2022年度明治学院プラチナカレッジ〜作家が語る読書のたのしみ〜
日本ペンクラブの協力によって開催された明治学院プラチナカレッジ。
今回は第4シリーズでしたが、とても深い内容でした。
久しぶりに懐かしい母校のキャンパスを歩きましたが、
在学中は大きな建物と思っていたヘボン館がやたらと小さく見えました。
さすがにヴォーリズ建築は
時間が経っても素敵だなあと思いつつ、
図書館へ・・・
やっぱり図書館が好きです。
[コーディネーター]佐藤 アヤ子名誉教授
[開講日]2023年1月27日(金)、2月10日(金)、2月17日(金)
[開講時間]18:25~19:55
読書には、すばらしい魅力がたくさんあります。著者や登場人物がみせるさまざまな考えを知ることで、自分とは違う新たな考えに出会い、世界観が広がります。本カレッジでは、作家の読書体験を通じて<読書のたのしみ>を語っていただき、さらに、コーディネーターとの対話形式で、作品世界に触れます。
1月27日 浅田次郎 「歴史小説のたのしみ方」ほか
2月10日 平野啓一郎 「分人主義とは」ほか
2月17日 桐野夏生 「今、なぜディストピア小説が必要か」ほか
諸事情により昨日の桐野夏生さんの講義だけ聞きことができました。
✳️子供時代に読んだ本
✳️文豪島崎藤村の作品に思うこと
✳️今、なぜディストピア小説が必要か
についてのお話でした。
✳️桐野 夏生プロフィール
✳️子供時代に読んだ本
1951年生まれの桐野先生は大体、私と同時代。
先生の子供の時のことは私に記憶を重なりました。
どこの家の居間には大体ガラス戸のついた本棚があって、百科事典や名作全集が並んでいました。
そこのお家の「文化・趣味」は本棚を見たらわかったものです。
桐野先生の実家橋岡家はお父様、お母様、お兄様、弟さんがいました。
お父様はベストセラーになった本や週刊誌、お母様は「氷点」や短歌集を読まれていました。
色々なジャンルの本が豊富にあって、
小さい頃から拾い読みし、定期購読の雑誌を届けてもらうことも楽しみなことでした。
最近はKindleなどの普及もあり、読書は個人のもの
限られた中での読書体験になっているかもしれないけど、
あの頃は確かに本は生活に中にあったと私も思います。
海外の児童文学は社会状況を書きこんでいて、興味深く読まれました。
リンドグレーン、ケストナー、
バーネット、オルコット、モンゴメリ
ル・グウィン、ブロンテ姉妹・・・・
講談社少年少女文学全集の中の一冊で、東欧のあるまちの広場を巡る
赤シャツ団と地元の少年の抗争を描いた物語が
印象に残っていました。
タイトルも忘れてしまっていたのですが。
それが後で「パール街の少年たち」というハンガリーの国民的作家フェレンツの作品だとわかりました。
子供の時の印象は深く残るものです。
子供向けといって、少しも手を抜いていないからでしょう。
またル・グウィンの「ゲド戦記シリーズ」も夢中になり
影との戦いで自分を克服する術を学びました。
子供の頃、喘息もちだったそうで、
とても共感しました。
お外で遊べない子は本を読んで空想の世界で遊ぶことが多くなりますね。
大江健三郎、大庭みな子、司馬遼太郎も熱読されました。
✳️ 島崎藤村小説に思うこと
島崎藤村(1872年3月25日〜1943年8月22日)は明治学院大学第1期生で、
明治学院校歌の作詞もされました。
日本ペンクラブ初代会長。
『若菜集』(詩集) 『破戒』『春』『家』
『桜の実の熟す頃』『夜明け前』などで代表的な自然主義作家となりました。
キリスト教の洗礼を受け、明治女学校の教師になりますが、
教え子との恋愛、教師としての自責のためキリスト教を棄教。
のちに長野県小諸に移り、『破戒』を執筆しました。
1910年(明治41年)8月、妻・冬が四女を出産後死去。
この時、家事手伝いにきていた次兄の次女こま子と1912年半ばから
事実上愛人関係になり、妊娠させてしまいます。
妊娠した姪を残し、逃げるようにパリに行きました。
この顛末を描いた私小説『新生』を取り上げらた桐野先生、
島崎藤村をめった切りでした。
なんてひどい男、
何でこんな男とよりを戻すの?こま子さん!
思いを語ってくれました。
1937年4月号の婦人公論で林芙美子が
療育院の病床にあるこま子を見舞った投稿を
紹介してながら、
何が「新生」・・・と
私小説の文学的冒険を評価しながらも
好きな分野でないと思っていらっしゃるのが
ひしひしと伝わってきました。
現在、Kindleで無料本なので、
ぜひお読みください。
作家ってどこか変ですね。
✳️今、なぜディストピア小説が必要か
理想郷ユートピアに対する
反理想世界を描くディストピア。
桐野夏生はディストピアの名手と呼ばれています。
私たちを取り巻く情勢も戦争、貧困、虐待と
目を覆いたくなることが多くなっています。
もしかしたら、今はすでにディストピアなのか・・・
小説家になって好きなことを書けると思っていたのに
違うのか・・・と思い始めているそうです。
「グロテスク」
この小説がアメリカで出版される時、
10代の少年が街に立つという箇所を削られました。
え???何で現実にいる子供をかけない。の?
綺麗事にして、現実を封印していいの?
「日没」
そんな思いが湧き上がってきた時に書いた小説が
『日没』
私は『日没』の最後は希望に終わるか、絶望しかないのか・・・
読者に委ねられた気がしてなりませんでした。
随所に恐怖がありますが、桐野さんの人柄なのか
最後には光が見えると思いました。
「バラカ」
「燕は戻ってこない」
桐野作品の中に現れる「母性」
男性に視点で描かれるディストピア小説にはない希望はここから生まれていると思います。
自分の意志をしっかりもち、それを伝えていこうとする強い女性を描きたいと語る桐野さん。
言葉尻を捕まえてつまらないことでケチをつけられるのも不本意なので、
言葉を選んで使っていますが、表現の自由がなくならないように、読者が表現の自由を大切にして欲しいです。
作家には読者の支持が何より励みになります。
階段教室では時間いっぱい熱心な読者との質疑応答が続きました。
これからも素敵な企画を立ててください。
と思いつつ、白金の丘を後にしました。
島崎藤村作詞の校歌を
同窓生のTHE ALFEEが熱唱。
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