動員していた母は、鶴見川に浮かぶ焼死体を見ながら、国道に積まれたご遺体を縫うように歩いて久保山の家にやっとの思いで辿りついたそうです。
しかし、住んでいた家は丸焼けになっていました。
呆然としましたが、早い段階で両親の無事がわかり、ホッとしたかという話を私に何度かしていました。
真昼の夕焼け
横浜夢座と深いつながりのある作家筧慎二さんが15歳で経験された実話を文章にして、
朗読劇「真昼の夕焼け」が出来上がりました。
筧さんは總持寺の裏手にお住まいでしたが、淵野辺の工場に勤労奉仕をしていました。
たまたま二日の休暇をもらって帰宅した朝、東神奈川で空襲に遭遇しました。
途中であった女子中学生を助けながら、逃げ惑う中で、さまざまな思いが去来します。
五大路子トーク
「愛と希望と平和を演劇にこめて」
筧慎二さんは、手作りの本を100冊だけ作りました。
出版記念のお祝いを奥様とごく親しい方4人でされた4日後に、
使命を果たされたように筧先生は天国へ召されました。
たった100冊しか作られなかったその1冊が五大路子さんの手元に届きました。
届いた本を読んだ五大さんは、深く感動して、
この文字を言の葉に乗せて、子供たちに伝えたいという使命を持たれました。
そして、7年の間に4,000人の子供たちに伝えて来られました。
9月27日の小学生への公演に続き、
28日、初めて、夢座自主公演での一般公演となったのです。
会場には筧先生の奥様がいらしていて、秘話を話してくださいました。
生死を共にして、逃げ切った少女とは二度と会うことはなかったことを聞きました。
杉田劇場の中村牧館長のお話にも心を揺り動かされました。
夢座が「奇跡の歌姫 渡辺はま子」の舞台稽古を杉田劇場した際に、
子供たちに本物に触れてもらいたいと小学生を招きました。
そして、さらに、
杉劇にこにこアート体験塾を開催して、
「真昼の夕焼け」の朗読劇を最寄の小学生に見てもらうようになりました。
感染拡大の時は三密を避けバスにも乗れないので、
徒歩でくることのできる小学校だけとなりましたが、
それでも多くの子供たちがこの劇を見て、
「真昼の夕焼け」という題名の意味を考える機会を与えられました。
素晴らしい取り組みだと思います。
杉田劇場
現在は横浜市磯子区民文化センター杉田劇場という名称でJR根岸線新杉田駅から歩いて3分、京急杉田駅から歩いて5分ほどの場所に位置しています。
前身の旧杉田劇場は、1946年1月1日に開館しました。
終戦の翌年にできたのですね。
どんなに人びとの心を慰めたことでしょう。
しかしながら、1950年10月に閉館しました。
大高ヨシヲ一座を専属一座として持ち、浅香光代や渥美清らの著名人らも出演しました。
磯子区出身の美空ひばりが8歳の時に初舞台を踏んだ劇場としても有名です。
旧杉田劇場のポスターや外観写真(コピー)は杉田劇場のロビーで見ることができます。
考えていること
大好きな横浜が、祖国日本が再び戦禍にあってはならないと強く思います。
私に何ができるかしら・・と考えました。
言の葉を紡いで、伝えていくことを続けていくこと。
そして、頑張っている人たちを応援すること。
戦後77年、戦争体験を語れる方達は少なくなります。
今こそ、耳を傾けて先達のお話を聞き、
子供たち、孫たちに語り継ぎたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました💓
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